Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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関西第1回青年部記念総会 時代は「信念の人」を待望

1995.5.21 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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1  ″私は「生まれかわった仏教」の興隆を喜ぶ″
 第一回の関西青年部記念総会、おめでとう。夜来の雨も見事に上がった。(拍手)
 これまで多くの指導があったと思うので、私は気楽な気持ちで懇談的に語り合いたいと思う。
 今から二十五年前。私は、ヨーロッパ統合へ大きな役目を果たしたリヒァルト・クーデンホーフ・カレルギー伯と対談のひとときをもった。
 (対談は、一九七〇年〈昭和四十五年〉の秋、東京で三回、延べ十数時間にわたって行われた。その三年前の一九六七年、博士が来日した折に初の会見がもたれた)
 文明論、指導者論と多岐にわたった内容は、「サンケイ新聞」にも連載(一九七一年二月〜八月)され、後に同社より対談集『文明・西と東』にまとめられた。
2  カレルギー博士は、仏教への期待を、こう語っておられた。(『文明・西と東』聖教文庫。以下、引用は同書から)
 「私も、仏教をたいへん深く尊敬しています。なぜかといいますと、世界のあらゆる宗教のなかで、理念的にも、歴史のうえでも、仏教だけが唯一の平和的な宗教だからです。
 仏教は、人間の進歩にとって、そしてとくにあすの太平洋文明の形成にとって、非常に大きな役割りを果たすことになるでしょう」と。
 時代は、その通りに動いている。一流の方は、何事もきちっと見ておられる。
 博士は、EC(ヨーロッパ共同体、一九九三年よりEU〈ヨーロッパ連合〉)の生みの親とされる碩学であられた。太平洋文明の将来へも確かな視座をもっておられた。偉大な「人類の知性」であられた。
3  博士は、こうも言われた。
 「宗教の退廃は、今日、世界的問題です。そして他の宗教が全部衰退しているとき、日本では生まれかわった仏教が興隆しつつあることを知って、たいへん喜ばしいことだと思っているのです」
 宗教の退廃──。宗教とは、何のためにあるのか。本当の宗教は、どこへ行ったのか。
 博士の炯眼は、名ばかりの宗教の欺瞞を見破っておられた。そして博士は、旭日のごとき学会の興隆に大きな希望を抱かれたのである。(拍手)
 博士は、一九七〇年の来日中に京都を訪問され、京都のメンバーとも懇談された。博士にとって、印象深い旅だったようである。
4  青年よ、堂々たる「自己形成」を
 そのカレルギー博士が、青年への信頼を込めて語っていたことが忘れられない。
 「人類の未来は、明敏な頭脳が主導権をにぎる世界となるだろうと思います。
 したがって、現在の学生たちが明日の世界を決定づける指導者となるのであって、彼ら自身は、その自覚に立って、未来に向かって自己形成し、準備をするべきだと思います」
 青年は、自己形成を怠ってはならないと博士は遺言されたのである。
 頭脳も心も人格も鍛えなければならない。
 知識だけで「人間」が置き去りにされれば、社会は、どんどん誤った方向へ進むであろう。人格形成を根本に均衡のとれた人間形成が必要なのである。
5  対話の中で、博士は、青年を育成する一つの方法として、次のような提案もされた。
 「たとえば、青年男女を訓練して、二千人から一万人のグループに組織し、地震などの災害救助活動に乗り出すのです。
 そして、仮に、世界のどこででも地震が起きたら、その救済のために、これらの青年男女を飛行機で現地へ派遣します。
