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日蓮大聖人・池田大作

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常勝関西40周年の集い この上ない「所願満足」の人生を

1996.3.18 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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1  関西の「人間城」よ、永遠に栄えよ
 おかげさまで二百五十回目の関西訪問を果たすことができた。心より感謝申し上げたい。きょうは春の彼岸に当たっており、全同志と、ご親族の追善の勤行をさせていただいた。
 皆さまとともに、(昭和三十一年)「一万一千百十一世帯」の折伏の金字塔を打ち立ててより四十年──。
 つねに苦楽をともにしてきた関西の友のことは、永遠に忘れることはできない。
 あの「3・16」(昭和三十三年)の折も、突然の連絡にもかかわらず、関西から多くの同志が勇んで馳せ参じてくださった。
 そういう草創の勇者が、今日の学会をつくってくださったのである。決してエリートがつくったのではない。
 けなげなる庶民の力、偉大なる民衆の連帯によって、今や、世界一の関西創価学会ができあがった。これほどの尊き「人間城」は、二度と築けないであろう。
 だから、魔軍が妬み、何とか壊そうとする。しかし、わが関西創価学会が盤石なるがゆえに、学会は微動だにしない。永遠に、ここ関西から、常勝の活路を切り開いていけるのである。
 今、新たな出発にあたり、記念のスピーチを贈らせていただきたい。
2  ラジブ首相「満足かどうかは『自分』で決まる」
 ラジブ・ガンジー首相といえば、「二十一世紀のインド」を目指して駆けた若き宰相である。
 私がお会いした八五年(昭和六十年)秋には、関西の地も訪問されている。また同年夏には、大阪の中学校(東大阪市の市立石切中学校)の生徒の手紙に応えて、平和へのメッセージを送られている。
 首相は、その中で、マハトマ・ガンジーの「世界で最強の武器は銃でも爆弾でもなく、誠実さと非暴力である」との言葉を引いて、「『平和のために戦わなければならない』ということを、いつも自覚していることが大切なのです」と書かれているという。
 四月から「ラジブ・ガンジー写真展」も始まる。
 写真展には、シャルマ大統領からも、メッセージが届いた。「透徹した見識、その献身的努力と活力あふれる姿は、多くの人々の希望の源泉でありました」と、たたえておられる。
3  ラジブ氏は、本来は、パイロットとして、平穏(へいおん)な生活ができるはずだった。しかし、ネルー家の政治的後継者とされていた弟の急死によって、政界に入ることに。続いて母(インディラ・ガンジー首相)の暗殺。運命の変転によって、はからずも首相に選ばれてしまった。
 それは、母のように暗殺される危険をも受け継ぐことだった。簡単な決意ではなかった。しかし、民衆のために、氏は命をかけて立ち上がった。
 ラジブ首相は、こう語ったことがある。
 「自分が権力者になりたいというのでなく、人々に奉仕しようという、強烈な意識をもって、私は政治に入った。社会を良くするために、人々が、真理、誠実に目覚めることを、私は望んでいる」(シバサンカリ『ラジーブ・ガンディーの旅』本田史子訳、せせらぎ出版)
4  もう、趣味であった写真も、ほとんどできなくなった。しかし、ラジブ首相には、使命感があった。
 あるジャーナリストが、平穏な生活を捨てたことを、どう思っているかと質問した。首相は一瞬、考えた。このあと微笑して、こう答えた。
 「生涯には、予想できないような転換があるものです。そのような転換で、パイロットであった私も、政治の道に入ることとなった。どんな仕事をしていても、満足するかどうかは自分の手の中にある。一つのことを決定したあと、前のことで後悔することは、良いことではないし、私は後悔はしていない。また、私は後悔する暇もない」
 丈夫(ますらお)の言葉である。
5  ″正義の劇″を明るく、朗らかに
 「後悔がない」ということが「幸福」の条件である。
 トルストイは、幸福の最大の敵は後悔なり、と言った。
 自分の人生である。人が決めるのではない。あの人がこう言ったとか、あの人がこうだからとか、そういうことに左右されて生きる生活は不幸である。自分自身で「これでいい」「自分はこれでいくんだ」「自分はこれで満足だ」と言える信念があればよい。その強さが、幸福を生むのである。
