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日蓮大聖人・池田大作

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第2回アメリカ最高会議 どこまでも「善き人の集い」で

1995.2.1 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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2  昨日(一月三十一日、第十九回SGI総会)、私は、ノルマンディー上陸に際して、アイゼンハワー将軍(のちのアメリカ大統領)が、フランスの市民に送ったメッセージについてスピーチした。
 すると、それを受けて、さっそくアメリカの知性派の青年が、アイゼンハワー将軍のあるエピソードを報告してくださった。
 「指導者の責任感」という意味で、示唆に富んだ歴史であり、その青年の話を、そのまま紹介させていただきたい。
 あの名高い″史上最大の作戦″(ノルマンディー上陸)にあたって、最高司令官であったアイゼンハワー将軍は、いったいどのような覚悟で臨んだのか。
 じつは、将軍は「作戦が失敗した場合の声明」まで用意していた。それは、鉛筆書きで、こう残されている。
 「上陸作戦は、十分な足場を確保することができず、私は軍隊を撤退した。この時期に、この地点を攻撃するという、私の判断は、入手可能な最高の情報に基づいて下されたものである。空軍と海軍は、力の限りを尽くして、勇敢に義務を果たしてくれた。
 もし、このたびの作戦に落ち度があり、非難されるべきことがあれば、それは、すべて私一人の責任である」と。
3  実際には、作戦は大成功を収め、この声明を発表する必要はなかった。
 しかし、このように、万が失敗した場合にも備えておくという、指導者の周到にして細心の心配りがあったからこそ、あの快挙が成し遂げられたと、見ることもできる。
 いかなる戦いも、事前の準備で決まる。どのような局面にも対処していけるよう、万全の態勢を整えておく──。そうした中心者の透徹した責任感と、人知れぬ努力があってこそ、初めて人々を守ることができる。勝利を開くことができる。
 飛行機にしても、アクシデント(事故)に備えて、かわりの空港までの燃料、またホールディング(悪天候などの場合、空港の上空で円を描きながら待つこと)のための燃料、それに加えて、予備の燃料まで積んでいる。人知れぬ努力もせず、何の手も打たずに、ただ組織の上に乗っているだけでは、指導者失格といわざるをえない。
4  「同志を必ず幸せに」──指導者の責任で決まる
 いずれにしても、アイゼンハワー将軍のこの声明からは、部下たちへのいたわりとともに、指導者の責任感が、ひしひしと伝わってくる。彼が、自分に権力を集中するのでなく、自分のもとの指揮官を信頼し、彼らが力を発揮しやすいように指揮をとったことは有名である。
 彼は、常に、指揮官たちの意見に積極的に耳を傾けた。しかも、自分自身の功績にはこだわらず、部下たちをどんどん前に出して、彼らが栄誉を受けられるようにしたのである。
 手柄は惜しみなく部下に譲る一方で、何かあった場合は、潔く、すべて自分が責任を引き受ける──。だから、将軍のもとでは、皆、思う存分、戦うことができたという。また、一丸となって、将軍の心に応えようという団結が生まれたとされている。
 あのノルマンディー上陸作戦の陰に、こうした名将軍の采配があったことを見逃してはなるまい。今は、深き責任感の大指導者が、あまりにも少なくなってしまった。エゴと保身と無責任の風潮は、まことに残念でならない。
5  恩師・戸田先生も言われた。
 「覚悟をもって会長になった以上には、つらいも悲しいもあるものか。私の体は皆様の前に投げ出して、広宣流布の大闘士として、私は闘います」
 「師弟の縁が決まった以上、(=弟子の)罪は私がきる。皆さんは、幸福になりなさい」(「信心と折伏で大功徳を」、同全集第三巻)と。
 どうか、皆さまも、「大切な仏子を一人も残らず幸せにしてみせる」という、深き責任感に徹した人間指導者であっていただきたい。その決心で、アメリカ広布の「空前の歴史」を創っていただきたい。
 ところで、アイゼンハワー氏は、戦後、退役して、名門コロンビア大学の総長を務めたこともある。今回、そのコロンビア大学の宗教学部長であるサーマン博士と語り合った(一月二十七日、日本時間)。教育の重要性も話題になった。
 私も、教育こそ、人生の総仕上げの事業と定め、全力を注いでいる。うれしいことに、今、世界の多くの知性が、創価教育に期待を寄せてくださっている。
 ハワイ大学のマーセラ博士(臨床心理学研究所所長)やデュバノスキ博士(社会科学部長)も、関西創価学園への訪問を、深い思い出としてくださっているようだ。
 関西創価学園を訪れた多くの識者の方から、「あの凛々しい学園生たちに、地震のお見舞いを伝えてください」との伝言が託されている。
6  青年を育てることには「誠実で接する」こと
 その一人、インドのICDO(国際文化開発協会)のバルマ事務局長は、昨年、関西創価学園生にこう語りかけておられた。
 「初代会長・牧口先生は、逝去されました。創価学園と創価大学の創立を夢見ながら、逆境の獄舎で……。
 牧口先生は、なぜ、国王や皇帝になることを夢見ず、教育に夢を託したのでしょうか?
 それは、牧口先生が、教育を通して無数の人々を啓発できることを知っておられたからです。
 青年は、国の未来です。青年を大事にしない国は、未来を大事にしない国です」と。
 青年を育てることは、未来を育てることである。
 ここハワイにあっても、パウアヒ王女(一八三一年〜八四年)が、その人生のすべてを捧げて、青年教育の道を開いた崇高な歴史が残されている。
 どうか、わがアメリカSGIも、人材育成の温かな光を、さらに社会に広げていただきたい。人を見つけていこう、育てていこう、種を蒔いていこう──リーダーに、この一念があって初めて、人材は育っていく。大事なのは「接していく」ことである。
 真心込めて、誠実に接していけば、それが慈雨となり、陽光となって、人は伸びていく。ゆえに、私もあらゆる機会を通して、青年と接し、手づくりで人材を育成している。
 幹部だからといって、傲慢になり、皆を使って、自分をよく見せようとなってしまえば、自分も、後輩もダメにしてしまう。
 「自分のために、皆を使おう」という心では、自分も人も伸びない。
 「皆のために、自分が戦おう」という心であれば、自分も成長するし、皆も伸びる。この微妙な一念の違いが、重大な違いをもたらすのである。
7  御書には、「人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわり・ふねを水にうかべてきやすきやうにをしへ候なり」──人がものを教えるというのは、車輪が重かったとしても、油を塗ることによって回り、船を水に浮かべて進みやすいように教えるのである──と仰せである。
 ″この人には今、何を与えれば、重い車が軽く回り始めるのか″″どうすれば、流れに乗って船が進むのか″──それをいつも考え、実行することである。
 「皆がやりやすいように」「希望と喜びをもって前進していけるように」心を砕くのが、仏法指導者の責任である。
 世界のいずこにもまして、多彩な人材が集っているのがアメリカSGIである。
 「創価学会は、人材の城を築け!」──この戸田先生の遺訓を、自分自身の胸に響かせながら、ハワイもこれまで以上に、「善き人」と「善き人」のスクラムを広げていっていただきたい。万年の土台を固めていただきたい。
 私も、さらに総力を挙げて、アメリカSGIを応援していく決心である。
 結びに、お世話になった、すべての皆さまに重ねて感謝申し上げ、御礼のスピーチとさせていただく。
 きょう、お会いできなかった皆さま、留守を守り、題目を送ってくださった心美しき同志の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えいただきたい。
 (ハワイ・オアフ島)

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