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日蓮大聖人・池田大作

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第九十七回本部幹部会、芸術部総会、女子… 楽しき広布の大遠征

1996.2.24 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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2  まず、男性は「勤行をさぼる」と。
 さぼっているくせに、功徳がないとか少ないとか文句を言う──それではいけない。
 勤行をするのは″自分のため″である。また自分の姿を見て、後輩もついてくる。子どもも見習う。
 時間がなくて五座三座ができなければ、方便品・自我偈じがげでもよい。題目を百遍、二百遍でもよい。何かやることである。ともかく、まず御本尊の前に座ることだ。
 眠い時には、唱題だけでもいい。半分、眠りながら、(寿量品の)長行を読んでも、グルグル同じところばかりやって、そのうち夜が明けてしまう。
 大事なことは、朝晩、御本尊を拝そう、題目をあげようという「心」である。その「心」があれば福運は消えない。その心で「実践」すれば、福運はいや増していく。
 だれが見ていなくとも、御本尊が全部、見ておられる。とはいえ、わかっていながら、なかなかできないのが、男というものである。
 それなら、女性は、感情的になるより、少しでも男性が信心の方向へと向かうよう上手に″操縦″していただければ幸いである。
3  次に「朝寝坊だ」と。
 ″まるでマグロが寝ているみたいだ″という意見もあった。たたいても、蹴っても起きない。まるで″物体″である。
 ことわざに「早起きは三もんの得(徳)」とある。
 ″あなた起きなさい!″と言われる前に、バッと起きる。そういう習性を身につければ素晴らしい。そして「おはよう!」「グッド・モーニング!」と声をかけ合う。そうすれば、お互いに気持ちがよい。
 奥さんが起こしに来るのを薄目を開けて″今か今か″と待っている。それぐらいの余裕のある朝でありたい。また奥さんは奥さんで、なるべく上手に起こしてもらいたいものだ。
4  さらに「要領がいい」。また「ウソつき」だと。
 婦人部は鋭い。ウソつきの幹部、要領だけの幹部は、みんな見破られている。″千里眼″みたいに、全部、お見通しである。ごまかそうなんて、不可能なことは、やめることだ。
 婦人部に信用されなくなったら、幹部は、おしまいである。まじめに、裏表なくやる以外にない。
 そして「いばる」。「すぐ怒鳴る」。
 ″もう少し、優しく静かに話ができないのでしょうか。これでは、対話にならないではありませんか″という意見である。
 また、格好は、いんぎんに、すぐ、おじぎしたりするが、そういう人にかぎって、陰では、いばっている──という声もある。
5  男性は広い心で家族を守り支えよ
 それから、男は「ヤキモチ焼き」だと。
 奥さんや娘さんが、学会活動に頑張っている。広宣流布のため、仏道修行のため、一家の福運のために働いている。その心を理解しないで、たたえるどころか、帰りが遅(おそ)いとか、何やかや文句を言う。やりきれない──と。
 もちろん、帰宅が遅くなってよいということではない。価値的に、なるべく早く帰宅してほしいと思う。また、特に女子部は親に心配をかけてはいけない。必ず「何時ごろになるから」と電話していただきたい。
 そのうえで、家族が一生懸命、活動していることを、男性は広い心で、守り支えていただきたい。「異体同心」である。「日蓮が一類」である。ヤキモチなんか焼いても、だれも尊敬しない。
 妙法ゆえにヤキモチを焼かれることは、法華経を身で読んでいる証拠である。男はヤキモチを″焼く″のではなく、″焼かれる″ようでなければならない。
