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日蓮大聖人・池田大作

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福島最高協議会 みちのくに「人間の黄金郷」が

1995.6.20 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

前後
2  東北は、古代から最先端の文明が栄えた″黄金郷″であった。
 日本文化の基底部には、約一万年も続いた縄文時代の文化がある。弥生時代以後の文化は二千年にしかならず、縄文時代に比べれば、表層の皮のようなものといえるかもしれない。
 その縄文時代の先進地はどこか。それが、ここ東北であった。
 縄文時代の中期から晩期にかけて、東北は人口の密集地であり、晩期には全国の人口の半数以上が東北に住んでいたという説もある。
 しかも九千年も前の、ある遺跡(青森県・中野平遺跡)からは、「共同作業所」もしくは「集会所」として使われたと想像される住居跡が発掘されている。この時代から、東北は″座談会の伝統″があったのかもしれない。
 また人類の最先端の知恵の結晶であった土器──世界最古の土器の一つも東北でつくられたという。また中国大陸や北方アジアとの活発な交流を示す遺物も数多くある。文明を運んだ″北の海道うみみち″を指摘する人もいる。
 マルコ・ポーロが日本を黄金郷と紹介し、コロンブスがそこを目指して出発した結果、アメリカに到達したことは有名である。マルコ・ポーロが言った、この黄金郷とは、平泉ひらいずみをはじめとする東北のことだった、とも言われる。
 東北は決して遅れた辺地などではなく、先駆けて繁栄した″開かれた天地″だったのである。
3  世界に開かれた東北の「知恵」「地の利」
 しかも、コメ作りに象徴されるように、厳しい環境の中で知恵を発揮した「創造性」が、東北には輝いている。その粘り強い挑戦の中で、独創性が磨かれ、人間が鍛えられてきた。
 この福島研修道場の一帯も、冬になると、厚い雪にすっぽりと覆われる。こうした過酷な環境で、皆さまは頑張ってこられた。そのなかから、安定感のある人材が育った。
 ヒューマンな民話の世界。その遺産を継いだ人間追求の文学──その他、さまざまな面から、東北には「人間をつくる」豊かな精神の土壌が感じられる。
 今後の東北の可能性について、「地の利」を挙げる識者もいる。ロシアや朝鮮民主主義人民共和国とも、これからは交流が増えるであろうが、東北は地理的に近い。
 また海路でアメリカ西海岸に行くには、仙台からは近い。サンフランシスコ港まで、東京港から行くのに比べて片道十時間、短縮できるともいう。
 東北六県に新潟県を加えた「東北インテリジェント・コスモス構想」も注目されている。これは東北に国際的な学術・技術・情報の一大拠点を作ろうというプランである。
4  これからは「知恵の時代」である。「知恵」とは、情報や知識だけではなく、それらを使って価値を創造する力である。ゆえに知恵は、人間の全体にかかわる。知恵には創造性・独創性が含まれ、人格が含まれ、哲学が含まれ、行動が含まれている。
 「知恵の時代」は「人間の時代」であり、そこに私が人間性豊かな東北に期待する理由もある。
 うわべの豊かさ、華やかさではなく、真に人間的な豊かさ、そして心が晴れ晴れと輝いている内面の華──それこそ時代が求めているものであり、「東北の時代」の光彩なのである。
 その期待を込め、三十四年前(一九六一年〈昭和三十六年〉)、東北の皆さまに託した願いを今、再び、信頼する皆さまに申し上げたい。
 「民衆の幸福を開く広宣流布の総仕上げを東北健児の手で頼む」と。
5  「心が輝いている」社会を先取り
 このたび、″知性の都″であるアメリカのボストンに、アメリカSGI(創価学会インタナショナル)「ボストン二十一世紀センター」の新本部がオープンした。
