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日蓮大聖人・池田大作

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第84回新春本部幹部会、第6回埼玉総会… 民衆の団結で″歓呼の一年″を!

1995.1.7 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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2  本年は、第二次世界大戦の終結から五十年──。大きな節目の年である。
 この半世紀、学会は平和へ、広宣流布へと、敢然と闘争してきた。三類の強敵による迫害を、すべて跳ね返しながら、ここまで発展してきた。
 今年の国内の新年の集いひとつとっても、創価学会が最大である。全世界約百カ国でも行われた。広宣流布は、いやまし進んでいる。(拍手)
 しかも学会は何があっても明るい。
 どんなに迫害されようと、生き生きと活動している。これほど強い団体は、ほかにない。だから、妬みも大きい。
 今年もまた、日本中、そして世界中で、二十一世紀に向かって、朗らかに前進しましょう!(拍手)
3  ノルマンディー上陸作戦──勝因に庶民のスクラム
 第二次大戦で、ナチス・ドイツに決定的な打撃を与えた有名な決戦がある。″天下分け目″の戦いといわれる「ノルマンディー上陸作戦」である。この作戦は、一九四四年(昭和十九年)六月六日、悪天候の合間をぬって決行された。
 同じこの日、牧口先生は、非道な軍部との闘争のさなか、獄中で最後の誕生日を迎えられた。七十三歳であられた。高齢にもかかわらず、軍部という、権力のなかの権力と真っ向から戦われていた。
 作戦の舞台となったのは、北フランスのノルマンディー沖。連合軍は、そこから上陸を開始する。突如として現れた連合軍。電光石火の行動。絶え間ない攻撃は、やがてドイツ軍を打ち破る。
 なぜ作戦は成功したのか──。その理由の一つに、連合軍が、ナチスの″手の内″を完全に見破っていたことが挙げられる。
 私どもも、悪の謀略を見破っている。ゆえに勝利は間違いない。(拍手)
 ナチスには、敵の攻撃をキャッチするレーダー基地が、北フランス(ドーバー海峡、イギリス海峡に臨む)に約百二十カ所もあった。ドイツの科学は時代の最先端にあった。軍も強力であった。
 しかし、ナチスの占領下にあったフランスの民衆は、決して屈していなかった。ナチスの悪と残虐さを憎み、基地の場所を連合軍にうまく通報していたのである。
 そこには農民もいた。商人もいた。いずれも無名の庶民であった。
 連合軍は、こうした草の根の情報を最大に活用し、ナチスを撹乱する。それが、連合軍のノルマンディー上陸をナチスが予測できなかった一因といわれる。
4  歴史的な勝利を開いたノルマンディー上陸作戦。その功績は無名の庶民にあった。この事実を絶対に忘れてはならない。
 大切なのは民衆である。会員である。
 会員を心から尊敬し、信頼し、耳を傾けていく。この積み重ねが勝利の源泉となる。会員を大切にした分、広宣流布は拡大する。
 「栄光・躍進の年」も、我が学会は、民衆の知恵を大切にして進んでいきたい。
 全員が上下の差別なく、組織の差別なく、自在に動き、語り、電光石火で戦っていく──そういう土壌をつくり広げていきたい。
 そして痛快に、朗らかに、たくましく連戦連勝の歴史を刻んでまいりたい。
 ノルマンディーの大攻勢のような、勇敢なる正義の大法戦をやりましょう。(拍手)
5  「戦う人生」は年齢に関係ない
 先日、「トルストイ国際金メダル」の受賞が決定した。(拍手)旧ソ連全域にネットワークをもつ「国際児童基金協会」(本部=モスクワ)からの賞である。