6  次に「酒とタバコ」である。人には″体によくない″と言いながら、自分はやめない。
 タバコも酒も、自分でたしなむのは自由であろう。しかし女性がいる打ち合わせ等でも、タバコを吸う人がいる。そうすると、吸わない人も、会場提供者も、本当に嫌嫌な思いをする。特に女性の前では、慎まねばならない。
 酒を飲むと、人格が変わる人間がいる。そういう人間が幹部になって、会員に迷惑をかけるようなことは、絶対にあってはならない。そんな幹部を放置すれば、学会の「清浄なる世界」が壊されてしまう。社会の信頼も失う。
 「迷惑です。出ていってください!」と、毅然と言い切るくらいの厳しさがなければならない。
7  それから「偽善」。要するに「見栄っぱり」だと。
 知りもしないのに知っているふり。力もないのに力のあるふり。金もないのに金のあるふり。偉くもないのに偉いかのようなふり。こんな偽善は、女性の″千里眼″には、すべてお見通しである。
 大聖人は教えてくださっている。大聖人に連なり、妙法を唱える私どもは「無作三身むささんじんの如来」であると。
 「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」──″ありのまま″だからこそ偉大なのである。
 偽善や見栄は、仏の心とは正反対である。そんなものは、学会の世界には無用である、と強く申し上げておきたい。
8  そして、「自分の奥さんや子どもには甘く、他人に対しては厳しい幹部がいる」。これは、いけない。大変な間違いである。
 自分の家族は大事にして、他人である婦人部の方を叱る。同志を子分のように使う。自分の家は大事にして、他人の家は勝手気ままに使う。こんなことは、絶対にあってはならない。許してはならない。
 役職でも社会的地位でもない。「一緒に戦う」のが同志である。「尊敬しあい、一緒に広宣流布の労作業をする」のが創価学会である。
 以上、男性に耳の痛いことを申し上げたが、広い心で受け止めて、参考にしてくだされば幸いである。
9  ナポレオン「英雄は不幸を乗り越える人」
 この春から、いよいよナポレオンをめぐる語らい「波瀾万丈のナポレオン──『人間』と『歴史』のロマンを語る」の連載が始まる。
 〈三月上旬発売の月刊誌『潮』四月号から〉
 ナポレオンのモットーは何であったか──これが、第一回の語らいで話題になった。
 そのひとつは、古代ローマのギリシャ人哲学者エピクテトスの次のような言葉であったという。
 「人があなたのことを悪く言う。それが真実なら直せばいい。それがウソなら笑い飛ばせばいい」
 道理は、単純明快である。
 ゆえにナポレオンは語っている。
 「私は、何があっても驚かないでいることを、身につけた。私の通る道に、やたらと吠えつく犬がいても、相手にしない」
 英雄とは、どういう人間か。ナポレオンは語っている。
 「真の英雄とは、人生の不幸を乗り越えていく者のことである」
 失敗をしない、挫折を知らない、不幸を知らない──それが英雄なのではない。それが幸福なのでもない。何があろうと、押し寄せる波を毅然と受け止め、敢然と乗り越えていく──そこに本当の英雄の生き方がある。
10  戸田先生は常々、こう、おっしゃっていた。
 「私は愛する妻を亡くしました。愛する子どもも亡くしました。だから私は会長をやれるのです」
 人生の苦労もなく、すべて思い通りに順調にいった人には、多くの人々は救えない。苦悩しなければ、人の心もわからないし、仏法の本当の力もわからない。
 困難にあっても、自分こそが人生の「主役」である、「主人公」である、「英雄」であると決めて、前へ前へ進むことである。自分を卑下したり、引いてしまったら、負けである。
 何があろうと、自分自身が強くなるしかない。自分自身が境涯を広げるしかない。そうすれば、必ず道が開ける。
 妙法の人生を生き抜いていくかぎり、すべてが開ける。すべてが乗り越えられる。そして、すべての悩める人々を救っていける。
