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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表夏季研修会 正義の民衆に永遠の勲章を

1995.8.5 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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1  ナポレオン軍の老兵の信念──「ともに戦うのみ」
 暑いなか、ご苦労さま。楽しく、有意義な研修を行っていただきたい。
 第六回長野県総会、第一回信越青年部総会、おめでとうございます。
 ここには、全国の各方面、各種グループの代表をはじめ、アメリカ、韓国、ブラジル、イタリアから代表が参加されている。ようこそ! 遠いところ、ご苦労さま。皆さまの来日を心から歓迎申し上げたい。
2  ナポレオンの″最後の閲兵″
 ナポレオンのエピソードを紹介したい(エミールマルコ・ド・サンティレール著『小さな閲兵と巡視、盛大な閲兵と昇進』から)。
 一八一四年一月、ナポレオンの閲兵が行われた。これが、ナポレオンにとって最後の閲兵となった。多くの兵たちが整列するなかを、ナポレオンが進む。ふと、一人の老兵に目を留めた。その顔に見覚えがあった。
 真剣のリーダーは、会った人を忘れない。学会の幹部も、一人一人の会員を我が子のごとく大切に思わなくてはならない。
 ナポレオンが目を留めた老兵は、位の高い兵士ではなかった。彼は「伍長」(最下級の下士官)の記章しかつけていなかった。
 しかし、その瞳には炎のごとき光があった。″年齢がなんだ! 俺はやるぞ!″。戦う気迫がほとばしっていたのであろう。目の輝きに、人物はあらわれる。
 二十回にわたる遠征で、たくましく日に焼けた顔。顔の半分を覆った口ひげ。彼の風貌には、数々の激戦を戦い抜いてきた強さ、大胆さが、にじみ出ていた。満々たる闘志をたたえていた。
 見せかけの指導者がいる。肩書だけの有名人がいる。人気や保身だけを考えている、そんな人々の何が偉いのか。少しも偉くない。
 大切なのは、人格である。信念である。自ら苦労して戦う人こそが偉大なのである。
 ナポレオンは、老兵をそばに招き、語りかけた。
 「だいぶ前のことだと思うが、どこかで会ったような気がする。名前は何というのか」
 兵士は、頬を紅潮させながら、答えた。
 「ノエルです。陛下!」
 「私は何人かのノエルを知っているが、君の出身はどこだ」
 「パリです」
 「ああ」。ナポレオンの記憶が蘇ってきた。
 ──皇帝ナポレオンと無名の老兵との対話。何とも言えぬ味わいがある。位の低い兵士であっても、いいかげんに扱ったりしない。
3  「一人」を徹して励まし伸ばす
 一人が百万人の力を出すことがある。反対に、一人のために百万人が犠牲になることもある。「一人」が大切なのである。「一人」をおろそかにしてはならない。「一人」を励まし、伸ばす以外にない。
 ナポレオンは聞いた。
 「私と一緒にイタリアへ行かなかったか」
 兵士は誇らしげに「はい! アルコレ橋へ一緒に」。
 アルコレ橋の戦いとは、一七九六年のイタリア遠征で、若きナポレオンが激しい砲火にもひるまず、三色の革命旗をかかげながら敵陣へ突進し、味方を勝利に導いた有名な戦闘である。
 この兵士は、もう二十年来、ナポレオンと生死をともにしてきたのである。
 「何がどうなってもいい。私は、常に陛下と一緒に戦うのだ!」。これが老兵の心だったのかもしれない。
4  「アルコレ橋」との老兵の答えを聞いて、ナポレオンは言った。
 「そうだ。今、思い出した。それでは、いつ伍長になったのだ」
 「マレンゴでなりました」
 「マレンゴの会戦」は一八〇〇年。有名なナポレオンの逆転勝利の戦いである。この兵士は、その激しい戦闘でも活躍したのである。
 ナポレオンは、さらに「その後の昇進は、どうか」と聞いた。
