Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

日本・ブラジル合同研修会 「民衆が主人」の社会への逆転作業

1995.8.8 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

前後
2  信念の言論人・竹内好氏
 この八月で″戦後五十年″。さまざまに議論されているが、民衆史観の上から、一点、語っておきたい。少々、難しいかもしれないが、大切な指導者の研修会でもあり、私どもの広宣流布運動の重大な意義を自覚していただきたいのである。
 ここ長野県出身の言論人の一人に竹内よしみ氏(一九一〇年〜〜七七年)がおられる。生まれは、南佐久郡の臼田町で、千曲川の風景が特に美しい町として有名という。
 氏は、中国近代文学の父である魯迅ろじんの研究・翻訳でも著名であった。氏の言論活動に一貫していたのは「中国・アジアとの関係を通して、日本の近代のゆがみを問いただす」という信念である。
3  先日は韓国の代表も研修に来られたが、かつて日蓮大聖人は中国・韓国(朝鮮)について、「日本国は彼の二国の弟子なり」──(仏教はインドから中国や高麗〈朝鮮半島〉に伝えられ、さらに日本に伝わってきたのだから)仏教に置いては日本は中国・高麗二国の弟子の立場といえるでしょう──と仰せである。
 日本は、そこから文化を学んできた。仏教を学んできた。大切な師匠の国であり、恩のある国だと大聖人は考えておられた。
 ところが、明治維新のあと、近代の日本は、恩ある「師匠の国」を蹂躙し、踏みにじってきた。アジア全体を下に見て、犠牲にしてきた。そして、ついにはアジアを戦乱に巻き込んでしまった。なぜ、こうなってしまったのか。
 竹内氏は、日本を破局の戦争に追いやった原因を明らかにしなければ、また同じ過ちを繰り返すだろうと警告を続けた。
 日本は「戦争のあったという歴史を忘れ、また、なぜ戦争がおこったかという歴史を忘れた」(「戴季陶たいきとうの『日本論』」『日本論』11所収、筑摩書房)。
 日本人が歴史に″不感症″になり、道義が退廃してしまった──と。
 しかも日本は戦後も何十年間、中国との国交を回復しようとしないまま平気でいた。
 氏は嘆く。
 「戦争を仕かけておいて、その結末をつけないとは、まったくの恥知らずだが、悲しいかな、それがわれわれの歴史である。この重荷は子孫に残される」(「池田講演を読んで」、同全集)
 氏は日中の国交回復を訴え続けたが、歴代政府にはまったくやる気がなかった。氏は悲憤ひふんして、筆を折ってしまった。おおやけの言論活動を中止した。氏は終生、右からも左からも攻撃されたが、信州人らしい立派な気骨の人であった。
4  「利欲のためでなく同義のため」に、日中国交回復へ行動
 そのころ、私は学生部総会で日中の国交回復を訴えた。(昭和四十三年〈一九六八年〉九月八日)
 竹内氏はすぐに反応してくださり、「光りはあったのだ」との一文を発表された。
 (総合誌『潮』十一月号に掲載。さらに『竹内好全集』11「池田講演をよんで」の題で収められている。
 また、別の文章でも、こう紹介された。
 「創価学会の池田会長が日中問題について所感を発表されました。戦争終結のできない現状〈国交回復しない限り、日中は原理的には交戦状態が続いていた〉を日本民族の道義の問題として、民族の良心の痛みとして、改めて問題にされた点に私は深い感動を受け、講演のその部分を自分の雑誌に転載させていただきました。
 中国との国交回復は、中国のためではなく日本のためであること、利欲のためでなく道義のためであり、民族の再生のためであることを肝に銘じなければなりません」〈「戴季陶の『日本論』」〉)
5  竹内氏は「日中の問題は利権の問題ではない。人間としての良心の問題だ」と訴えてこられたが、政府にも民間の運動にも絶望されていたようである。
