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日蓮大聖人・池田大作

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第二十回SGI総会、二十一世紀兵庫希望… 「無限の希望」を全人類に

1995.10.17 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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1  真の宗教は「安穏」と「生きがい」の源泉
 素晴らしい晴天と温暖、おめでとう。
 第二十回SGI(創価学会インタナショナル)総会・二十一世紀兵庫希望総会。本当に、ご苦労さま。世界から集われた五十七カ国・地域、千人近い代表の方々に、SGIを代表して、謹んで御礼申し上げたい。
 そして、大震災から九カ月目にあたるきょう、このように元気な兵庫の方々とお会いできた。私はうれしい。また、関西の方々には、SGIメンバーの面倒をみてくださり、厚く感謝申し上げたい。
2  第一にも第二にも、お体を大切にしていただきたい。
 生活も、仕事も、広宣流布の活動も、「健康第一」である。健康になろう、健康になろうと祈り、努力し、注意しながら、「知恵」を使って、健康を保ち、長生きしていただきたい。また全員が、裕福になっていただきたい。
 はじめに、阪神・淡路大震災で被災された皆さまに、改めて、お見舞い申し上げたい。亡くなられた方々のことは、これまでも毎日、追善させていただいた。これからも追善していく決心である。
 また、この阪神大震災の時、会館に最初に駆けつけた人はだれか──その人の氏名は、震災の直後、すぐに調べて記録してある。きょうは、その方々を紹介し、顕彰申し上げたい。
3  ある外国の識者が、学会の運動について、こう論評していた。
 「仏法は『世界平和』のためにあります。『人々の幸福』のためにあります。
 仏法は『希望』と『安穏』と『生きがい』のためにあります。そして、三世永遠にわたる哲学です。仏法は、『生命の一念』と『大宇宙』の連動を説いています。『社会の規範』にのっとり、『生活の原動力』となっています。
 私は創価学会を何十年も見てきましたが、この仏法の哲学をそのまま実践されているのが学会だと思います」
 正しく鋭い論評を聞いて、私は感銘した。SGIの皆さまの「行動」が、いかに偉大であるかの証明として、紹介させていただいた。
4  信心は希望を生みだす哲学
 日蓮大聖人の仏法は、「無限の希望」の哲学である。
 どんな人生も、行きづまりを感じることはある。また、今、日本も、世界も、行きづまっている。多くの人々も行きづまっている。希望を生み出す不滅の哲学がないからである。
 しかし、私たちには絶対に行きづまりがない。どんな状況にあろうと、限りなく「希望」をわき立たせ、「希望」を実現していける。
5  大聖人御自身は、この「希望の哲学」を、どのような状況の中で説き残されたのであろうか。
 建治三年(一二七七年)、南条時光ゆかりの人と思われる門下への御手紙に、こう仰せである。
 「去文永十一年六月十七日に・この山のなかに・をうちきりて・かりそめにあじち庵室をつくりて候いしが・やうやく四年がほど・はしらくちかき朽牆かべをち候へども・なをす事なくて・よるを・とぼさねども月のひかりにて聖教をよみまいらせ・われと御経をまきまいらせ候はねども・風をのづから・ふきかへ吹返し・まいらせ候いしが、今年は十二のはしら四方にかふべげ・四方のかべは・一たうれぬ、うだい有待たもがたければ・月はめ雨はとどまれと・はげみ候いつるほどに・人なくして・がくしやうども学生共をせめ・食なくして・ゆきをもちて命をたすけて候ところに・さきに・うへのどの上野殿よりいも二駄これ一だは・たまにもすぎ
 ──さる文永十一年(一二七四年)の六月十七日に、この身延の山中に、木を切って、かりそめの庵室あんしつを造りました。四年ほどたつ間に次第に柱は朽ち、垣根や壁は倒れ落ちましたが、修復もしないので、夜は火を灯さなくても月の光で仏典を読み、自分で御経を巻かなくても、風が自然と吹き返してくれていました。
 (ところが)今年は、十二本の柱が四方に傾き、四方の壁がいっぺんに倒れてしまいました。こうなっては凡夫の身はたもち難いので、「月は澄め」「雨はふるな」(雨が降らず月夜が続くように)と願いながら、(修復しようにも)人夫もいないので弟子たちを促して修復にあたらせ、食べ物がないので雪を食べて命を支えてきたところに、前には上野殿(南条時光)から芋を二駄(一駄は馬一頭が運べる分量)、今またあなたから芋を一駄、送っていただきました。この芋を、宝玉ほうぎょくよりも尊く思っています──。
