Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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沖縄代表者会議 ドラマはいつも「一人」から始まる

1995.3.28 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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1  陽春! 額を上げよう 光明に向かって
 「年をとっても美しい女性」の秘訣──という話がある。だれでも年をとると、白髪はできるし、シワも増える。どんな美人も例外はない。
 ただ、たったひとつ、年齢にかかわらず若くいられることがある。それは「美しい姿勢」である。背筋を伸ばし、腰を伸ばし、胸を張る。そうすると「見て美しい」だけでなく、体の神経が適度に緊張し、健康にも良い。
 この面からも、姿勢正しい勤行は、美容にも良いと言えよう。
 七十歳でも八十歳でも、姿勢だけは努力しだいで美しくできる。
 「背中が丸くなり、だらんとすると、服も何を着ても似合わない」と指摘する人もいる。とくに、家に閉じこもって、人に会わないと、そうなりやすいという。緊張感や張りがなくなりやすいからだろうか。
 だから学会活動で人に会い、「姿勢を美しく」と心がけると、自分が得である。
2  色心不二であるゆえに「心」は「姿」に表れる。
 ヴィクトル・ユゴーも言っている。「顔色は何よりも心の反映である」(『笑う人』、『ユゴー全集』4所収、ユゴー全集刊行会)と。
 一方、姿勢を正せば、心も、しゃんとなり、その分、元気が出てくる。「美しい姿勢」は、体だけでなく、心にも良い影響を与えるのである。
 ユゴーは呼びかけた。「額を上げよ、しこうして此の光明を輝かせ!」(『追放』、同全集9所収)と。
 時は春。「冬は、常にわれわれの悲しみのある物を持ち去って行く」(『レ・ミゼラブル』豊島与志雄訳、岩波文庫)
 額を上げ、胸を張り、背を伸ばし、心の中にも「春」を広げていただきたい。
3  「百番目の猿」の奇跡
 沖縄の方々は本当に人柄が良い。素朴な人間味と信念がある。
 皆さまから見れば、「本土の人間は、どうしてこれほどずるく、ものわかりが悪いのか」(笑い)と、いやになることもあるかもしれない。
 また、「不戦」への皆さまの悲願が、なかなか人々に届かず、平和への道が、はるかに遠く感じられる時があるかもしれない。
 しかし、ここに「意識変革についての希望のデータ」がある。
 それは、意識を変えた人数が、ある一定の数に達した時に、劇的に、全体の意識が変わる──というケースである。
4  宮崎県の日南海岸にある「サルの島」幸島こうじまで不思議なことが起こった。
 一九五二年(昭和二十七年)。科学者たちが、サルたちにサツマイモを投げ与えていた。イモには砂がついたが、ほとんどのサルは、そのまま食べていた。
 ところが一匹だけ変わったサルがいた。彼女は、その名も「イモ」という乙女だった(生後一年半)。彼女は、サツマイモが砂でジャリジャリするのがいやだったのだろうか。ある日、彼女は「水流でイモを洗う」という、サルの歴史上、画期的な方法を発見した。もう、口の中が砂でジャリジャリしなくなった。
 彼女はこの発見を、母親にも教えた。遊び仲間にも教えた。その仲間が、それぞれの母親に教えた。こうして島には、イモを水で洗って食べる「先駆的なサル」の輪が広がっていった。
 やがて海で洗うようになった。そうすると塩味がきいて、イモがおいしいことがわかったのである。
 研究者たちは、この模様を克明に記録していた。
 数年後(十九五八年までに)、すべての若いサルが、この輪に加わっていた。