 (この賞は同協会が青少年・児童擁護などに功績のあった世界的人物・団体に贈る最高の賞)
 若き日からトルストイを愛読してきた一人として、感慨が深い。すべて学会員の皆さまの力であり、私は、皆さまを代表して受けさせていただいているつもりである。(拍手)
 このメダルは、一九九四年度のものである。その、ちょうど九十年前、日本とロシアは日露戦争の真っただ中にあった(一九〇四年〜五年)。
 トルストイはこの時、真っ向から「戦争反対」の声を上げた。当時、トルストイは七十五歳である。軍部権力と戦った牧口先生は七十三歳。どちらも七十代という高齢でありながら、烈々たる闘志で戦ったのである。
 私どもは、まだまだ若い。私の本格的な戦いもこれからである。
 サッチャー前首相(イギリス)は言われていた。「人生、六十五歳からです」と。(一九九〇年十一月、首相辞任にあたっての発言)
 「戦う心」に年齢は関係ない。いわんや、妙法をたもった私たちは永遠に若々しく、はつらつと生き抜いていける。
6  トルストイ「私はその国の味方でもない。苦しむ民衆の味方だ」
 日露戦争が始まって、アメリカのある新聞がトルストイに質問した。
 「あなたは、ロシア人と日本人のどちらの味方なのか」
 トルストイは答えた。
 「私は、ロシア、日本、どちらの『国家』の味方でもない。戦争で苦しむ両国の『民衆』の味方である」と。
 (「私はロシアの味方でもなければ日本の味方でもなく、良心と宗教と自己の幸福とに反してまで戦うよう政府によって瞞着(=だますこと)され強制された両国の労働階級の味方である」〈ビリューコフ『大トルストイ』原久一郎訳、勁草書房〉)
 心を打つ答えである。私どもも、この知恵を見習ってまいりたい。
7  トルストイの平和主義は当時の帝国主義者から嫌われ、圧迫された。
 「国家よりも民衆」
 「国家よりも人類」
 「国家よりも正義」
 これが、トルストイの哲学だった。学会の人間主義と同じである。
 彼のこうした哲学は、死後もなかなか正しく理解されなかった。旧ソ連においても、宗教を根本とする彼の思想は十分に評価されなかった。最近になって、ようやく彼の正しさが認められ始めた。
 「正義」は、いつか認められる。歴史が必ず証明する。これは、厳然たる方程式である。
 そして、トルストイが反対した日露戦争からちょうど九十年後、ロシアと日本の民衆を結ぶ「教育の金メダル」「平和の金メダル」が贈られたことになる。(拍手)
 なお「ラテン・アメリカ大学連盟」から申し込みがあり、「″ダイサク・イケダ″人権賞」の創設が決定したこともご報告申し上げたい。(拍手)
 (同連盟は百六十六大学が加盟。理事会で全会一致で決定した〈一九九四年十一月〉。決定通知書には「″ダイサク・イケダ″氏は、日本人でありながら、世界的な広がりで模範の業績を成し遂げています。その名を冠した賞は、一個の人間の努力が人権擁護にどこまで寄与し得るのかということの象徴となります」とある。今後、原則として、二年に一度の連盟の総会の席上、人権に関する優れた業績を示した人物に授与されることになる)
8  権力追随の体質 日本の宗教界
 トルストイは日本の各界にも「日露戦争反対」を訴えた。メッセージも寄稿した。
 日本の仏教界に対しては「仏教の不殺生の精神に立って、非戦の運動に立ち上がってほしい」(市川白弦『日本ファシズム下の宗教』エヌエス出版会)と呼びかけた。
 ″仏教では「殺すなかれ」と教えているのだから、仏教者ならば反戦のために政府と戦うべきではないか″と。
 トルストイは晩年、仏教に深い共感を寄せていた。日本の仏教界への訴えの背景にも、仏教への信頼と期待があったと考えられる。しかし──。
 トルストイの訴えに対し、当時の日本の仏教界の代表は何と答えたか。
