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日蓮大聖人・池田大作

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第九十四回本部幹部会、第十一回東京総会… 皆さま全員が幸福で長寿を

1995.12.9 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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2  本年は″世界最高峰″の国・ネパール王国を訪問したが、創価学会は皆さまのご努力で、今や″最高峰″の団体となった。他とは比べることができないほどの、偉大な民衆の団体である。
 一千万の地涌の闘士が出現した。本当にすごいことである。一千万の人々が団結しているところなど、他のどこにあるだろうか。
 そして今、数百万人の青年部も、本格的に育ち始めた。
 あまりにも偉大な学会であるゆえに、嫉妬も多い。しかし、何があろうと、妙法にかなうものはない。そして妙法は永遠不滅であるゆえに、妙法の団体・創価学会も絶対に不滅であり、永遠に常勝なのである。
 私どもは今、二十一世紀の本舞台をつくっている。「二十一世紀の絢爛たる勝利」が私たちを待っている。その輝く新世紀へ、晴れ晴れと進んでまいりたい。
3  戸田先生は言われた。
 「無限に湧きくる幸福を、世界万民におくろうではありませんか」
 また、「みんなに功徳を与える。幸福を与える。その哲学、理論、実践をもって、全世界を救いたい」と。
 「全世界の民衆を救おう!」──これが戸田先生の心である。私は、その通りにやってきた。師匠の言われた通り、全世界に日蓮大聖人の仏法を広めてきた。今、全世界百二十八カ国に、妙法は広がった。
 とともに、全世界に、私どもの前進を賛嘆する友人が数限りなくいるのである。
 広宣流布のリーダーほど尊い存在はない。人を救い、人を幸福にする。どんな有名人よりも、どんな権力者よりも、尊く、また幸福なのである。その「誇り」と「喜び」で生き抜いていただきたい。
4  百歳生き抜いて正義を証明した黒人姉妹
 きょうはアメリカの黒人姉妹(アフリカ系アメリカ人)の話をしたい。姉の名はセイディー、妹の名はベッシー。二人は十九世紀の末に生まれ、一世紀以上を生き抜いた。(以下、姉妹の話は、セアラ・L・ディレーニー、A・エリザベス・ディレーニー『セイディーとベッシー』藤井ひろこ訳、講談社)
 妹は今年、百四歳で亡くなられた。姉は現在、百六歳。百歳を超えても、なお、かくしゃくとして活躍してきた二人は、アメリカの若者をはじめ多くの人々から愛されてきた。アメリカの「きんさん、ぎんさん」のようだという人もいる。
 小説『新・人間革命』(第一巻「錦秋」の章)にも書いたが、私が初めてアメリカを訪問した折、農家で働いていた年配の婦人に「百歳まで長生きを!」と声をかけ、励ましたことを思い出す。
 この世界を支えているのは権力者ではない。民衆である。食糧をつくるのも、家を建てるのも無名の庶民である。だから私は、民衆とともに生き、民衆を尊敬し、民衆を大切にする。
 広宣流布も無名の民衆が支え、進めているのである。ゆえに私は、だれよりも、学会員を大切にしてきた。
5  セイディーとベッシーの姉妹が生まれ育ったアメリカの南部では、学校や病院、列車、公園の水飲み場でさえも、黒人は不当に隔離され、差別を受けた。
 幼いころから、黒人であるがゆえに悲しいことも多かった。怒りに震え、泣いたこともたくさんあった。しかし二人は、社会がどれほど自分たちを差別しようと、決して負けなかった。
 むしろ、そうした差別をユーモアたっぷりにはね返し、女王のごとく毅然と生きた。励まし合って生き抜いた。自分は女王なのだと決めれば、そういう誇り高き人生となる。二人は決めた。
 ──白人と同じ能力では認めてくれない。ならば、それ以上の力をつけて認めさせよう。そのために、努力また努力を重ねた。黒人であり、女性であるという二重に不利な条件を乗り越えて、二人は、ともにアメリカの名門・コロンビア大学に進学したのである。
 そして姉は、黒人として初めてニューヨークの公立高校の家庭科の教師になる。妹はニューヨークで二番目の黒人女性歯科医になった。
