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日蓮大聖人・池田大作

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中部・北陸代表者会議 「感動の人生」を、そのために勇気を

1995.5.18 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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1  インドから「世界桂冠詩人」賞
 第百回の中部訪問をさせていただき、心より感謝申し上げたい。(拍手)
 中部は強くなった。素晴らしき時代を迎えた。待望の「中部国際婦人会館」も本年、立派に完成する予定である(=十二月二十日に落成)。新センターとなる「中部池田記念会館」も着々と打ち合わせが進んでいる。
 中部は「日本のヘソ」といわれる。中部は日本の中心であり、数多くの天下人を輩出してきた。
 御書に「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」──「法」が最高に素晴らしいゆえに、その法を持つ「人」が貴い。人が貴いゆえに、その人のいる「所」が尊い──と。
 中部に「妙法」が栄えゆく今、「人材」も輩出され、「国土」も豊かに栄えていくにちがいない。どうかさらに団結の前進をお願いしたい。(拍手)
 ご承知のように、このたびインドの「世界詩歌協会」から、同協会初の「世界桂冠詩人」賞の通知をいただいた。(=「聖教新聞」五月二十七日付。協会のスリニバス会長から通知書が届けられた。このニュースは中部の「中日新聞」「名古屋タイムズ」でも報道された)
 仏教発祥の地インドは、詩情あふれる「精神の大国」である。釈尊も、我が生命をすり減らす思いで、民衆に限りなき励ましの言葉を贈った。ある意味で、大「桂冠詩人」であったといえるかもしれない。そのインドからの受賞(一九九五年八月八日)は、まことに光栄である。
2  ラマチャンドラン博士「恐怖を追放せよ 希望の灯を守れ」
 インドの詩といえば、本年一月、一冊の立派な詩集をいただいた。
 インド創価学会(BSG)の名誉会長であるラダクリシュナン博士の恩師ラマチャンドラン博士の詩集である。
 その中に、「母」と題する美しい詩がある。
  母は、私たちすべてのために、ただ一心に
  満月のように、優しい光を注いでくれた
  私たち一人一人の人生の あらゆる道を照らしてくださった
 母の優しさ、慈悲深さを、満月に譬えて、しのばれている。
 私には健気に戦う学会の婦人部の皆さまの姿が浮かんでくる。
3  ラマチャンドラン博士は、インド独立の父、マハトマ・ガンジーの直弟子であられる。本年一月、その尊い生涯に幕を閉じられた。
 (一九八八年一月七日、池田名誉会長は博士の名を冠した栄誉ある「ラマチャンドラン賞」を受賞)
 その追悼として、弟子のラダクリシュナン博士から届けられたのが、この詩集である。どこまでも師匠を思う心の強さを感じる。では、ラマチャンドラン博士がガンジーから受け継いだ精神とは何であろうか。詩集では、こう歌われている。
  ともかく、あなたは屈服してはならない
  忍び寄る恐怖の闇に
  闇の暗い顔の前で、ドアを閉めよ
  そして、あなたの心から追放するのだ
  私は、私の勇気を萎えさせない
  そして あなたの中、あなたの心の奥にある希望の灯を
  過ぎる風に吹き消させはしない
  あなたは、あなたが思っているよりも尊貴なのだ
  あなたが感じているよりも、はるかに勇敢なのだ
  あなたの中には、まだ発見されない力がある
  やがてそれは勢いよく、命の上に、ほとばしるに違いない
4  優しく、また力強い″励ましの詩″である。師匠が弟子に語りかけるような──。
 戸田先生は、よくおっしゃっていた。
 「よき弟子になったとき、師弟が定まる。師弟とは弟子の自覚の問題である」と。
 師匠を求めて、弟子が懸命に成長していくとき、生命と生命、魂と魂は響き合い、秘められた限りない力が開かれていく。
 若き日、私は中部の盤石なる未来を思い、戸田先生に和歌を捧げた。(昭和三十二年二月)
 「いざや起て いざや築けと金の城 中部の堅塁 丈夫勇みて」
 その返歌として先生は詠まれた。
