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日蓮大聖人・池田大作

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第八回鼓笛隊総会 強くあれ、強くなければ正義はない

1995.12.17 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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2  インド・ガンジー家との審議と友情の交流
 私はこれまで、多くの世界の指導者と会見してきた。どの方も印象深いが、ひときわ忘れ得ぬ思いを抱いた方が二人いる。二十一年前(一九七四年)の十二月に会見した、中国の周恩来首相と、十年前(一九八五年)の十一月に会見した、インドのラジブ・ガンジー首相である。
 ガンジー首相が暗殺されたのは、四年前の五月であった。天から遣わされたかのごとき、気高きかんばせは、今も私の胸に若々しく生き続けている。
 首相は写真愛好家で、絵日記のように、写真を撮り、残しておられた。それらから厳選して、来年(一九九六年)の春、首相の写真展を東京富士美術館で開催する予定である。
 その際、首相が愛用されたカメラなど、貴重なゆかりの品も展示してくださる予定になっている。私を信用してくださっての特別出品である。私は世界各国と固い信義と友情を結んでいる。
 ガンジー首相の夫人であるソニア女史とも、令嬢のプリヤンカさんとも近しい語らいを重ねてきた。
 お父さまとよく似ているプリヤンカさんは、お会いするたびに、りりしき成長に目を見張る。青春の「成長する息吹」に満ちておられる。インドの国を救おう、民衆を救おうと、内外の障害に負けず、亡き父の遺志を継ぎ、母上とともに真剣に行動されている。まことに聡明な、哲学と知性と人格の光る、二十一世紀の世界の女性リーダーである。
3  ご存じの通り、プリヤンカさんのひいおじいさんは、ネルー初代首相。おばあさんは、インディラ・ガンジー第三代首相である。
 ネルー首相は、インドの独立闘争のなかで、九回にもわたって投獄された。実に三千二百六十二日(約九年)もの投獄を耐え抜いたのである。偉人は、皆、迫害される。迫害されない偉人などいない。
 牢獄の中からネルー首相が、十代半ばの娘・インディラに世界の歴史をつづって送ったエピソードは、まことに有名である。素晴らしき親と子の交流である。その中で父・ネルーは、娘に、こう語りかけている。これは牢獄で元旦を迎えた時の手紙である。
 「われわれが克服すべき障害がなく、われわれがかちとるべきたたかいがなかったなら、われわれの生活は、たがのゆるんだ、色あせたものになってしまうだろう。
 そして、これからの生活のかどでに立とうとしている、わたしのだいじなおまえは、世の中のあさましさ、むごたらしさに、かまけてはならない。おまえは、あかるく、澄んだおちつきをもって、生活と、そして生活上に起ってくるすべてにたいし、どんなに困難が、おまえの行くてにふりかかって来ようとも、それを迎えるのに、それを乗りこえるよろこびをもってするように」(ネルー『父が子に語る世界歴史』3,大山聰訳、みすず書房)
 まったく、この通りである。苦労が人間をつくる。戦いもない、挑戦もない、嵐もない、平々凡々の人生では、偉大な人格ができるはずがない。待っているのは、人間としての堕落である。
 この手紙につづられたような勇敢な心、朗らかな魂は、父・ネルーから娘・インディラへ、母・インディラから息子・ラジブへ、そして父・ラジブから娘・プリヤンカさんへと、脈々と流れている。
 創価学会も同じである。崇高なる創価の精神は、牧口先生から戸田先生へ、戸田先生から私へ受け継がれた。そして私から皆さまへと受け継がれていくのである。
 これこそが平和のため、文化のため、広宣流布のため、そして、世界と人類の未来のための、最も重要な「魂の継承」である。
4  善のために立つ人には必ず迫害が
 プリヤンカさんは、すがすがしく、そして毅然と語っておられた。
 「父(ラジブ・ガンジー首相)は、平和と友好を信念をもって進めました。しかし、生きている間、常に批判されていました。批判と裏切りの連続でした。
 善のために立ち上がる人は、どうしても批判されるものです。むしろ、批判されない人は、どこかおかしい人です。結局、何もしていない人なのではないでしょうか」
 批判されないのは、行動せず、逃げているからだというのである。卑怯な無責任な人間であると。
 また彼女は「悪人というのは、『善人がいる』ということが信じられません。『正しいことをする人がいる』ことが信じられないのです。自分が醜いから、人も醜く見えてしまうのです。そういう人間から批判されるのは、むしろ名誉なことだと思います」と。
 本質を鋭く見抜いた聡明な言葉である。本物の人格がある。本物の知性が輝いている。
 世界には、こういう立派な青年リーダーがいることを知っていただきたい。(この折、プリヤンカさんは「ですから、池田先生がいかに偉大であるか、先生の価値がどれほど大きいか、私なりに、よくわかっているつもりです」と語っていた)
5  私は彼女に申し上げた。
 「最も崇高な生き方とは何か。それは、勇敢な心をもって、だれが何と言おうと、民衆のために戦う人生です。そうすれば、宇宙の奥の奥にある法則と一致していきます」
 人気や名誉を追いかける人生は、蛍の光のようにはかない。
 私は、わが娘のような思いで激励した。
 「強く生き抜いてください。強いということが幸福の根本であり、正義の根本です。
 どんなに素直でも、どんなにいい人でも、いざという時に弱ければ信頼できません。厳しく言えば、そういう人は悪に通じる。だから強くなくてはいけません。勝利は、強くなければ勝ち取れないのです」
 彼女は、美しく知性的な微笑みを浮かべながら、力強くうなずいておられた。
 この同じ言葉を、愛する″後継の娘″である皆さまに、そのままお贈りして、私のスピーチとさせていただく。きょうは本当に、おめでとう!

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