Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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青梅区の友との懇談会 歴史を動かす英雄は民衆

1995.9.22 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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2  人生は、心ひとつで百八十度、変わる。″精神性の世界″である信仰の世界では、なおさらである。
 心は見えない。その意味で空気に似ている。見えないにもかかわらず、空気が濁っているか、清浄かで、生活は全く変わる。東京の都心のあの空気の悪さ。それに比べて、美しき天地の皆さまは幸福である。そう受けとめ自覚する心が人生を豊かにしていく。
 また空気がどこまでも続いているように、「追善」の心は生死を超えて、縁ある生命につながり通じていく。
3  皆さまは活動の範囲も広い。車で動くことも多いと思うが、交通事故には、くれぐれも注意していただきたい。「事故を絶対、起こさないでいこう」と毎日、「意識して」祈り、「意識して」乗ることである。その心が自分を守る。
 様々な行動も「また福運をつけていこう」「また体を丈夫にしよう」という一念をもって、喜んでやれば、「さいわいを万里の外よりあつむべし」──(法華経〈御本尊〉を信ずる人は)幸いを万里の外から集めるでしょう──と仰せの通りの人生となる。
 愚痴や、うしろ向きの心は福運を消す。
 日蓮大聖人は「経文には一人一日の中に八億四千念あり」──経文には「一人が一日の中に起こす念慮は八億四千念あり」等と説かれている──と述べられている。
 それほど刻々と、微妙に心は変わる。その心を、喜びの方向へ、希望の方向へ、正義の方向へ向けていくのが賢明な人生であり、聡明な信仰即生活なのである。
4  歴史家ミシュレ「学生よ、民衆に学べ!」
 青年の研修道場であるゆえに、記念のスピーチを残しておきたい。
 歴史を動かす根源の力は何か?
 近年、新たに注目を浴びているフランスの大歴史家ミシュレ(一七九八〜一八七四年)は、名著『フランス革命史』(桑原武夫責任編集『世界の名著』37、中央公論社)の結論で宣言した。
 「第一ページから最終ページまで、この歴史には一人の英雄しかいない。すなわち人民である」
 ゆえに彼は教壇から学生に呼びかけた。
 「学生よ民衆に学べ!」
 「皆さんは、書物に書かれていない歴史に関する、あらゆることに驚いてしまうでしょう。書かれてあるのは、最小の部分、多分最も値しない部分です。ところが書かれていない物ごとの、生きた世界があります。」(ミシュレ『学生よ──一八四八念革命前夜の講義録』大野一充ち訳、藤原書店)
 青年よ、生きた現実から学べと。
 あらゆる指導者が謙虚に「民衆に学ぼう」と決意するとき、世の中はどんなに、すがすがしく向上するだろうか。
5  彼は、青年たちに、ナポレオンのロシア遠征のエピソードを紹介している。
 一八一二年、ロシアから敗戦の兵士たちが西へ西へと帰ってきた。
 リトアニアにもやってきた。時は冬。日に日に温度は下がっていく。
 そこに、疲れ果てたナポレオン軍の兵士たちが着いた。一般の家も、公共の建物も、中学校もいっぱいになった。
 兵士たちは雪の中を何百キロも歩いてきた。生きているのが不思議だった。
 彼らは、若き日から、ナポレオンとともに転戦また転戦してきた老兵たちだった。家を捨て、青春をかけ、何の名誉も求めず戦ってきた。
 彼らは、人々がたいてくれた火を囲んでいた。不思議なことに、老兵たちは、皆、眠らなかった。体力の限界を越えてきたはずなのになぜ?
 実は、彼らはあまりにも苦しみと疲労になじんだために、もう眠りを失っていたのである。休息する習慣が体から消えていた。それほど戦い抜いてきた。
6  ″必要なのは気骨有る人物だ″
 ある少年が、思いきって、老兵たちにたずねた。
 「皆さんはとてもお年を召しています。一体どうして、こんなお歳になって、お国を離れてきたのですか、しかも今回は、こんなにも遠くやって来るために?」(同前)
 老兵たちは、まっ白な大きな口ひげを引き上げて、あっさりと答えた。
 「あの方(=ナポレオン)を離れることができなかったからさ。あの方をたった一人で行かせることが、ね」(同前)
 これが、ナポレオン軍が魂の底から発した言葉だった。
 ──今までずっと一緒に戦ってきたんだ。だから、それがどこであろうと、最後まで一緒に行くのさ。
 ナポレオンが没落するとナポレオンが偉くした将軍たちは、次々と裏切っていった。しかし、その時も、位の低い老兵たちは、流刑の地・エルバ島にもついていった。
7  「ずっと一緒に行くのさ!」。それは気高く万人の胸を打つ声だった。
 それは単なる英雄崇拝でもなければ、強制でもなかった。同じ遠大な目的に向かって、ともに進んできた「心の絆」であった。
 ミシュレは青年に言う。
 ──学生よ! ここにフランスの宝ものがある。目には見えないが、この老兵たちの「心」こそ、フランスを偉大にしたものなのだ。学生よ。それを民衆に学べ!