6  「努力の人」には、だれもかなわない。「努力」こそ人生の勝利への「軌道」であり、「正道」である。
 芸術の世界でも、スポーツでも、企業でも、トップに立つ人は、努力! 努力! 努力! である。苦しんで、努力して、真剣に戦い抜いた人が勝つ。これが人生の鉄則であり、法則である。いわんや仏道修行に「努力」は当然である。
7  姉妹は働いた。「人を助けるのがおまえたちの仕事だよ」との父の言葉を忘れずに、黒人の地位向上のため、悩める友のために、身をにして働いたのである。
 「人を助けよ」と教えた父も偉大である。「お金をもうけなさい」でもなければ、「楽をしなさい」でもなかった。
 学会員も日夜、「人を助け」「人を救う」ために働いている。何と崇高な姿であろうか。人々が自分のことしか考えなくなった社会にあって、何と尊貴なる学会活動であろうか。
 妹の歯科医院は、ある時は、黒人運動家たちの拠点に、またある時は、貧しい人たちを救う慈善本部のようであった。私どもで言えば、個人会館や、拠点のお宅である。この席をお借りして、個人会館、会場提供者の皆さまに心より御礼申し上げたい。
 姉妹の献身の姿勢は、現役を引退した後も、まったく変わらず続いたという。これがまた偉い。それでこそ「本物」である。
8  二人は朗らかな楽観主義者であった。
 楽観主義とは、何とかなるという無責任とは違う。苦しみに負けない。貧乏に負けない。非難中傷に負けない。何があっても、「なんだ、こんなことぐらい!」と、はね返す強さ──これが楽観主義である。
 賢く、楽しく長生きする秘訣は何か。姉は、こう語っている。
 「目を開けて一番にすることは、笑顔をつくることなの」
 実に、すがすがしい言葉である。
 また妹は語る。
 「いままで私に辛く当たった人たち(中略)彼らは灰になっても、この私は姉のセイディーと共にまだこの世に生きている」「ですから、こちらの勝ちですね! それが正義というものなんです!」「彼らはお墓のなかで悔(くや)しがっているでしょうよ」
 ″矢″のように痛烈(つうれつ)な言葉である。
9  私たちは生き抜いて正義を証明する!──彼女たちの不屈の人生観を私はたたえたい。
 人生の真実の勝負は、長い目で見なければわからない。究極的には、三世永遠という次元から達観しなければわからない。
 ただひとつ確実なことは、今世においても、三世においても、妙法に生き抜けば、必ず「最後に勝つ」ということである。これを確信していただきたい。
 仏法の厳粛なる因果律に照らせば、一切の正邪は、年を経るにつれて明らかになる。歴史が全部、証明する。正義が必ず勝つ。これは絶対に間違いない。
10  人生で護るべき物は「戦う勇気」
 妹はまた、こうも語っている。
 「どう生きようと、結局、この人生は戦わなければならないのです」「人生において、もし唯一、守るべきものがあるとすれば、それは戦う勇気です」
 かっこうではない。一時の目先の状況ではない。「心」がどうかである。
 胸中に「戦う心」が燃えていれば、それ自体が勝利である。どんなに栄え、勝ち誇っているように見えても、「戦う心」をなくせば、すでに敗北なのである。やがて必ず衰亡する。
 「戦う勇気」のなかにこそ、人生の「幸福」と「勝利」がある。これが仏法の見方であり、人生の真髄である。
11  二人のごとく、皆さまも長生きしていただきたい。百歳までも生き抜く決心で、希望を燃やし、愉快に、仲良く生きていただきたい。
 そのためにも、どうすれば「健康」でいられるか、賢く、知恵を使っていただきたい。寒い時、暑い時、疲れた時──そのつど、工夫が必要である。
 聡明に、上手、生き生きと長生きして、法のため、人のため、社会のため、広布のため、一家一族のために歴史を飾っていこう──こう決意して、御本尊に祈っていただきたい。
 「健康第一」で、全員が幸福、長寿の人生を生き抜きましょう。
 一年間、本当にご苦労さま。重ねて感謝申し上げたい。よいお正月を迎えていただきたい。
 私は明年も全国を回り、世界を回る。皆さまも、お元気で、晴れ晴れと、また伸び伸びと前進していただきたい。ありがとう!

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