Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第1回沖縄最高会議 上も下もない、働く人が偉い

1995.3.23 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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1  「励ましの慈雨」を人々に
 沖縄研修道場に着くや、みずみずしい緑と花々が歓迎してくださった。
 守る会の皆さまをはじめ、整備してくださった方々の真心が道場のすみずみにまで光っている。心から感謝申し上げたい。
 花たちにちなんで、かつて聞いたこんな話を紹介したい。
 それは──砂漠では十年、二十年と雨が降らない地域がある。そこに、ある日、たっぷりと雨が降ると、何と一夜にして花園になることがあるという。
 いっせいに緑が芽吹き、たちまち花をつける。
 花の種は、いつ降るかわからない雨を、何年も何年も砂漠で待ち続けているのである。
 人間社会にも「励ましの慈雨」を待ち続けている心がたくさんあるにちがいない。決して砂漠の中に放っておいてはならない。
 桜梅桃李──その人らしい、その人の「花」を、すべての人が咲かせていける社会でなければならない。そのための仏法であり、組織であり、リーダーであり、励ましなのである。
2  「励まし」は英語で「インカレッジ(enccourrage)」という。これは「カレッジ(勇気)を入れる」という意味。「勇気を吹き込む」のが「励まし」なのである。
 ちなみに日本語の「励まし」は「励む」ようにさせることである。「励む」は「激しく」気持ちを立たせて向かうことともされている。
 「励ましの人」は「勇気」という宝石を惜しみなく人々に与え、行くところすべてを明るい花園に変える。
 これほど美しい人生はない。
3  ユゴー──善よ語れ、沈黙すれば悪が顔を出す
 沖縄研修道場の正門は、立派な凱旋門で飾られている。柱には、ヴィクトル・ユゴー(フランスの文豪・大詩人)の雄姿も見える。
 ユゴーといえば、彼は僧侶が大嫌いであった。宗教は絶対に必要である、しかし僧侶は絶対に魂の敵である──こういう考えであった。
 「文明なるこの光明は、二様の洪水によって消される。兵士の侵略と僧侶の侵略、この二つの侵略は文明にとって危険である。一つ(=戦争)は我等の母、祖国を脅威し、他(=僧侶)は我等の子、未来を脅威する」(『追放〈以後〉』、『ユーゴー全集』10所収、ユーゴー全集刊行会)
 戦争の存在を許してはならないのと同じように、悪い僧侶の存在を許してはならない。この悪を根絶することが「未来を救う」ことである。
 人と社会を狂わせる「精神の毒草」──悪侶の根を残してはならない。根を断ち切らねばならない。
 そうしなければ、毒草は再び生えてくる。
 世界的にも今、伝統的な宗教の中で「聖職者制度への疑問」が高まっている。
 指摘されているポイントは、「腐敗」「時代遅れ」「社会で苦労しないで社会人を指導できるのか」──等である。
4  ユゴーは怒る。
 「お経の文句を唱えながら、蔭で僕を誹謗し、きたない新聞記者に一頁五銭の非道な悪口を以て僕を傷つけさせる白狐! 古狸! こけおどし奴! そうじゃ! おれに犬を放っておいて、自分は周章てて姿を隠す」(『ふたご』、同全集7所収)
 今も、この通りの姿である。ユゴーは、こんな偽善の聖職者を人間以下のように見ていた。
 そしてユゴーは断言する。
 「謀反人は常に自分の罠で亡びる」(同前)と。
 日顕宗も、もがけばもがくほど、自縄自縛になっている。
 悪には黙っていてはいけない。
 「善が沈黙を守っている間に悪がひょっと顔を出す。この間(=善と悪の間)の戦いが人間の戦いでござります」(「自由劇」同前)
 語れば語った分、「善」は力を増し、功徳を増す。
 その分、「悪」は明らかになり、罰の姿をさらけ出す。
5  ユゴー──「偉大な心」の秘密は「辛抱強さ」にある
