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日蓮大聖人・池田大作

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第九十五回本部幹部会、第四回千葉県総会… 永遠に輝く人権運動の歴史を

1996.1.6 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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1  広布と平和の波は着実に世界へ
 あけましておめでとうございます。本年も、よろしくお願いいたします。
 千葉の皆さま、遠いところ、ご苦労さま。
 幹部会といっても仏法は本有無作ほんぬむさ(融通無碍の境地)である。形式なしで、懇談的にお話をしたい。くつろいだ気分で聞いていただきたい。
 今や、広宣流布の上げ潮は世界中で高まっている。アフリカからも、南米からも、その他、世界の各地から、SGI(創価学会インタナショナル)の大発展の様子が伝えられてきている。広宣流布即「平和」の波は着実に世界に広がっているのである。
2  広宣流布が進めば、それを妨害しようと、「三類の強敵」(法華経の行者を迫害する三種類の強い敵人)が現れる。それが法華経の説く法則である。こういう時こそ、仏になれる時である。仏になるチャンスなのである。
 三類の強敵が出現した時に、戦い、乗り越えれば仏になる。これが日蓮大聖人の御約束である。
 佐渡御書には「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」──悪王が正法を破壊しようとしている時に、邪法の僧等がこの悪王に味方して、正法を持つ智者を滅ぼそうとする時、師子王のような心を持つ者が必ず仏になることができる──と仰せのとおりである。
3  また「賢者はよろこび愚者は退く」──(仏になるときには三障四魔という障害が出てくるので)賢者は喜び、愚者はひるんで退くのです──と。
 そして、ひとたび仏になれば、生々世々にわたって仏である。自由自在の境涯が永遠に続く。これが大聖人の御金言であり、そうなるための信心である。
 ゆえに、何があろうと、いな何かあればあるほど、大いなる希望をもって進んでいただきたい。
 お体を大切にしながら、明るく頑張っていただきたい。
4  第三代大統領ジェファソンの永遠の業績
 本日はアメリカの代表もおいでになっているが、アメリカの歴史上、最も尊敬されている大統領といえば、初代のワシントン大統領、第十六代のリンカーン大統領、そして第三代大統領のトマス・ジェファソン(一七四三〜一八二六年)であろう。首都ワシントンのホワイトハウスのそばには、この三人を記念する建物が建っている。
 ジェファソンは、ちょうどナポレオンの全盛期と重なる時期に、二期、大統領を務めた(一八〇一〜〇九年)。
 在任中、彼は、財政をはじめ内政を改革し、アメリカの民主政治の基盤をつくった。また、広大な領土を破格の安さで購入し、アメリカの面積を二倍にした。その他、彼には、数々の輝かしい業績や、最高の社会的経歴があった。
 しかし、それにもかかわらず、彼は遺言で、自分の墓にこう刻ませた。
 「『独立宣言』そして『宗教的自由のためのヴァージニア法』をつくった人間であり、ヴァージニア大学の創立者」と。
 墓碑銘に刻ませたとは、すなわち「後世に残る自分の仕事は、これだ」という意味である。
 そこには、大統領だったこと、政治家だったことには、一言も触れられていない。それよりも、この三つの事業(独立宣言・信教自由法・大学創立)が、自分の人生にとって、深く、尊い、永遠の意義をもっていると考えていたのである。
5  アメリカ民主主義の根本思想「人権は政府より上にある」
 まず第一に「独立宣言」である(一七七六年)である。
 これは、画期的な人権宣言であった。すべての人に平等に「天賦てんぷの権利」が備わっていることを示し、「人権は政府よりも上にある」ことを、国の原理として高らかに宣言したのである。
 すなわち「これらの権利を確保するために人類のあいだに政府が組織されたこと、そしてその正当な権力は被治者(民衆)の同意に由来するものであることを信ずる。そしていかなる政治の形体といえども、もしこれらの目的を毀損するものとなった場合には、人民はそれを改廃し(中略)新たな政府を組織する権利を有することを信ずる」(『人権宣言集』岩波文庫)