 これが実現すれば、全世界の青年たちにとって、すばらしい目標となるでしょう」
 青年は、行動の中でこそ成長する。こうおっしゃりたかったのであろう。
 今日の国際的な救援活動とは比較にならない時代であったにもかかわらず、博士の提案は、現代に必要不可欠な指針を示しておられた。
 関西の青年部の皆さま方は、阪神大震災にあっても、偉大なる活躍をなされた。皆さまの気高き献身の行動に対し、私は改めて心からたたえ、感謝申し上げたい。
 救援活動の中で発揮された諸君の強靭な人格。迅速な行動。細やかな心遣い──まさにカレルギー博士の期待通り、期待以上の姿であったと思う。
 この点ひとつとっても、学会が、どれほど「正しき軌道」を歩んでいることか。時代の先端を開いていることか。
 そして、大震災という困難を乗り越えている皆さまの中から、二十一世紀を担いゆく、明敏にして、強靭なる指導者が育っていることを私は感じる。
 苦労をしないで、わがままに、自分の好きなように生きても、結局は、迷走飛行のように無軌道の人生となっていく。自分が幸福にならないばかりか、人の幸福をも壊してしまう。恐ろしいことである。
 青年は、絶対に厳しき自己形成が不可欠である。
6  歴史を残せ! 「広宣流布の闘士」の名を
 四十年前(昭和三十年<一九五五年>)の五月、雨天をついて集い来た一万人の青年部員に、戸田先生は、こう呼びかけた。(『戸田城聖全集』第四巻)
 「願わくは、諸君は教学に、信心に、自己の鍛錬に、いっそう励んでいただきたい」
 自己の鍛錬とは、自分の職場にある。生活の中にある。さらに先生は「そしてよき広宣流布の闘士として、末代にまで、自己の名を歴史に残していただきたい」と。
 きょう集われた関西青年部の皆さまもまた、「歴史に残る」一人一人であられる。
 その意味で、私は本日の参加者全員の名簿を、海外の佳き地に永久保管することを提案したい。(拍手)とともに、この総会の意義をとどめる植樹を、ドイツ総合文化センター、アメリカのフロリダ自然文化センター、サンパウロのブラジルSGI自然文化センターで行ってはどうだろうか。(拍手)
 将来、大きく育ったそれらの木を、諸君が、また諸君のご家族が誇らしく見に行かれることと思う。
7  ともあれ、「青年部は、広宣流布の闘士として、名を後世に残しゆけ!」──これが恩師の遺言であった。この戸田先生の心に、京都の草創の青年部も立ち上がった。
 既成宗教の都であり、「日本でいちばん広宣流布が困難であろう」と言われた京都である。
 その地で、これだけ正法を弘め、広宣流布の基盤を築かれた。必ずや日蓮大聖人が御称賛であり、その功徳は限りなく大きいと信ずる。(拍手)
 あの「威風堂々の歌」も、京都から始まり、世界を風靡した。(当初、京都地区歌であった)
 四十年前に誕生し、今なお愛唱される″名曲″である。私は「京都はさすがである」とたたえたい。京都の同志の尊き功績に応えたい。(拍手)
8  悪世に「先陣」を切ってこそ
 大聖人は、妙法比丘尼への御手紙の中で仰せである。
 「武士の習ひ君の御為に宇治勢多を渡し前を・かけなんどして・ありし人は、たとひ身は死すれども名を後代に挙げ候ぞかし
 ──武士の習いとして、主君のために、宇治川・瀬田川の急流を渡る際に先陣をかけたりした人は、たとえ身は死んでも名を後の代に挙げたのです──。
 宇治川・瀬田川(瀬田川が京都の宇治市近辺に入ると宇治川と名が変わる)の一帯は、古来、京都をめぐる攻防戦の要所であった。そうした戦いで先陣を切った人は、たとえ死んでも名を残したと。
 「日蓮は法華経のゆへに度度所をおはれ戦をし身に手をひ弟子等を殺され両度まで遠流せられ既に頸に及べり、是れひとえに法華経の御為なり
 ──(それに対し)日は、法華経のゆえに、たびたび所を追われ、襲撃を受け、傷を負い、弟子等を殺され、二度までも遠島に流罪され(伊豆流罪、佐渡流罪)、すでに(竜の口で)頸まで斬られようとしました。これは、ひとえに法華経のためのことです──。
