Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第八十九回本部幹部会、全国婦人部幹部会… 栄光の峰は「この一歩」の中に

1995.6.2 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

前後
1  社会の「宝の人」をSGIは輩出
 きょうは6・10「婦人部の日」を記念する「母の日」である。はじめに皆で「母」の曲を聴きたい。
 「母」の曲に対しては、各国の要人の夫人などからも、大変に素晴らしいとの感想をいただいている。ある有名な女性指導者は「毎晩、聴いています」と語っておられた。
 きょうは、韓国ならびに台湾の皆さまが、はるばると研修に来られている。本当にご苦労さま。この日本の地まで勇んで仏道修行に来られた、その心をたたえたい。まさに「心こそ大切なれ」である。
 韓国も台湾も、わがSGI(創価学会インタナショナル)の方々は素晴らしい活躍をされている。各界から絶大なる信頼を勝ち取っておられる。
2  昨日(六月一日)も、台湾の林理事長から、うれしい報告をいただいた。それは、台湾のSGIが内政部から栄えある「全国優良社会団体」として表彰されるというニュースである。これは、社会に貢献し、他の模範となる活動を行っている優秀な団体を顕彰するものである。
 台湾のSGIは、今年で四年連続の表彰となる。心から祝福申し上げたい。
 韓国のメンバーの健闘も、見事である。社会貢献の立派な人材が多い。
 まさしく世界をリードする前進とたたえたい。阪神・淡路大震災の折も、真心の援助を贈ってくださった。尊いこの行為を忘れることはできない。
 偉大なる韓国ならびに台湾の同志に、重ねて盛大な拍手を送りたい。
 アジアの平和を願ってやまなかった牧口先生、戸田先生も心から喜んでおられると私は信ずる。
3  高きをめざす「挑戦の人生」たれ
 韓国には、古くから庶民に愛されてきた「時調シジョ」という詩歌がある。
 その一つに「泰山たいざん」という有名な歌がある。泰山とは、古来より、高い山の代表とされる中国の山のことである。
 「よしや泰山の高くとも あめが下の山なれば
 登り登りて 極めえぬことのあるべき
 登る こころも持たずして
 高きをいとうはうたてけれ」(金思著『朝鮮のこころ』東洋書院刊)
 どんなに高い山でも、一歩、また一歩と地道に努力を積み重ねていけば、必ず登りきることができる。登ろうという心をもたず、山が高いことを、いやがるのは情けない──。
 大切なのは、山が高ければ高いほど勇み立つ「挑戦の心」である。
 韓国と台湾の皆さまは、幾多の「険難の峰」を越えて、今、見事な発展を遂げられた。その「世界の模範」の行進に心から敬意を表したい。
4  「偉大なる頂」「偉大なる目標」を目指してこそ、「偉大なる人生」を築くことができる。
 目先の小さなことのみを目指す人間は、それだけの人生で終わってしまう。
 「険しい山」に挑んでこそ、本物が鍛えられる。本当の力を発揮できる。達成した時の喜びも大きい。
 これこそ「広宣流布の大道」である。「創価学会の道」である。
 これからも、個人においても、地域においても、また、それぞれの国においても、二十一世紀の栄光の山々へ、勇んで、楽しく、愉快に進んでまいりたい。
5  大聖人の立宗宣言は、まやかしの宗教から民衆を解放
 日蓮大聖人が、末法万年に轟きわたる立宗宣言をされたのは、ご存じのように建長五年(一二五三年)四月二十八日のことである。
 この年の四月二十八日を今の暦である太陽暦に直すと、どうなるか。それはちょうど、きょう六月二日にあたる。それにちなんで、少々、お話ししたい。
6  立宗当時の日本の様相について、大聖人は、御書にこうしたためておられる。
 「されば今の日本国の諸僧等は提婆達多・瞿伽梨尊者くぎゃりそんじゃにも過ぎたる大悪人なり、又在家の人人は此等を貴み供養し給う故に此の国眼前に無間地獄と変じて諸人現身に大飢渇・大疫病・先代になき大苦を受くる上他国より責めらるべし、此れはひとえに梵天・帝釈・日月等の御はからひなり、かかる事をば日本国には但日蓮一人計り知つて