 「人権を守り、実現するために政府をつくった」のだから「人権を抑圧する政府は認めない」──こう宣言して、アメリカはイギリスから独立したわけである。
 「人権は政府よりも上にある」。ゆえに、政府は人権を勝手に弱めたり、制限できる立場にはない。「人権を制限してよいかどうか」等の問題ではなく、そもそも政府は、そんなことを議論できる立場にない、ということである。
 これは「民主主義」の根本思想であり、国民が徹底的に学ばなければならない基本中の基本である。
6  この思想は、フランス大革命に大きな励ましを与えた。
 (ジェファソンは、フランス革命の「人権宣言」の起草にも協力している)
 ″圧政の象徴″とも言われた、パリのバスチーユ牢獄が民衆によって開かれた後、その「牢獄の鍵」はアメリカに贈られている。
 「この牢獄の門を開いたのは、アメリカの『独立宣言』の思想である。ゆえに、この鍵をあなた方、アメリカの人々に捧げたい」と。
 「人間性」がふくいくと薫るエピソードである。ロマンがある。ドラマがある。
 三十三歳の若きジェファソンが起草した独立宣言は、アメリカだけでなく、ヨーロッパを変え、世界を変えた。「人権」の思想が大きく流布したともいえよう。
 思想の力は強い。哲学の力は強い。理念の力は強い。精神の力は、何ものよりも強い。
 アメリカ独立宣言の基本精神は、日本の平和憲法にも生きている。日本国憲法第一三条にある「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」との一節は、独立宣言の表現が、そのまま使われている。
7  「政府の宗教介入」を初めて禁止
 第二に「宗教の自由法」である。
 ジェファソンは、知事を務めたヴァージニア州で、世界で初めて「政教分離」すなわち″政府は宗教に介入してはならない″(政府は宗教的に中立でなければならない)という原則を立法化した(一七八六年)。この法律も歴史的文書として有名である。
 (当時、ヴァージニア州では市民はその宗教的信条によっては公職に就くことを制限されるなど、政治的・社会的に差別されていた。すなわち行政官が市民の思想・信条の自由を制限していたのである。
 ジェファソンは、「国家と宗教の分離」を明確化し、万人の平等の権利として、徹底した「信教の自由」を保障する法案を議会に提出。保守派との攻防の末、八六年、「宗教的自由のためのヴァージニア法(ヴァージニア信教自由法)」として成立した)
 この″信教自由法″をはじめジェファソンの民主思想は、政府の権力を極力小さくし、民衆の人権を極力拡大するところにあった。その後、同法の理念は、合衆国憲法修正第一条に継承され、さらに強固なものになっている。
8  「人間は無限に進歩できる」
 墓碑銘に刻まれた第三は「教育」である。
 彼は「教育」こそ一番大切と見きわめ、晩年、「ヴァージニア大学」を創立した。(一八二五年)
 まさにこれと同じ考えから、私も創価大学をつくった。
 彼は「人間は無限に進歩できる」と信じていた。楽観主義であった。人間を信じていた。人間は生まれつきで決まるとか、人間は前の世代より立派にはなれないとか、そんな悲観は捨てよと叫んだ。
9  「進まざるは退転」である。前へ前へ、人間は無限に前進できる。無限に成長できる。もっと幸福になれる。もっと賢くなれる。もっと強く、もっと偉大になれる。
 教育次第で、人間は必ず変わる。
 学会が「教学」に真剣な理由もここにある。教学こそ最高の学問であり、人間学であり、最高の教育である。教学は学会の魂である。
 男性も頑張っていただきたいが、女性のほうが、まじめかもしれない。女性が頑張れば、男性はヤキモチ焼きだから、負けるものかと男性も頑張る。だから女性の皆さま、よろしくお願いします。
10  ラルフ・ケッチャムの『アメリカ建国の思想』には、次のようなジェファソンの言葉が紹介されている。
 「各世代が先人の獲得した知識を継承し、それに自らの習得と発見を付加し、それを後世に伝え、絶え間なく集積していくことによって、人類の知識と幸福が増進されるにちがいない……何人も決めたり予想したりできないところまで、無限に」
 もっともっと、我々は向上できるのだ。発展できるのだ。その可能性を存分に開花させようではないか! 人生を、世界を、無限に広げていこうではないか!