 隣接するハーバード大学のモンゴメリー博士や、コックス博士をはじめ、世界第一級の知性たちが、センターの新しい出発を心から喜んでくださった。
 祝賀の記念式典とともに、二回の「国連ルネサンス会議」が有意義に開催され、多くの識者が参加された。
 ボストンといえば、哲人エマーソンゆかりの地である。彼は十九世紀のアメリカ・ルネサンスの旗手であった。
 エマーソンは、当時の社会の退廃を嘆き、叫んだ。
 「好人物な人間は余るほどいるが、高慢な者に戦い勝つ鉄の心をもった正義の味方はとぼしい」(「若いアメリカ人」原島善衛訳『エマーソン選集』4所収、日本教文社)
 人が良いだけではいけない。人が良いだけでは、結局、民衆を悪から守れない。それどころか甘く見られ、悪を増長させてしまう場合がある。
 為すべきことは為し、言うべき「正論」は言わなければならない。言わなければ損である。
 民衆を虐げる「高慢な者」「高慢な権威・権力」──それに対しては、「それは、おかしい!」と声を上げるべきである。
 正義のためには、遠慮してはいけない。民衆を守るためには「鉄の信念」でなければならない。
6  エマーソンは、みずみずしい魂を失って形骸化した宗教と戦った。言論という武器で。
 彼は、堕落した宗教の本質を見破っていた。
 「権威に立つ信仰は信仰ではない。権威への依存は宗教の堕落、精神の衰退を測る尺度である」(「神」入江勇起男訳、同選集2所収)
 権威主義になるのは、その分、中身がないからである。
 人々の「心」に訴える熱い「心」がないから、権威に頼る。
 人々の「理性」に訴えて、なるほどと納得させる「道理」がないから、権威を振りかざして、従わせる。
 こういう堕落した人間を見破る聡明さをもたなければならない。
 まず自分が成長することである。リーダーが境涯を開けば、皆を幸福にしていける。
 エマソンは、人々に呼びかけた。
 「群集の中に賢者がひとりでも居れば、その場に居合わせた人は、ひとり残らず賢くなる。知恵の伝染力はそれほど速いのだ」(『代表的人間像』酒本雅之訳、同選集6)
7  ″皆を元気にする″賢き指揮を
 戸田先生は「幹部は会員の小使い」と言われた。幹部は会員に尽くすためにいる。いわんや、会員を叱ったり、疲れさせてはならない。皆を下に見るのではなく、会員を、お父さん、お母さんのように思って、「親孝行」するつもりで尽くしていくことである。
 また、価値的に、「労少なく、効果多き」活動になるよう、知恵を使っていただきたい。皆が元気に、楽しく前進できるよう賢き指揮をお願いしたい。
 社会的にも、指導者が「公僕こうぼく(民衆のしもべ)」の自覚をなくしたところに、腐敗の根っこがある。民衆が、彼らに「公僕」の使命を思い起こさせていく以外にない。
8  エマソンは語っている。
 「己を持して固く自立して居る人には宇宙もまたその味方として立つ」(戸川秋骨訳『エマアソン全集第八巻 人生論』国民文庫刊行会刊)
 「一人立つ」信念の人は宇宙をも味方にしていくという烈々たるエマーソンの気概である。この確信で、彼はアメリカ社会に、はつらつたる新風を送り込んだ。
 一人、決然と立ち上がることである。その瞬間に、諸天も呼応して立ち上がる。その人を守る。私は自分自身の人生で、この法則を証明してきた。
 その人が「本物」かどうかは、一人になった時にわかる。一人立ってこそ本物である。大勢にまぎれて、泳いでいるだけでは、どんな立派な立場も「幻」のようなものである。
 仏も一人立った。私どもも、その場で一人立ってこそ、仏になれるのである。
9  あらゆるものが動いている。生命は「動き」である。宇宙もまた「動き」である。生きるとは「動くこと」である。
 「前進は生」「停滞は死」である。コマは回転しているからこそ安定している。止まれば立つことはできない。
 地球も巨大なコマと言える。地軸を中心にして、毎秒〇・四七キロ、時速千七百キロで自転している。超音速ジェット機クラスのスピードである。