 世間の主君のために戦い、名を上げる人もいる。それに対し、私どもの師である宗祖大聖人は身命に及ぶ数々の大難にあわれた。ひとえにこれは法華経のため、すなわち「広宣流布のため」であると。
9  さらに、こう仰せである。重要な教えである。
 「法華経の中に仏説かせ給はく我が滅度の後・後の五百歳・二千二百余年すぎて此の経閻浮提えんぶだいに流布せん時、天魔の人の身に入りかはりて此の経を弘めさせじとて、たまたま信ずる者をば或はのり打ち所をうつし或はころしなんどすべし、其の時先さきをしてあらん者は三世十方の仏を供養する功徳を得べし、我れ又因位の難行・苦行の功徳を譲るべしと説かせ給う
 ──法華経の中で仏(釈尊)は次のように説かれています。「私(釈尊)が亡くなったのち、後の五百歳、すなわち二千二百余年が過ぎて、この法華経が全世界に広宣流布する時、天魔が人の身に入り代わって、この法華経を弘めさせまいとして、たまたま(法華経を)信じる者に対し、あるいは罵り、暴力を振るい、住む所を追放し、あるいは殺すなどのことをするであろう。その時、まず先陣を切って戦う人は、三世十方の仏を供養するのと同じ功徳を得るであろう。私(釈尊)もまた(その人に)仏になるために私が行じた難行・苦行の修行の功徳を譲るであろう」と説かれています──。
 大聖人は御本仏であられるにもかかわらず、必ず経・論・釈を引かれる。「釈尊がこう説いた」「天台がこう論じた」「伝教がこう述べた」等と。常に、だれもが納得できる明確な文証の裏付けを出される。文証がなければ自分勝手なつくり話といわれてもしかたがないであろう。日顕宗の邪義がそうである。
 法華経の行者が迫害され、命をねらわれる悪世。その時に「先陣」を切った広宣流布の闘士は、「全宇宙のあらゆる仏を供養したのと同じ功徳」を得る。「釈尊の難行・苦行の修行の功徳」をすべて譲り受ける。こう大聖人は御断言されているのである。
 生々世々、どれだけの大功徳を得るか──。満々たる大福徳の境涯となることは断じて間違いない。そうでなければ、仏法は、うそである。
 日蓮大聖人に直結して戦う青年部。そして「世界の関西」の青年部の皆さんである。
 広宣流布に先陣を駆ける福徳は無量無辺であることを確信し、威風堂々たる人生を生き抜いていただきたい。(拍手)
10  崇高な「信念の人」と輝け
 教育が目指すべきリーダー像とは何か。初代会長・牧口先生は、こう論じておられる。
 ──紛糾し、錯綜する社会にあっては、道徳的に立派であるというだけでは足りない。
 「現在の社会の波瀾に打ち勝って行ける丈の人間を造り上げなければならぬ」(『地理教授の方法及内容の研究』、『牧口常三郎全集』第四巻)
 そして「如何なる方面にでも活路を開拓して進行することの出来る」人間を育てたい──と。
 社会での大闘争に打ち勝てる人間をつくらねばならない。ただ、もの静かで、一見、人格者のような、可もなく不可もない生き方しかできない人間でどうするのか。必要なのは「信念の人」である──これが牧口先生の教えであった。また戸田先生の行動であった。信念。本当に信念があるならば、信仰ゆえに、いかなる苦しき迫害にあおうとも微動だにしてはならない。堂々と自己の信念を表明し、信念に殉じていけばよいのである。弁解したり、愚痴をこぼしたり、恨んだり、ごまかしたり──そんな生き方は信念の人生ではない。
 どんな状況からも、活路を切り開いていける人間を育てたい。これが牧口先生の″結論″であった。ここに教育の目的があり、信仰の真髄がある。
 「知恵と信念のリーダーよ出でよ」。これが時代の要請である。
 そうしたリーダー像の一例として、ローマ帝国の「五賢帝時代」にふれておきたい。