 この人間信頼。悠々たる楽観主義。これが第三代大統領の魂であった。
 そして、これが、アメリカ民主主義の土台となった。
 彼はいつも思っていた。「私は不安を船尾に残し、希望を船首に乗せて船を操つる」(アーサー・M・シュレシンジャー『回想のアメリカ現代史』井出義光訳、研究社出版)
 理想をもった人の言葉である。戦った人の言葉である。
 希望──学会員の皆さまが「希望」をみなぎらせ、元気で前進しておられれば、現在も、未来も、何の心配もない。「人」が健在である限り、「法」は必ず流布する。
11  このように″アメリカ民主主義の父″は、政治的経歴よりも、はるかに、人権と教育という「永遠性の事業」に誇りを抱いていた。
 今、私どもも「人権闘争」を繰り広げ、「教育・文化・平和運動」を世界に広げている。この運動こそ、絶対に、後世永遠に、たたえられていくにちがいない。
 何より妙法は永遠である。ゆえに妙法を行ずる創価学会も永遠である。皆さまこそ「永遠に輝きわたる人」なのである。
12  「唱題の人」に生き詰まりはない
 晴れやかな「創立六十六周年」の本年、全国各地の新年勤行会には六百万人もの「地涌の菩薩」が集われた。
 御書には「六を以て具足の義と為す」とある。「六」という数には「十分に備わる」「満ち足りる」という意義がある。
 まことに晴れ晴れと、希望の「旭日」輝く一年のスタートを切ることができた。
 役員の皆さま、各地の個人会場の皆さまには、お世話になり、厚く御礼を申し上げたい。
 また本日は千葉の総会、おめでとう!
 「旭日」の新春に、「旭日の千葉」が総会。素晴らしいことである。
 千葉は本州で真っ先に旭日が昇る天地である。皆さまが見ておられる「太平洋から昇る旭日」を、この地で御聖誕された大聖人も見つめておられた。そして大聖人は千葉から、「太陽の仏法」の大光を末法万年に向かって放たれたのである。
13  きょうは一月六日である。文永三年(一二六六年)の正月六日、大聖人は故郷の安房あわ(現在の千葉県南部)の地で、有名な「法華経題目抄」を御執筆された。
 妙法の力用りきゆうが、どれほど絶大か。同抄では「妙の三義」を示されている。すなわち妙法の「妙」の三つの意義として「開く義」「具足・円満の義」「蘇生の義」がある、と。
 この「妙の三義」は、一昨年(一九九四年)のモスクワ大学での講演(テーマは「人間──大いなるコスモス」)でも現代的に展開しており、きょうは略させていただく。
 ただ「妙の三義」の結論は何か──。それは、闇を破る旭日のように、妙法を唱え抜く人生には絶対に行き詰まりがないということである。
 大聖人の仏法の根本は唱題である。朗々と題目を唱える時、我が胸中に太陽が昇る。力があふれる。慈愛がわく。歓喜が燃える。智慧が輝く。諸仏・諸天が一斉に動き始める。人生が楽しくなる。
 「仏法は勝負」である。「人生も勝負」である。その勝利を決める一番の根本は唱題である。
 題目の力に勝るものはない。題目をあげ抜く限り、恐れるものは何もない。
14  題目で勝て! その人が「仏」に
 妙法の偉大さを具体的に証明するものは何か。
 そのひとつは「女人成仏」の法理であると大聖人は明かされている。(「法華経題目抄」)
 常に不当に差別され、蔑視されてきた女性が、法華経によって最高に高貴なる人生に変わる。勝利を勝ち取れる自分自身に変わる。
 その他、ありとあらゆる差別の垣根を打ち破り、差別の壁を壊す原動力は「人間性」の本然のパワーである。その究極が仏界であり、妙法の力である。
 妙法こそが「人権闘争」勝利への根源のエネルギーである。
15  千葉の婦人門下(富木尼御前=富木常忍夫人)に、大聖人は、こう仰せである。