 くるくると「自転」しながら、太陽の周りを一年間で一周する。この「公転」のスピードは秒速三十キロ、時速十一万キロと超音速ジェット機の数十倍である。
 ″中心者″の太陽も、動かずに、ふんぞり返っているわけではない。太陽は太陽系の一族郎党を引き連れ、秒速二十キロの猛スピードで、ヘルクレス座の方向に動いている。
 さらに銀河系は、二千億の恒星を引き連れ、猛スピード(太陽付近で秒速二百二十キロ=ジェット機の数百倍)で回転しながら、多くの銀河同士が超高速で遠ざかっているという。これは宇宙が膨張しているためとされる。
 宇宙で、じっとしているものは何もない。すべてが全力で動いている。動いているから安定が生まれる。
10  ナチスの教訓──「権力への監視」を止めれば危険
 それでは社会についてはどうか。社会はどういう時、安定し、どういう時、不安定なのか。
 トインビー博士が、ヒトラーと会見した経験をもとに、この点に触れておられる。(「ヒトラーの講義」長谷川松治訳、『交友録』所収、オックスフォード大学出版局。参照)
 ──人間精神のどんな深層から、ナチスのように徹底した悪が、溶岩流のごとく噴き出したのか?
 この二十世紀に、ヨーロッパの偉大な国民のひとつ(ドイツ人)が、どうして狂信者たちに屈服してしまったのか。ゲーテを生んだ国が、なぜヒトラーに屈してしまったのか?
 その原因を見極めずして、これから同様のことが他の国で起こらないと、だれが言えようか──と。
 トインビー博士は、こう結論されている。
 ──「ナチスの教訓」は何か。それは、文明社会というものは、どこでも、また、いつの時代も、決して安定したものではない、ということである。文明は放っておいて、自然に安定していると思っては決してならない。自覚的な「果てしのない監視」と「絶えまない精神的努力」とが必要なのである、と。
 油断すれば、いつ狂気のような動きに足をすくわれるかわからない、との警告である。
 宇宙と同じく、社会もまた「停滞は死」なのである。
 常に、悪を監視する。権力を監視する。そして「より良き社会」への理念を掲げ、絶えまなく、向上しようと努力する。その精神的努力によって、はじめて安穏な社会に近づくのである。
 今、日本の社会には、こうした「精神的努力」がなくなっているように思えてならない。
 その意味で、皆さまの存在がどれほど光を放っていることか。どれほど根底から社会を安定させ、安全にさせていることか。
11  安穏は闘争のなかにある
 「宇宙」も「社会」も「人生」も、大闘争があってはじめて「安定」する。
 真の安穏は安逸の中にはない。安穏は大闘争の中にある。
 御義口伝には「難来るを以て安楽と意得可きなり」──(自行化他にわたる仏道修行をしていけば必ず難がある)その難の起きることが、じつが安楽の境涯を築いていけることを心得ていきなさい──と教えられている。
 使命を果たす。その行動の中に幸福はある。広宣流布の組織のなかで頑張り抜いてこそ、人生の真の安穏はある。広布の組織の活動から離れて、現代における真実の仏道修行はない。
 日蓮大聖人は、こう仰せである。
 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり」──今、日蓮および門下が南無妙法蓮華経と唱えて折伏していくその姿は、あたかも大風が吹いて(あらゆる草木をなびかせて)いくようなものである──と。
 虚空を渡る大いなる風のごとく、唱題を根本に、さわやかに行動したい。幸福の太陽の方向へ、人の心を動かしていきたい。時代を動かしていきたい。
12  東北の方々は、これまで本当に、よく頑張ってこられた。何ごとも、仕上げが大切である。人生も最後で決まる。
 「私は、これをやった」「これだけ歴史を残した」「こんなにも幸福の実証を示した」と自分自身で納得できる、完ぺきな人生の総仕上げをお願いしたい。
 福島の皆さん、お幸せに。福島の夜明け、おめでとう。

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