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日蓮大聖人・池田大作

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関東最高会議 仏教は「宗教的な教育運動」

1995.6.15 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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2  アメリカ・コロンビア大学の宗教学部長、サーマン博士に「ボストン二十一世紀センター」の代表がインタビューした。博士はハワイの東西センターでの私の講演(一九九五年一月、「平和と人間のための安全保障」のテーマで講演)でコメンテーター(講評者)を務めてくださった方である。
 インタビューの中で博士は「教育こそ人間生命の目的です」と強調されている。
 「教育の目的は、人間を型にはめることではありません。人間は、より高い生命状態、すなわち利己的でなく、知恵にめざめた状態に進歩できる存在です。真に自由で利他的で、他者と共感できる境涯になる。そういうチャンスが人間にはあります。これが人間という生命形態の真髄です」と。
 そのように成長するために人間に生まれたのであり、そのように進歩するための人生である。ゆえに「教育」こそが「人間」の証明なのである。
 博士はさらに述べている。
 「仏教こそが、本当の意味において教育的な教えです」「仏道修行のすべての目的は、個人を変革することであり、したがって、教育のプロセス(過程)の一部なのです」
 「私は仏教を主として教育的な運動と見ています。『宗教的な側面をもった教育運動』です」
 この観点から博士は、創価学会が「人間革命」という自己教育運動を推進していることを高く評価されている。
3  教育の目的は、個人の可能性を最大に開花させて幸福にすることである。仏法の目的も、個人の可能性を極限まで開発して絶対的幸福の境涯にすることである。その意味で、教育と仏法は表裏一体である。
 ゆえに、牧口先生(初代会長)は、教育を追究して仏法に至られた。私は仏法を根底にして人間教育運動を広げている。
 「教育」なかんずく「自己教育」を忘れて仏法はない。それを忘れて、自分の私利私欲のために仏法を利用したのが日顕宗である。
 創価学会は、自己教育を根本に、仏法の真髄を実践してきた。宗門は自己教育を投げ捨てて、仏法を食い物にしてきた。この違いは、実は、個人を大切にする平和主義と、個人を抑圧する軍国主義の違いにも通じている。
 サーマン博士は言われている。
 「個人の変革という意味の教育に対して、最大の敵は常に軍国主義です。国家は、軍国主義を用いて、このような種類の教育を封鎖し、教条的な教育に変えるのです。そこで作り出されるのは、考えもなく命令に服従し、隣人を殺す集団です」
 「個々の人間は貴重な資産です。社会の重要な役目は、その大切な資産を耕すことです。軍国主義は、その反対を行うのです」
 かつての日本も軍国主義であった。牧口先生、戸田先生は、その軍国主義に徹底抗戦された。宗門は軍国主義を支持し、その走狗となった。
 サーマン博士が言われるように、仏法と軍国主義は対極にある。宗門は、この意味でも、当時から、仏法の敵だったのである。
 そして今の宗門はもちろん、今の日本も、多くの指導者が真摯な自己教育を忘れ去ってしまった。放置しておけば、問答無用の抑圧的社会となり、衰亡していくことを憂うるのは私一人ではないと思う。
4  乱世ほど「基本」「原則」を大切に
 乱世である。乱世になればなるほど、原理原則が大切になる。右を見たり、左を見たりせず、不変の大道を歩むことが要求される。
 牧口先生は「行き詰まったら原点に返れ」と言われた。
 不安に振り回されたら、社会は自滅する。先が見えない時代だからこそ「不変の信念」を貫く人が信用されるのである。特に外国から見れば、はっきりわかる。不変の路線を行く創価学会の信用もそこにある。私どもは、仏法を根底に、厳然と文化・教育の道を進んでいる。「変わらない」強さが力なのである。
5  中国の春秋時代(前七七〇年〜前四〇三年)──麻のごとく乱れに乱れた社会であった。何が善で、何が悪かわからない。野蛮な暴力も横行していた。