 「われわれは日本国の臣民である以上、戦争に協力せざるを得ない」(同前)
 彼らは仏教という普遍の「法」よりも、特定の「国家」のほうを重視し、優先させたのである。
9  トルストイは大変がっかりしたという。当然であろう。これでは何のための宗教か──。
 トルストイは信じていた。
 「真理は権力よりも高し」と。
 ゆえに、政府と戦った。権力を前に一歩も退かなかった。
 いわんや妙法は、国家権力などよりはるかに高い。次元が違う。
 トルストイは信じていた。「真理は権威よりも強し」と。
 ゆえに破門されても、教会や聖職者と断固として戦った。
 (一九〇一年、トルストイはロシア正教からの破門を通告される。当時、ロシアの宗務院は国家の機関であり、強大な権力を誇っていた)
 日本人には、トルストイのごとき強さがない。
 精神構造が虚弱である。右を見たり、左を見たり、いつも周囲を気にしている。自分がない。哲学不在である。
 こうした点を含めて、今後、「大白蓮華」で教学の若きリーダーと語り合っていく予定である。(=「大白蓮華」九五年二月号から九九年六月号まで、「法華経の智慧──二十一世紀の宗教を語る」と題し、名誉会長を囲んでの座談会の連載が開始された)
10  トルストイは書いている。
 「人は政府の正体や協会の正体がまだ分からない間は、いやでも敬虔な態度で接せざるを得ない。彼が政府や教会に指導を仰いでいる間は、体面上からも、その両者を厳然とした偉大で神聖なものと考えざるを得ない。しかしながら、自分が指導を仰いでいるものが決して厳然たるものでも神聖なもので藻亡く、指導という形で実は自分らの個人的な目的のためにそれを利用しようとしている不善の徒の欺瞞にすぎないことが分かるや否や、忽ち彼らに対して激しい嫌悪を感じないではいられない」(『人生の道』北御門二郎訳、武蔵野書房)
 僧侶や権力者が偉く見えるのは、見せかけだけである。その本質は民衆利用であり、詐欺である、と。
 事実を知れば、彼らは民衆よりもずっと下の下の存在であることがわかるだろう──というのである。
 トルストイはさらに言う。
 「この世の強者達が偉大に見えるのは、彼らの前に膝まずく人々にとってのみである。彼らがただ立ち上がりさえすれば、これまで偉大に見えていた強者達も、自分達とちっとも変わらぬ人々であることが分かるであろう」(同前)
 権力者だから尊重する。僧侶だから尊敬する。これが間違いのもとである。偉そうに見えても、じつは、大したことないんだよ──と。
 ひざまずくな! ひざを伸ばせ! しゃんと立て!──そうすれば真実が見えるだろうと。これがトルストイの信条であった。
11  「真理の皇帝」が「権力の皇帝」に勝った
 トルストイは率直であった。だからこそロシア帝国からは、にらまれ、迫害された。正義ゆえに、当局の言いなりにならなかったゆえに弾圧された。
 その構図は──「権力者と聖職者の連合軍による迫害」であった。仏法で説く「僣聖増上慢」の構図と共通する。
 トルストイは国家からはさんざん悪口雑言された。権力に追随する者たちからも。一番正しいことをしながら、一番弾圧されたのである。
 しかし、世界の良識は彼に喝采を送った。当時、こう言われた。
 「二人の皇帝がロシアにはいる。ニコライ二世とレフ・トルストイだ」(藤原貴『トルソトイの生涯』第三文明社)と。それほどの存在であった。
 かたや「権力の皇帝」、かたや「真理の皇帝」。「真理の皇帝」トルストイには世界的信頼があった。民衆の支持があった。何ものをも恐れなかった。結局、当局も手が出せなかったのである。
 私どもは堂々と「信心の皇帝」として生き抜きたい。(拍手)
12  トルストイは、権力と戦わない日本の仏教界に失望した。「信用できない」と鋭く感じ取ったのかもしれない。
