Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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4.2記念代表者勤行会、「第二東京の日… われらほど「富める者」なし

1995.4.2 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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2  近年でも、(南アフリカ共和国の)マンデラ大統領は、じつに二十七年半の獄中闘争である。
 信念のためなら、勇んで牢獄へもいく。迫害を誉れとして生き抜いていく──そのくらいの「深い人生」「強い人生」を築かなくては、真の指導者の資格はない。
 当時、先生のご家族はどうであったか。戦争中で、一家の柱の先生は罪人。当然、いじめられる。
 今まで「戸田先生」「牧口先生」と言ってきた同志も、みんな裏切っていった。これが人間の心である。
 信用できる人間なのかどうか──。結局は、その人が死んだあとに初めてわかると言えるかもしれない。
 それほど、人の心はわからない。私も、どれだけ、だまされ、裏切られてきたか。
 そういうなかで戸田先生は″精神を豊かにしよう″と。そして″力強くしよう″と。太陽のほうへ、太陽のほうへと一念を向けようとしておられる。
 何かあると、すぐ紛動され、臆病になる。太陽が当たらない陰のほうへ隠れていく。そんなわびしい日陰の人間になってはならない。
 また″温かく生きよう″″明るく生きよう″″愉快に生きよう″と。
 牧口先生は、近代人の多くは「高等精神病」であると喝破された。病める精神ではいけない。不幸である。
 病み、滅亡に向かう社会の中で、戸田先生は、何があっても「明るく」「朗らかに」生きようと励まされたのである。
 さらに″丈夫に生きよう″──健康に生きよう。″将来あるようにと毎日、奮闘しよう″と。
 どんな時でも、「もう行き詰まった」「これでおしまいだ」などと思ってはならない。将来があるのだ。そのために勉強するのだ。生命は永遠である。現当二世である。常に″これから″である。さあ毎日、奮闘していこう──。
3  当時、日本の国も一番暗かった。一家も危機。自身は罪人。そうしたなかでの戸田先生のお手紙である。
4  今どんなに苦しくても「富める者」との自信を
 戸田先生は、こうもつづられている。
 「今どんなに苦しくても貧しくても、私の生きている限り『富める者』との自信を失わずにいて下さい」(昭和十九年八月十一日、夫人の父あて)
 最高に富める者は「精神の王者」「真理の王者」である。その家族・眷属も、また「富める人」「財宝を持つ人」である。
 「精神の王者」の私がいる! 私が生きているかぎり、どんなに責められようが、貧乏になろうが、皆、王者なのだ。富める者なのだ。それを忘れてはならない。自信をもちなさい──と。
 戸田先生は「師子」であられた。
 きょうは海外の代表も見えられているが、ヨーロッパのことわざに「臆病な犬ほど吠える」「浅い川ほど音を立てる」とある。
 今もその言葉通りの輩がいる。
 反対に、ふだんは静かだが、ひとたび吠えれば皆が震え上がる迫力、「静かな川」のごとき底知れない深さ──男性はこうありたい。
 戸田先生は、本物の師子であられた。
 苦難があろうが、悲哀があろうが、何があろうが、悠然と自分自身の「使命」と「誇り」に生きておられた。先生こそ真実の指導者の模範であられた。
5  出獄して間もない戸田先生の手紙には、こう記されている。有名な言葉である。
 「恩師牧口先生のお伴をして、法華経の難に連らなり、独房に修業すること、言語に絶する苦労を経てまいりました」(昭和二十年九月、妹の夫あて)
 言語に絶する苦労──あの戸田先生が、そう言われるのだから、どれほどすごかったか。想像するにあまりある。
 そして先生は、師匠とともに難に遭ったことを誇りとし、感謝されている。
 他の弟子は「牧口の野郎のために、こんなひどい目にあった」等、文句を言い、恨み、去っていくなかで──。
 「おかげをもちまして、身『法華経を読む』という境涯を体験し、仏教典の深奥をさぐり遂に仏を見、法を知り、現代科学と日蓮聖者の発見せる法の奥義とが相一致し、日本を救い、東洋を救う一大秘策を体得いたしました」(同前)
 この戸田先生の偉大な人間革命の大闘争。今、私がその後を継ぎ、先頭を切って、東洋へ、世界へ走っている。
 若き諸君が、私の後に続いていただきたい。(拍手)
6  「すこしも・をそるる心なかれ」の気概で
 日蓮大聖人は経文を引いて、こう仰せである。