 「信心」強き皆さまこそ、真の英雄である。座談会も、他の会合も、皆さまが行くところ、行くところ、すべて常寂光土となる。
 また必ずそうしてみせるという一念で、決心で進むのが、広布のロマンに生きる英雄の姿なのである。
11  ベートーヴェン──「精神の王国」こそ「我が王国」なり
 ナポレオン(一七六九〜一八二一年)と同時代を生きた大作曲家ベートーヴェン(一七七〇〜一八二七年)に、有名なエピソードがある。
 ベートーヴェンは、ナポレオンをモデルに、交響曲を作曲した。ナポレオンは、当時、フランス共和国の第一執政であった。
 しかし、そのあと、ベートーヴェンは、ナポレオンが皇帝に即位したというニュースを聞いたのである。
 ベートーヴェンは、怒りと失望のあまり、楽譜の表紙の「ボナパルト」(ナポレオンの名字)の文字をかき消してしまった。(この曲は、後に、「シンフォニア・エロイカ〈英雄交響曲〉」〈交響曲第三番変ホ長調〉というタイトルで出版された)
 共和主義者ベートーヴェンにとって、ナポレオンの皇帝即位は、彼がフランス革命の理想を裏切ったことにほかならなかった。あいつも、ただ権力がほしかっただけということなのか──。
12  ある知人にあてた手紙の言葉が、彼の人間観を示している。
 「人間が人間に対し卑屈になる──僕はそれが苦痛なのだ」(『新編ベートーヴェンの手紙』小松雄一郎編訳、岩波文庫)
 ベートーヴェンは、ゆえに傲慢な権力者を嫌った。
 ナポレオンは皇帝となった。それは、何を意味するか。皆、同じ人間ではないか。人間は、人間以上には絶対になれない。それをまるで、自分が人間以上の偉い存在になったかのように錯覚して、他の人間たちを見くだそうとしている。断じて許すことはできない──。
 また、信頼する法律家(ヨーハン・ネポムック・カンカ博士)への手紙には「わたしにとっては精神の王国の方が大切であり、それはあらゆる宗教的世俗的君主国の上にそびえるものであります」と記している。
 ベートーヴェンの芸術観、社会観、世界観を支えていたのは、″あらゆる宗教的権威や世俗の権力の上にそびえる『精神の王国』こそ『我が王国』なり″という信念だった。
 地位や名誉や評判をうらやむのは、世間の人間の常である。しかし、永遠の妙法を持つわれわれは、そんなものに、惑わされる必要は一切ない。
 我が芸術部の皆さまも、学会に輝く、民衆の「精神の王国」を守り、たたえ、にぎやかに荘厳しておられる。本当に尊く、素晴らしいことである。芸術部に、皆で拍手を送りましょう。第十七回芸術部総会おめでとう。
 ベートーヴェンは、天才と呼ばれる。しかし、彼の天才には、血のにじむような「努力」の裏付けがあったことを知らねばならない。
 あの第九交響曲(「交響曲第九番ニ短調『合唱付』」)に取りかかろうとしていた人生の晩年、こう述懐している。
 「一曲をものにするのに二〇曲を作曲するくらいの苦労をしているのです」
13  永遠の勝利へ毎日が挑戦
 苦労である。努力である。安直な姿勢で、一流になどなれるはずがない。
 したがって、ベートーヴェンのモットーは、「一行なりといえど書かざる日はなし」であった。毎日、必ず楽譜を書いた。絶対に空白の日をつくらなかった。
 毎日、続ける。私どもの勤行──特に婦人部の勤行のようである。
 毎日、続けることが偉大な力となる。
 ベートーヴェンは、死の数カ月前、肺炎を起こした。病魔と闘いながら、彼は炎のごとき、芸術の信念を記した。
 「さらに二、三の大作を世に送って(中略)わが地上の生涯を閉じたいと願っています」と。
 一日たりとも、精進しない日はない! 何か歴史を残してみせる! もっともっと前進してみせる!──これが″芸術王″ベートーヴェンの魂であった。
 どうか、皆さまも、今日は今日の使命を果たし、明日は明日の使命を果たし、着実に、前へ前へ進んでいっていただきたい。一日一日、焦らずに、地道に成長を重ねていただきたい。
 この地道な日々にこそ、「永遠」へと連なる人生の完成への道がある。