 (「政府はともかくとして、民間には、国交回復の運動があったし、いまでも細々とつづいている。
 しかしこの運動は、もし苦言を呈するなら、いつか初心を忘れてしまった。民族の良心という存在理由から遠のいてしまった。そして、そのあるものは、利権のとりこにさえなった。政府や政府与党とはくらべものにならぬ小さな利権ではあるけれども」〈「光りはあったのだ」〉)
6  多くの人が、まじめな人であるほど絶望せざるを得ない状況であった。これではいけない──風圧はあったが、私はやむにやまれぬ思いで提言したのである。
 (氏は書いている。
 「いま、その人たち〈『既成の国交回復運動や友好運動のなかで傷ついた人たち』〉に、池田会長の講演をよむことをすすめたい。
 あなたがたの愚直さ、その愚直さのために傷ついた心、その心をなぐさめる拠りどころの一つがここにあることを指摘したい。
 それは信仰の相違を超え、また政治的信条の相違を超えて、ひとしく共感できるものである。
 徳、孤ならず。仁人じんじんまれではあるが、天下に皆無ではない」〈同前〉)
7  「国家が目的、人間が手段」の転倒から戦争が
 さて、きょうは、ここからが本題である。竹内氏は、その一文「光はあったのだ」の中で道義の問題に続いて、こう論じておられる。
 「感銘した第二点は、国交回復の問題を、国家レベルでなしに、民族レベルで、または民衆レベルで考えている点である。
 あくまで人が基本である。人と人、民衆と民衆とが手を握るのが、講和なり国交回復なりの内容でなくてはならない。この点でも日本の歴代政府の考え方は、池田氏の指摘されるとおり、まちがっている。
 人、そして人の集合体としての民族、これが本体であって、国家はその生存のための手段にすぎない。国家を本位にし、国家を目的化すると、方針を誤る。過去の侵略戦争がそのよい教訓だった。いま、侵略戦争の非を非とするためには、国家本位からの脱却がどうしても必要である。民族を本位とすること、この基本姿勢は中国問題を解決するに当って欠くことができない」
 要するに、民衆の幸福が目的である。国家は手段である。
 民衆が「本(本体)」である。国家は「迹(影)」である。
 民衆が主人である。権力は使用人である。
 その関係が、さかさまになったところに侵略戦争が起こった。「国家」のために自国の民衆を犠牲にし、他国の民衆を踏みにじって省みなかった。
 しかも、日本は戦後も、この重大な教訓から十分に学ばなかった。「国家本位」の思想を引きずったままであった。
 人間を見ない、人間を大切にしない国家のままであった。自国の民衆すら見えない国に、他国の民衆の思いがわかるはずがない。
 それゆえに、日中の問題も本質を忘れ、解決できないまま放置してしまったのである。
8  この点を、氏は日中の国家観の違いととらえ、鋭く指摘されている。
 「総体的にいうと、われわれ日本人は、明治国家のある意味での優秀さが仇になって、とかく国家を実体視しがちである。これに反して中国人は、民族と国家を峻別し、民族のほうに一貫した生命を認め、国家をその手段と考える習性が強い。
 たとえば孫文の『民族主義』を見ても、この点はじつにはっきりしている。その伝統はいまも保たれているし、将来も変らないと私は思う。
 そして日本人が過去にくり返し中国認識を誤ってきたのは、この国家観のちがいが大きな要因だったと考える」
 (氏は、民衆と民衆が手を握ることが根本であるということについて、「この点を指摘した池田発言は慧眼けいがんである」と述べている。
 また「形式上は一宗教団体内部での発言だが、実質は国民全体に関係のある重大な問題提起だから、信仰の立場を離れて共通の課題にすべきである」とし、形式でなく発言の中身を問題にした)
9  そして、一文をこう結んでおられる。
 「池田氏の講演をよんで私は、池田氏が戦争の危機をひしひしと感じていられるのがわかった。ここに先憂の士がいる。私は悲観論を変えたわけではないが、一縷の光を認めたことは告白したい。ご健闘を祈ります」──と。