 しかし、オヤジのサルたちの多くは、保守的なのか、参加しなかった。相も変わらず、砂のついたままイモを食べていた。サルの世界でも、壮年は頭が固いのだろうか(笑い)。それでも、少しずつ″壁″は破れていった。イモを洗って食べるサルが一匹ずつ増えた。
 二十匹、三十匹、四十匹……。そしてある時、不思議なことが起こった。
 イモを洗う″先駆ザル″が九十九匹いたとする。そこに、ある日、とうとう″百番目のサル″が現れた。
 百番目がイモを洗った時、次に続いた″百一番目″は、一匹のサルではなかった。何と、残りのサルのすべてが一斉にイモを洗い始めたのである。
 こうして、ある乙女から始まった文化革命は、この島で劇的に広がった。
 さらに、もっと驚くべきことが起こった。「イモ洗い食事法」を、これまで知らなかった他の島のサルたちまでが、なぜか次々にイモを洗い始めたのである。
 この革命は、大分県の高崎山のサルたちにまで伝播したという。(ライアル・ワトソン『生命潮流』木幡和枝他訳、工作舎を参照)
5  続けよ″壁″は一気に崩れる
 アメリカの作家ケン・キース・ジュニア氏は、この現象に注目し、核廃絶への希望を見いだした。
 「核のない世界」へと一人の意識を変える。また一人を変える。その積み重ねは地道であるが、やがてある一定の人数にまで増えた時、「核の全廃」へと人類の意識が一気に変わるだろう──というのである。(ケン・キース・ジュニア『百番目のサル』佐川出版を参照)
 「一人」の力は偉大である。「一人」が立ち上がることが「すべて」を変える。
 御書には「世間のことわざにも一は万が母といへり」──世間のことわざにも「一は万の母」と言う──と仰せである。
 一人、「真剣」の人がいれば、変革の輪は、通常の予想をも超えて広がるのである。
 事実、かつては冷戦の終結など、多くの人々にとって夢物語であった。しかし、私どもは未来を信じ、営々たる平和運動を続けてきた。また、心ある世界の人々が叫び、立ち上がった。そして冷戦は終わり、今、世界の人々の平和の意識は劇的に変わっている。
6  「ある到達点まで来ると一気に全部が変わる」──生命には、こういう法則があるのかもしれない。
 沖縄は「太陽の国」であるが、太陽の誕生も、そうである。それまで膨大な生成運動を繰り返してきた星の分子が、ある時、一気に太陽として姿を現した。回転し、固まり、散り、また固まり、それを繰り返した結実として、ある時、宇宙の暗黒の中に燦然と太陽が出現した──とされる。
 自分が太陽になることである。太陽が一人いれば、家庭も地域も、皆が照らされる。皆が温められる。広布のために動きに動く行動の果てに、生命は太陽と輝くのである。
 また語学も、一定の学習を積むと、ある地点で一気に壁が破れ、上達する──と体験者は語っている。うなずける話である。
 ゆえに何ごとも、途中でやめてしまえば、それまでの努力が全部、水の泡である。続けなければならない。
 そして、″壁″にぶつかった時こそ、「壁があるということは、その向こう側は大きく開けていることだ。今、やっと、ここまでたどりついたのだ」と、決意をいや増して、仏道修行に進んでいただきたい。
7  沖縄の誇りは、草創の幹部がそのまま仲良く、活躍されてきたことである。
 そして、今、沖縄創価学会は、沖縄はもちろん、日本とアジアの偉大な平和勢力である。
 どんな発展も「中核」を固めることが大切なのである。
8  正法の行者を護る四天王の力用を確信
 ところで、仏法に説かれる「四天王」とは何か。概略ではあるが、ここで少々、学ぶことも意義があると思う。
 四天王は、正法の行者を守護する諸天のリーダーであり、帝釈天の武将とされる。東西南北の四方を、がっちりと護っている。
 法華経の陀羅尼品でも、「法華経の行者を絶対に護り抜きます」(開結六三八㌻)と誓っている。
 四天王は、御本尊の四隅にも、したためられている。大持国天王(東方の護り)、大毘沙門天王(北方の護り)、大広目天王(西方の護り)、大増長天王(南方の護り)である。
