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日蓮大聖人・池田大作

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第88回本部幹部会、第13回中部総会 自分らしく、自分の使命を

1995.5.17 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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2  ゲーテに、こんな言葉がある。
  人間の努力にはさまざまある、
  不安と不満にもさまざまある。
  またいろいろの宝や
  好ましい楽しみも与えられている。
  だがこの世の一番大きな幸福と
  一番豊かな獲物は
  善良な快活な心です。
   (『ゲーテ作品集』1,高橋健二訳、創元社)
3  ──「人間の努力にはさまざまある」と。
 健康への努力もある。ダイエットする努力もある(爆笑)。
 「何のため」の努力なのか。
 健康で、一家を繁栄させていく努力。社会にどう貢献するかという努力。いかにして広宣流布を成し遂げるかという努力。こうした「善の努力」か。
 反対に、人をごまかし、人をおとしいれようとするような「悪の努力」か。
 同じ「努力」でも、その違いは大きい。ゆえにゲーテは「人間の努力にはさまざまある」と。
 また人間には「いろいろの宝や 好ましい楽しみも与えられている」。
 月給が上がった。おいしいものを食べた。恋愛をした。いい服を着た。高いお化粧をした。ダイヤを買ってもらった(笑い)──さまざまな楽しみがある。
 「だがこの世の一番大きな幸福と 一番豊かな獲物は」何か。それは「善良な快活な心」であると。これが文豪ゲーテの結論であった。仏法にも通ずる見方である。
 私どもでいえば、最高に「善良で快活な心」──それは「信心」である。
 「信心」があれば、何があろうと「善良で快活な心」で生き抜ける。これ以上の宝はなく、幸福はない。どんな財宝があろうと、心が邪悪で暗ければ、こんな不幸はない。
 ゲーテといえば、このほど私は世界初の「世界桂冠詩人」賞をいただくことになった。
 (インドの世界詩歌協会から贈られるもの。同協会の首脳・関係者全員の賛同で決定された=一九九五年八月八日、インド・マドラスで受賞)
 皆さまの代表として、皆さまのために受けさせていただく。(拍手)
4  山本周五郎の『武道無門』──臆病な青年の話
 ここ中部は古来、天下の行く末を決してきた。ドラマあふれる天地である。
 作家山本周五郎氏の小説にも三河国(現在の愛知県東部)岡崎藩を舞台とした作品が多い。
 戸田先生は、彼の小説をよく読んでおられた。彼には、庶民的で、人情の機微を描いた作品が多かった。先生は、そうした微妙な「人の心」を描いた作品を見逃さなかった。
 その一つに『武道無門』という短編がある。気が小さく、皆から「臆病者」呼ばわりされている青年の物語である。
 主人公は二十八歳の青年武士・宮部小弥太。彼は武士に似合わず、度胸がなかった。他人のけんかを見るだけで体が震えた。まして、自分から戦いを挑んだり、責任ある立場につくことなどとうてい考えられなかった。いつも逃げ回ってばかりいた。
 そんな性格を変えたいと、いろいろ努力をしてみたが、結局あきらめざるをえなかった。
 ″自分は今のままでいいんだ。責任ある立場は、自分には似合わない。ひっそりと目立たず生きていけばいい″──そんなふうに、自分に言い聞かせていた。
5  しかし、そんな彼がある時、主君・水野忠善に抜擢された。水野忠善は、岡崎藩の英邁な藩主として知られる。
 大胆な忠善は、自ら商人に姿を変え、隣国の尾張藩の拠点・難攻不落の名古屋城を偵察することを思い立った。その随行の二人のなかに小弥太青年を選んだのである。
 指導者には、すべての人を生かそうという心が大事である。表面の姿だけで判断したり、自分の狭い見方で「あの人はだめだ」と決めつけてはいけない。どう、その人の長所を見つけ、引き立てるか。そこにこそ指導者の力量があり、芸術がある。
 ″なぜ自分のような者が、そんな大事な役目を命じられるのか″──小弥太青年はとまどった。
