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日蓮大聖人・池田大作

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東海道最高会議 だれが本当の「民衆の味方」だったか

1995.7.12 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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1  有縁の天地で使命の人生を
 東海道最高会議、おめでとう。
 伊豆〈県〉サミットの発足も祝福申し上げたい。伊豆は二十一世紀の焦点の地域のひとつである。
 神奈川、静岡の皆さまの広宣流布への労苦をたたえ、記念のスピーチを残させていただきたい。
 東海道は、日蓮大聖人が大法戦を展開された凱歌の天地である。
 大言論戦の鎌倉も、御本仏としての発迹顕本の地・竜の口も、「法華経の行者」のあかしを示された流罪の伊豆も、すべて東海道にある。
 また牧口先生が殉教への旅立ちをされたのも、伊豆の下田であった。
 下田での牧口先生の逮捕(昭和十八年〈一九四三年〉七月六日)、同日の戸田先生の逮捕(東京の自宅で)──それは「創価学会こそ日蓮大聖人に直結した真の後継者である」ことを崇高に示しきる原点になった。
 皆さまは、その有縁の天地で、かけがえなき使命の人生を生きておられる。何と不思議なる、何と栄光の人生であろうか。
2  今年は、戸田先生が出獄されて五十年目の「七月三日」を迎えた。
 今、「戦後五十年」が、さまざまな次元から問い直されているなかで、私どもは声高らかに訴えたい。五十年前のあの荒野にあって、「民衆のため」「人間のため」「平和のため」に、だれよりも早く戦いを開始した指導者──それは戸田先生であった! と。
 哲学も信念も崩れ去った戦後のカオス(混沌こんとん)にあって、一人、戸田先生の胸中にのみ人類の未来を開く赫々たる「生命の哲理」、すなわち「人間革命の法理」が輝いていた。
 だれもが自分のこと、目先のことで血眼になった畜生道の世相の中で、戸田先生お一人が人々の絶対的幸福を願い、前代未聞の民衆組織をつくっていかれた。
 日本一国の進路さえ見えない混乱の時に、ただ一人、戸田先生は、アジアの民の安穏を祈り、地球民族の共生を遠望しておられた──。
 忘れ得ぬ一九四五年(昭和二十年)七月三日、戸田先生が踏み出された一歩から、今や壮大なる人間主義のスクラムが全世界に広がった。この偉大なる「原点の日」の五十周年を、新たな出発の日として、今、私どもは進んでいるのである。
3  戸田先生「人生で最も得したのは獄中生活」
 戸田先生は、こう振り返っておられた。「私が人生のうち、最も得したのは、この二年の牢獄の生活である」と。
 死と隣り合わせの投獄──その苦難こそが、最高の宝となったというのである。
 特に青年は、この戸田先生の大境涯を心に刻んでいただきたい。苦労、なかんずく広布のための苦労には、いささかの損もない。苦労した分だけ得するのである。
 あの誇り高き「正義の巌窟王」マンデラ大統領(南アフリカ共和国)も、ご存じのように二十七年半にも及ぶ獄中生活に耐え抜いた。その間、お母さんが亡くなり、息子さんも亡くなった。氏はその葬儀に参列することさえ許されなかった。また裏切りもあった。
 のちに、出獄直後のマンデラ大統領は「あなたが払った犠牲は、それだけの価値がありましたか?」という質問に、こう答えている。
 「自らの信念ゆえに投獄されること、そして自らの信ずるもののために、いさぎよく苦難を受けることは価値ある行為です。この世における自分自身の義務を果たすことは、結果がどうであろうと、ひとつの偉業なのです」(「タイム」誌インタビュー、一九九〇年二月二十六日号)
 戸田先生の信念と響き合う言葉であろう。
4  戸田先生は、牢獄の栄養失調や、不潔、暑さ、寒さ、看守の暴力など、最低の環境の中で、生きて生きて生き抜かれた。
 「健全なる身体。健全なる精神」という西洋古代の有名な格言がある。その両面を、人間が追求すべき理想としたのである。
 戸田先生は、この理想について、さらに深い哲学をもっておられた。
 「健全なる精神で、健全なる身体を作ってみせる」と。