9  四天王のうち持国天は、「国を持つ」と書くように、国土・社会を安穏に維持する働きと考えられる。別名を「安民」(民を安らかにする)という。
 指導者論でいえば「平和の闘将」と言えようか。また、人々を支え、頼もしい依怙依託となるという、リーダーの徳に通じよう。
 増長天は、別名を「免離」といい、不幸や苦しみを免れさせ、離れさせる。また、随喜と歓喜と功徳が、どんどん勢いを増し、強まってくる(増長する)姿も、増長天に通じるかもしれない。
 いわば、抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)の「慈悲の闘将」であろうか。
 広目天は、浄らかな天眼(浄天眼)で人々をいつも見守っている。そして善人は護り、悪人は罰する。何ものも見落とさない。
 いわば冷静な「公平の指導者」であり、悪を許さない「正義の勇将」である。
 毘沙門天は、別名を「多聞天」という。常に釈尊を護衛し、その説法を聞いたため「多聞」と呼ばれたとの説もある。いわば「教学の闘将」といえよう。
 広く言えば、情報、知識、知恵を使って広宣流布を進める「知将」であろう。また古来、「戦勝の守護天」ともされている。
 広目天は「広く見る」大切さを、多聞天は「多く聞く」大切さを教えているとも考えられる。
 また四天王は「常楽我浄」を表す。
10  「我等が一身」に四天王の力が
 もちろん、これらは四天王の一面を論じたものであり、他にさまざまなとらえ方が可能であろう。大切なことは、四天王といっても、私たちと無関係で超人間的な架空の存在ではないということである。
 現実の「生命」、現実の「人間」に具わっている素晴らしい働き、力、徳──それらを示しているのである。
 人に安穏を与え(安民=持国天)、不幸から離れさせ(免離=増長天)、広く見て(広目天)、多く聞く(多聞=毘沙門天)。こういう力を、私ども自身が発揮できるのである。
 大聖人は御義口伝で、法華経の行者を護ると誓った四天王等の言葉について、「我等が一身なり」、続けて「妙とは十羅刹女なり法とは持国天王なり蓮とは増長天王なり華とは広目天王なり経とは毘沙門天王なり」と仰せである。
 わかりやすく個人の生命で論じれば──。
 私たちの生命には、心身の機能を健康に持つ力がある。これは持国天の働きに当たろう。
 また常に成長し続ける力がある。これは増長天であろうか。
 さらに、近づく危険を察知したり、体に入った病原菌を迎え撃ち、倒す力がある。広目天が働いている姿であろう。そして、多くの情報を取り入れ、価値創造に生かす力がある。多聞天に通じよう。
11  こういう四天王の働きが国土にもある。社会にもある。個人の生命にもある。妙法を唱えゆくとき、国土・社会・個人に、四天王の力が活発に働き、その威光勢力を増していくのである。
 自分の全知全能をあげて正法と正法の団体を守りきる、その一念が四天王の働きを我が身から引き出すのである。
 反対に、妙法を流布する人や団体を迫害するとき、国土から、社会から、個人から四天王の働きが衰え、なくなっていく。護られるどころか、四天王によって罰せられてしまう。乱れ、行き詰まってしまう。ともあれ、題目を唱える人には、だれもかなわない。その人を四天王をはじめ、ありとあらゆる諸仏、諸菩薩、諸天が護りに護り、支えに支えるのである。
 今回、大変にお世話になった沖縄の皆さまに、心から感謝申し上げたい。おかげさまで有意義な研修や協議を行うとともに、執筆等の仕事を進めることができた。
 沖縄は全国、アジアの模範となられた。私は最大に賛嘆し、期待し、信頼し、「万事よろしく」と申し上げ、御礼のスピーチとしたい。
 今回お会いできなかった方に、くれぐれもよろしくお伝えいただきたい。沖縄万歳!
 (沖縄)

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