 兵士は頭を下げて答えた。「それからは何もありません」
 謙虚な彼は、当然、受ける権利のある昇進について、自分からは要求をしないできたのである。おそらく、彼の心は「名誉も、昇進もいらない。皇帝と一緒ならそれだけでいい」と決まっていたのであろう。
 愛すべき人物である。広宣流布のため、ひたむきに戦う婦人部や壮年部のようである。偉ぶらない。まっすぐである。美しい。私はいつも、このような会員の皆さまに「最敬礼」している。
5  ナポレオンはたずねた。「近衛兵には志願しなかったのか」
 「それこそ、私の唯一の願いでした。ですから、アウステルリッツ(一八〇五年)、ヴァグラム(一八〇九年)、すべての大きな戦いに参加しました」
 「そうだろう。それで、勲章の候補には挙がったか」
 「毎回です」
 ところが──彼には一つの勲章も授与されてはいなかったのである。皆、この功労者を顕彰することをすっかり忘れ去っていた。あるいは、この兵士が何も要求しないのをいいことに、上官たちは皆、彼を軽く見、無視してきたのかもしれない。
 要するに、このけなげな老兵は、位もいらなかった。勲章もいらなかった。
 ただナポレオンとともに勝利の歴史を綴っていければ、それでよかった。命をかけて戦い続ける。それで満足であった。
 これが彼の哲学であった。私は、そう思う。
 戦いの場は決して光の当たる舞台ではなかった。常に最前線へ、また最前線へと身を投じた。学会員の皆さま方の姿である。また人格の芯強き信州・長野の同志の姿と重なってならない。
6  いちばん働いた有志を皇帝は忘れなかった
 ナポレオンの胸に、この「無冠の兵士」の心が、強く強く響いたにちがいない。人間として何と偉大なのか。皇帝の私よりも。私は真の「人間」を知った──そう感じたかもしれない。
 ナポレオンに偉くしてもらい、よくしてもらいながら、ナポレオンが敗れて島流しになった途端、恩を仇で返し、裏切った高官たちも少なくなかった。良い時はついてくるが、悪くなると手のひらを返す人間は、どこにでもいる。
 それに比べて、この兵士は、何の見返りも求めず、必死に働いてくれた。私を慕って、ここまで来てくれた。彼にどう報いたらよいか──ナポレオンの頭脳は回転が速い。手の打ち方も速い。
 ナポレオンは、いったん、その老兵を隊列に戻すと、五分ほど、大佐に指示をした。そして再び、かの兵士を招き寄せた。
 兵が整然と並ぶ厳粛な閲兵式。そこでナポレオンは、自分がつけていたフランスの最高勲章である「レジオン・ド・ヌール勲章」をはずし、自身の手で、老兵士の胸につけてあげたのである。
 一幅の名画であった。ナポレオンは言った。
 「ノエル! ずっと前から君には、この勲章を受ける資格があったのだ。なぜなら君は以前から勇者であったからだ!」
 彼には勲章を受けるにふさわしい戦った歴史がある。その証拠がある──と。
 厳かな瞬間であった。太鼓が打たれた。全体が静まりかえると、大佐は大きな声で叫んだ。
 「皇帝の名において、ノエル伍長を連隊の少尉に任命する!」
 伍長から突然の昇進である。祝賀のラッパが高らかに鳴り響いた。本人は、夢を見ているんだと思った。
 するとナポレオンの合図とともに、再び太鼓が鳴り、大佐が叫んだ。
 「皇帝の名において、ノエル少尉を連隊の中尉に任命する!」
 たて続けの昇進である。二十年この方、泣いたことがなかった老兵の目が潤んだ。何か言おうとするが言葉にならなかった。そして三たび、太鼓が響き、大佐は告げた。
 「兵士たちよ! 皇帝の名においてノエル中尉を連隊の大尉として遇しなさい!」
 感激のあまり老兵は倒れかけた。傍らの大佐の腕に抱きかかえられ、やっとのことで感激の瞬間を耐えた。ひとときのドラマ。永遠のドラマ。ナポレオンは、すぐに馬上の人となって最後の閲兵を続けた。
 ナポレオンは、恩恵を与えたのではなかった。正確に兵士の功績に報いたかったのだ。
 だれもが皇帝の心がわかった。一番、働いた人が、一番、偉いのだ。皇帝は全部、知っていてくれるぞ、と。