14  ベートーヴェンいわく。
 「希望よ、お前は心を鉄にきたえる!」(「復活の歌」吉田秀和訳、『ロマン・ロラン全集』24所収、みすず書房)
 希望は確信である。希望は決心である。希望は勇気である。そして信仰こそ究極の希望である。心を鉄に鍛える信念である。
 芸術においても、また他の分野においても、偉大な人物の言葉は、そのまま仏法に通じていく。実は、その人生の奥底に、宇宙の根本法へ向かおう向かおうとする努力があるからである。
15  春三月は、もうすぐである。
 大聖人は、信心ゆえに苦境にあった門下の池上兄弟に対し、「兄弟抄」を送られ、「設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐ思索らせ給うべし」と励まされている。
 すなわち、人生には、さまざまな面倒なことが起こるが、それらを夢と思って、信心に励んでいきなさいと仰せである。
 この春も、新しき希望を燃やしながら、朗らかに、楽しく、堂々たる行進をしていきましょう。
16  画一的指導でなく柔軟・聡明に
 皆さまの中には、家族が未入会の方もおられると思う。しかし、あせる必要はないし、苦しむ必要もない。信心をする、しないというのは、仏縁でもあり、さまざまな場合がある。
 大切なのは信心をしている「一人」の存在である。一人の成仏が、家族や親族など、周囲の人々をも救っていく。一つの太陽が昇れば、一切が明るくなるのである。
17  女子部や青年部は、ご両親に対しては、自分自身の向上する姿、立派になっていく姿を見守ってもらおう、という気持ちでいけばよいと思う。「親には一番あとに仏法を語ればいいんだ」というくらいの、おおらかな気持ちでよいのではないだろうか。
 とにかく、「自分自身が成長する」──この一点に重点を置いていくほうが賢明である。
 時代は、ますます多様性が増している。家族の状況ひとつとってみても、皆、それぞれに違う。
 ゆえに学会の指導性にあっても、「こうしなければならない」と画一的に決めつけることはできない。また、そうする必要もない。人の心というのは、そんなに単純なものではない。
18  日蓮大聖人は仰せである。
 「人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわり・ふねを水にうかべてきやすきやうにをしへ候なり
 ──人がものを教えるというのは、車輪が重かったとしても油を塗ることによって回るように、また、船を水に浮かべて進みやすくするように教えるのである──。
 大切な御指導である。車輪が重いのに、油も差さずに無理やり回せば、壊れてしまうであろう。人にものを教えるということも同じである。
 「この人の心を軽くしてあげるためには、今、何を話してあげればよいのか」「あの友が生き生きと前進するには、どう励まし、何をしてあげるのが、一番よいだろうか」。このように心を砕くことである。
 相手が何を思っているかも考えずに、一方的に″指導″したとしても価値がない。相手が、おなかがすいているのに、長々としゃべる、体の調子が悪いのに、ただ頑張れ、頑張れ──これでは頑張ろうと思っている人でさえ、いやになってしまう。
 相手が求めているものを与える。何をしてあげればよいかを考える、手を打つ──この慈愛が大切なのである。慈愛から知恵は生まれる。
 たとえば男子部、学生部には、どんな難しい話をするよりも、「おなかがすいているだろう。おそばでもごちそうしてあげよう」と言ってあげたほうが、発心する場合もある。なかなか広布の活動が進まないで悩む女子部員に、「心配しなくてもいいよ。私がやっておくから」と、言葉だけでもかけてあげれば、どれほど安心を与えることができるか。
19  事実、広宣流布の結果を出そうという、その「心」があれば、それだけで素晴らしいことなのである。
 画一的な指導はいけない。一切法が、すべて仏法である。宇宙全体が、森羅万象が、すべて仏法なのである。