 沖縄の海と島々は美しい。
 ユゴーが有名なガーンジー島で書いた言葉がある。
 「勇気ある人びとの財産は破壊しえても、勇気そのものは破壊できない」
 これは小説「海に働く人びと」(山口三夫・篠原義近訳、潮文庫)の一節である。
 ──ある男が四十年にわたって営々と築いた財産の半分を、一夜でなくしてしまった。
 友人に盗まれたのである。男は、破産寸前になった。
 しかし彼の「勇気」までは、だれも盗めなかった。だれも破壊できなかった。
 彼は再起に取りかかった。やがて、大成功を収める──。
 この話の中でユゴーは、「勇気は破壊できない」と書いたのである。
 この小説自体、亡命したユゴーが、かの島に渡り、その海を見ながら執筆し、大成功した作品である。不運をもプラスに変えた証明の書であった。
6  先日(二月二十二日)、ブラジルの音楽家ビエイラ氏にお会いした。席上、氏がこの小説に触れられた。次の一節が好きだとのことであった。
 「足が行かないところへ眼ざしは達することができ、眼ざしが止められるところで、精神は継続することができる」(同前)
 体は行けなくとも、目は行ける。目は行けなくても、心は行ける。障害があればあるほど──その時こそ魂は力を発揮する。
 「魂の力」とは、私どもで言えば「祈り」である。
 人生、いろんなことがある。苦境もある。行き詰まりもある。先が見えないこともある。だからこそ「祈り」を根本にすべきである。魔も題目の剣でしか切れない。
 「祈り」は「希望」であり、「生命の夜明け」であり、「幸福の種を植える」ことである。「祈り」で未来に立ち向かっていく人──その人は、必ず良い方向へ、良い方向へと変わっていく。
 「南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり」──南無妙法蓮華経と唱えることは自分自身の生命の宮殿に入るのである──と大聖人は仰せである。
 表面の状況がどうであろうと、題目を唱えれば、生命は宮殿に入っている。境涯は王者である。最後には必ず幸福になる。
7  ユゴーは書いている。
 「偉大な心情のほとんどすべての秘密は、perseverrando(辛抱強く)という言葉のなかにある。(中略)凡庸な人間は、もっともらしい障害物があると思いとどまるが、強い人間は、そんなことはない」(前掲『海に働く人びと』)
 広宣流布も、「辛抱強い」地道の作業で進む。
 弘教、個人指導、座談会、仏法を教える機関紙の拡大。そこに広宣流布の「実質」がある。
 それらを推進するための「会合」である。会合や打ち合わせが「主」となってしまっては転倒である。
8  周恩来総理は、奮闘する民衆を「英雄」と称賛
 さて沖縄は歴史上、中国と大変、縁が深い。文化的にも、人間的つながりの面でも。そこで周恩来総理の話をしたい。
 周総理は「励ましのプロ」であった。自分が疲れていても、病気のときも、追い詰められていても、死ぬ寸前まで人民を励まし続けた。
 「民衆に最敬礼できる人」。幹部は、そうでなければならない。
 一九五八年(昭和三十三年)の夏。中国の大動脈である「黄河」が氾濫した。
 洪水が押し寄せ、「黄河大橋」(鄭州)が壊れた。南北の連絡の道が断たれてしまった。人々は頭をかかえた。
 翌日、黄河に沿って低空で飛ぶ飛行機があった。さっそく周総理が来たのだ。周総理は、ただちに大橋の復旧へ会議を開いた。
 会議が終わるや、夜遅くにもかかわらず、復旧現場に駆けつけた。会議ばかりしていても現実はわからない。総理は常に最前線に身を置いた。
 洪水で道が破壊され、総理は三キロも歩いた。着いたら真夜中だった。洪水を相手に奮闘していた人々が集まってきた。
 「皆、こっちへおいでよ。睡眠はとりましたか?」
 睡眠はどうか、食事は大丈夫か──いつもそういう心配りを忘れなかった。
 総理の温かい声に、皆、正直に答えた。「眠っていません」
 総理はたたえた。「諸君は水上の英雄だ」
 働いている人を、いつも総理はたたえた。