 ──今の日本国の諸僧らは、提婆達多や瞿伽梨尊者よりも悪い大悪人である。また在家の人々は、これらの大悪人を尊び、供養しておられる。ゆえにこの国は、目に見えて無間地獄と変わり、人々は生きた身のまま大飢饉や大疫病など、前の時代にはない大きな苦しみを受け、そのうえ他国から責められるであろう。これは、ひとえに梵天・帝釈・日月等の御はからいなのである。このような道理を、日本国では、ただ日蓮一人だけが知って──。
 深い、深い法理の上からの御言葉である。
 釈尊時代のインドの大悪人よりも悪い日本の聖職者、宗教界。それらを尊ぶ民衆。まさしく大聖人の立宗宣言は、「まやかしの宗教」の束縛から民衆を解き放つ戦いであられた。
 立宗宣言の一つの意義として、民衆が邪悪な宗教者らにだまされないで、賢く、強くなっていく「智慧の門」を厳然と開かれたと拝したい。
 ところが、この大法を実際に説くか、説かないか、大聖人は、迷い、悩んだと記されている。
7  すなわち説けば必ず迫害が巻き起こる。迫害にあって途中でやめてしまうのであれば、最初から説かないほうがいい。けれども説かなければ無慈悲となり、仏法に背いてしまう、と。
 そこで大聖人は「″我が身は、いかようにもなれ!″と思い切り、この法門を言い出した」と仰せになられた。
8  御書には続けて、こう記されている。
 「二十余年・所をおはれ弟子等を殺され・我が身も疵を蒙り二度まで流され結句は頸切られんとす、是れひとえに日本国の一切衆生の大苦にあはんを兼て知りて歎き候なり、されば心あらん人人は我等が為にと思食すべし、若し恩を知り心有る人人は二当らん杖には一は替わるべき事ぞかし
 ──(日蓮大聖人は立宗以来)二十余年、所を追われ、弟子等を殺され、我が身も傷をこうむり、二度までも流罪され、ついには首を切られようとした。これは、ひとえに日本国の一切衆生が大きな苦しみにあうことを、かねて知り、ふびんに思ってのことである。それゆえ、心ある人々は、(大聖人が大難を一身に受けていることは)「私たちのためである」と思うべきである。もし「恩」を知り、心ある人々であるならば、(大聖人が)二回、杖で打たれるならば、そのうち一回は代わって受けるべきではないだろうか──。
 大聖人が大難を一身に受けられたのは、すべて私ども民衆のためであられた。その事実を知るならば、せめて大聖人の半分なりとも、難を受けようと思うべきではないか、と仰せである。いわんや師弟であれば当然であろう。
 この御言葉には、実に深い意味があると私は思う。よくよく、かみしめていただきたい。
9  牧口初代会長「災難といっても大聖人の九牛の一毛」
 大聖人の御聖訓のままに、師子として立ち上がり、難に殉じられたのが牧口先生である。
 六月六日は、牧口先生の生誕の日。今年で百二十四周年。二〇〇一年には生誕百三十周年を迎える。その日を皆で盛大に迎えたい。
 昭和十六年(一九四一年)十二月、太平洋戦争の開戦直後に発刊された機関誌『価値創造』の第五号でも、牧口先生は大聖人の正義を掲げ、堂々と宗教革命、広宣流布を主張されている。日本がアジアへの侵略におごりたかぶり、真珠湾の奇襲に酔いしれていったころである。
 一方、この年に宗門は何をしていたか。彼らは弾圧を恐れ、国家神道に迎合して、御書を削除したり、勤行の御観念文を改変した。何と卑劣であろうか。何と卑怯なことであろうか。
 そのなかにあって牧口先生お一人が、厳然と叫ばれた。
 「出所の曖昧なる、実証の伴はざる(国家神道などの)観念論に従って、貴重なる自他全体(自分も他人も含めた社会の全体)の生活を犠牲にすることは、絶対に誡しめられなければならぬ」(「宗教改革造作なし」、『牧口常三郎全集』第十巻、第三文明社)
 教義の出所は明確なのか、あいまいなのか。教義の内容はどうか。そして実証はともなうのか、ともなわないのか。すなわち文証・理証・現証の上からどうなのか。牧口先生は、宗教の判断の基準を明快に示されている。
 国家権力は、この偉大な愛国者の牧口先生を、非道にも投獄し、迫害した。
 しかし、その獄中にあって先生は、家族へのお手紙に悠然と記されている。
 「災難と云ふても、大聖人様の九牛きゅうぎゅう一毛いちもう(たくさんの牛の中の一つの毛のように、わずかの意)です」(「書簡集」同全集第十巻)
 私もよく申し上げてきた。どんな悪口を言われても、どんな迫害を受けようとも、大聖人の命に及ぶ大難に比べれば取るに足らない難である──と。
 牧口先生は、こうも記されている。
 「大聖人様の佐渡の御苦しみをしのぶと何でもあません」(同前)
