Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第九十一回本部幹部会 人権闘争の最前列で生きぬけ!

1995.9.5 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

前後
1  ″世界一″の快挙、「創価合唱団」
 全国の皆さま、そして来日された海外二十カ国の皆さま、遠いところ、本当にご苦労さまです。
 今年の夏は猛暑であった。これから秋になると、疲れが出て病気になりやすいと言われる。くれぐれも気をつけていただきたい。自分の知恵で、自分の体調を賢く調整していただきたい。
 また、世界一の「創価合唱団」、おめでとう。演奏ありがとう。
 (同合唱団は八月、イタリアのアレッツォ市で開催された第四十三回「グイド・ダレッツォ国際ポリフォニー合唱コンクール」で、混声合唱「自由曲」部門で世界第一位、同「課題曲」部門で第三位〈一位は該当団体なし、デンマークが二位〉、ボーカル・アンサンブル部門でも第三位〈一位・二位は該当団体なし〉を獲得した)
 快挙を、日本中が祝福している。
 何でも一番になることは素晴らしい。素晴らしい幸福であるし、境涯である。
 勝った人間は妬まれるかもしれないが、牧口先生は「妬まれるほうが、妬むよりも立派であり幸せである」と言われていた。
 私どもも、そういう人生でありたい。
2  釈尊の時代──それは何となく静穏で平和な時代のように思う人が多い。しかし本当に偉大な人物が出る時は、多くの場合、社会が大きく乱れている時である。
 釈尊時代のインドも群雄割拠の乱世であった。
 二つの大国(マガダ国とコーサラ国)にはさまれた、バッジ連合という共和国があった。この国は、いつも大国からねらわれ、脅かされ、利用されようとしてきた。しかし、人々は、″我らの国を何とか守ろう″と、いつも「会議」で一切を決め、独立をたもってきた。
 ハワイでの講演でも、この国の話を紹介させていただいたが、これは簡単なようで、実は非常に大切なことなのである。
3  釈尊は教えた──皆が「わらを枕に」「一心に」
 「会議」が大事である。日蓮大聖人も「謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり」──(乱世の軍師たちは)幕を張った中で作戦を練り、勝利を(戦場から)千里離れたその場で決したのである──と仰せである。
 リーダーが独善で自己中心。皆が互いに、人の批判ばかりしている──そんなところに勝利はない。しっかりと皆で打ち合わせをし、呼吸を合わせて戦う。そこから勝利が生まれる。
 ゆえに釈尊も「会議」を重視した。(仏教の教団「サンガ=和合僧」とは、本来、バッジ連合のような、会議による共和政体のこと。教団も会議で運営された)
 心が、ばらばらになったり、意見が合わないままで進めば、そのまま滅亡の軌道に入っていく。それが道理である。
 仏法は道理なのである。ゆえに、道理に適って戦った人が勝つ。
4  釈尊は、共和国の人々をたたえて言った。
 「この人々は、夜はわらを枕として寝て、朝は早く起き、熱心に、一心に、それぞれの仕事に励んでいる。だから、(悪王の)阿闍世王が、この国を侵略しようとねらっているが、どうしてもそのチャンスがないのである」(南伝「相応部経典」因縁編)
 学会も、いろいろなところからねらわれてきた。しかし、がっちりと団結しているから、すきがない。
 昼も夜も、労を惜しまず、寸暇を惜しんで学び、行動し、ぜいたくもしない。朝早く起きて勤行し、それぞれ一生懸命、仕事する──学会員は、人々が休み、遊んでいる時でさえ、修行し、人のため、社会のために行動してきた。
 だからこそ、この妙法の共和国は、盤石に守られてきたのである。
5  続けて釈尊は、「しかし、もしも将来、この国の人々が、柔弱になり、柔らかい臥所ふしど(寝床)で寝て、羽毛の枕の上に、日が昇るまで眠るようになったならば、その時こそ(悪王は)この国を侵略するチャンスをつかむであろう」と。
 この言葉を、よくよく思索していただきい。団体も、国家も、家庭も、個人も、全部、この方程式通りである。
6  「真剣」ほど強い物はない
 戸田先生も言われていたが、創価学会は、あまりにも偉大であり、団結も喜びも繁栄も素晴らしい。だからこそ、いつも妬まれ、ねらわれてきた。これからもそうであるにちがいない。