 大きく、広々と考えていくべきである。柔軟に、また自在に知恵を使って、皆を元気にしていくことである。それが本当の「強盛な信心」である。
 妙法の大確信をもって、こまやかに心を砕き、柔軟に、聡明に、友の心に応えていく。これがリーダーの条件である。そうでなければ、多くの人の心をつかむことはできない。広宣流布はできない。こういうリーダーが増えていけば、広宣流布はさらにさらに拡大していく。
20  恩師の正義を世界に宣揚
 この牧口記念会館の御宝前に来ると、牧口先生がしのばれるし、戸田先生の声がよみがえってくる。
 昭和二十四年(一九四九年)の秋、牧口先生の第六回忌法要の折であった。戸田先生は語られた。
 「牧口先生のご葬儀は、わずかの親類縁者と官憲の眼を恐れぬ二、三の人々によって行われたということを、私は出獄して初めて知った。
 この時、私は『価値論』を生み出した世界の偉人の葬儀の状態を聞いて腹の中が煮えくりかえり、『よし! 先生を世に出さずにおくものか!』と奮起した。
 性格も境遇も正反対の私が、先生のあとをつぐのは心苦しいが、宿命というものは厳しいものだと思う。と同時に『先生のあとを継承し、世界における学会の使命を断固として果たして死のう!』という私の決意は絶対に変わることはない」
 私も、同じ決意に立った。そして私は人生をかけて、世界に牧口先生、戸田先生を宣揚しきった。
 これが師弟の道である。この道に生きるかぎり、他の何を恐れようか。他に何を望もうか。
 広宣流布に生きた牧口先生、戸田先生を宣揚できれば、それで全部である。全部、そこに含まれる。本日は、このことを、はっきり言っておきたい。
21  続けて戸田先生は語られている。
 「諸君も、このような世界的偉人の弟子だということを忘れることなく、さらに私について純真に法華経を聞く者は、先生の立派な孫弟子であることを確信せよ!」
 戸田先生が出獄した時、学会員は、ほんのわずか。戦前も、三千人ほどであった。小さな存在の学会であった。にもかかわらず、戸田先生は、牧口先生を「世界的偉人」であると言われている。そして「世界的偉人の弟子だということを忘れるな」と叫ばれている。
 この立派さ──これが本当の弟子である。弟子が偉大だったのである。
 「私について純真に法華経を聞く者は、先生の立派な孫弟子であることを確信せよ!」と。この言葉には、深い深い意味がある。「師弟」という、仏法の根幹の哲理がある。
 さらに戸田先生は語られている。
 「今後も毎年の追悼会は生前に、先生と面識のない新しい弟子によって、ますます盛大に営まれることを期待し、たとえ生前に面識がなかったと言っても、これらの人々こそ、真に牧口先生の弟子であることを断言してはばからないのである」
 今、その通りになった。戸田先生の期待を、私はそのまま実現してきた。
22  戸田先生は、この誓願のままに、炎のごとき大闘争を貫かれた。これが学会精神である。私も不二の決心で戦った。
 その戸田先生のご生涯の勝利は、あの「3・16」の「創価学会は宗教界の王者なり!」という獅子吼に凝結している。
 そして「3・16」のあの日あの時、私は誉れある創価の使命のバトンを戸田先生から託された。
 以来、三十八星霜──。このたびの「戸田記念国際平和研究所」の創設をもって、私は戸田先生との一切の具体的なお約束は、すべて実現した。
 仏法を基調にした平和・文化・教育運動のすべての拠点をつくり、運動の根本軌道をつくり上げた。
 しかし、大聖人は「末法万年尽未来際じんみらいさい」と仰せである。広宣流布は万年への大遠征であり、毎年めぐりくる「3・16」は、常に、その新しき蘇生の出発なのである。
 私もいよいよ、全世界に牧口先生の思想、戸田先生の哲学の真価を宣揚していく決心である。
 いかなる迫害も陰謀も恐れない。私は師子の子である。戸田先生の弟子である。
 若き後継の弟子である青年部も、この学会精神を我が精神として、私の後を立派に継いでいただきたい。