 偉大な先生であられた。
10  戸田第二代会長はともに牢獄へ、老体の師匠の無事を祈る
 そして、この牧口先生とともに、勇んで難を受けきられたのが戸田先生である。戸田先生は、獄中で何を祈っておられたか。それは、こうである。
 「わたくしは若い、(牧口)先生はご老体である。先生が一日も早く(牢獄から)出られますように。わたくしは(獄中生活が)いつまで長くなってもよい。先生が、早く、早く出られますように、と唱えた題目も、わたくしの力のたりなさか、翌年、先生は獄死されました」(昭和二十五年十一月十二日の講演「牧口先生七回忌に」、『戸田城聖全集第』三巻)
 牧口先生は七十三歳で亡くなられた。戸田先生は、師匠であられる牧口先生の死を、自分の祈りが足りなかったのであろうかとされている。自分を責めておられる。
 学会が難に遭って、他の弟子は牧口先生を恨み、ののしっていた。それが人間の心の一面であろうか。
 戸田先生お一人が、師匠とともに牢獄にお供できたと感謝し、ただ師匠の無事を祈られた。そのうえに、私の力不足だったかと自分を責められたのである。ここに創価学会の尊極なる師弟の真実がある。創価学会の永遠に失ってはならない真髄の魂がある。
11  私も第三代会長の命を受けてから本年で三十五周年。
 あの昭和三十五年五月三日。会長就任の式典を終えて帰宅すると、妻は私に言った。
 「きょうから、わが家には主人はいなくなったと思っています。きょうは池田家のお葬式です」
 その言葉通り、私は生命をなげうって働いてきた。戦ってきた。耐えてきた。ただただ法のため、師匠のため、会員のために。ただ一人、屋根となって学会を守り抜いてきた。
 一身をなげうったからこそ今日の世界的な広宣流布の大発展がある。これが学会の根本精神であることを、特に青年部の諸君に申し上げておきたい。
 大聖人の立宗の大精神が脈打っているのは、創価学会しかないのである。
12  戸田先生は、ご逝去を前に、こう叫ばれた。
 「まず、はらを決めよ! 決まったら、勇ましく進め!」(『大白蓮華』昭和三十三年一月号巻頭言)
 広宣流布の大闘争に生きゆく人生には、感傷も、甘えも、逡巡もない。我らは心強き師子である。何ものをも乗り切っていく精神闘争で使命を果たしてまいりたい。
13  民衆を尊敬できる人が偉い
 さて話を変えたい。釈尊は人々に対して、どのような言葉遣いで接したのか。
 当時、バラモン教の社会では、相手の身分・階級に応じて、言葉遣いを変えるのが常であった。
 例えば、人に呼びかける時、階級が最も高いバラモンには、「おいでください」と丁重な言葉を使った。それに対して、庶民には、「来なさい!」という命令口調だった。今の日本と同じである。
 私は財産がある。学歴がある。地位がある──そういう傲慢な気持ちで、すぐに尊き庶民を見くだす。民衆の「公僕」が、尽くすべき民衆を愚弄し、踏みつける。何という転倒であろうか。
 この転倒を正し、本当の民主主義の社会にしようとしているのが、我々である。民衆こそ尊い。民衆こそ主人である。牧口先生、戸田先生も無名の庶民をそれはそれは大切にされた。
 釈尊は、すべての人を平等に敬った。相手の地位や階級で、態度を変えることなどなかった。
 新しく教団に入ろうとする人に対しても、「おいでください」という最も丁重な言葉遣いで応じたのである。
 創価学会も平等である。
 日本の旧弊では、上の人にお世辞を使い、下の人には、いばる。創価学会の精神は、その反対である。役職が下の人にこそ最大の礼を尽くすべきである。
14  ベートーヴェンは、相手が貴族であろうと、主張すべきは主張し、自分の芸術を尊重しない人間には、毅然たる態度を示した。
 地位がなんだ! 肩書がなんだ! 民衆のために、社会のために一番、働いている人間が一番、偉いのだ──。これが、ベートーヴェンの揺るぎなき誇りであった。皆さまも、この信念で堂々と前進していただきたい。
15  釈尊の「七つの慈愛の施し」
 仏典には、財力などによらずして人に尽くしていく方法に七つある、と説かれている。
 第一に「眼のほどこし」。常に慈愛の眼差まなざしをもって接することである。
 「あれは、どうなっているの!」とか、いつも皆をにらんで追いつめるような幹部であってはならない。
 第二に「顔の施し」。しかめっつらではなく、にこやかな顔つきで接することである。