 彼は、フランス革命からナポレオン時代という「英雄の時代」を描くに当たって、将軍たちや権力者たちの表面の動きよりも、歴史の底流を動かしている根源をつかもうとした。
 その象徴のひとつが、老兵たちの「一緒に行くのさ!」だったのである。
 彼は青年たちが「民衆の心」を知らないかぎり、何ひとつ真実はわからないことを見抜いていた。民衆の心を知らないエリートたちは、何もわかっていないのだということを、声をかぎりに訴えた。
 「ひとかどの気骨ある人物だけが必要です」「才気はあり余るほど余っています。ところが人物はまれです。人物が、人間が、真実現れ出ますように」(同前)
 そして叫んだ。──青年よ! 強くなりなさい。そのために、強い人々に近づきなさい。強くしてくれる人々に近づきなさい。」(同前)と。
 では具体的には、どこに? それは力は天才と民衆です。青年よ! ゆえに天才に近づきなさい!民衆に近づきなさい! と。
8  社会のどの分野でも、指導者が民衆を尊敬するか、蔑視するか、この一点で決まる。政治も、学問の世界も、宗教の世界も。
 宗門は信徒を奴隷として扱った。ゆえに邪教となった。学会は同志を仏子として敬い、リーダーは″仏子に仕える″心で尽くしてきた。ゆえに正義のスクラムを世界に広げることができた。
 この「民衆尊敬」の心を永遠に忘れてはならない。この心を全社会の底流にしていかねばならない。
9  日蓮大聖人の憂国の警鐘──国主は「道理」を親と敬え
 この会場の名称は「御書会館」である。きょうも御書を拝しておきたい。
 「撰時抄」の一節に、こう仰せである。
 「漢土・日本に智慧すぐれ才能いみじき聖人は度度ありしかどもいまだ日蓮ほど法華経のかたうど方人して国土に強敵多くまうけたる者なきなり、まづ眼前の事をもつて日蓮は閻浮提第一の者としるべし
 ──中国、日本に智が優れ、才能の素晴らしい聖人は、たびたび現れたけれども、いまだ日蓮ほど法華経の味方となって国土に多くの強敵をつくった者はない。まず、この眼前の事実をもって、日蓮は「世界第一」の者であると知るべきである──。
 この強さ! この大きさ! 青年部は、よくよく拝していただきたい。
 法華経という、社会を救う大哲学ゆえに迫害される。これこそ日蓮大聖人の正統の門下の証であり、誉れである。
10  大聖人は、鎌倉幕府の要人が邪悪な策略に狂奔し、幕府が滅亡の坂を転がり落ちていくことを憂い、嘆いておられた。
 「国主は理を親とし非を敵とすべき人にて・をはすべきか・いかがしたりけん諸人の讒言を・をさめて一人の余をすて給う
 ──国主というのは、「道理」を親として(従い敬い)、「非(道理に合わないこと)」を敵とすべき人であられるはずではないか。しかし、どうしたことか、(鎌倉幕府の権力者は)人々の讒言を受け入れて、ただ一人の私(日蓮大聖人)の正義の言を捨てられた──。
 「道理」こそが社会の基準である。権力者が公正な基準を失って、感情のままに動く時、万民は苦しみ、社会も傾いていく。
11  また、こうも仰せである。
 「謗法一闡提ほうぼういっせんだい・国敵の法師原が讒言を用いて其義をわきまえず左右なく大事たる政道を曲げらるるはわざとわざはひをまねかるるか墓無し墓無し
 ──正法に背く者であり、一闡提であり、国の敵である法師らの、つくり話の誹謗を用いて、その内容を確かめもせずに、無理やりに大事な政治の道を曲げられるのは、自ら、わざと災いを招こうとされるのだろうか。はかないことである。はかないことである──。
 大聖人は、曲げてはならない政道を曲げる危険に対して、大誠実の警鐘を鳴らされたのである。
12  「獅子王の心」で大闘争の歴史を
 こうした大聖人の御闘争を受け継いだ学会の魂とは何か。それは「佐渡御書」の一節に尽きる。
 「強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し
 ──強敵を倒してはじめて、その人を「力士(力ある士)」と知ることができる。悪い権力者が正法を破ろうとして、邪法の僧らがそれに味方して、智者を亡きものにしようとする時には、師子王のような心をもつ者が必ず仏になれる。たとえば、日蓮のようにである──。
 二十一世紀の広宣流布の「力士(力ある士)」たる青年部は、今こそ「師子王の心」を奮い起こして、痛快なる青春の大闘争の歴史を残していただきたい。
 本日、お会いできなかった方々に、くれぐれも、よろしくお伝えください。青梅は青梅らしく、焦らず、仲良く、自分たちの力で、自分たちの満足できる、″我らが理想郷″を堂々とつくっていただきたい。同志とともに、地域の方々とともに、晴れ晴れと、よき人生を送っていただきたい。
 皆さまの「健康」「長寿」「裕福」を重ねてお祈り申し上げ、きょうの懇談会としたい。ありがとう。また来ます。

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