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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表幹部会 二十一世紀へ「人格の輝き」を!

1995.4.11 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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2  桜に包まれた、ここ東京牧口記念会館で、きょうは初代会長・牧口先生をしのび、少々お話しさせていただきたい。
 昭和五年(一九三〇年)、牧口先生は『創価教育学体系』の第一巻を出版された。
 当時は、世界大恐慌の嵐が吹き荒れ、経済の不況は深刻。時の総理大臣・浜口雄幸が狙撃されるなど、騒然たる時世であった。今の世相と似ている。軍国主義の暴走も始まっていた。
 「立正安国論」には仁王経の文を引かれ「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る」と。
 その混迷のなかで、牧口先生の慧眼けいがん、鋭い洞察力は、すべて「人間」に光を当てておられた。
 仏法の哲学を根底に「人間」をつくり、「人間」を育てることを、すべての機軸とされ、根本とされた。
 政治も経済も宗教も、″人間をつくる″ことを忘れれば必ず行き詰まる。「人間」に焦点を当てるしかない。「人間」をつくる以外にない。人間をつくる根幹が「教育」である。
 私は二十数年前、「私の人生の最後の仕事は教育である」と宣言した。そして全力を注いできた。
 牧口先生も教育者であった。戸田先生も教育者であった。私は弟子である。ゆえに牧口先生、戸田先生のおっしゃった通りに、私は進む。
3  デンマークの「教育の師弟」の戦い
 さて、この『創価教育学体系』の序文(緒言)(『牧口常三郎全集』第五巻、第三文明社)で牧口先生は、十九世紀のデンマークを大きく復興へ導いた二人の教育者に言及しておられる。
 それは″デンマーク復興の父″グルントヴィ(一七八三年〜一八七二年)。もう一人は、その若き後継者コル(一八一六年〜七〇年)である。この二人については、よく戸田先生も話してくださった。
 ナポレオン戦争で、デンマークはイギリスに敗退。荒廃した国土にあって、二人は「人間をつくる」教育の聖業に、不滅の足跡を残したのである。
 二人は、庶民がだれでも平等に、生き生きと勉強できる学校をつくりたいと考えた。そこで創設されたのが「国民高等学校」である。
 「国民高等学校」は″民衆の大学″と呼ばれる、開かれた学びの場である。
 この学舎が、手づくりでデンマークの各地に創立され、民衆教育を普及させた。それが国土を蘇生させ、復興させる大きな力となった。
 学会は、現代の開かれた「民衆の大学」である。今、私は、これをつくり続けている。五十年先、百年先、どれほどすごい大樹になることか。私は、その先見の決意をもって、手を打っているのである。
4  広宣流布は長い長い戦いである。末法万年への行進である。楽しく、悠々と進んでいきたい。皆を疲れさせたり、苦しめては絶対にいけない。
 会合も短く、少なく、価値的・効果的に行うべきである。学会の会合は「八時半終了」と決まっている。その後も、すぐに解散して、十分に休むことである。
 朝早くからの会合や早朝勤行も、それで皆がくたびれてしまっては何にもならない。リーダーは愚かであってはならない。無慈悲であってはならない。
 皆が毎日、健康で、ゆとりをもって、楽しみながら前進できるよう、幹部は責任をもって実行していただきたい。
5  デンマークの民衆教育の原点となったグルントヴィとコル。二人の名は、日本ではあまり知られていないかもしれない。しかしデンマークの人々が、今でも深く深く敬愛してやまない存在である。(グルントヴィとコルについては、オヴェ・コースゴール、清水満編訳『〈フォルケホイスコーレ〉の世界』新評論を参照)
 牧口先生は、小さな島国・日本を大きく見みおろし、常に世界の第一級の知性の人、良識の人に目を向けておられた。その一点だけからも、戸田先生が牧口先生を、こよなく大事にされた心が、よくわかる。
 牧口先生は、この二人の業績の本質、急所をつかんでおられた。
 同じく戸田先生も、物事の急所をつかむ達人であられた。戸田先生の、あの鋭さ──朝も、晩も、時には夜中まで薫陶していただいた最第一の弟子として、私はだれよりも知っている。