 「いざや征け 仏の軍は恐れなく 中部の堅塁 立つは楽しき」
 弟子の戦いに師が応える──この師弟の魂を打ち込んでつくられた中部であることを忘れないでいただきたい。(拍手)
5  トルコの国民的歌手マンチョ氏を迎えて
 私の大切な友人にトルコの国民的歌手のバルシュ・マンチョ氏がいる。氏は先日(五月五日)、「5・5創価学会後継者の日」の未来部の大会にも友情出演してくださった。
 この日の演奏は、日本全国の子どもたちにとって素晴らしい贈り物になった。大変な反響であった。
 マンチョ氏は、十代の少年少女に対しても、いささかも子ども扱いしない。未来の指導者として尊重し、熱唱してくださった。その誠実な魂が、若き友の心を一瞬にしてつかんだ。力強く揺さぶり、忘れ得ぬ感動を刻んでくださったのである。
6  トルコ建国の父、ケマル・アタチュルク初代大統領は、教育に心血を注いだ。初代大統領は語った。
 「学生は、年齢に関係なく、未来の大人として尊重され、遇されなければならない」
 マンチョ氏は、まさに、この言葉どおりに青少年の人格を大切にしておられる。
 また、初代大統領は、こうも語った。
 「人生における最大の喜びと幸せは、未来の幾世代の栄誉と幸せのために働くことにのみ見出される」と。
 マンチョ氏の喜びもまた、そうであるにちがいない。
 学会も、焦点は、すべて二十一世紀である。その夜明けをしっかり見すえて、青年の育成に、さらに総力を挙げて取り組んでまいりたい。
7  マンチョ氏の故郷イスタンブールは、東西文明の十字路。アジアとヨーロッパを結ぶ懸け橋として栄えてきた。
 独創的な地理学者であった牧口先生(初代会長)は、今世紀初頭、自著『人生地理学』の中で、イスタンブールを″社会、文化、経済における、世界に開かれた一大中心地″として高く評価しておられた。
 九十年以上も前に、牧口先生は「一世界民」の自覚をもって「世界万国を隣家」として交流しゆくことを訴えられた。
 「吾人(=私)は生命を世界にかけ、世界をわが家となし、万国を吾人の活動区域となしつつあることを知る」(『牧口常三郎全集』第二巻、第三文明社)とも記されている。
 マンチョ氏は、有名な「ふるさとは『世界』」の曲で、こう歌っておられる。
 「おまえさん、お国はどちら?」「世界さ 僕のふるさとは」
 「いやいや、わからなかったね 本当のところ出身はどこだい?」「だから言ったじゃないか 世界さ 僕のふるさとは」(細川直子訳)
 私も、二十年前、SGI(創価学会インタナショナル)発足の会議(一九七五年一月二十六日、グアムで第一回「世界平和会議」が開催)で、署名の国籍欄に「世界」と記したことを懐かしく思い出す。
 私どもも牧口先生の後継として、「一世界民」として、「世界」をふるさとに、「世界」を見つめながら、心広々と前進してまいりたい。
8  感動させる秘訣「つねに自分らしく生きること」
 「後継者の日」に、未来部の代表がマンチョ氏にインタビューした。その中に、こんなやりとりがあった。(「聖教新聞」一九九五年五月七日付参照)
 ──私もマンチョさんのように、人の命に響く声で、みんなを勇気づけてあげたいと思います。命に響く声を出す秘けつを教えてください。
 マンチョ氏は、こう答えた。
 「むずかしい質問です……。(人を感動させる)秘けつは常に自分らしく生きているということだと思います。私は父に、そして母に、『いつも自分自身でありなさい。自分らしさを常にもっていなさい』と言われて育ちました。
 それが一番大事だと思います。自分が自分らしく、あなたが、あなたらしくある、その時に、はじめて感動を得られるのです。また人の心を動かせるのです。
 常に自分らしさ、あなたらしさを忘れないでください」
 自分も感動し、人にも感動を与える人生。そのためには、「心」が生きていなければならない。「心」が燃えていなければならない。
 そのためには、「自分自身に生きる」勇気が必要になる。このことは戸田先生もよく言われていた。「自らの命に生きよ」と。
 「自分自身に生きる」ためには、右を見たり、左を見たりせず、虚飾にとらわれない「強さ」が必要である。
 借りものや、ものまねでなく、自分の頭で考え、自分の責任で行動する「信念」が必要である。
 正しい軌道の上を努力し抜いていく「哲学」と「精神の自由」が必要である。
9  「日本人には『自分』がない」と、よく言われる。ゆえに、芸術も、政治も、教育も、経済も、すべてが薄っぺらで地に足がついていない、と。