 もちろん、断るわけにはいかない。言われた通り、彼も商人に扮して、名古屋城へと忠善のお供をすることになった。
 その道中のことである。
 小弥太青年は、そわそわと落ち着かず、奇怪な行動を繰り返した。時々、ふいと姿を消してしまうのである。けれども、いつも数十分ほどたつと、ふらっと戻ってくる。
 名古屋城下に入っても、夜になると抜け出してどこかへ行き、またそっと戻ってきた。
6  そうこうしているうちに、三人は名古屋城に着いた。しかし偵察をしているところを見つかってしまう。
 ″さあ、引き揚げよう!″──けれども、右も左もわからない他国の城の真っただ中である。
 またたく間に、群がる敵に八方ふさがりへと追い込まれてしまった。
 万事休す! その時である。あの小弥太青年が「わたくしが御案内を致します」と言うや、一目散に駆け出した。
 小道から小道へ、狭い路地から横町へ、自信に満ちた足取りで、するすると抜けていった。
 そして一軒の店に入り、三頭の馬を引いて出てきた。「早く、殿、早くこの馬に!」
  三人は馬に乗り、無事に逃げおおせることができた。
7  その時、藩主・忠善は、はっと気がついた。小弥太青年が道中、たびたび姿を消して何をやっていたのか。その意味を知ったのである。
 彼は万一の場合に備えて、逃げ道、抜け道をそっと調べ、馬の手配までしていた。
 自信にあふれた豪勇の人間であれば、前に進み、攻めることしか考えないかもしれない。人一倍、慎重な彼だからこそ、そこまで細かく心を砕き、準備することができたのである。
 ″人間にはなんと多くの、それぞれの道のあることだろう″──忠善はつくづくと思い知った。
 そして忠善は小弥太青年を登用し、責任ある立場を与えた。
 弱気な小弥太青年は、また悩み、辞退しようとするが、夫人の聡明な激励に、″自分らしくいこう。自分らしくいけばいいんだ″と心を決める。
 夫人の励ましは大切である。そして、夫人の温かな笑顔に送られて、彼が颯爽と岡崎城に向かうさわやかな場面で、小説は終わる。
8  「あなたしかできない使命」がある
 戸田先生は、青年によく言われていた。
 「自分の性格を卑下する必要はない。また、無理に直そうとする必要もない。信心を貫いていけば、それはやがて美点に変わっていく。自信をもって、自分らしく生き抜いていきなさい」と。
 御書には「須弥山に近づく鳥は金色となるなり」)──須弥山に近づく鳥は金色になるのである──と仰せである。
 創価学会は、仏法のために働き、広宣流布をなしゆく地涌の勇者の集いであり、仏意仏勅の団体である。
 この学会とともに進む人は、その姿のままで、心も、智慧も、福徳も金色に輝いていく。自分らしく、人間としての価値を最大に発揮できるのである。
 信心の世界に「特別な人」などいない。また、そのような人は必要ない。皆、同じ「人間」である。人間以上の人間などいるはずがない。
 かつて、日達上人は「末法には『貴人』などおりません。法主だから特別だとか、僧侶だから偉いとか、そんなことは決してありません」と明確に言っておられた。
 華やかではなくとも、広宣流布の世界の中で自らの使命の道を黙々と進んでいく人。その人こそ「偉大な人」である。
 だれもが、自分にしか果たせない大切な使命をもっている。ゆえに、すべての人を大切にし、すべての人に光を当て、皆が存分に活躍していけるようにするのが信心の世界であり、創価学会の世界なのである。
 皆で一緒に、そして自分らしく、堂々と「広宣流布の山」を登ってまいりましょう!(拍手)
9  「無冠の友」の「偉業」に感謝
 この会場にも、また全国各地の会場にも、聖教新聞の配達をされている尊き「無冠の友」が参加されている。
 毎日毎日の偉大なる健闘に対し、全学会員を代表して心から感謝申し上げたい。(拍手)
 ゲーテは言っている。
  わたしは我慢ができなくなると
  地球の辛抱づよさをかんがえる。
  地球は毎日毎日くるくる廻り
  毎年毎年大廻りをしているそうな。
  わたしにだってほかにどういう仕方がある?
    (『手富雄全訳詩集』1、角川書店)
 この地球の運行のごとく、毎日毎日、そして毎年毎年、広宣流布の最も価値ある「自転」と「公転」を続けておられるのが、我が「無冠の友」である。
 日本全国の配達員の方々が、毎朝、聖教新聞を配るために歩き、移動される距離を合計すると、いったいどれくらいになるか?