 これは、一世紀末からほぼ百年間、五代の名皇帝による安定した統治が続いた期間。西欧では″人類の最も幸福な時代″と讃える人もいる。とくに五代目のマルクス・アウレリウス(一二一年〜一八〇年)は、慈悲と寛容に富んだ、英邁な君主として知られる。
 ところが、この哲人皇帝の時代、ローマ帝国は、思わぬ混乱に見舞われた。他民族による攻撃。川の氾濫や地震など、さまざまな天災。ペストによる疫病では、人口の四分の一以上もの尊い人命が奪われた。あげくの果てに、信頼していた臣下が裏切り、反乱を起こす。
 読書や思索にふけることが好きであった、この哲人皇帝は、苦労を一身に背負って、戦いに明け暮れねばならなかった。
 何という運命か──。しかし、波乱万丈の人生にあって、彼は毅然と、こう叫ぶ。
 「『なんて私は運が悪いんだろう、こんな目にあうとは!』否、その反対だ、むしろ『なんて私は運がいいのだろう。なぜならばこんなことに出会っても、私はなお悲しみもせず、現在におしつぶされもせず、未来を恐れもしていない』である」(『自省録』神谷美恵子訳、岩波文庫)
 これは不運ではない。幸運なのだ。なぜなら、恐れず、押しつぶされず、打ち勝とうとする「強き自分」があるのだから──と。
11  一念を鍛えるのが信仰、強ければ人生を楽しめる
 人生の困難を不運とみるか幸運とみるか、それは、わが「一念」の鍛えで決まる。心ひとつで、人生は朗らかに大遊戯できる。
 何があろうと、全部、「さあこい!」「待っていたんだ!」「望むところだ!」と、すべてを楽しんでいける「自分」になることである。人生を遊び戯れるごとく、悠々と生きられる「心」へと鍛えていくことである。
 そういう、強く、広々とした「一念」をつくるための私どもの信仰なのである。
12  戸田先生は「社会に信念の人を」(『戸田城聖全集』第三巻)と題して、こう述べられた。
 ──きちんと出来あがっているように見えて、何となくもの足りない日本。何となく底が浅い日本。そのうつろさ、空虚さを、どう打ち破るか。
 原因は「人」にある。一人一人が「生き生きとして、はちきれるような生命力」に輝くことだ。「信念の人」をつくることだ。
 そのためには「正しい宗教によって生命力を強める以外にはない」。そして、人々は知るべきである。「悪い宗教は生命力を弱め、正しい宗教は生命力を強める」ということを──と。
 また、戸田先生はよく語っておられた。
 「御本尊を信じ、人生を生ききっていけ! これが一切だ。いくら愚痴をこぼしていても、つまらぬ事でくよくよしても、どうしようもないではないか。御本尊に題目をあげて、自分の境遇で、自分の立場で生ききっていけ!」と。
 ″どうして、こんな場所に生まれてきちゃったのかな″──親に文句を言ってもしかたがない(笑い)。″もっと気楽に暮らせるところはないかな″──あるはずがない。
 この世は、娑婆世界である。堪忍の世界──耐え忍ぶべき世界である。
 どこへ行こうと、生きる苦しみは避けられない。避けられないなら、乗り越えるしかない。乗り越えるしかないのだから、楽しく、勢いよく生きよう。頑張り抜こう。題目をあげ抜いていこう。そういう「強い自分」をつくる以外に幸福はないのである。
 「信念の人生」──諸君もどうか、諸君自身が選んだこの使命の道で、立派な大満足の人生を建設していっていただきたい。
13  釈尊「真実によって虚言に勝て」
 ある時、釈尊は門下に語った。
 「真実によって虚言にうち勝て」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波文庫)と。
 うそ、ごまかし、反感や嫉妬からの偽り──これらの「虚言」に対して、真実によって打ち勝たなければならない。
 「真実」ほど強いものはない。しかし今は、真実が歪められ、打ち負かされてしまいがちな時代である。まさに「末法」である。政治、経済、そして社会のあらゆる分野で、この「転倒」による行き詰まりが起きている。