 このころ日本は、中国にほこ先を向けた沖縄のミサイル基地に象徴されるように、米中対立の先兵であった。
 (今、創価学会の沖縄研修道場では、もとミサイル基地が平和の拠点に生まれ変わっている)
 中国の人々の心に届く謝罪をすることもなく、アメリカに追随して中国敵視政策を続けていた。中国の国連加盟を最後まで妨害したのも日本であった。
10  ″良心なき大国″では世界の孤児に
 竹内氏は日中問題について「私はまず良心の痛みから再出発したい」と書かれたが、日本の良心の麻痺は、″経済大国″になるにしたがって、いよいよ重症になっていったように思える。
 しかし、″経済大国″といっても、そもそも中国への賠償金を日本が払っていたら、支払いには五十年はかかっていただろうといわれる。今のような経済成長は、とてもできなかったにちがいない。
 日本に賠償を請求しない理由について、周恩来総理が説明された言葉があるが、まさに「国家本位でなく民衆本位」の史観の精髄を示された言葉であった。
 「わが国は賠償を求めない。日本の人民も、わが国の人民と同じく、日本の軍国主義者の犠牲者である。賠償を請求すれば、同じ被害者である日本人民に払わせることになる」
 この深き心と恩義を忘れて、単なる法律論、形式論で、もうすでに片づいた問題だ等と思い上がってはならないであろう。金の問題ではない。心に心で応えられるかどうかである。心と心が通い合うかどうかである。人の痛みがわかるかどうかである。そういう「人間の思いがわかる」心をなくさせてしまうところに「国家本位」の思想の魔性がある。
11  (日中国交提言から四年後、七二年(昭和四十七年)に、国交は回復した。
 このスピーチの時点で、名誉会長は自らの九次にわたる訪中をはじめ、多次元で「金の橋」を建設してきた。その行動をたたえる声は枚挙に暇がない。そのいくつかを紹介する──。
 「今にして思えば、池田会長の提言は、大所高所に立った遠い見通しをもった発言であり、また、当時の日本の津々浦々に澎湃としてわき起こっていた日中友好を求める国民大衆の声を代弁しており、歴史の流れに即したものであったと言えよう。そして、池田会長の出された日中首脳会談の構想は、周恩来総理がかねてから提唱していた両国の現役の首相同士による直接の話し合いの主張と全く軌を一にしていたことを、ここで特に強調しておく必要があろう」「学会は、中日国交回復前から友好事業のために努力を払われたが、国交回復後はさらに大きな力を傾けて友好事業を推進してこられたことは周知の通りである。特に、池田会長は七四年五月に初の中国訪問を成功裏に成し遂げ、両国間に″金の橋″をかけようと声高らかに宣言をされた。この″金の橋″こそ、池田会長の二十五年前の中日関係についての提言の延長であり、深化であると確信する」〈中国文化部・劉徳有りゅうとくゆう副部長〉
 「池田先生は私どもにとって月並みな″友人″ではありません。格別な方です。先生は、これまで六回も代表団を率いて訪中されました。そのたびに中日人民の友好と相互理解は増進しました」〈周総理夫人・鄧穎超とうえいちょう女史、一九九〇年五月、名誉会長の第七次訪中時の会見から〉
 「池田先生は、日本人民の友好の使者として、たびたび中国を訪問された。そして先生が社会、宗教、文化、国際平和活動に尽力されていることは、中国において広く知られている。とくに早くも一九六八年に、中日国交正常化と中国の国連の議席の回復を提言されたことは、われわれ中国人民が永遠に心に銘記することである」〈敦煌研究院名誉院長・常書鴻氏〉
 「池田会長が、六〇年代から『中国は国連に加盟すべきである』と主張されていたことを評価しております。世界の大部分の人が、そうすべきだと認識する、ずっと前でした。その先見を尊敬します。歴史について洞察され、特に、世界における中国の役割について認識されていた」〈アメリカにおける現代中国研究の第一人者、ハワイ・東西センターのオクセンバーグ理事長〉)