 「我れ等は仏に疑いなしとをぼせば・なになげきか有るべき、きさき皇妃になりても・なにかせん天に生れても・ようしなし、竜女があとをつぎ摩訶波舎波提比丘尼のれちにつらなるべし、あらうれし・あらうれし
 ──我らは間違いなく仏になると思えば、なんの嘆きがあるでしょう。たとえ妃になっても何になるでしょう。また天上界に生まれてもしかたがありません。我らは竜女(初めて女人成仏の姿を示した)のあとを継ぎ、摩訶波舎波提比丘尼(釈尊の育ての母であり、釈尊の教団での最初の尼)の列に並ぶのです。なんと、うれしいことでしょう。なんと、うれしいことでしょう──。
 列に並ぶといってもバーゲンの列に並ぶのではない。絶対的幸福をつかむ列に並ぶのである。必ず、だれよりも幸福になれる皆さまなのである。
 当時、蒙古の襲来などで世情は騒然としていた。
 そのなかにあって、彼女はしゅうとめ(富木常忍の母)の看病、また自分自身の闘病と、相次ぐ試練に負けず、懸命に生きていた。
16  大聖人は、こうした婦人門下の苦闘を「我が身一身のこと」と受けとめてくださり、祈りに祈っておられた。「我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり」との御文のとおりである。
 そして繰り返し、繰り返し励ましておられる。
 大聖人は、人生の本当の「幸福」、本当の「目的」を教えてくださっている。華やかな虚栄や名声など、皆、幻である。
 「仏」という大境涯を胸中に開くことこそが、本当の「幸福」であり、人生の「目的」である。
 そして題目を唱える人は、すべての悩みを、仏の大境涯を開くための材料に変えられるのである。
17  「苦闘」こそが「勇士」を生む
 別の御手紙では、彼女に、こう仰せである。
 「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり(中略)しこうして法華経にあわせ給いぬ一日もきてをはせば功徳つもるべし
 ──一日の命は、宇宙の全財宝を集めた以上の宝である(中略)そうして、あなたは法華経にあわれました。一日でも生きておられれば、それだけ功徳が積もるのです──。
 妙法を持ち、一日を生きることほど尊いものはない。すべてを価値創造に生かしていける。無意味な、悔いの残る一日を送っては、もったいない。
 朝起きて、きょうも一日、なすべき仕事がある。果たすべき使命がある。この人が一番、幸せである。それは学会員である。
 学会員の一日一日には、無上の生きがいがあり、充実がある。
 退転すれば、何と空虚でわびしく、寂しいことか。だから退転者は、幸福な学会を妬んで攻撃してくるのである。
 私どもにとっては、毎日が久遠元初であり、毎日が元朝がんちょうである。一日一日を「きょうも充実!」と、さっそうと行動し、黄金のごとき「生命の日記」をつづっていただきたい。
18  私は戸田先生に十年近く、毎朝、勉強を教わった。先日、その講義を記した手帳が見つかった。そこにはアメリカ・ルネサンスの思想家エマーソンのことも書いてあった。
 エマソンは、ホイットマンなどとならんで、私が青年時代に愛読した哲学者である。戸田先生とも何度も語り合った。
 エマソンは当時の教会から、事実上、追放されながらも、信念の言論闘争を貫いた。障害こそが人間を教育してくれることを、彼は知り抜いていた。
 戸田先生は、常に言われた。
 「偉大な人間には、迫害がつきものである。必ず非難され、追放され、投獄されるものだ」と。
 「狂った世の中で、要領よく流行の波に乗って、ほめられようと思ったり、いい子になろうとしたり、そんな人間は、ちっとも偉くない」と。
 また「苦労をせよ。男は苦労しなければダメだ。苦労しない人間は、インチキの、見せかけだけの人間になってしまう。最後は必ず、おかしな人間になる」と厳しかった。
19  エマソン「善良な女性が人類を文明化する」