 仏法という最高の健康法を会得した強さであった。
 獄中からのお手紙に、戸田先生は書かれている。
 「『健全なる精神は健全なる身体を作る』という悟りのもとに、『肺患はいかん(肺病)』も『ぜん息』も『心臓病』も『リウマチ』も、根本的に『治す』努力しております。非常に丈夫になりました」
 「一時は『生きる』力もなくなった私が、『めきめき』丈夫になり『強くたくましく』『清浄に』『安心しきって』生きる工夫中です」(昭和十九年八月十一日。原文は漢字カタカナ表記)と。
 「健康になる!」「丈夫になる!」。そして「広宣流布のために生き生きと働く!」。こう決めた瞬間から、生命はその方向へ動き始める。心を決めること──「決心の力」がどれほど大きいかを、戸田先生は身をもって教えてくださっている。「一念」の力は、計り知れない。
5  「不幸」よ! 我、汝を滅ぼさん
 戸田先生は青年に呼びかけられた。
 「諸君よ、目を世界に転じたまえ。世界の列強国も、弱小国も、共に平和を望みながら、絶えず戦争の脅威におびやかされているではないか。一転して目を国内に向けよ。政治の貧困・経済の不安定・自然力の脅威、この国に、いずこに安処なるところがあるであろうか」
 「『不幸』よ!汝はいずこよりきたり、いずこへ去らんとするか。目をあげて見るに、いま、国を憂い、大衆を憂うる者はわが国人に幾人ぞ。国に人なきか、はたまた、利己の人のみ充満せるか。これを憂うて、吾人ごじん(私)は叫ばざるをえない、日蓮大聖人の大師子吼ししくを!
 『我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず』(昭和二十九年十月)」(巻頭言「青年訓」、「大白蓮華」昭和二十九年十月号)
 この大聖人の門下として、青年よ、責任ある柱たれ! 幸福への道を見通す社会の眼目たれ! そして、民衆から安心して頼られる大船たれ! と戸田先生は訴えられたのである。
 この師の叫びに、私は立ち上がった。戸田先生の弟子として、権力の魔性に、敢然と挑んだ。
 奇しくも戸田先生の出獄の日である七月三日に私は入獄した。(昭和三十二年)
 この熱き「勇気のバトン」を私は今、青年部に託したい。
6  牧口先生、戸田先生が日本のファシズムと獄中で戦っていたころ、ヨーロッパ各国でもファシズムと戦った民衆がいた。炎の青年たちがいた。
 イタリアのレジスタンスも壮烈に戦った。自国のムッソリーニ。そしてドイツのヒトラー。独裁者と勇敢に戦い、その多くは捕らえられ処刑された。
 ある二十七歳の青年(イニャツィオ・ヴィアン)は、獄中で二つの言葉を遺した。(以下『イタリア抵抗運動の遺書』冨山房百科文庫。参照)
 彼は一九四四年四月、密告によって逮捕され、拷問されたが屈しなかった。彼は七月に、ドイツ軍によって絞首刑にされた。
 二つの言葉のうち、ひとつは独房の壁に血で書かれていた。
 「裏切るよりは死ぬほうがよい」(同前)
 何と荘厳な黄金の言葉であろうか。同志を裏切れば人間以下になる。いわば畜生界になってしまう。畜生として生きるよりも人間として死にたい──と。
 もうひとつの言葉は、独房で見つかったパンに書かれていた。
 「ママ 勇気を」(同前)と。
 死を前に、彼は遺される母を励ますことを一心に考えていたのであろう。このパンは、家族のもとに保管されているという。
7  歴史は「人間性の勝利」へ向かう
 彼は死んだが、彼の崇高な魂は生き続けている。生きて、人々に烈々たる「勇気」を送り続けている。
 一人の青年が生命を燃やし尽くせば、その灼熱の光芒は、いかなる闇をも焼き滅ぼす。未来を「人間」の光輝で照らし出すのである。
 彼らが命をかけて証明した教訓は、こうも言えよう。
 「暴力で、歴史の流れを変えることはできない。一時的に逆流を起こすことができたとしても、結局、歴史は〈人間性の勝利〉の方向に必ず向かう」と。
 その勝利の最前線におられるのが皆さまである。皆さまの営々たる努力また努力の尊さを、必ずや歴史が証明するにちがいない。
 その自覚で、日々を貫いていただきたい。その誇りで人生を飾っていただきたい。
 今日から明日へ「より健康」で「より充実」の前進をと念願し、祝福のスピーチとしたい。

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