 そんな社会で「不変の道」を求めて生きた人物がいた。孔子である。彼は、行動の人であった。身長が約二メ−トルという堂々たる偉丈夫であったという説もある。はちきれんばかりの生命力で、まっしぐらに「人間の道」を求めて走った。
6  ある時、彼は弟子の子貢に語った。
 「子貢よ、おまえは私を多くの学問を学んで覚えている、もの知りと思うかね」(以下、金谷治訳注『論語』岩波文庫等を参照)
 子貢は「そう思います。違うのですか」と、かしこまって答えた。
 孔子は言った。「違うのだ。私は、ひとつのことを貫いてきたのだ」(「れはいつもってこれを貫く」衛霊公えいれいこう編)
 貫いてきた「一つのこと」とは、「じょ」(忠恕ちゅうじょとも)であったという。今で言えば、真心、誠実、思いやりである。乱世の中で、彼なりに「人間愛」を原理原則として打ち立てようとした。彼は「戦う人間主義者」であった。
 孔子は仏法を知らなかったが、日蓮大聖人は、涅槃経を引かれて「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説なり外道の説に非ず」──世間一般の教えは仏法の眼から見れば、皆ことごとく仏の説く教えに連なるので、たんなる外道の教えではなくなる──と教えてくださっている。孔子の教えも仏法の一分なのである。
7  孔子「青年を名指導者に育てるしかない」
 孔子が本格的に青年の育成を始めたのは、六十八歳の時であった。それまで、乱世を救おうと天下を回ったが、自分の説を用いる国はなかった。
 孔子は思った。一国の盛衰は青年で決まる。青年を教育することで、世の中を救おう、と。
 彼は、人間は身分や出身で決まるのではなく、教育で決まるとした。これは、その後の中国の文化的伝統となった。
 故郷のの国へ戻った彼は、「門下三千人」と呼ばれる人材育成をした。その目標は「君子くんし」を育てることである。君子とは、今でいえば「名指導者」である。
 ちなみに、現在の大学での「教養」教育は、ヨーロッパの大学に起源がある。社会の指導者は、正しい判断をするために、若いうちに「人間」を学び、「生命」「人生」を思索しなければならないという考えがあったようである。
 ともあれ、哲学なき指導者をもった社会は、不幸である。
8  「指導者は先頭に立って働け。人々に安心をあたえよ」
 孔子のリーダー論に次のような問答がある。
 いつも元気な弟子の子路しろが聞いた。
 「先生、政治の心得は、どこにあるのでしょうか」
 孔子は答えた。
 「何ごとも人民の先頭に立って働け。そして人民を、いたわれ」(「これに先んじ、これを労す」子路編)
 自分が先頭に立って、不惜身命で働け。そして皆には安心を与え、その労苦をねぎらいなさい──これが孔子の指導者論であった。
 自分は楽をして人に働かせ、いばっているのは指導者ではない。それは「にせ指導者」であるというのである。
 また別の時、同じ子路が「君子(指導者)とは何か」をたずねた。
 孔子は言った。
 「自分自身をまずつくれ。人に対しては、謙虚に、慎み深くあれ」
 子路は「それだけですか?」と納得しない。
 それでは、と孔子は言葉を継いだ。
 「自分自身をつくり、人々を安心させよ」(「己れを修めて以て人を安んず」憲問編)
 子路はまだ満足しない。何だか単純すぎる気がする。もっとすごい教えはないのか──と思ったのかもしれない。
 「先生、それだけですか?」
 孔子はぴしりと言った。
 「自分自身を正しくつくって、民衆を安心させる。これは、ぎょうしゅん(中国の理想の王とされる)のような聖人でもむずかしかったのだ」と。
 ──「自分をつくれ」
 ──「人に安心を」
 簡単に聞こえるかもしれないが、これができれば指導者として最高なのだと教えたのである。
9  孔子が一番きらったのは「驕慢」であった。「いばる」ことである。
 「君子は心豊かで、いばらない。小人しょうじんはいばって、しかも、こせこせしている」と論じている。(「君子はゆたかにしておごらず。小人しょうじんは驕りて泰かならず」子路編)
 ある時、先ほどの子路と、孔子の一番の弟子・顔淵がんえんがそばにいた。孔子は彼らに言った。
 「どうだ、お前たち、それぞれ自分の希望(志)を言ってごらん」
 子路は言った。「自分の馬車や、いい着物や毛皮を友だちと共有し、それらが傷んでも気にしない。そういう(友情に厚い)人間になりたいものです」
 顔淵の希望は違った。
 「私は善いことをして傲らず、人に苦労を押しつけて迷惑をかけたりしない。そういう人間になりたいと思います」