 松下幸之助氏も、同じ趣旨のことを語っておられた。
 いわんや、妙法を行じきって、「所願満足」の人生にならないわけがない。
 人間の目は「前についている」。人間は前へ前へ、前進するために生まれたのである。
 後ろを振り返って、くよくよしていては、「価値創造」すなわち「幸福」はない。
 使命に向かって突き進んだガンジー首相。その後継のご家族も「現当二世げんとうにせ」で生き抜いておられる。(一九九二年二月一四日、名誉会長は、ソニア夫人を自邸に訪問した折、「仏法では『現当二世』と教えています。すべては『これから』です。いつも『これから』なのです」と励ましをおくっている)
6  「悔いがない」。これが戦い抜いた戦士の勲章である。
 ガンジー首相は、民衆に鮮烈な魂の光芒を残された。
 私はニューデリーで首相の慰霊碑に詣で、こう署名した。
 「偉大なる大指導者は 悲劇的に見える時もあるが それは永遠に民衆を覚醒するための 偉大にして 壮大な劇なのである 合掌」
 私も、そういう自覚で生きてきた。皆さまも、自分の立場で、永遠に民衆を目覚めさせる″正義の劇″を、明るく、朗らかに、つづっていただきたい。
7  魔を断つ利剣はh唱題
 日蓮大聖人は、狂った権力者を「父母をなぐる子ども」のように見ておられた。
 「佐渡御書」には、次のように仰せである。
 「世間の愚者の思に云く日蓮智者ならば何ぞ王難に値哉なんと申す日蓮兼ての存知なり父母を打子あり阿闍世王あじゃせおうなり仏阿羅漢を殺し血を出す者あり提婆達多是なり六臣これを瞿伽利くぎゃり等これを悦ぶ、日蓮当世には此御一門の父母なり仏阿羅漢の如し然を流罪し主従共に悦びぬるあはれに無慚なる者なり(中略)法華経に云く「悪鬼入其身」と是なり
 ──世間の愚かな人々が思うことには、「日蓮が智者であるなら、どうして幕府による難にあうだろうか」(幕府が迫害しているのだから、立派な智者ではないのであろう)と。
 日蓮は、かねてより(権力による難が起こることを)知っていたのである。父母を打つ子どもがいる。阿闍世王である。仏や阿羅漢を殺したり、血を出させた者もいる。提婆達多である。(その非行を)阿闍世王の大臣たちは、たたえ、瞿伽利(提婆達多の弟子)たちは喜んだ。
 日蓮は現代において、この北条一門の「父母」である。また、仏・阿羅漢のような存在である。にもかかわらず日蓮を流罪し、主従ともに喜んでいる。何ともあわれで恥しらずな者たちである。(中略)法華経に説く「悪鬼入其身あっきにゅうごしん(悪鬼その身に入る)」そのものである──。
 大慈悲をもって大聖人が「救ってあげよう」というのに、父母をなぐる子どものように、かえって大聖人をいじめて喜んでいる、と。
 大聖人は、権力者の迫害を、このように見ておられた。大聖人から見れば本当に愚かで、あわれな姿に見えたにちがいない。法華経(寿量品)に「狂子おうし」とある通りであった。
 今となって見れば、彼らは永遠に悪人の名を残している。迫害されたほうの大聖人と門下は永遠に輝く勝者である。
 こういう悪鬼入其身は「元品の無明」が根っこである。
 「御義口伝」に「信の字元品の無明を切る利剣なり」と仰せのように、「元品の無明」は「信心」で断ち切る以外にない。「題目」こそ、悪鬼と戦う根本の武器である。
 題目根本に、魔と戦うとき、自分自身が鍛えられ、成仏できる。そうなれば、「悪知識」も、かえって「善知識」になる。
 難の時こそ、功徳を積み、成仏するチャンスなのである。
8  仏法は永遠に仏と魔との大闘争である。魔が競い起こらなければ真の仏法者とはいえない。
 目先のことで一喜一憂する必要など、まったくないのである。
 向かい風に胸を張って挑んでいく──これが仏道修行である。そして、これこそ、関西スピリットである。あの「一万一千百十一世帯」も、向かい風の中で堂々と勝ち取ったものである。
 これからも満々たる生命力で、常勝の歴史を残していただきたい。「民衆が勝った」という証明のドラマを後世に輝きわたらせていただきたい。一緒に、いい人生を生き、いい人生を仕上げてまいりたい。
 私は、全関西の同志が一人も残らず、ますます健康で、ご多幸で、そしてご長寿であられるよう、さらに真剣に祈っていく。
 ご家族の皆さま、地域の方々に、どうかよろしく伝えていただきたい。

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