Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第九十六回本部幹部会 築け!衆生所遊楽の「永遠の都」

1996.1.27 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

前後
2  一月の大座談会運動は、皆さま方のお力で、大成功であった。
 想像以上の多くの人が集い、明るく、にぎやかな座談会が、各地で行われた。
 座談会には「共和」と「連帯」と「人間主義」がある。そして、「理想」に向かっての民衆の行進がある。本当に素晴らしいことである。
 全国各地で、寒いなかを、広宣流布のため、率先して行動されている姿は、本当に尊い。
 先頭を行く──それは上行菩薩の徳に通じるといえよう。
 戸田先生は「地涌の菩薩の上首・上行菩薩は、日蓮大聖人の御事おんことであるが、今、広宣流布の先頭をまっしぐらに進む学会員の尊い姿も、総じては、上行菩薩のようである」と語っておられた。
 二月も、この地域、あの地域で、楽しく大座談会運動の前進をお願いしたい。
 二十一世紀の″人間共和″の「永遠の都」を、まず、この日本の国に築き上げましょう!
3  座談会が社会を変える
 釈尊が行くところ、いずこであれ、朗らかな座談の輪が広がった。
 釈尊の座談会は、誰びとにとっても、「より強く」「より賢く」「より楽しく」生きよう! 生き抜こう! 希望をもって進もう! という触発の場であった。
 今は、そういう″生命の触発″がない時代である。どんなに娯楽に興じても、一時のことである。深い次元からの自分自身の触発、成長はない。
 それに対し、仏法は「自身の成長」と「生活の向上」のためにある。どこまでも「現実」の人生に根ざしている。そして家庭に、地域に、社会に、「和楽」を広げるための知恵の源泉なのである。
4  釈尊が、舎衛城しゃえじょうの、ある長者(福徳ある富豪)の家を訪問した時のことである。
 その家にヒステリーのような高い大きな声が響いていた。釈尊が長者にたずねると、「息子の嫁がどなっている声です」という。
 彼女は、「よい家柄の出であった」というが、ツンとすまして、夫や家族の世話をせず、仏法の信仰もしなかった。お金には困らない長者も、彼女のことが悩みのタネであった。
 すると釈尊は自ら、彼女に声をかけ、「こちらへ、いらっしゃい」と優しく招いた。そして、一緒に座って対話を始めたのである。
 仏法の魂は、こういう「平等の対話」にある。
 上から命令する。大きな声で、偉ぶって人を使う──とんでもないことである。そんな世界は、もはや仏法の世界ではない。
 釈尊の対話は、閉ざされた心を開き、かたくなな心をなごませ、凍った心を溶かしていくような語らいであった。
 そこで語られたのが有名な「七種類の妻」という話である。ただし、このエピソードは、法華経より以前の低く浅い段階の経典に収められたものである。したがって、そこにはまだ古い女性観が反映されている。
 一方、大聖人は明快に「男女はきらふべからず」──男性と女性をわけ隔てしてはならない──と教えられている。
 男女同権は民主主義の根本原理でもあり、日本国憲法も保障している。
 仏法の精髄も男女平等・同権である。これは永久に変わらない。
5  釈尊の対話──「七種類の妻」
 それを前提に、「七種類の妻」の話を紹介させていただきたい。
 戸田先生も、よく質問会などで、この話を通し、ユーモアを込めて、夫婦の機微を教えてくださった。
 経典によって多少、異なるが、例えば次のようなものがある。
 (1)「殺人妻」──悪い心があって、他人の不幸を喜び、夫の命を奪うような妻。
 (2)「盗人妻」──夫の財産を盗み取るような妻。
 (3)「かかあ妻」──夫を支配する妻。″不精で、グズで、がつがつ食べ、言葉が荒々しく、意地悪で口汚く、律義な夫を抑えて暮らす妻″とされている。
 もちろん学会の婦人部には、これらのタイプは絶対におられない。
 (4)「母親妻」──母が我が子を思うように夫を大切にし、守る妻。
 (5)「妹妻」──妹のように夫を慕い、心やさしく夫を支える妻。
 (6)「友人妻」──久しぶりに来た友人をもてなすように、夫と会うことを喜びとする気品ある妻。
 (7)「召使妻」──何があっても怒らず、心静かに耐え、にこやかに夫に従っていく妻。(パーリ語の仏典「アングッタラ=ニカーヤ」から)
 また別の仏典には「善知識妻」──善知識として互いに相談し合い、励まし合い、よい智を出し合っていく妻──を「七種類の妻」のひとつにあげている。(漢訳の「玉耶ぎょくや経」)
 互いに善知識となる──仏法者として理想的といえよう。
 「母親妻」や「妹妻」では、夫は大した男性にはならないかもしれない。何より、夫については、もっとたくさん悪い分類があるに違いない。