 しかし我々は、また皆さまや先輩の方々は、「夜は、わらを枕に」の心で戦ってきた。「朝は早く起き」、そして「死にもの狂い」で今日まで広宣流布へ働いてきた。
 ぜいたくなど、考えもしなかった。移動も、夜行列車の連続だった。硬い枕で、横にもなれなかった。日曜さえ、他の人が寝ている早朝から行動した。お金もなく、応援もなく、言語に絶する戦いであった。
 ただ「広宣流布をしよう」「大聖人の仏法をひろめよう」と、真剣に働き、働き、働き抜いてきた。自分の小さな幸福や、安穏など眼中になかった。
 戸田先生が亡くなった後の数年間も、いつ冬が来たのか、いつ夏になったのか、わからない日々であった。こうやって、「死にもの狂い」であったゆえに、今日の世界一の創価学会が出来上がったのである。
 どこの世界でも、偉い人は皆、死にもの狂いである。これほどの強さはない。
 将来、この心、この苦労を指導者が忘れることがあったら、その時こそ学会は危機である。どんなに繁栄した国も、先人の築いた財産の上にあぐらをかいて、遊び始めたら衰亡する。「破壊は一瞬」である。
 学会も、幹部で一切が決まる。幹部が、組織の上にのっかって、安穏を求め始めたら、もうおしまいである。そういう幹部にかぎって、皆に苦労を押しつける。そんな幹部についていった人は、皆、不幸になってしまう。
 皆には楽をさせ、自分が苦労を求めていく。それが本当のリーダーである。
 将来のために、あえて申し上げる。「わらを枕に」して──この釈尊の教訓を幹部は絶対に忘れてはならない。
7  戸田先生の事業が暗礁に乗り上げていたころの話である。
 事業に敗れる──これは本当に大変なことだ。たとえ信心をしていたとしても、時代の波や、判断の狂いによって事業に失敗することはある。幹部であっても、病気になったり、さまざまな悩みにぶつかることは当然ある。
 仏でさえも、自ら「少病少悩」と言われている。「無病無悩」ではないのである。
 いわんや我々は凡夫である。病気になったり、悩みがあるのは当然である。それらに負けず、猛然と題目をあげて、乗り越えていけばよいのである。
8  「学会はいかにののしられようろ、不幸の人のために戦う!」
 戸田先生の事業が苦境にあった、そのころ──ある財産家が入会した。
 恰幅がよく、地元の名士でもあった。ある程度、弘教もしていたが、自分の手柄にしよう、自分の子分や配下を増やそう、というような不純さがあった。
 彼が、ある日、戸田先生のもとにやってきた。師匠に対して、友人でもあるかのような、なれなれしい態度であった。彼は言った。
 「戸田先生も、今、大変なようだから、少しくらいなら私も応援しましょう。貧乏人と病人ばかりの学会では、なかなか布教もできないでしょう。私を幹部にすれば、世間の見方も変わりますよ」と。
 戸田先生は、その男の卑しい心を見抜いていた。先生は即座に言われた。
 「貧乏人と病人を救うのが本当の宗教だ。本当の仏教だ。学会は庶民の味方である。不幸な人の味方なのだ。学会は、いかにののしられ、嘲笑されようとも、その人たちのために戦う。仏の目から見るならば、最高に崇高なことなのである。
 君のように、ちょっとばかり資産家だからといって有名を鼻にかけたり、見栄を張ったりする者の応援もいらぬし、学会の幹部になっては絶対に困る」
 これが学会の精神である。これが仏法の精神である。釈尊の、そして日蓮大聖人の御心であり、魂である。
 民衆をバカにする傲慢で愚かなエリートには、この仏法の深き心がわからない。我々の大精神は、わからない。わからなくて結構である。
9  私がまだ入信してまもないころ、(東京・大田区の)蒲田の座談会に行った。大勢の人が集まっていた。ほとんどの人が貧しかった。
 そのころも批判ばかりであった。たくさん集まってくるから、何ごとかと警察が驚いたこともあった。私自身も友人や親族から非難を浴びていた。
 その座談会の席で、私は胸を張って即興の詩を語った。
 「笑う者には汝の笑うにまかせよう。謗る者には汝の謗るにまかせよう。天光、自ら我を知る。他人の我を知るあたわず」
 天光──月光が輝く夜のことだった。世間の浅はかな批判など見おろして、信念の道を堂々と歩む誇りを、皆に伝えたかったのである。