 四方の壁がいっぺんに倒れ、壊れてしまう。そのような粗末な住まいにおられながら、大聖人は悠然と門下の一人一人を励ましてくださっていた。四条金吾を、南条時光を、名も知られていない多くの庶民を──。
6  大聖人ご自身は忍難 人々には慈愛
 大聖人は、よるべなき母と娘にも「何が起ころうとも、こちらへおいでになられればよいのです。お会いしましょう。一緒に飢え死にいたしましょう」と深い深い慈愛の言葉をかけておられる(御書1222㌻)。
 また子供のいない佐渡の老夫婦には「お子さんがいないのだから、お年を召されたら私(大聖人)のところにいらっしゃい」「戦乱になったら、いつでも私のところへ、おいでください」とも。(御書1323㌻)
 これが大聖人の御振る舞いである。大慈大悲である。人の心の奥深く、生命の奥深く、魂の奥の奥までを温かく照らしてくださっている。
 「仏」とか「成仏」と言っても、特別な超能力のようなものではない。だれよりも人間らしく、慈悲と智慧にあふれた現実の振る舞い──そこに「仏界」の光はある。
7  大聖人は、御自身が、どんなに迫害されようが、悪口されようが、平然と、また毅然と難を忍ばれた。仏の異名である「能忍」の名の通り、能く忍ばれたのである。
 御自身の一身のことなど、いささかも考えられない。ただ不幸な民衆のため、さらには全人類のため、末法万年のためにどうすればよいか。一番、身近な問題から、一番、遠くの問題まで考えておられた。あらゆる大難をはね返しながら、太陽のごとく赫々と希望の大光を民衆に送り続けてくださったのである。
 戸田先生は、こうした大聖人の御姿を、いつも涙を浮かべながら語っておられた。
 「御本仏が、こういう、御苦労をされたのだ。門下である我々も、何があっても辛抱しなければならない」
 辛抱がなくなったら仏法者ではない。人間としても敗北である。
8  大聖人の慈愛にふれて、門下の方々は何とありがたく思ったことであろう。感動し、これが本当の宗教であると、信心を深めたにちがいない。
 指導者の振る舞いが大切である。どんな状況でも仏法の指導者は広宣流布が第一である。会員が第一である。
 会員を大切にしなければならない。後輩を育てなければならない。不幸な人を救わなければならない。励まさなければならない。
 大聖人の門下も、困難と嵐のなかで大聖人に仕え抜いた。これが「師弟」である。
 「裏切りは人生における最大の犯罪」と言った人がいる。いい時だけついてきて、悪くなると逃げていくのは悪党の中の悪党である。人生の敗残者である。
9  また戸田先生は、こう断言された。
 「大聖人ほどの慈悲の仏様は、断じてほかにおられない。大聖人の大慈大悲を世界に宣揚しなければならない」
 このたびの大震災にあって、わが偉大なる兵庫の同志は、自らの被災もかえりみず、社会のため、隣人のために崇高な菩薩の行動をなされた。
 このことは世界が知っている。私もよく存じ上げている。
 何より大聖人が「善きかな、善き哉!」「あっぱれ、あっぱれ!」と喝采しておられるにちがいない。
 芋を宝玉よりも尊く思う──大聖人は門下の真心の御供養を、これほどまでに大切にしておられる。
 一方、日顕宗は、学会員が赤誠の信心で寄進した総本山の大客殿を、一言のことわりもなしに破壊しようとしている。これ自体、仏法そのものを破壊する悪逆の提婆達多の証明であると申し上げたい。
10  妙法は永遠の「幸福の秘術」「平和の秘術」
 大聖人は、こう断言しておられる。
 「真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり」──真実に、一切衆生にとって、身心の難(=肉体面、精神面の障害)を防止し、打ち勝つ秘術は、ただ南無妙法蓮華経なのである──。
 題目で乗り越えられない難はない。仏法に行きづまりはない。
 南無妙法蓮華経とは、難をすべて打ち破り、悠々と自在に人生を開きゆく、「秘密の術」なのである。
 大聖人が「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」と仰せられたのも、その意味である。「法華経の兵法」、すなわち信心を根本にしていけば、必ず一切を乗り越えていけるのである。
11  大聖人は、どんな弾圧も、たとえ生命をねらわれようとも、悠然としておられた。
 「わづかの小島のぬしら主等」と仰せられて、島国・日本の狭量な権力者の本質を喝破された。宇宙大の境涯から、小さな日本を見おろされ、世界を見つめておられた。永遠を見つめておられた。
 妙法は永遠である。ゆえに、妙法を信じ、実践する人々の福徳も、また永遠である。何があろうと、創価学会は、永遠不滅なのである。
 妙法こそ「幸福の秘術」であり、「平和の秘術」であり、「希望の秘術」であると申し上げておきたい。
12  戸田先生は、「本当にまじめな人でなければ、信心をやり通せない。学会員は、まじめな人たちである。学会員を大切にしなければいけない」と、よく語っておられた。私は、この恩師の心を、そのまま実行してきた。