23  迫害こそ「正義」を雄弁に証明
 ここで御書の一節を拝したい。
 御書という明鏡に照らしてみれば、すべて、その本質は明らかになる。ゆえに、教学という智剣ちけん(智慧の剣)を磨くことである。
 日蓮大聖人は佐渡に流罪になる途中、寺泊てらどまりの地(現在の新潟県・寺泊町)で門下に御手紙(「寺泊御書」)を書かれた。厳しき寒さの季節(旧暦の十月末)であった。
 当時、大聖人御一人をめがけ、一国をあげて、狂気のごとき迫害を加えていた。大聖人に対する悪口や誹謗が渦巻いていた。
 そうした状況のなか、大聖人は厳然と、こう言い放たれたのである。
 「卞和べんかは足を切られ清丸は穢丸けがれまると云う名を給うて死罪に及ばんと欲す・時の人之を咲う、然りと雖も其の人未だ善き名を流さず汝等が邪難も亦爾る可し
 ──中国の卞和べんかは(国のために貢献しようとしたにもかかわらず、それが認められず)足を切られ、日本の和気清丸わけのきよまろは(野心の悪僧と戦ったため)穢丸けがれまろという悪名をつけられたうえ、死罪にされようとした。その当時の人々は、その姿を見て卞和や清丸のことを笑った。しかし、(笑われた卞和や清丸はよき名を残したが)笑ったほうの人はよき名を残していない。(私に対する)あなたたちのよこしまな非難もまた同じことであろう──。
 大聖人を悪意で非難している人間たちは、結局、後世に悪名を残すだけである、と。事実、歴史はそれを証明している。
24  「勧持品に云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈し」等云云日蓮此の経文に当れり汝等何ぞ此の経文に入らざる、「及び刀杖を加うる者」等云云、日蓮は此の経文を読めり汝等何ぞ此の経文を読まざる「常に大衆の中に在つて我等が過を毀らんと欲す」等云云、「国王大臣婆羅門居士に向つて」等云云、「悪口して顰蹙ひんしゅくし数数擯出せられん」数数とは度度なり日蓮擯出衆度流罪は二度なり
 ──法華経の勧持品には「諸の無智な人々が悪口を言い、罵る」とある。日蓮は、この経文の通りになっている。あなたたち(よこしまな非難をする者たち)は、なぜ、この経文の通りになっていないのか。また「刀や杖で暴力を加える者がいる」と。日蓮はこの経文を身で読んだのである。あなたたちは、なぜ、この経文を身で読まないのか。また「(悪侶らが)常に大衆の中で我ら(法華経の行者)を謗ろうとする」「国王、大臣、聖職者、社会的有力者に向かって(法華経の行者を誹謗する)」「悪口を言い、顔をしかめ(て迫害し)、(そのため法華経の行者は)しばしば追放される」などとある。「しばしば」とは、「たびたび」ということである。日蓮は何度も追放され、流罪は二度である──。
 ″法華経の行者は幾多の難にあうと、経典に、はっきり書いてあるではないか。私は、その通りの難を受けているのだから、正しいということではないか。非難する人間たちは、経文の通りになっていないではないか″──大聖人の厳しき御言葉である。
25  今、広宣流布のために、現実に大難にあい、御書を身読しているのは、我が創価学会だけである。
 創価学会だけが、法華経の通り、御書に仰せの通りの、誉れの大道を進んでいる。これこそ学会が、仏勅の団体である証なのである。
 かつて悪口を言われ、笑われた牧口先生、戸田先生の名は、今や世界に燦然と輝きわたっている。反対に、牧口先生、戸田先生を誹謗し、笑った人間たちは、その悪行だけが歴史に刻まれている。
 御書に示されている通りである。歴史の審判は厳しい。何より、仏法の因果律は、あまりにも厳粛である。このことを忘れないでいただきたいと申し上げ、本日のスピーチとさせていただきたい。
 長時間、ありがとう。日本全国の皆さま、本当にご苦労さま。皆、仲良く、朗らかに進んでいきましょう!

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