 ″自分が励まさなかったら、だれがこの人たちを励ますのか″──そんな思いが全身にたぎっておられたにちがいない。
 復旧作業をどうするか。皆、総理の「指示」を待った。
 ところが、総理の口から出たのは、意外な言葉だった。
 「皆さん、どうか意見を出してください」
 皆は驚いた。なかなか発言する人がいない。ある人が、立ち上がった。彼は型通り、「私たちは総理を心から歓迎します!」と言った。
 すると周総理は「わたしたちは、みんな身内です。歓迎の必要はありません。まっすぐ本題に入りましょう」。
 別の工事現場で似たことがあったとき、総理は言った。
 「ここには指導幹部などいない。総理も局長もいない。みんな普通の労働者なのだ」
9  「大衆の力こそ本当の力だ」
 問題は橋をどうするかである。
 「皆、橋に取り組んできた人間で、経験も豊富だ。私は、皆の意見にしたがってやりたいのだ」
 総理は人々の経験と熱意を信頼していた。ゆえに人々も信頼に応えようと頑張り、もてる力を発揮できた。
 皆が意見を言い始めた。雨が降ってきた。ある人が急いで傘をさしかけた。
 「このままで結構。みんなも雨にぬれているではないか」
 協議を中止してもよかったが、事態は急を要していた。総理は、ともにずぶぬれになりながら、結論して言った。
 「橋の修理は諸君にお願いします。暴風雨や洪水と戦うには、革命戦争の時代と同じように、労働者、農民、兵士が一丸となって立ち向かう以外にない。私は党中央を代表し、皆さんに心から感謝します」
 ″上も下もない。ともに戦おう!″──この励ましが皆を奮起させた。計画より早く橋は復旧した。
 広布の前進も同じである。三障四魔、三類の強敵との戦いに、上も下もない。鉄の団結で立ち向かってこそ、正義の勝利はある。
 とくに幹部はエゴであってはならない。率先して苦労しなければならない。そうでなければ、順風の時にはよいが、何か起こると、すぐに逃げ腰になったり、責任と使命を忘れる卑怯者になってしまう。これまでの反逆者がそうであった。
10  橋の開通後、総理はまた来てくれた。皆に声をかけながら歩き、握手し、たたえた。
 「まったくたいしたものだ。本当に、ありがとう!」
 そして、黄河との戦いの歴史を語り、将来の希望の構想を語って、皆の疲れをいやした。
 皆は口々に言った。
 「周総理の指導のおかげで、勝利できました」
 総理は手を何度も左右に振った。
 「いや、私の力ではない。これは、すべて諸君のおかげだ。大衆こそが本当の力なのだ」
 総理は徹底して「民衆に最敬礼」を貫いたのである。
11  「人が苦境の時ほど行ってあげるのだ」
 周総理の人間愛は外国人にも注がれた。一九六三年から六四年にかけて、エジプトをはじめ、アフリカ等の諸国を歴訪した。ガーナへ行く直前、エンクルマ大統領が暗殺されかかる事件が起きた。
 計画通り、ガーナへ行くべきかどうか。大問題になったが、総理は言った。
 「人が、困難に出あっていればいるほど、こちらは温かく訪ねていって支持してあげなければいけない」
 ガーナ訪問は大成功だった。
 人が苦境にあるとき離れていく人がいる。そういうときにこそ、励ましが必要なのに──。
12  周総理の臨終の言葉は「君たち(=医療関係者)は、私のところでは、もうすることがない。他の同志のところへ早く行って世話をしてあげなさい」であった。(周総理のエピソードについては、蘇叔陽『人間 周恩来』竹内実訳〈サイマル出版会〉、ディック・ウィルソン『周恩来─不倒翁波瀾の生涯』田中恭子¥立花丈平訳〈時事通信社〉、新井宝雄『革命児周恩来の実践』〈潮出版社〉などを参照した)
13  美しき自然の沖縄。美しき心の沖縄。沖縄の皆さまにも素晴らしい同志愛がある。どこよりも強いスクラムがある。その尊き姿に合掌する思いで、きょうのスピーチを結びたい。
 (沖縄研修道場)

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