 今や、全国・全世界の同志の皆さまの、まじめな信心によって、世界に誇る創価学会となった。
 大切なのは「信心」である。「心」である。社会的地位や名声があろうとも、「心」が違ってしまえば、幸福の軌道からはずれてしまう。
 大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」と仰せである。 「日蓮と同意」の人生が最高の正義の人生であり、幸福の人生である。大聖人は、「地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」と。また「南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」と教えてくださっている。
 私どもは「無限の希望」の源泉である題目を楽しく唱えきって、堂々と、行きづまりなき、この人生をともに生き抜いてまいりたい。
13  ″試練と向き合い応戦せよ。そこから新文明が生まれる″
 この十月二十二日で、今世紀最大の歴史学者・トインビー博士が亡くなられて二十年──。これを記念して、今月、「トインビー・市民の会」主催による展示会が開催される。
 (「二十世紀の良心・トインビー展」。同展は、映像や、写真、書簡などを通し、博士の思想と人格、日本との交流の足跡等を紹介した)
 これには、博士から私に寄せられた直筆の書簡なども出展される。また世界二十言語で発刊されている、私との対談集も展示される。
 博士は、東洋の大乗仏教に深い関心を寄せておられた。そして私に会いたいとの手紙を寄せられたのである。高齢の博士の体調を考え、私のほうからロンドンを訪れての語らいとなった。
 (一九六九年九月、博士から、「人類の直面する基本的な諸問題について、対談をしたいと希望します」との書簡が届いた。対談は一九七二年五月と翌七三年五月に、約十日間におよんだ)
 初めてお会いした際、博士は八十三歳、私は四十四歳であった。連日、真剣な語らいが続いた。八時間に及ぶ日もあった。
 目先のことではない。自分の死後、二百年、三百年先をどうするか。そのために今、何をなすべきか。博士も私も、ただ、その思いしかなかった。
14  私たちは語り合った。「困難な環境にどのように対応するかが、文明創造のバネとなる」と。
 博士の歴史観の一つの結論は、「挑戦と応戦」の理論である。″自然をはじめとする環境が人間に試練を与える時、その挑戦に屈服せず、雄々しく応戦しゆく、たくましき社会から、新しい文明が生み出される″という洞察であった。
 その意味で、ここ兵庫は、大震災の大試練を乗り越え立ち上がってこられた。その不屈の精神は、やがて日本をリードし、二十一世紀の文明の大きな核となっていくことを、私は確信してやまない。一つの縮図として、日本の将来にとって非常に重要な焦点が兵庫であると私は思う。
15  文明を決めるのは「宗教の質」
 また博士は、「文明はその基盤をなす宗教の質によって決まる」と強調されていた。
 そして「新しい文明を生み出し、それを支えていくべき未来の宗教というものは、人類の生存をいま深刻に脅かしている諸悪と対決し、これらを克服する力を、人類に与えるものでなければならない」と。
 壮大な文明論の次元から、宗教の重大な存在意義を理解されていたのである。
 だからこそトインビー博士は、仏法の人間主義を基調とした、私どもの「平和」と「文化」と「教育」の運動を信頼し、熱い期待を寄せてくださっていた。
 ご自身の文明論、歴史観の結論として、創価学会に着目され、私どもの運動の発展を、こよなく楽しみにされていたのである。
 対談を終えるにあたって、「私個人に何か忠告がありましたら」とたずねたところ、博士はこう語られた。
 「私は″机上の学者″に過ぎません。しかし、あなたは大乗仏教の実践者です。″実践の人″に″机上の学者″がアドバイスするなど、おこがましいと思います。どうか誰が何といおうとも、その道をまっすぐに堂々と歩んでください」
 少しも尊大さのない、謙虚な博士であられた。
16  また博士は確信されていた。「知識」がとまどい、後ずさりするところにも、「希望」は敢然と足を踏み出す。そして、未来の果てまで生命を輝かせながら、なにものにも屈せず進んでいく──と。
 希望が力である。希望は「勇気」と「知恵」から生まれる。「知識」だけからは生まれない。
 そして信心とは「無限の希望」を生む知恵である。「永遠の希望」を生む知恵である。
 わがSGIは、どこまでも「希望」の光で、人類の闇を照らしてまいりたい。希望輝く創価(価値創造)の文明を築いてまいりたい。
 SGI各国のご繁栄と、皆さま方のご多幸、ご健康、ご活躍を、心からお祈りして、本日のスピーチを終わります。ありがとう!

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