12  権力志向の〈主人─奴隷〉関係を逆転せよ
 竹内氏が「近代日本のゆがみ」として指摘しているのは、「国家」に「民衆」が隷属している本末転倒である。
 本来、民衆の幸福のための国家であり、政府であり、権力機構であったはずである。
 ところが、民衆が国家の手段となり、国家は日本の民衆を利用し尽くし、他国の民衆を利用し尽くし、それを恥とも思わない。
 竹内氏は〈主人─奴隷〉関係で、日中の近代の違いを説明する。
 ヨーロッパの諸国がアジアに拡張してきた時、各国はヨーロッパに強烈な脅威を感じ、屈辱的な立場に置かれた。端的に言えば、ヨーロッパが主人、アジアは奴隷の関係であった。
 そこで日本はどうしたか。自分がヨーロッパ(主人)になろうとした。「追いつき追い越せ」である。「脱亜入欧だつあにゅうおう」(アジアの一員であることから脱し、ヨーロッパの一員となるという方針)である。
 つまり、自分が「奴隷から主人へ」成り上がることによって、奴隷状態から脱却しようとした。
 その果ては、「新しい主人」となって、韓国(朝鮮)・中国をはじめアジア諸国に君臨しようとした。そして本来は苦しみを共有すべき、これらの国々を踏みにじった。
 そういう日本の「覇道」について、孫文(中国近代の父)が警告し、タゴール(インドの詩聖)が批判したが、聞く耳をもたなかった。
 一方、中国はどうしたか。少なくとも、どうしようとしたか。
 この〈主人─奴隷〉の関係そのものを壊そうとした。だれが主人でも、だれが奴隷でもない「新しい世界」をつくろうとした。
 人を支配するのでも、人に利用されるのでもない。自由な「新しい人間」をつくろうとした。
 これが魯迅ろじんの戦いであり、その延長に、周恩来総理の「人民に奉仕」の精神がある。
13  奴隷の平和でも戦乱でもなく、新しき「第三の時代」を
 魯迅は中国の歴史を二つに分けた。
 一つは「奴隷になりたくてもなれない時代」。(「灯火漫筆」竹内好訳。『魯迅文集』3所収、筑摩書房。以下、引用は同じ)権力者によって人間あつかいされず、「家畜にも劣る、塵芥ちりあくた同然の」あつかいをされる戦乱の時代である。
 第二に、「しばらく安全に奴隷でいられる時代」。人間あつかいされないまでも「家畜なみには昇格」できる平和の時代である。
 日本も同じかもしれない。この繰り返しの歴史に終止符を打ち、どちらでもない時代をつくらなければならない。
 「中国の歴史にかつてなかったこの第三の時代を創造すること、それが今日の青年の使命である」と魯迅は結論している。
 それは古き中国との戦いであり、根本的な人間の次元から、自分の国を真に近代化する戦いであった。
 〈主人─奴隷〉意識の打破は、国内だけでなく、国際関係にも向けられていた。本来、二つは一体のものである。
14  一方、日本はアジアの「新しい主人」「新しい暴君」となって、各国民衆を踏みにじった。
 成り上がりの新主人は、「もと奴隷」であるから、奴隷根性はそのままである。
 魯迅いわく「奴隷と奴隷の主人は同じものだ」と。
 (「独裁者の反面は奴隷である。権力の座にあるときは万能だが、権力を失えば奴隷性百パーセントになる。(中略)主人であるとき一切の他人を奴隷あつかいするものは、主人をもてば自分が奴隷であることに甘んずる。これは天経地義、動かすことのできぬ真理である」〈「評論─諺」竹内好訳、同文集5所収〉と)
15  自分より弱い者にはいばり散らし、自分より強い者には卑屈になる。人間を、常に〈タテ〉の上下関係でしかとらえられない。
 本当の解放は、この〈奴隷制度〉そのものを壊して、平等の人間関係、国家関係をつくることだった。
 しかし、日本はそうしようとせず、今もしていない。