7  いわんや、学会員の皆さまは、尊貴なる「地涌の菩薩」である。
 最も尊き「平和の闘士」である。「文化の戦人」である。「人道の勇者」である。
 いつもいつも一生懸命に戦い続けておられる。あまりにも、けなげである。あまりにも、いじらしい。ゆえに、私は、我が同志を最大に賛嘆したい。無量に称賛したい。永遠に顕彰申し上げたい。
 法華経の安楽行品に有名な言葉がある。
 「大功勲だいくくん有って(中略)魔網まもうを破するを見ては、爾の時に如来、亦大いに歓喜して」(開結四六四㌻)
 ──(賢人聖人の仏の軍勢が魔軍との戦いにおいて)大功績を上げ(中略)魔軍の網を打ち破るのを見ると、如来もまた大いに歓喜する──。
 この言葉通りに、私は戦っている。皆さま方は続いている。経文通り、如来が、日蓮大聖人が「大いに歓喜して」賛嘆してくださることは間違いない。
 勇敢なる我が学会員こそ、三世十方の仏菩薩から、最極の「生命の大勲章」を贈られ、大喝采されゆく方々であると断言申し上げたい。
8  「大聖にほむらるるは一生の名誉」
 今、創価学会が、皆さま方が、″新しい世紀の黎明″を晴れ晴れと開きゆく姿を、日蓮大聖人が、どれほど喜んでおられることであろう。また牧口先生、戸田先生が最大に喜んでおられるにちがいない。
 戸田先生は言われた。
 「『愚人にほめられたるは第一のはぢなり』との御聖言は、真の仏法を広布せんことを念願とする創価学会初代会長牧口常三郎先生が、常に座右の金言となされていた御信条であった。
 先生は御文のとおり、法華経のためならばいかなる非難・迫害も恥ではない。愚人にほめられることこそ第一の恥であり、反対にいえば、聖人にほめられたるこそ第一の光栄なりとのご信念にもとづいて、法華経の肝心の広布のゆえに牢獄の露と消えられたのである。日蓮大聖人の仏法を信ずる者は、これこそ第一の亀鑑きかん(かがみ、模範)であると信ずるのである」(開目抄講義)
 戸田先生は、こう牧口先生を賛嘆なされた。そして、この毅然たる大確信を、戸田先生は、我々に「青年訓」として託された。
 「愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。大聖にほむらるるは、一生の名誉なり」と。私どももこの気概で、断固として、これからの「勝負」を決していきたい。
9  信念のない日本。哲学もない日本。理念も、展望も、民衆への慈愛も責任感もない日本。私たちは、″愚者″に何を言われようと関係ない。
 戸田先生が喝破されたように、「仏法は勝負」である。「国法は賞罰」である。「世法(世間法)は評判」である。
 世法の評判というものは、当てになるはずがない。感情であり、決めつけであり、裏がある。仏法は、不変絶対の法である。そして勝負は絶対のものである。勝つか負けるか、正義と幸福を実現できるか否か──中間はない。
 このように、まったく″基準が違う″ということを見あやまってはならない。これが戸田先生の遺言であり、牧口先生の信条である。そして、ここに大聖人の御精神があると確信する。
 大聖人に「よくやった!」とほめられれば、それでよいのである。
 牧口先生、戸田先生に「さすがだな」と言われれば、それでよいのである。私どもの運動の真価は、百年先、二百年先に必ず証明されるに決まっている。恐れることなど何もない。
10  私たちは永遠に朗らかに進みたい。どうせ生きるのならば、朗らかに生きたい。また楽しく、堂々と、喜びの大合唱を響かせながら、二十一世紀へ向かって悠々と大行進してまいりたい。
 特に青年部の諸君に期待したい。全部、諸君の時代である。一切を諸君が担って、立ち、語り、動く時代である。
 私は毎日、学会員の皆さまの無事・安穏を、幸福と裕福を、そしてご活躍を、真剣にお祈り申し上げています。
 どうか、健康第一で、よく休んで、楽しく長生きしていただきたい。
 また、お会いしましょう。お元気で!

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