 エマソンも語っている。
 「敵がなければ、勇士も生まれない。宇宙が光を放つものだったら、太陽はおよそ退屈なものになるであろう」(「随想余録」、小泉一郎訳、『エマーソン選集』3所収、日本教文社)
 敵があるからこそ「勇士」になれるのだ。闇があるからこそ、闇を打ち破る「太陽」が偉大なのだ──と。
 エマソンは、著作に、ある言葉を記している。
 「困難が増せば増すほど獅子のような勇猛心をふるいおこす──これが私の主義です」
 これは、一体だれの言葉だったか。エマーソン自身か。他の著名な哲学者か。そうではなかった。それは、貧しい庶民の一女性の言葉であった。その信念に感銘したエマーソンが、そのまま書き残し、歴史に留めたのである。
 偉大なのは庶民である。民衆である。
 学会は庶民を根本にしているから強い。庶民に心を配り、庶民に根づいたからこそ発展した。「民衆のため」に徹したからこそ勝ったのである。
 学歴や職業や地位など問題ではない。庶民が一番大事だ、一番尊いのだ──戸田先生はこの一点を確信されていた。私も同じ心で進んできた。それが日蓮大聖人の大精神でもあられる。
 どうか、この「庶民の学会」を、どこまでも大切に守っていただきたい。
20  また、社会における女性の役割に期待を寄せている。
 「会話の力と彼らが社会に及ぼす影響力とによって、女性は人類を文明化する人びとである。文明とは何であろうか? わたくしは、善良な女性の力であると答える」(「女性について」、原島善衛訳、『エマーソン選集』4所収、日本教文社)
 同感である。男性は野蛮で、「力」を乱用しがちである。善良な女性こそ文明的、文化的存在である。学会も婦人部の皆さまのご活躍で発展している。今後も私どもは最大に女性を尊敬してまいりたい。
21  エマソンは言った。
 「快活さとか明るい気分とかいうものは、使えば使うほど残りは多くなる」
 「快活」と「軽薄」とは違う。快活は「戦う心」から生まれる。軽薄は「臆病な逃避」と裏表である。
 また「力はつねに快活さとともにある。希望は私たちに仕事をしようという気分を起こさせる」と。
 快活でなければ力は出ない。皆さまは一段と明るく、快活に進んでいただきたい。
22  ホイットマンは歌う「広い胸から朗々たる声を響かせよ」
 アメリカの偉大な民衆詩人ホイットマン。彼は、民衆とともに生き、民衆とともに戦う喜びを高らかに謳い上げた。彼は歌う。
 何びとにも屈従せず、何びとにも服従せず、たとい既知のあるいは未知のいかなる専制君主であろうとも、
 背をまっすぐに伸ばし、足どりも軽やかにしなやかに歩き、
 冷静に相手を見つめ、あるいはきらきら輝く視線を注ぎ、
 広い胸から朗朗たる豊かな声をひびかせて語りかけ、
 地上の他のすべての個性におのれ自身の個性を対置させる喜びよ。
 (「喜びの歌」酒本雅之・鍋島能弘訳、『草の葉』所収、岩波文庫)
 胸を張り、足どりも軽く、しなやかに行動する──実に、すがすがしい。
 輝く瞳、朗々たる声の響き──だれもが心をひかれる。
 諸法実相である。皆さま方の生き生きとした姿が、信仰の素晴らしさを雄弁に物語る。そこに周囲の共感が自然と広がっていく。ホイットマンはさらに歌う
 「おお、強敵を相手に苦闘し、不屈の敵に立ち向かい、何びとの助力も借りずにその敵と四つに組んで、おのれの性根を試してみたい」
 「おお、今からのちは新しい喜びの詩を生きてみたい」
 我が学会もまた、学会らしく、我が道を悠然と、厳然と、毅然と進んでまいりたい。
 この一年間、皆さまが健康で、幸福で、無事故で、素晴らしい一年であられますよう、お祈りし、新春のスピーチを終わります。ありがとう!

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