 だからといって女性がいつも「笑顔」「笑顔」では、知性を疑われてしまう。そういう場合がある。また女性は特に男性に対しては、毅然とした面が必要であろう。
 第三に「言葉の施し」。荒々しい言葉ではなく、優しい言葉で語りかけることである。
 皆がほっとして、心が明るくなるような言葉遣いでありたい。
 第四に「身による施し」。身をもって尊敬の態度を示すことである。
 特に幹部は会員の方々と接する時には、最大に礼儀正しく振る舞うべきである。
 一方、正義の敵に対し、悪に対しては、断固たる態度で戦わなければならない。
 大聖人は「瞋恚しんには善悪に通ずる者なり」と仰せである。怒るべき時には怒らねばならない。
 臆病で、悪とは戦わず、反対に、包容すべき同志を叱るような幹部は、あまりにも卑劣である。
 大切な同志が喜び、胸を張って生きられるよう、会員を守って堂々と叫び、戦うのがリーダーの使命である。
 第五に「心による施し」。善き心をもって他人と接し、善きことをしようと努力することである。
 言葉や態度だけではいけない。そこに「心」がこもっていなければならないということである。
 第六に「座による施し」。つまり、他人のために座席を設けて座らせてあげることである。
 たとえば、遠くから会合に来た人を「どうぞ前へ」「こちらでゆっくりしてください」とねぎらう心配りなども、これに通じるといえよう。
 第七は「住居による施し」。自分のところに来た人を家の中に入れてあげることである。「よくいらっしゃいました」「どうぞお入りください」と。
 自宅を会場に提供してくださっている方々こそ、この通りの、まことに尊いお姿であろう。
16  また釈尊は、門下にこう呼びかけている。
 「身体によって善行を行なえ」
 「ことばによって善行を行なえ」
 「心によって善行を行なえ」と。(『ブッダの真理のことば・感興のことば』中村元訳、岩波文庫)
 この、身口意しんくい三業さんごうにわたる善の実践をしているのが、わが同志である。
 ゆえにリーダーは、会員に対して、怒ったり、怒鳴ったりしては絶対にならない。仏子を粗末にすることは、仏法を粗末にすることであり、謗法に通じる。
 相手のために厳しく言わなければならない場合も、祈りきった、相手を思う本当の慈悲のうえからの言葉でなければならない。
17  釈尊は語っている。
 「他人の過失を探し求め、つねに怒りたける人は、煩悩の汚れが増大する。かれは煩悩の汚れの消滅から遠く隔っている」(同前)
 人の欠点を見つけては、批判ばかりしている──そういう人は結局、自分自身が醜い生命にむしばまれ、自分自身を卑しくする。最後には、自分が苦しむことになる。
 反対に、皆を心から励まし、育てた人は、その分だけ、すべて自分の福徳となる。周りの人や後輩が「諸天善神」の働きとなり、自分を守ってくれるようになる。
 これが仏法の因果の理法である。
 友に「安心」を与えたい。「希望」を与えたい。それが真のリーダーの心である。あの人がいれば、皆が明るくなる。身も心も軽くなる。そう慕われるリーダーであっていただきたい。
18  「わが道」を走り通してこそ幸福が
 本日は、無冠の友の代表も参加されている。
 皆さまは、一番大変で、一番地道で、一番我慢強く、それでいて、一番朗らかで、一番の幸福者であり、一番の勝利者である。
 私も少年のころ、新聞配達をした。無冠の友のつらさも楽しさも、痛いほどわかる。
 私は、雨の日も、雪の日も、寒い日も、暑い日も働いた。苦労はあったが、すがすがしい空気、朝日が昇りゆく荘厳さ、仕事が終わった後の爽快感は何ものにもかえがたかった。
 体が弱い私が今まで生きてこられたのも、一つは新聞配達の「鍛え」のおかげだと思っている。
 無冠の友は、人よりも早く起きて働いた分だけ、さまざまな経験をされる。そして、それを自身の人生に生かすことができる。素晴らしい生き方である。
19  さらに、韓国、台湾、アメリカ、オーストラリア、ブラジル、チリ、ホンジュラス、フランス、インドなど海外各国の求道の友が集われている。遠いところ、本当にご苦労さま。
 これからも私たちは、兄弟・家族のように仲良く、守り合い、励まし合いながら、末法万年の「広宣流布の旅路」を、素晴らしき「人生の旅路」を生き抜いてまいりたい。
 きょうは、ご苦労さま。ありがとう! またお会いしましょう!

1
1