 歴史上、日本の仏教は、ほとんど常に「権力のしもべ」であった。「時の政権の家来」であった。
 ただ日蓮大聖人と、その正統の創価学会だけが、例外なのである。一身に迫害を受けながら、権力の悪と戦っている。(拍手)
 何の特別な武器も権力もない庶民が、民衆の団結で、民衆の力で、民衆のために、権力と戦い続けている。すごいことなのである。この姿を、心ある人物や世界の識者は感嘆して見ておられる。(拍手)
13  日蓮大聖人は、日本の権力者を「ちっぽけな小島の主」「ただ、島の長」と見おろしておられた。(「わづかの小島のぬしら主等」、「但嶋の長」)
 また大聖人は、″法華経を行ずる者は、他の大聖とされる人々よりも百千万億倍、尊貴である″と仰せである。戸田先生も、そう語っておられた。
 (「四信五品抄」に「勝出すること百千万億倍なり」と。また「彼等の大聖には百千万億倍のまさりなり」、「法華経の行者の功徳勝れたる事・百千万億倍なり」等と仰せである。戸田会長は「四信五品抄」の御文を「創価学会の歴史と確信」などで「われら学会人の位」と拝している)
 いわんや権力者など、妙法の尊貴さから見れば、比較にならない。
 そもそも彼らは「公僕」である以上、「民衆のしもべ」として仕えるのが使命である。それが反対に、いばって、民衆を見くだし、民衆のために命がけで働いている人間を無きものにしようとする──こんな不当は断じて許してはならないと私は思う。(拍手)
 毒草は「根」を抜かなければならない。悪も「根」を抜かなければ、また出てくる。「根」を断ち切るまで戦わなければ意味がない。
 最後の最後まで、少しもたゆんではならない。戦いは、油断したほうが負ける。これが勝負の鉄則である。
14  「日蓮に怨をなせし」日顕宗の末路
 大聖人は仰せである。
 「如何に唱うとも日蓮に怨をなせし人人は先ず必ず無間地獄に堕ちて無量劫の後に日蓮の弟子と成つて成仏す可し
 ──どんなに題目を唱えようとも、一度、日蓮に敵対した人々は、まず、必ず無間地獄に堕ちる。そこで無量劫という長い長い間)苦しみ続け、その後に、また日蓮の弟子となって(仏道修行し)、仏に成るであろう──。
 どんなに信心しても、御本尊を拝んでも、大聖人に反逆した人間は、必ず地獄に堕ちると仰せである。
 日顕宗は大聖人の教えを真っ向から否定し、大聖人の仏法を私利私欲で汚した。大聖人の御遺命である広宣流布を進める和合僧団・創価学会を破壊しようとした。最大の「日蓮に怨をなせし人人」である。ゆえに日顕宗の唱題には絶対に功徳はない。
 大聖人は″日蓮に師敵対すれば地獄″と言われたのであって、″悪い法主を批判してはならない″などとは、まったく言われていない。御書のどこにもない。(拍手)
 そのうえで、大聖人は、彼らは因果の理法によって無量劫の間、苦しむが、その後、また私が救ってあげようと言われている。
 大慈大悲の御言葉である。
 今世で謗法を反省し、正しき信心に立ち戻れば罪が軽くなることは言うまでもない。
 日顕宗破折の運動は、無量劫、地獄に堕とさないための、慈悲の行動なのである。(拍手)
15  同志へ──わが心は清らか、何事にも屈しない
 ここで、漢詩(文)を紹介したい。これは何人かの同志に、記念として贈らせていただいたものの一部である。
  与君遠相知 君と遠く相知らば
  不道雲海深 雲海の深きをわず
   (王昌齢「寄驩州」)
 ──あなたと、深き雲海で遠く隔てられていても、互いに理解しあい、心が結ばれているから、遠いとは言わない──。
  皎皎明発心 皎皎きょうきょうたり明発の心
  不為歳寒欺 歳寒の為に欺かれず
   (謝霊運「初発石見城」)
 ──私の心は潔白で、夜明けの太陽の光のように清らかである。ゆえに、(松や柏の木が冬の寒さにも負けないように)人から讒言される厳寒の境遇にあっても、決して屈することはない──。