10  傲慢な資産家に限らない。学歴を鼻にかけたり、才能にうぬぼれて、民衆を下に見る愚かな人間がいる。そんな経歴や才知は、仏の眼から見れば、まことに、ちっぽけなものである。また、要領よく自分の「出世」を計算する人間もいた。皆、清らかな学会の世界には、いられなくなって、出ていった。
 ずるい「見栄っぱり」は学会にはいらない。信心の世界には必要ない。そういう人間は、仏法に反しているゆえに、いてもらっては困るのである。
 学歴も資産もない無名の庶民がつくってきたからこそ、創価学会は崇高なのである。ゆえに、その無名の人が一番、大切である。一番大事にしていくべきである。口のうまい、格好だけの人間にだまされてはならない。
 学会は永久に、真面目な人、信心のある人、正しい道を生き抜いていこうという人たちとともに、堂々と歩んでいけばよいのである。
 学会は、そういう人を育て、そういう人たちに尽くしていく人材をつくっていきたい。これを幹部の皆さまにお願いしたい。
 これが戸田先生と私の「心」である。この「心」が自分にあれば、縦横無尽に戦える。傲慢な人間と痛快に戦っていける。
 反対に、自分に傲慢さや、見栄があると、それが行動の障害となる。故障した機械のように、何かが引っかかったような感じになって存分に動けない。
 の中に石が入っていたり、髪をとかしてクシが引っかかったり、目にほこりが入っていたり。それと同じように、見栄にとらわれている人間は「痛快に行動する」ことができない。
 本当の信心で立ち上がり、「不幸な人のために尽くそう! 広宣流布のために戦おう!」と心を決めた時に、持てる力を縦横無尽に発揮できるのである。
11  詩人ハイネは戦った──「精神は自由!」と
 ここ創価国際友好会館の一階には、私がいただいた「世界桂冠詩人」賞の盾が飾られていた。
 (インドの世界詩歌協会から、八月八日、同賞の第一号が池田SGI会長に贈られた)
 詩人とは「戦う人間」である。
 「革命」と「ロマン」の詩人・ハイネ(一七九七〜一八五六年)は叫んだ。
 「精神は、永遠の権利を持つ」(詩「北海」井上正蔵訳、『人生の知恵』1所収、彌生書房)と。
 彼の時代、つまり十九世紀前半のドイツでは、民族主義が台頭し、反動的な権力による「自由への弾圧」が進んでいた。精神の自由を求める運動は禁止された。法律は改悪され、権力側に従わない出版物は発禁処分にされた。
 ハイネは、この偏狭な民族主義に抵抗し、精神の自由を束縛する政治的、宗教的権威・権力と戦った。そのため権力からねらわれた。亡くなるまで二十五年間もの亡命生活を余儀なくされた。祖国では、すべての著作が発禁とされた。
12  「精神の自由」のために権力と戦う人が偉いのである。
 日蓮大聖人は、平左衛門尉に仰せになられた。
 「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」──権力が支配する地に生まれたのであるから、身は随えられているようであるけれども、心は絶対に随えられはしない──。
 大聖人の門下を名乗るならば、この大精神に続かねばならない。広宣流布の戦を起こすがゆえに、大難にあう──だからこそ、仏になれるのである。大難との闘争が、過去遠遠劫の罪業を消してくれるのである。
13  故郷を離れ、亡命生活。しかし、ハイネの「精神の炎」は、いささかも衰えない。
 一八四四年、彼は『ドイツ・冬物語』を執筆する。十二年ぶりに、一時帰国した折の体験をもとにした名著である。
 戸田先生は、私にこの作品も読ませた。私に対しては、先の先まで手を打っておられた。先生の偉大さは、時がたてばたつほど、わかってくる。
 ハイネは、主人公に語らせる。
 ──ドイツに入国する時、税関の役人が、宝石を持っていないか、発禁になった書物を持っていないかと、トランクを開いて、やっきになって捜した。しかし、見つからない。
 主人公は高らかに笑い飛ばした。
 「ばかものめ、トランクのなかをさがすなんて!/そんなところに何も見つかりはしないぞ!/ぼくが旅に持ってでた密輸品は、/頭のなかにしまってある。」
 「頭にぼくは宝石類をもっている、/未来の王位のダイヤモンドを、/あたらしい神の、偉大な未知の神の、/神殿の宝物を。」
 「それに、本をたくさん頭のなかにもってきている!/おまえたちに、はっきり言おう、/ぼくの頭は、没収されたいろんな本の/さえずりさわぐ鳥の巣だ。」(「ドイツ編1」井上正蔵訳、『世界名詩集大成』6所収、平凡社刊)