 この顔淵の願いは、立派だが、まだまだ消極的とも言える。
10  宗教の「本物」「にせ物」を見破る英知を
 戸田先生は、「人のいやがることをしない」だけでなく、積極的に「人のためになることをせよ」と言われた。すなわち、「大白蓮華」巻頭言の「折伏について」で、こう述べられている。
 「孔子のいわく『おのれの欲せざるところを人にほどこす事なかれ』。この言は、外道の論議といえども、相当に味わうべき言葉である」(中略)「(その上で)吾人の主張するところのものは、他人の利益になるものをほどこせ、というのである。その人へ価値をほどこせというのである。吾人に、孔子のごとく言わしめれば、『他を利するものを、なんじはほどこせ』と叫ぶのである」
 それでは孔子の希望(志)は何だったのか。聖人と呼ばれた彼は、何を目指していたのか。
 「自分(孔子)は、年寄りには安心され、友だちには信用され、年少者にはなつかれたい」(「老者ろうしゃには安んぜられ、朋友ほうゆうには信ぜられ、少者には懐かしまれん」公冶長編)
 自分よりも目上の人にも、同輩にも、目下の人にも″ほっとした感じ″を与える。「あの人がいれば安心する」といわれるようになる。これが孔子の「志」であり、指導者論であった。
11  孔子の言行をまとめた「論語」は、全編これ指導者論である。
 日本でも古くから読まれてきたが、「人を喜ばせ、安心させよ」という孔子のメッセージは、日本の指導者に十分届いたとは言えない。かえって「論語」は、封建的な印象が広まり、「いばる指導者」の保身に使われてきた一面もある。
 孔子は言った。
 「えせ君子(偽善者)は道徳の盗人である」(「郷原きょうげんは徳のぞくなり」陽貨編)
 指導者として尊敬され、その地位を利用し、享受しながら、実際には指導者として何の貢献もしない。結果を出さない。指導者としての徳がない。そうであれば、地位を盗む盗人である。
 世の中には「宗教の盗人」もいる。宗教の名前だけ盗んで、自分の野望を実現しようとする。日顕宗がそうである。
 また「芸術の盗人」も、「学問の盗人」もいるであろう。
 しかし、「道徳の盗人」が多いからといって、道徳がいらないことにはならない。「芸術の盗人」が増えたからといって、芸術がいらないことにはならない。
 「宗教の盗人」が出てきたからといって、宗教がいらないことにはならない。当然の道理である。
 大切なのは「本もの」と「にせもの」を見破る英知の眼である。
12  牧口先生「宗教をもたない人は背骨がない」
 牧口先生は「宗教の違いは、金・銀・銅・鉛のような違いではない。金・銀・銅・鉛には、それぞれの使い道があるが、誤った宗教は百害あって一利もない。(宗教の違いは)薬と毒の違いである」と言われた。
 本物はどこまでも本物。にせ物は、どう飾っても、にせ物である。
 また牧口先生は、こうも喝破された。
 「宗教は人生の背骨である。宗教をもたないで生きるのは、背骨がなくて歩くようなものである。正しい宗教をもつことが、まっすぐの背骨をもつことになる」と。
 まことに偉大な先生であった。
 ともあれ「人間をつくる」ための宗教であり、組織である。組織は手段である。人間の成長が目的である。
 「弥弥いよいよ実なれば位弥弥いよいよ下し」──(天台大師は、説いている)その教が真実であればあるほど、より機根の低い民衆を救っていける──。
 これは「法」に関しての言葉であるが、敷衍して言えば、人間も立派に成長すればするほど、より多くの人を救える。指導者はその責任を自覚して、自分を教育し、成長しなければならない。
 自分が成長した分だけ、後輩も育つし、地域に広宣流布は広がっていく。
13  関東の皆さまは、これまで本当に苦労を重ねてこられた。いよいよこれから、そのご苦労が花開く時代となると確信する。
 そのためにも、派遣幹部をはじめ指導者は、一にも二にも「自分に厳しく」「人には安心を」と自覚していただきたい。
 ありとあらゆる知恵を使い、あたたかい言葉を使って、皆を安心させよう、喜ばせよう、希望を与えよう──と。その心が自分を光らせていくのである。
 お会いできなかった皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えいただきたい。
 「関東の夜明け」万歳と申し上げ、祝福のスピーチとしたい。

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