 日本人の精神の、この空虚さをいち早く指摘した一人に、明治の文豪・森鴎外がいる。鴎外は小説「青年」の中で、こう書いている。(仮名づかいは現代表記に改めた)
 「いったい日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先きには生活はないのである。
 現在は過去と未来との間に画した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである」(岩波文庫)
 「いつか」ではない。「今」、この時を完全燃焼せずして真の人生はありえない。
 先のばしせず、「今」「ここ」で、自分の人生の意義を見つめ、考え、最も大切なことを実行しなければならない。心を燃やし、命を燃やして。そうでなければ「感動の人生」はない。
10  鴎外は小説『妄想』(『鴎外全集』8所収。以下、引用は同書から)では、こう書く。
 「生れてから今日まで、自分は何をしているか」
 「自分のしている事は、役者が舞台へ出て或る役を勤めているに過ぎないように感ぜられる。その勤めている役の背後に、別に何物かが存在していなくてはならないように感ぜられる」
 「舞台監督の鞭を背中に受けて、役から役を勤め続けている。この役が即ち生だとは考えられない。背後にある或る物が真の生ではあるまいかと思われる。しかしその或る物は目を醒まそう醒まそうと思いながら、又してはうとうとして眠ってしまう」
 「本当の自分」を生きることができず、常に、あてがわれた「役」を演じ続ける空虚さ。鴎外の言葉は、時代を超え、現代の多くの日本人の心の風景を鋭く言い当てているように思える。
 「何のため」という目的もわからず、良い学校へ、良い会社へ、より良い生活へと、いつも鞭打たれ、駆り立てられている。しかし、心はむなしい──。
 日本人は人の目を気にしすぎ、「世間体の奴隷」となっているといわれる。
 有名なケーベル博士も、日本人の最大の欠点のひとつを「虚栄心」と指摘した。
 ケーベル博士は、明治時代に東京帝国大学の哲学教師として来日したドイツ系ロシア人。長く日本に滞在し、多くの優れた随筆も残した。
 自分をごまかして生きているから、いつも心の底はむなしい。むなしいが、人生を真剣に省みることなく、「いつか、この先に真の人生があるだろう」と思っている。あるいは、むなしいゆえに、そんな自分を見つめることを怖がっている。
 そうしているうちに老いて、死んでしまう──。
 これでは、いったい何のために生まれてきたのか。自分も感動しない。人も感動しない。「生きながらの死」とはいえないだろうか。
 ゆえに、「自分自身に生ききる」哲学が必要なのである。
 人生は、あっという間に過ぎる。多くの人は、風潮に流され、流行を追い、「真の生」に目覚めないうちに終わってしまう。
 「何のため」という根本の哲学をもった皆さまこそ、命が打ち震えるような「感動」のある日々を生きられるのである。自他ともの人間革命──広宣流布こそ最高のロマンである。
 マンチョ氏が未来部の子どもたちのために歌ってくださった中に「熊」という曲がある。その一節は、こうである。
 「私の目的は 人生の困難な道について 子どもたちに学んでもらうこと
 誰にも もぎ取られちゃいけないのさ 考える頭も 行動する手も」
 「考える頭」と「行動する手」を失って、権威・権力に従順に生きれば、楽かもしれない。しかしそこには感激がない。進歩がない。喜びがない。充実がなく、幸福もない。
11  私どもは行動する。身口意の三業で広宣流布へ戦う。名聞名利等の「八風」にたぶらかされず、″仏法は勝負″の修行を貫く。そこに仏界は涌現する。
 日寛上人は「法華経を信ずる心強きを名づけて仏界と為す」(六巻抄二二㌻)と。
 大事なのは「信心」である。役職でも、学歴でもない。格好でもない。
 「信心」強きゆえに「仏界」の力が出る。「信心」強きゆえに、動乱の社会にあって、学会は厳然として揺るがない。学会こそ、民衆の「安心の灯台」なのである。
 その誇りを胸に、最高の「人間の道」「信念の道」を、ともに堂々と進んでまいりたい。
 百一回目の訪問を、お互いに楽しみにしたい。きょうは、ありがとう!
 (中部文化会館)

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