 大聖人は常に経文という「文証」を示して教えられた。私どもも御書という「末法の経典」を常に拝して進む。
 「経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨皆時を以て行わず」等云云、夫れ天地は国の明鏡なり今此の国に天災地夭あり知るべし国主に失ありと云う事を鏡にうかべたれば之を諍うべからず国主・小禍のある時は天鏡に小災見ゆ今の大災は当に知るべし大禍ありと云う事を
 ──経文には「悪人を愛し敬い、善人を罰する(迫害する)ゆえに、星の運行も気候も時節通りにならないのである」等とある。そもそも、「天地」は国の状態を映す「明鏡」である。今、この国(日本)に天の異変・大地の災いがある。これをもって知るべきである。国主(権力者)に過失があることを。鏡に映っているのだから、間違いないことである。国主に小さな過ちがある時は「天の鏡」に小さな災いが見える。今の大きな災いをもって、まさに知るべきである。国主に大きな過ちがあるということを──。
 大聖人は″天変地夭の原因は、善人を迫害する権力者にある″と仰せである。そう経典にあるのだと。
 大聖人は、権力とその追随者を徹底して批判し、戦われた。
 「すこしも・をそるる心なかれ」と。
 民衆が恐れれば、権力者が喜ぶだけである。臆病な民衆が多ければ多いほど、権力者は増長する。ゆえに、権力を恐れない「勇気ある民衆」をつくることが、世界のため、日本のために、根本的な善の軌道をつくることになる。
 「すこしも・をそるる心なかれ」──私どもはこれからも、この大聖人の御金言のままに進んでまいりたい。(拍手)
7  今世紀の初め、アメリカのある実業家は、事業の秘訣をこう語った。
 「私は労働者の楽園をつくろうとした。結果は、それが非常な利益をもたらした」と。
 当時の経営者は、ただ労働者を使うことだけを考えていた。しかし彼は反対だった。労働者が楽しんで働ける会社をつくろうと考えたのである。発想の転換であった。
 それまで労働者は酷使され、けが人も多かった。しかし、彼は自分の工場を理想的なものにしようと、細かいところまで気を配った。
 細かいところまで気を使うのが、本当の指導者である。本当の責任感である。
 ただ命令するだけ、指示するだけ──そんな無慈悲で、大ざっぱなやり方は、皆を苦しめる。リーダーが「自分中心」になったら、もはや仏法者ではない。
8  どうしたら皆が喜ぶのか。安心するのか。皆の幸福のために、どうするのが一番いいのか。指導者は、いつも、ここから出発しなければならない。
 実業家も、工場の機械の置き方を工夫したり、通路に信号を置いたりして、安全を徹底した。
 「小事が大事」である。いちばん身近な事が、いちばん大切なのである。
 彼は、労働者の待遇も改善し、物質的にも精神的にも、できる限りの援助を惜しまなかった。
 それは労働界の一つの革命だった。
 他の実業家は、その姿を見てあきれた。「あんなによくしては、労働者を甘やかすだけだ。後になって、しっぺ返しされる」「費用だって大変だ」と批判した。
 やがて第一次大戦が始まる。労働者が不足する。熟練工は賃金を高くしないと来てくれない。どの工場も困った。しかし彼の工場だけは、皆が喜んで来てくれたため、少しも困らず、大きな利益を上げた。
 「工員は、ただ働けばよいのだ」という傲慢を捨てて、働く人への感謝と愛情を根本にしたのが、勝利の原因であった。
 ひとつの「精神革命」であり、「労働革命」であり、「組織革命」であった。すべては人で決まる。中心者で決まる。
 学会員がけなげに働いてくださることを微塵たりとも″当たり前″のように思ったら、その傲慢は自分自身を滅ぼしていくにちがいない。
 イギリスのサッチャー前首相にお会いしたとき、私は東洋人として、中国の言葉を贈った。
 「民を愛する者は強く、民を愛せざる者は弱し」(『荀子』、『新訳漢文大系』5,明治書院)と。
 サッチャー前首相も、うなずいておられた。
9  今日の創価学会の発展も、いわゆる「組織の力」ではない。「人間性の力」である。皆の同志愛の結晶である。
 そして私は、第一にも第二にも会員を大切にしてきた。この一点に徹してきた。この「心」を知ってもらいたい。受け継いでもらいたい。実行していただきたい。そうすれば、学会は永遠に発展する。
 第二東京は、素晴らしい発展を遂げられている。(拍手)
 「日本第一の第二東京に幸福と栄光あれ」と申し上げて、スピーチを終わりたい。お休みのところ、本当に、ご苦労さま。お元気で。きょうお会いできなかった方々にも、よろしく伝えていただきたい。ありがとう!
 (東京牧口記念会館)

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