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日蓮大聖人・池田大作

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海外・日本合同研修会 学会は世界の″希望の潮″

1995.8.4 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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1  日印の青年が″永遠の平和の誓い″
 全国最高会議の方々、アメリカの文化本部の代表をはじめ海外の皆さま、人材グループの研修の方々、暑いなか、本当にご苦労さまです。
 現在、インドではSGI(創価学会インタナショナル)の青年文化訪問団が猛暑のなか、活発に交流を行っている。
 八月六日には、「創価菩提樹園」で、日本とインドの青年合同総会が行われる。広島の被爆から五十年のその日、アジアの若きリーダーが「永遠平和への誓い」を込めて集う式典である。何と意義深きことか。
2  インドと日本──思えば、ここ軽井沢には一九一六年(大正五年)の八月、インドの大詩人タゴールが訪れ、丘の上の大きな樹の陰で乙女らと語り合っている。
 タゴールは青年が好きであった。いずこにあっても青年の育成に心をくだいた。
 民衆の自由のために戦った彼の生涯については、小説『新・人間革命』にも綴った。『新・人間革命』も、ここ長野研修道場で執筆を開始してから、八月六日で二年になる。
3  目覚めたる民衆の信念のスクラムを
 私どもは一生涯、「魂の青年」でありたい。生き生きとした「生命の青年」でありたい。その意味を込めて、タゴールの青春時代の詩を紹介したい。
 それは──雪山すなわちヒマラヤの洞窟の闇の中で長い眠りを続けていた氷が、ある朝、太陽の光を浴び、小鳥のさえずりを聞きながら、ついに目覚め、動き始めた。その喜びあふれる水の流れに託して、若き魂の目覚めを謳い上げた詩である。
 水は力強く流れ、走り、滝となり、奔流となって、生命の大海原を目指していった。
 詩の一節にこうある。
 破れ、おお、心よ、破れ、いっさいの束縛を、
 おお、今日、生の悲願を成就せよ、
 波が あとからあとから湧き起こるように
 打て、打て、打撃の雨を降らせよ!
 生命が忘我ぼうがの歓びに立ち上がるとき、
 闇 なにするものぞ、岩 なにするものぞ!
 憧憬の潮が うねり 高まるとき、
 この世に なんの恐怖おそれがあろう!
 ……
 わたしは 川となって 流れて行こう──
 ひたすら 流れ──流れて行こう──
 こころの言葉おもいを語り告げ、
 こころの調しらべを歌って聞かせよう、
 生命をふんだんにほどこすほど 生命はますますほとばしり、
 もはや 生命は尽きないだろう、
 わたしには 語るべき多くの言葉が 歌うべき多くの歌がある、
 わたしの生命は ありあまるほどだ、
 わたしには 多くの歓喜が 多くの願望ねがいがある
 (「滝の目覚め」、森本達雄著『ガンディーとタゴール』第三文明社)
 これがタゴールの大いなる創造の人生を貫いた″生命の躍動″であった。
 ほとばしる生命。だれびとも、それを止めることはできない。水かさを増す水流。だれびとも、それを阻むことはできない。
 ゆえに、断じて進むことである。走ることである。恐れなく。陽気に。歌声高らかに。
4  わが創価学会は、二十一世紀、すなわち「生命の世紀」へ滔々と流れゆく「希望の潮」である。
 目覚めたる民衆の潮流を、だれが押しとどめることができよう。わが学会員が歓喜に漲っている限り、何も恐れるものはない。
 新世紀の喝采は私どものものである。
 ますます勇気凛々と、生命力を増しながら信念のスクラムを広げてまいりたい。
 なおタゴールが生涯の幕を閉じたのは一九四一年(昭和十六年)八月七日。命日の翌日にあたる今年八月八日には、光栄にも、インドの世界詩歌協会から初の「世界桂冠詩人」賞が私に贈られる。タゴールの人類愛の戦いをしのびつつ、謹んでお受けしたい。
5  リーダーは「自己教育」に挑戦
 先日、ガルトゥング博士(ノルウェー出身の世界最高峰の平和学者)との対談集『平和への選択』(毎日新聞社刊)が発刊された。平和、教育、宗教、人権等をめぐり、「不戦の世界秩序」を目指して語り合ったものである。
 その中で博士は、教育について非常に示唆的な話を語っておられる。
 すなわち、教育には何よりもまず「自己教育」が重要であるというのである。
 「自己教育」とは、自分自身を見つめ、自分自身を教え、自分自身を育てることである。それがあって初めて、友人・同僚との意見交換・体験交流といった「共同教育」が生きてくる。また、実りある「他者教育」が可能になる。
 人ではない。自分である。自分が成長すれば、周囲も変わる。
 自分を見つめず、自分を教育せずして、何を論じ、何を行っても、無責任であるし、大きな価値は生めないであろう。
 社会も、組織も、指導者が、ずる賢く「人を動かす」ことだけ考えて、「自分が成長する」努力をしない時、行き詰まる。発展も平和もなくなる。
 いわんや、自分が成長していない責任を忘れて、失敗を人のせいにするとしたら、指導者として最低であろう。
6  日蓮大聖人は仰せである。
 「若し心外に道を求めて万行万善を修せんはたとえば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し」──もしも自分の心の外に成仏の道を求めて、あらゆる修行、あらゆる善行を修めたとしたら、それは例えば貧しい人が日夜、隣家の財産を計算しても半銭の得もないようなものである──。
 仏道修行は最高の「自己教育」なのである。
 ルソー(フランスの思想家)は、教育論『エミール』で書いている。
 「一人の人間の形成をあえて企てる前に、その人がみずから人間としてでき上っていなければならない」(平岡昇訳『世界の大思想』17,河出書房新社)
 「人を育てる」なら、まず「自分を育てよ」と。
 また、こうも語る。
 何事につけても、あなた方の教訓は言葉でよりも、行為で与えられなければならない──と。
 「行動」に人はついてくる。「姿」に人は学ぶ。「境涯」と「振る舞い」が人を感動させ、感動が人を変えるのである。
7  私どもの舞台は、いよいよ広がっている。いよいよ責任も増している。期待も増している。
 この大切な使命を、立派に果たせる自分を目指して、いよいよ「自己教育」に励んでまいりたい。すでに皆さまは、その挑戦を始めておられることと思う。
 自分が成長した分だけ、人生は楽しい。願わくは、最高に楽しい人生を!
 暑い日が続いているので、くれぐれもお体に気をつけていただきたい。きょうは、ご苦労さま!

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