 牧口先生は、二人の闘争に、ご自身と戸田先生の闘争を二重写しにしておられた。たしかに彼らの信念の歩みは、牧口先生、戸田先生の姿と響き合っている。
6  教育で権威主義と戦う
 二人のうち、師匠であるグルントヴィは、宗教の権威から徹底的に攻撃され、いじめられた人である。私もそうである。
 彼は、もともと牧師であったが、宗教の独善や狂信が大嫌いであった。
 彼は叫んだ。「まず人間であれ! それから宗教者であれ!」と。
 (博士論文の題は「まず人間であれ、それからキリスト者であれ」であった)
 何よりも「人間」として、「人間」らしく、「人間」のために生きていく──そのための宗教である。また、そこに真の世界観、幸福観、社会観の基本がある。すべては、ここから始めなければならない。
 どこまでも「人間のため」。学会の強さも、ここにある。そこに根本を置くゆえに、私は何があっても動じない。
 皆さまも、この一点を忘れないでいただきたい。位の上下ではない。有名、無名ではない。
 本来、すべての人間が尊いのである。皆、十界互具・一念三千の当体である。仏の当体である。
7  グルントヴィは主張した。宗教は民衆のためにこそあると。彼は一貫して「民衆の側」に立った。
 それが当時の聖職者や知識階層の逆鱗に触れた。自分勝手に彼らは怒った。グルントヴィは迫害を受けた。ひとたびは聖職も奪され、著作は十数年にわたって検閲された。
 けれども彼はまっこうから戦った。人間の自由・独立・尊厳を破壊しようとする「言論の暴力」と。民衆を侮辱する「驕り高ぶった者たち」と。
 彼には「人間」としての誇りがあった。戦いのなかで、彼は狭い宗教の枠を悠然と乗り越えた。そして、信仰を土台とした「人間文化」「民衆文化」を創出していった。
 彼は、まさに先駆者であった。牧口先生と同じように。
8  彼は願った。「庶民を聡明にしよう!」「庶民を勇敢にしよう!」「庶民を雄弁にしよう!」と。
 現代にも通じる信念である。
 聡明──学歴イコール聡明ではない。だれもが賢くならなければならない。
 勇敢──決して卑屈な人間をつくってはならない。
 雄弁──スコットランドに「言わなければ損だ」ということわざがある。一部の話がうまい人、有名な人だけがしゃべって、あとの人は、ありがたく拝聴する。もうそんな時代ではない。
9  名声でなく権力でなく「野良着の哲学者ソクラテス」こそ偉い
 グルントヴィの理念と闘志を受け継いだのが、青年教師コルであった。師より三十歳以上も若い弟子であった。
 コルも、さまざまな批判、妨害を受けた。先駆者であるゆえに。
 女性に大きく教育の機会を開いたのも彼であった。名誉や財産など、かなぐり捨てて、庶民の中に入っていった。そういう指導者は今はいないかもしれない。
 彼は一生涯、質素な作業着で、青年との対話、庶民との対話、人間との対話を続けた。その姿は「野良着(作業服)のソクラテス」と慕われた。
 だれが本当に偉い人か。これを見極める人になっていただきたい。
 確固たる哲学をもち、大地に足をつけ、誠実な対話で「人間と人間の連帯」をつくっていく。その人が偉大なのである。
 「民衆の中で揺るぎない信頼を得た人」こそ、偉いのである。軽薄な人気や一時の流行など幻にすぎない。
 この立派な若き後継者コルがいたからこそ、デンマークの民衆教育は見事に花開いたと、牧口先生は見ておられた。そして、その姿を、そのまま愛弟子である戸田先生に重ねられたのである。
10  師弟の魂から「創価教育の光明」が
 当時、戸田先生は三十歳。
 牧口先生は、『創価教育学体系』の大著は戸田青年の全力の献身によって完成した。ありがたい弟子であると感謝されている。
 (「戸田城外君は多年の親交から最も早い理解者の一人とて、その自由なる立場に於ける経営の時習学館で実験して、小成功を収め其の価値を認め確信を得たので、余が苦悶の境遇に同情し其の資財を抛って本学説の完成と普及に全力を捧げんと決心し、今では主客転倒、却って余が引摺られる態になったのである」〈「緒言」、『牧口常三郎全集』第五巻〉)
 さらに、戸田先生の著作『推理式指導算術』を評し、この戸田青年の先駆と実証があったからこそ、「創価教育学の前途に一点の光明」を認めることができる、と言われた。
 戸田先生は、すべてを捧げて牧口先生を守り、その偉大さを証明された。
 その戸田先生を私もまた、すべてを捧げて守り通してきた。これが私の「永遠の誇り」である。
 師弟──この道に生き抜くところにこそ、「人間」としての誉れがある。