 われわれが、この空虚な「うその社会」を、人間らしい「真実の社会」に変えていく以外にない。真実に立脚し、真実を勇敢に語り抜いて。
14  スコットランドに「言わぬと損する」ということわざがある。
 黙っていないで、気さくに、快活に対話を広げたほうが楽しいし、得である。
 私の尊敬する友人の一人に、ガルブレイス博士がいる。ハーバード大学の名誉教授で、現代の代表的な経済学者である。大変背が高く、だれもが見上げるような長身である。博士のご自宅にもおうかがいし、お茶をごちそうになりながら、種々、語らいを交わしたことも思い出深い。(一九九三年九月、ボストン近郊の博士宅を訪問)
 博士の先祖もスコットランド人である。博士は『スコッチ気質』という本を書いているが、その中で次のようにつづっておられる。
 「理路整然たる知恵者と、空理空論を弄する饒舌家との差は、ほんの紙一重なのだ。スコットランド人の理想は、知恵を有用な目的に利用し、知恵の知恵たる所以を証明できる人間だった」(土屋哲訳、河出書房新社)
 ガルブレイス博士ご自身も「知恵の人」である。
 私の尊敬する、スコットランド・グラスゴー大学のマンロー博士もまた、「知恵の人」である。
 何を知っているかではない。長くしゃべればいいのではない。知恵で人を幸せにしたかどうか、価値を生んだかどうかである。
15  「虚栄の社会」を変革、「本物」が光る人間社会へ
 ここで、ハイネの詩を紹介させていただきたい。
  鐘の音も坊主の祈りも、
  いともかしこき議会の布令も、
  カノン砲も百ポンド砲も、いまやまったく役には立たぬぞ、君たち!
  時代遅れの弁論の
  言葉の綾に効はない。
  三段論法でねずみはつかまらぬ、
  気取った詭弁なぞひょいと跳びこえる。
   (「放浪ねずみ」、生野幸吉・檜山哲彦編『ドイツ名詩選』所収、岩波文庫)
 ″一見、立派そうに見えて、危機の時には何の役にも立たないもの、見せかけだけのもの″をハイネは笑い、風刺している。
 たとえば「坊主の祈り」。民衆を見くだし、虚勢を張り、偉ぶって、信者に服従を強要するエセ聖職者がいる。
 そのような悪党の祈りが何の役に立つか。皆、同じ人間ではないか。
 また「時代遅れの弁論」や「気取った詭弁」など信じてはいけない。彼らは何もわかっていないのだ──と。
 大聖人は、″悪人にたぶらかされるな″″たぶらかされるな″と、繰り返し門下に教えておられる。
16  また、女子部の皆さまには、ハイネの次の詩を紹介したい。
  瞳はまるで碧いすみれ
  頬はまるで紅い薔薇ばら
  手はまるで白百合しらゆりの花。
  どの花も競うて咲いた。
  しかし──こころは腐っていた。
   (「瞳はまるで碧い菫」、『ハイネ詩集』〈片山敏彦訳〉所収、新潮文庫)
 外面を美しく飾っても、華やかに脚光を浴びても、心が腐っていては、何になろうか。
 何かふわふわとしていて、つかみどころがない、確かな価値観のない時代。今の日本には、本当の人格の輝きも、本当の幸福の実感も、本当の素晴らしい人生のドラマも少ない。薄っぺらな「虚栄の時代」ではないだろうか。
 この風潮を、一つ一つ改革し、着実に「本物の時代」をつくっているのが女子部の皆さまである。最も尊い方々なのである。
 有名でなかろうが、華やかでなかろうが、「心」の清らかな人が幸福である。その人が勝利者である。
 全宇宙の仏・菩薩が皆さま方を守りに守っている。絶対に、不幸になるわけがない。絶対に一人も不幸になってはならない。
 この確信で朗らかに生きていただきたい。
 きょうは、日曜日にもかかわらず、遠くからご苦労さま。本当にありがとう。また、お会いしましょう。(拍手)
 関西青年部、頑張れ!
 (京都平和講堂)

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