  但傷民病痛 但だ民の病痛を傷んで
  不識時忌諱 時の忌諱ききするを識らず
   (白居易「傷唐衢」)
 ──民衆の苦しみ、痛みだけを我が痛みとし、時の権力者が忌み嫌っていることに、とらわれはしない──。
 苦しんでいる民衆の味方となり、傲慢な権力と戦う。権力者の悪の流れには入らない、ということである。
  惟賢惟徳 惟れ賢、惟れ徳
  能服於人 能く人に服わる
   (『三国志』)
 ──賢明で徳のある人でこそ、民衆に心服される──。
  屹然若中流之厎柱 屹然として中流の厎柱しちゅうの若し
  有所恃而不恐 たのむ所有りて恐れず
   (朱熹「与陳侍郎書」)
 ──黄河の急流の中にそびえ立つ砥柱しちゅう山のように、英雄は雄々しく立つ。自らを信じて、一人立ち、何ものも恐れず、立派に大任を果たす──。
 英雄といえば、皆さまこそ「広布の英雄」であられる。
16  南米解放の父「団結には計り知れない利益」
 私は、本年も、世界中の多くの指導者、識者から、新年状をいただいた。その中に、南米のある大統領からのメッセージもあった。南米といえば、シモン・ボリバル(一七八三年〜一八三〇年)。″南米解放の父″であり、南米の永遠の英雄である。彼は言う。
 「私にとって、栄光とは(中略)敵を打ち破ることであり、勝利の栄光をすべて私の同胞に与えることにある」(ホセ・ルイス・サルセド=バスタルド『シモン・ボリーバル』水野一監訳、春秋社)
 断じて勝つ。そして、皆で勝利を喜び合う。そこにこそ、本当の栄光があるのだ、と。
 ボリバルは、二十一歳の時、パリでナポレオンの戴冠式を目にした。それが彼の人生を大きく変えた。そして、彼は「南米のナポレオン」として、立ち上がったのである。
 私がコロンビアで訪れたボリバルの記念館にも、ナポレオンのアルプス越えの絵とそっくりな姿のボリバルの絵があった。
 こうして戦い抜いた彼は、政治生活を終えるにあたっての最後のあいさつで、こう呼びかけた。
 「すべての者は団結という計り知れない利益のために働くべきだ」(同前)と。
 団結しかない。呼吸を合わせることだ。
 団結せよ!──これが、闘争に闘争を重ね、民衆に自由と解放をもたらした英雄の「最後のメッセージ」であった。
 創価学会も「団結第一」で前進してきた。呼吸を合わせ、心を合わせ、知恵を合わせ、勢いを合わせて勝ってきた。すべて、皆さま方のおかげである。皆さま方の力である。
 これからもどうか、「勇気の模範」の先駆を、ここ埼玉が、堂々と切っていただきたい。(拍手)
17  晴れやかな春をにぎやかに出発
 なお、この会場には、埼玉の各部の代表、今春卒業予定の創価大学生と創価女子短期大学生、そして学生部、女子部学生局の代表が参加されている。
 さらに、婦人部の人材グループ・伸峰会、女子部国際部、留学生の代表、十五カ国のSGI(創価学会インタナショナル)メンバー等がおられる。
 また、まもなく結成三十周年(一月十五日)を迎える中等部とその担当者の皆さま、ご苦労さま。(拍手)
 全国各地でも記念の集いが開催されている。本当におめでとう。
 最後に、合唱団に、もう一度、お願いしたいと思うがどうだろう。(拍手)
 (埼玉婦人部の「ロワール合唱団」が、「さくらさくら」「花」「荒城の月」を披露)
 ありがとう。感動しました。
 きょうの第六回埼玉総会を記念して、インドの「創価菩提樹園」に埼玉の菩提樹を植樹してはどうだろうか。(拍手)
 本年も、どうかお体を大切に。私も一生懸命、お題目を送りたい。
 健康第一で、明朗で、和楽で、勇気で、知恵で、この一年を飾っていただきたい。
 ありがとう。全国の皆さまもありがとう。お元気で!
 (埼玉文化会館)

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