11  大著『創価教育学体系』。今や、その真価が世界で証明される時代になった。
 ブラジル・サンパウロ市の州立校では、牧口先生の「創価教育学」に基づく教育プロジェクトが、今春から正式に導入された。
 (サンパウロ州立「カエタノ・デ・カンポス」スクールの小学校部全二十クラスで今年〈一九九五年〉二月から授業がスタート。それに先立ち、親・子・教師が共同で植物の栽培などを行った結果、すでに児童の成績に著しい向上がみられたとの反響があった。〈=一九九六年九月現在、『創価教育学体系』は、英語、ポルトガル語、ベトナム語、フランス語、スペイン語版が発刊されている〉)
 ブラジルのクリチバ市では、牧口常三郎公園(=一九九六年六月十四日に開園)、戸田城聖通りがつくられることになっている。
 牧口先生、戸田先生を、私は世界に宣揚している。
 創価大学、アメリカ創価大学、(東西の)創価学園をつくり、札幌、香港、シンガポール、マレーシアに創価幼稚園をつくり、今また、アメリカ創価大学の第二キャンパスの開設をオレンジ郡(カリフォルニア州)に進めている。
 全部、原点は、牧口先生、戸田先生である。師弟の道の実践なのである。
12  牧口先生、戸田先生の心を心として、私は、ヨーロッパへの第一歩を、このデンマークから踏み出した。一九六一年(昭和三十六年)のことである。
 北極付近の上空を、大月天が皓々と照らしていた。忘れ得ぬ光景である。そして、デンマークの首都・コペンハーゲンに降り立ったのである。
 (飛行機の到着は、十月五日午前十時五分。快晴の日であった)
 ここから始めます──恩師をしのびながら、私は誓った。動いた。
 (第一回の欧州訪問は、デンマークをはじめ、西ドイツ(当時)、オランダ、フランス、イギリス、スペイン、スイス、オーストリア、イタリアの九カ国を歴訪。各国に平和の種を植えていった)
 今、そのデンマークにも、幾多の地涌の菩薩の同志が活躍している。本日の会合にもデンマークから代表が参加してくださった。本当にうれしい。
13  「ナチスと戦う力」を育てた民衆教育
 デンマークの民衆教育の土壌がいかに素晴らしいものであったか──それを証明する事実にも触れておきたい。具体的な「事実」をあげて話をすれば、皆が納得できる。そのように話すのが指導者の責任だからである。
 デンマークの人々は、第二次世界大戦中、狂気のごとく襲いかかったナチスのホロコースト(大量虐殺)から、多くのユダヤ人の生命を守った。この歴史は有名である。
 (デンマークは一九四〇年四月九日、ナチスの侵攻を受け、四五年まで占領下に置かれた)
 デンマーク人は、教師も、医者も、漁師も、タクシーの運転手も、皆がそれぞれの立場で、ナチスに追われるユダヤの人々を懸命にかくまい、助けた。その数はじつに七千二百人に及ぶという。
 こうした寛容にして崇高な人間性を育んだ源流に、牧口先生がいち早く注目されていた「デンマークの民衆教育」があった。
 これが「人間教育」「民衆教育」の力である。特別なエリート教育が社会を良くするのではない。エリート教育だけでは、一方で民衆を不幸に陥れることになりかねない。
 デンマークの二人の先人による「精神の啓発」は、一世紀を経て、見事な光彩を放ったのである。
14  「人間」をつくり、「人間」を育てること。それはまさしく「歴史」をつくり、「歴史」を育てることである。地味ではあるが、これほど確かな大偉業はない。
 牧口先生は『創価教育学体系』の中で、「人格」の重要性をとくに強調された。
 どんな時代の乱れにあっても、権力者の圧迫を受けようとも、低次元の連中から嫉妬され、陥れられようとも、真実の「人格」の人は、必ず最後には民衆の尊敬を勝ち取ることができる。
 深い哲学をもった「人格」を築きゆくところにこそ、「勝利の人生」がある。
 これが牧口先生の主張であり、創価教育学の核心である。
 『創価教育学体系』の発刊から六十五年。今、学会員一人一人がそれぞれの地域にあって、″人間性の柱″″希望と安心の灯台″になられている。
 何があろうと、学会は盤石である。厳然と行進している。牧口先生、戸田先生がどれほど喜んでおられるか。
 いよいよ、二十一世紀の大舞台へ、「人間の輝き」を放ちながら、私どもは仲良く、愉快に、堂々と前進してまいりたい。(拍手)
 最後に、皆さまに、心から「ご苦労さま」、心から「ありがとう」と申し上げ、私のスピーチを終わりたい。お元気で!
 (東京牧口記念会館)

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