 なんとそれは、毎朝、地球を十六周する距離にも及ぶという。まことに壮大にして、崇高なる一日一日の大偉業である。
10  人間・ブッダ。かの釈尊も、朝早くから外に飛び出して、自らの足で、歩きに歩いた。
 自分から勇んで外に出る。それが釈尊の一日の始まりであった。当時は、裸足である。釈尊の足は、ものすごく大きかったとも言われている。
 人を動かすのではなく、まず、自分から動く。自ら率先して行動する。それでこそ人は信頼し、動き出すのである。それを、自分はうまくやって楽をして、人を動かそうとしても、必ず行き詰まる。そんな、ずるさが長続きするはずがない。
 こんなエピソードも伝えられている。(『ブッダ 悪魔との対話』中村元訳、岩波文庫を参照)
 ある朝、釈尊は、まだ仏教を信じていないウダヤというバラモンの家に足を運んだ。バラモンは、当時のインド社会で最も高い階層である。托鉢──鉢を持って食事の供養を受ける修行である。この行動を通して、仏縁を結ばせたのである。
 広宣流布の活動も一次元から言えば、「仏縁を結び」「仏縁を広げる」活動である。私も、これまで、日本中、世界中を回りに回ってきた。あらゆる人、あらゆる国に仏縁を広げてきた。
 次の朝も、釈尊は彼の家に足を運んだ。また、その次の朝も。
 三日目のことである。ウダヤは、釈尊に言った。
 「くり返しやって来るとは、しつこい奴だな!」
 この悪口に対して、釈尊は、「くり返すこと」の意義を悠然と語った。
 ──たとえば農夫は、「いつもくり返し」種を播き、「いつもくり返し」田畑を耕して、収穫をするではないか。
 また、天は「いつもくり返し」雨を降らし、大地を潤すではないか。
 また、仔牛も「いつもくり返し」母に近づいて育っていくではないか、と。
 これが道理である。
 スポーツでも、芸術でも、大切なのは、基本をくり返すことである。「くり返し」のなかで鍛えられるのである。
 仏道修行においても、「いつもくり返し」善根を積みゆく人が、素晴らしき福徳の大境涯を得ることができる。
 「くり返し」「くり返し」善根を積んでいく──まさに「無冠の友」の行動である。その福徳は無量であり、生々世々に自身を飾っていくことを確信していただきたい。
 釈尊はさらに説いた。
 同じ「くり返し」でも、愚者は、いつも苦しみと迷いの生死をくり返す。だからこそ、仏法によって、智慧を豊かにし、悪道の輪廻を断ち切っていくのだ──と。
 「悪のくり返し」を断ち切り、「善のくり返し」へと転じていかなければならない。
 はじめは、釈尊のことを「しつこい奴だ!」と罵っていたウダヤも、この釈尊との対話によって、ついに仏法を信仰する決意をした。
 仏典には、こうした多くのドラマが述べられている。
11  きょうも、そして、あすも。また、きょうも、そして、あすも。
 「自ら動こう」「自ら出会おう」「自ら語ろう」
 これこそ、釈尊の行動であった。ここにこそ人間としての正道があり、真実の仏法者の誉れがある。
 これが、創価学会の「前進のリズム」である。釈尊と同じであり、根本の日蓮大聖人と同じ方程式で学会は進んでいるのである。
12  絶対無事故で!──全員が幸福に
 私は「無冠の友」のお一人お一人の無事故、健康、ご長寿を、祈りに祈っている。これからも祈っていく。同志の皆さまも、祈っていただきたい。
 百回目の訪問となった、ここ中部での第八十八回本部幹部会ならびに第十三回中部総会の開催を改めてお祝い申し上げたい。(拍手)
 先ほども紹介した通り、全国では、「聖教新聞」の配達員の方々の大会が元気に行われる。毎日、本当にご苦労さまです。(拍手)
 この会場には、愛知、岐阜、三重、石川、富山、さらに信越の代表の方々、海外からイギリス、オーストラリア、ブラジルの方々が参加されている。また、日蓮正宗改革同盟、憂宗護法同盟の代表も来られている。
 中部池田青年会館には、本日結成された青年部の各種人材グループ、お世話になっている役員の皆さま等、約二百五十人が集われている。
13  また全国では、各地で記念の集いが行われる。沖縄研修道場には台湾の代表が、東京の戸田記念国際会館には在日SGI(創価学会インターナショナル)メンバーの代表が集われる。
 今回から衛星中継が開始されるのは、大阪・豊中平和会館、和歌山池田文化会館、滋賀池田文化会館、三重・伊勢池田文化会館、広島・世羅会館である。
 また、役員の創価班、城会、白グループ、白樺グループ・白樺会、設営グループ──中部では「炎の会」、SHN(SGIヒューマンネットワーク)、サテライト・グループ、守る会、デザイン・グループなどの皆さまに感謝申し上げたい。(拍手)
 このほか、全国の各会場の皆さま、本当にご苦労さまです。(拍手)
 私の願いは、ともかく全員が幸福になっていただきたいということである。
 信心を貫き、立派な社会人として、強く生き抜いていけば、幸福になっていくことは間違いない。
 これからも私は、広宣流布の道を開くために、日本と世界を駆けていく。ここ中部にも、近い将来、百一回目の訪問をしるしたい。(拍手)
 どうか皆さまも、それぞれの広布の舞台で存分に活躍していただきたい。すべて自分のためである。その活動のなかで自分を鍛えるのである。そうして強くなった分だけ、自分が得である。
 全国、世界に向かって「わが中部を見よ! 中部ここにあり!」との気概で進んでいっていただきたい。こう念願し、記念のスピーチを終わりたい。
 きょうは本当にありがとう。ご苦労さま!
 (中部文化会館)

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