 ともあれ、こうした釈尊の話を聞いた、お嫁さんは、鏡に映し出されたように自分自身を見つめ直し、心新たに、よき妻へと変わっていったというのである。
6  「衆生所遊楽」──「人間はこの世に遊びにきた」
 戸田先生は、よく言われた。
 「みなさんも、なんでこの世の中に生まれてきたのですか。(亭主は)女房を泣かせるために生まれてきたのか、女房は亭主をいじめるために生まれてきたのか」
 「この世の中は、遊ぶために生まれてきた所なのです。ゆえに『衆生所遊楽』というのです。われわれは楽しんで暮らさなければならないのです」
 「それをみんなに教えてあげて、そして、自分もしあわせになり、人もしあわせにするのを、広宣流布というのです」
 人間、何のために生まれてきたのか──これは大きな課題である。その結論を戸田先生は、明快に教えられたのである。
 この世は本来、「衆生が遊楽する所」(法華経寿量品)なのだ、と。
 我々は、この世に、遊び楽しむために生まれてきたのである、と。
 そのための偉大な生命力をわき上がらせるのが「信心」なのである。
 幸福は身近なところにある。殺伐とした世相にあって、私どもは座談会を軸に、わが家に、わが地域に、「和楽」のオアシスをつくり、広げていきたい。
 特に婦人部の皆さま方は「幸福博士」「生活博士」でお願いしたい。家庭の「名操縦士」として、ご主人やお子さんをじょうずに操縦しながら、素晴らしい「創価の大花」「創価の太陽」となっていただきたい。
7  二月十一日は、恩師・戸田先生のお誕生日(一九〇〇年生まれ)。今年は生誕九十六周年となる。その佳節を飾る、きょうの本部幹部会は「第九十六回」──不思議な一致である。創価学会は絶妙のリズムで前進しているのである。
 しかも、この会場は、牧口先生の″魂の殿堂″牧口記念会館。きょうの会合は、牧口先生の生命、戸田先生の生命が、学会の組織に力強く脈動し、さらに永遠に伝わっていくという証明の儀式であると確信する。
8  「難」こそ「成仏」のチャンス
 日蓮大聖人は仰せである。
 「大難に値うを以て後生善処の成仏は決定せり
 ──大難にあうことによって(法華経に説かれた「現世においては安穏で」)「後に善き処に生まれる」という成仏が決定する──と。
 大難にあってこそ、成仏は決定する。三類の強敵ごうてきにあってこそ、未来永遠にわたる成仏が決まる。
 三類の強敵の出現は、これで必ず成仏できるという証なのである。
 御義口伝に「難来るを以て安楽と意得可きなり」と仰せである。
 ″どうして難が来て安楽なのだろう″と疑問に思うかもしれない。しかし実は、「難」と戦い、乗り越えてこそ、宿命転換があり、成仏がある。ゆえに「安楽」なのである。
 例えていえば、悪い宿業という「ガン」の病巣を、根本的に取り除いてしまうようなものと言えようか。その時は苦しくとも、一気に仏の大境涯を開ける。
 大聖人は転重軽受てんじゅうきょうじゅ(重きを転じて軽く受く)について、「地獄の苦みぱつときへ」──地獄の苦しみは、ぱっと消えて──と仰せである。
9  真剣勝負には、人生でも、スポーツでも、ここ一番という″山″があるものだ。
 仏道修行にも″山″がある。それが三類の強敵との戦いである。この山を乗り越えてこそ仏になれる。広宣流布もある。
 そうした喜ぶべき大難を、たいていは逃げるか、怖がるか、避けてしまう。しかし、大難を避けて、成仏はない。
 「大難にうを以て後生善処の成仏は決定けつじょうせり」──牧口先生、戸田先生のご生涯は、まさにこの御聖訓を証明された劇であった。同じように私どもは、その誉れある後継の道、成仏の大直道じきどうを、まっすぐに進んでいる。
 「今こそ仏になれるチャンスである」「最高に、ありがたい時なのである」と申し上げたい。
10  創価学会は「戸田の命よりも大切な広宣流布の組織」であると、戸田先生は遺言された。
 ″命のほうがずっと大事だよ″と小バカにしていた悪い坊主がいたが、広宣流布をしようと思っていない彼らに、先生の心がわかるはずがない。
 さらに戸田先生は言われた。
 「その組織を動かすのは、信仰に対する絶対の確信と情熱である。その信仰に対する確信と情熱を、組織のなかへ、エネルギーとしてみなぎらすことである」
 「ことに、青年の確信と情熱が、信仰によって清められ、いやましに高められたときに、組織は、グングンと活動するのである」
 「信仰への絶対の確信と情熱」──それが原動力である。役職や命令が原動力なのではない。
 また信仰の清らかな情熱をなくした人間に、組織を利用させてはならない。″信心利用″″組織利用″を絶対に許してはならない。
 「青年」が組織の「活力」である。「青年部が大事」である。戸田先生のこの信頼に、青年自身が応えていただきたい。
 そして皆で「伝統の二月」を立派な大勝利で飾りましょう!