 相手の優位に立つこと、相手を利用することだけを考えて、多くの国々で嫌われていることを知らなければならない。
 だから、日中問題も自主的には解決できなかった。「人間本位」の民衆史観をもてなかったからである。
16  民衆よ、あなたが主人なのだ
 問題は、この〈主人─奴隷〉意識が、対外的だけでなく、国内的にも貫いている日本社会の後進性である。つまり、「国家が主人、民衆が奴隷」「官が上、民が下」という封建的意識が根強く残っている。
 「主権在民」なのだから、「民衆が主人、国家は手段」「官は、民衆に奉仕する公僕」のはずである。しかし、あいかわらず、権力については「お上」の意識である。この上下意識を壊さないと、どうなるか。
 政治家等になると民衆の「上に立った」気になるであろう。「もと奴隷」が「主人の側」に立ったという意識のままに、好き勝手に、民衆を利用し、民衆を働かせ、民衆を貪り、民衆をだまし、裏切り、民衆を踏みにじるかもしれない。
 ゆえに、この意識を壊さない限り、どんなに政治活動をしても、根本的には不毛ではないだろうか。「古い主人」の代わりに「新しい主人」をつくって、同じ苦しみの歴史を繰り返すだけではないだろうか。
 私どもの広宣流布運動とは、こういう魔性の〈主人─奴隷〉意識を叩き壊す運動であり、文化の土壌そのものを変える人間革命運動である。
 しかし、古い〈主人─奴隷〉意識をもったままの人々は、その古い図式に当てはめて、創価学会が何らかの野望をもち、「新たな主人」になろうとしているかのごとく宣伝するかもしれない。
 とんでもない誤りであり、私どもは、こういう古い権力意識そのものを変えたいのである。民衆の涙と忍従の歴史を断じて変えたいだけなのである。ゆえに民衆が団結し、民衆が自立して行動しているのである。
 ──この種の誤解、曲解は、「道義の問題」であった日中問題を「利害の問題」としてしか考えられなかった誤りと、根が一つである。
 また、「人間次元の問題」を権力構造すなわち〈主人─奴隷〉関係でしかとらえられない貧しさは、かつて日本の軍国主義がアジアの民衆を人間あつかいしなかった残虐と、同根なのである。
 要するに「人間」が見えない。「精神」がない。「心」がわからない。
17  戸田先生が「心して政治を監視せよ」と訴えたのも、民衆が〈主人〉として、政治家という〈使用人〉がちゃんと働いているかどうか監督せよ、目を離して悪いことをさせてはならないという意味であった。
 ローマの雄弁家・大カトー(紀元前二三四年〜同一四九年)いわく「あらゆる専制君主は人間を食う」。この権力の魔性を抑える戦いである。
 そのために民衆を賢明にする戦いである。「人民を奴隷化するものは王侯・貴族ではなく、また地主・資本家でもない。人民を奴隷化するものは人民自身の無知である」(ヘンリー・ジョージ)という言葉もある。
18  「民衆本意の社会」こそ「世界市民の集い」
 「新しい人間」をつくる私どもの運動は、政治だけでなく、文化、社会の全般にわたる。一切の根底にある「精神の大地」を耕す運動である。
 「民衆本位」の社会。「人間本位」の文化。それこそ日蓮大聖人が志向された「新しい世界」である。
 「戦後五十年」といっても、「近代百二十七年」の歴史の中で考えなければ本質はわからない。近代の出発から、また、それ以前から引きずっている〈主人─奴隷〉関係のゆがみをただすことこそ、日本の課題であり、そこに私どもの民衆運動の重大な意義がある。
 国際連盟の提唱者、アメリカのウィルソン大統領は言った。
 「民族は上からではなく、下から更新される。無名の人たちのなかから出現する天才こそ、民衆の若さと精力を蘇生させる天才である」(「新しき自由」)
 皆さまこそ、社会を土台から改革している真の変革者であられる。
 「民衆本位の日本」。それこそ、世界の民衆と平等にスクラムを組める「世界市民の集い」の社会である。その建設者、先駆者の皆さまに敬意を表し、本日の研修としたい。

1
2