 ″我が精神にこそ、不滅の宝石がある。万巻の書の英知が収まっている。ゆえに、何を取り上げようと、私一人いれば、いくらでも勝利の舞台を開いてみせる″──これがハイネの確信であったにちがいない。
14  いわんや私どもには、「永遠の宝」である妙法がある。
 妙法は、生老病死の悩みを根本から解決する「是好良薬」である。最高の薬である。
 そして、一切の仏の甚深無量の智慧が具わっている。強盛な信心さえあれば、偉大な生命力と、甚深無量の智慧を我が胸中にわきいだすことができるのである。
 ゆえに「何もいらない。私自身がいれば!」。この確信で生き抜いていただきたい。なかんずく我が青年部は、この気概で戦い、勝ち抜いてもらいたい。
15  ″戦う心″を燃やし続ければ″勝者″
 さて、ある神学者がユダヤ人のハイネを中傷する悪意の記事を雑誌に掲載した。歴史上、ユダヤ人への迫害は筆舌に尽くせない。その戦いも、今日まで、文字通り命がけである。
 当時、ハイネは三十歳。猛然と立ち上がり、その後、十年間、評論で、創作でと、あらゆる機会に徹底的に抗議を行った。一つ言われたら、百も千も言い返す。これがハイネの青春であった。言論戦であった。
 「仏法は勝負」である。人生は戦いである。「戦う心」を燃やし続けた人が「勝った人」である。その心が、すでに人間としての勝利なのである。「戦う心」を捨てた人間は、それ自体が負けである。
 戸田先生は亡くなる前に、こう遺言された。
 「人生は強気でいけ! 学会は強気でいけ!」と。
 特に青年は強気が命である。
16  最後に、ハイネの詩を紹介したい。
 「おれは剣だ おれは炎だ」(「頌歌しょうか」井上正蔵訳、『世界の詩集』3所収、角川書店)
 人ではない。自分である。自分が「剣」となって戦い、いばらを切り開けばよい。自分が「炎」と燃えて、皆の″灯台″になればよい。
 「おれは暗闇できみらを照らした 戦いが始まったとき おれはまっさきに最前列で戦った」(同前)
 青年ならば、幹部ならば最前列で戦うべきである。後ろに隠れたり、横にそれたりするのは卑怯である。臆病である。
 日蓮大聖人は「臆病にては叶うべからず」──臆病であっては何事もかなわない──と仰せである。
 臆病な信心では、大聖人の門下ではない。どんなに祈っても、本当の大功徳は受けられない。
 私も常に法戦の「最前列」で戦ってきた。十九歳から今日まで四十八年間、「炎」となり、「剣」となって、民衆の大闘争の先頭を走り続けてきた。
17  ハイネは歌う。
 「おれの周囲に戦友のかばねが横たわる だがおれたちは戦った おれたちは勝った だが周囲に戦友の屍が横たわる 歓呼する勝利の歌声にまじって死者をいたむ合唱がひびく おれたちには だが喜ぶひまも悲しむ余裕もない またもやラッパが鳴りわたる さあ 新しい戦いだ/おれは剣だおれは炎だ」(前掲「頌歌」)
 戸田先生は「されば諸君よ、心をいつにして難を乗り越え、同信退転の徒のしかばねを踏み越えて」(青年訓)と叫ばれた。
 生涯、前進、前進である。万年の広宣流布のために戦い抜いて一生を終える。これほど崇高な人生はない。
 生命は永遠である。広宣流布のために働いた福徳は三世に輝く。
 「正義の炎」を!
 「英知の剣」を!
 青年部は今、再び、この学会精神で立ち上がっていただきたい。
18  二〇〇五年五月三日へ「本文の十年」を
 きょうは第九十一回の本部幹部会である。百回を飾ったら、再び第一回から新しくスタートしてはいかがだろうか。
 また私たちは、これまで「二〇〇一年五月三日」を目標に戦ってきた。その時も、間近に近づいてきた。若い世代も増えてきて、次の目標が必要になっている。
 そこで、きょうからは、十年後、学会創立七十五周年の「二〇〇五年五月三日」を目指してはどうだろうか。
 その日に向かって、一人ももれなく、晴れ晴れと、堂々と、勝ち戦の駒を進めてまいりたい。
 私も、これからの十年、全国を回りたい。世界を回りたい。二〇〇五年五月三日に向かって、「本門」の戦いをしていく決心である。一緒に生き抜いていただきたい。
19  夏から秋へ、季節の変わり目は、特に体調を崩しやすい。重ねて、健康第一でと申し上げたい。
 「元気いっぱいに」人生を生き抜いていただきたい。「朗らかに」人生を勝ち抜いていただきたい。
 きょうは本当に、ご苦労さま。ありがとう!

1
1