11  「八風」に侵されず、永遠の「創価の山」を築きゆけ
 山が高ければ高いほど、風は強く吹きつける。
 王者の山・ヒマラヤ──その山頂近くは、常に激しい風にさらされている。
 あるデータによると、冬のヒマラヤでは、マイナス四〇度もの低温になり、時に秒速一〇〇メートルを超える厳寒の烈風が吹き荒れるという。
 しかし、大王の山は、どんな風にもいささかも揺るぎなく、堂々とそびえる。
 ヒマラヤのごとく、「八風はっぷう」に微動だにすることなく、悠然と生き抜け!──これが仏法の教えである。
 「八風」は、仏道修行の火を消そうとする。
 御書には、次のように説かれている。「賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、をを心は利あるに・よろこばず・をとろうるになげかず等の事なり、此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなり
 ──賢人とは、八風と言って八種の風に侵されない人を賢人と言うのである。(八風とは)利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽である。おおよその意味をいえば、利益があっても喜ばず、損をしても嘆かない等のことである。この八風に侵されない人を、必ず諸天善神は守られるのである。
 人が望み求める「四順しじゅん」、つまり、(1)うるおい=さまざまな利益を得て潤うこと(2)ほまれ=世間からほめられること、名誉なこと(3)たたえ=人々からたたえられること(4)たのしみ=心身が楽しいこと。
 さらに、人がいやがり避ける「四違しい」、つまり、(5)おとろえ=さまざまに損をすること(6)やぶれ=世間からの不名誉な評価、非難(7)そしり=人々からそしられること(8)くるしみ=苦しむこと──である。
 これらに心を動かされ、仏道修行をやめてはならない、という教えである。
12  八風について説いたある仏典には、こう記されている。
 「其の心の堅く不動なること 譬えば須弥山の如し」(思益しやく経)
 ──八風におかされない菩薩の心は堅固で不動であり、たとえば須弥山(古代インドの世界観で、世界の中心にある大山)のようである──と。
 菩薩とは、現実社会の真っただ中にあえて飛び込んで、人々を救う勇者である。
 その菩薩の人格はどうあるべきか。それは八風に心を動かされないことだ──こう釈尊は説いているのである。
 まさに、学会員の皆さまの姿である。座談会も、さまざまな学会活動も、利害で動いておられるのではない。だれにほめられるわけでもない。かえって悪口を言われ、苦労をし──それでも人のため、法のため、社会のために、厳然と行動されている。
 これこそ尊き「現代の菩薩」のお姿である。
13  大聖人も、「八風に侵されてはならない」「八風に侵されない人が賢人であり、その人を諸天善神は必ず守る」と仰せである。
 なぜ創価学会が、これだけの大難の連続のなか、日本一、世界一の大発展を遂げることができたのか。
 それは、皆さまが御聖訓通り、八風に侵されず、真っすぐな信心を貫いてこられたからである。だから、諸天から厳然と守られたのである。
 戸田先生は、よく語っておられた。
 「ほめられたからといってうれしがることもなければ、悪口をいわれて驚くこともない。われわれの信仰は、ただいちずの信仰でなければならない」
 これからも私たちは、いかなる「八風」にも動ぜず、永遠不滅の「創価の山」を、さらに堂々と築いてまいりましょう! 王者の山・世界一のヒマラヤのごとく!
14  世界一の音楽隊をたたえて
 音楽隊の皆さまに歌を贈りたい。
 日本一
 いな世界一の
  音楽隊
 創価の誉れの
  楽雄 燦たれ
 栄冠に
 輝く君らに
  拍手せむ
 堂々 文化の
  帝王なるかな
 天と地に
 心と心に
  沁みわたる
 宇宙のリズムの
  努力の勝者よ
 それでは演奏をよろしく!
 (音楽隊の「創価ルネサンスバンガード」と「東京吹奏楽団」が演奏を披露。創価ルネサンスバンガードは、第二十三回「マーチングバンド・バトントワリング全国大会」のコンテストの部・一般編成で、三年連続日本一に輝いた)
15  婦人部総会に祝福の歌を
 全国で第二十六回婦人部総会が始まる。お祝いに、歌をんだ。
 燦然と
 春の栄光に
  包まれて
 母よ健気に
  子らを抱けや
 広大な
 慈愛の笑顔の
  母なれば
 いついつまでも
  幸福博士に
 微笑の
 母が おわせば
  太陽が
 照らすと 等しき
  平和の城かな
 つらくとも
 また 悲しき時も
  悠然と
 母なる大地は
  楽しく踊らむ
 たくましき
 母の対話は
  慈悲の曲
 おお 名優に
  まさる振舞い
 若き母
 老いたる母も
  睦まじく
 豊かな心の
  仏の城かな
 この六首の歌を、婦人部の皆さまに贈りたい。
 全国の皆さま、風邪をひかれませぬように。
 また元気に、楽しくお会いしましょう。ありがとう!

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