Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第12回中部総会 いつも心を「未来」で満たせ

1994.12.21 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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2  一年の終わりになると、「この一年、やりきった」と言える人もいる。「来年こそ頑張ろう」(笑い)と誓う人、「ちょっと今年は悔いを残した」と反省する人と、いろいろだと思う。
 また、一年間、さまざまなことがあられたにちがいない。人間は機械ではない。いろいろなことがあるからこそ、人生は面白いのである。変化があるから、充実もある。向上もある。希望もわいてくる。
 信心さえ強ければ、すべて「煩悩即菩提」「生死即涅槃」となっていくことを確信していただきたい。(拍手)
3  ここでアメリカの新聞に掲載されたメッセージを紹介したい。
  「もし君がときに
  落胆することがあったら、この男のことを考えてごらん。
  小学校を 中退した。
  田舎の雑貨屋を営んだ。
  破産した。
  借金を 返すのに 十五年かかった。
  妻をめとった。
  不幸な結婚だった。
  下院に立候補。
  二回落選。
  上院に立候補。
  二回落選。
  歴史に残る 演説を ぶった。
  が聴衆は無関心。
  新聞には 毎日たたかれ 国の半分からは 嫌われた。
  こんな有様にもかかわらず、 想像してほしい 世界中いたるところの どんなに多くの人々が この不器用な、 ぶさいくな、 むっつり者に 啓発された ことかを
  その男は自分の名前を いとも簡単にサインしていた。 A・リンカーン、と」
   (ユナイテッド・テクノロジー社編『アメリカの心』、岡田芳郎・楓セビル・田中洋訳、学生社)
4  この「失敗つづき」の男とは、世界から尊敬されているリンカーンその人のことであった。
 アメリカの大統領の中で歴史上、最も尊敬されているアブラハム・リンカーン。彼の実像は、苦しみに満ちていた。不運に、つきまとわれていた。苦難の道であり、道を行くたびに難渋した。真の「偉大な人生」の道は、必ず「荊の道」である。簡単なものではない。だからこそ、自分が磨かれる。だからこそ、悩める人の心もわかるようになる。
 華やかなライトを浴びている人を素晴らしいように思うのは錯覚である。血涙の苦闘なき人気や地位など、幻影であり、虚像にすぎない。
 今も、悩みの真っただなかにある人もおられると思う。絶対に、負けてはならない。
 リンカーンを見よ、「勇気」をもて、信心で勝てとエールを送りたい。(拍手)
5  どこまでも自立した「民衆のスクラム」で進む
 我が中部は、この一年、燃えに燃えた。広布の堅塁を堂々と、また厳然と守ってくださった。見事に実力を発揮された。
 SGI(創価学会インタナショナル)の代表が海外で、ある学者を訪れた際、こう言われて驚いたという。
 「中部の戦いは、すごかったですね」と。(拍手)
 中部の皆さまの前進は、日本全国はもとより、世界の注目を集めている。(拍手)とくに、婦人部の皆さま、本当にご苦労さま、と申し上げたい。(拍手)
6  ある年の十二月二十二日。(一二七五年=建治元年。別説もある)
 大聖人は、一人のご婦人を、こう、ねぎらわれている。
 「母尼ごぜんには・ことに法華経の御信心のふかくましまし候なる事・悦び候と申させ給候へ
 ──母尼御前には、とくに法華経の御信心の深くあられることを(大聖人が)大変、喜んでいると申し上げてください──。
 「深き信心」──この一年も、婦人部の方が、「深き信心」で広布のために動き、語り抜いてくださった。
 大変な歴史である。年配の方々も頑張ってくださった。大聖人は、何よりも喜んでくださっているにちがいない。(拍手)
7  大聖人は、別の女性門下(王日女)には、こう仰せである。
 「昔の得勝童子はいさごもちいを仏に供養し奉りて阿育大王あそかだいおうと生れて一閻浮提の主たりき、貧女の我がかしらおろして油と成せしが須弥山を吹きぬきし風も此の火をけさず、されば此の二三の鵞目は日本国を知る人の国を寄せ七宝の塔を忉利とうり天にくみあげたらんにも・すぐるべし
 ──昔、得勝童子という子どもは砂の餅を仏に供養申し上げて、(後の世に)阿育大王と生まれ、一閻浮提の主(世界を統治する王)となりました。ある貧しい女性が(仏に灯を供養するために)自分の髪を剃って、(その髪を売って)油にしました。すると須弥山を吹き抜くほどの強い風も、その火を消すことはできませんでした。
 ですから、(あなたが真心から供養された)この二百文、三百文というお金は、日本国を治める人(最高権力者)が国を寄進し、七つの宝で飾られた塔を忉利天とうりてん(欲界の六つの天の第二番目。地上から八万由旬の高さ)に届くほど高く組み上げて供養するよりも、すぐれているのです──。
 どんな権力も、どんな財宝も、一人の庶民の女性の信心の真心には、絶対にかなわない。これが大聖人の御心であられる。
 ゆえに、権力者に媚び諂う必要など、まったくない。
 どこまでも、自立した民衆のスクラムで進む。ここに、大聖人の御心にかなった仏法正統の道がある。(拍手)
8  中部の皆さまの躍進はすごい。
 聖教新聞の拡大は、五月と十一月、ともに前月からの部数の増加が全国一位。五月三日(創価学会の日)と、十一月十八日(創立記念日)を勝利で飾ろうとの合言葉で、頑張ってくださった。
 また中部では私のさまざまな対談を、婦人部の小単位のグループや壮年部の「福徳大学校」などで活用されていると、うかがった。
 興味本位の情報が氾濫するなかで、民衆が世界の先端の哲学、世界観、人生観、社会観を真剣に学んでいる──本当に素晴らしい人生と思う。
 「教育相談室」も、この十八年間で約七千四百人の相談にのられた。不登校など、子供の悩みを抱えた父母から大変に感謝されている。
 教学では、六月に行われた青年部の教学試験一級で、女子部、男子部ともに、全国トップの合格率であった。四月の「中部二十一世紀大文化祭」とともに、大勝利の青年部である。
 中部池田平和記念館での展示活動や講演会も、平和と文化の連帯を深め、大きな反響を呼んでいる。
 中部の勢いは、本当に素晴らしい。(拍手)
9  獄中のネルー──大難をも幸福とする大境涯
 話はまたインドに戻る。ネルーは、一九三一年の元旦を牢の中で迎えた。
 偉大な人物は皆、命を賭して戦っている。ネルーやガンジーたちにとって、投獄など日常茶飯事であった。文字通り、生きるか死ぬかの闘争であった。「真剣」の二字で戦っている男性は美しい。
 しかも、この日、ネルーの夫人も牢獄に入った。彼女は、体が弱かった。
 ネルーは獄中から、娘のインディラに、元日付で次のように書いて送った。
 「おかあさんが囚えられ、刑務所に入れられたという知らせがあった。それが、わたしのための、たのしいおとしだまだったのだ。それはずっとまえから予期していたことだった。だからわたしは、おかあさんは心から幸福であり、満足していると信じている」(ネルー『父が子に語る世界歴史』第一巻、大山聰訳、みすず書房)
10  病弱な夫人の投獄──。心配でなかったはずがない。しかし嘆き悲しんでも何にもならない。ネルーは、この事件を「楽しいお年玉」と言い切って耐えた。
 この一念の強さ。楽観の心。何があっても愚痴ひとつこぼさない。苦楽ともに悠々と見おろしている。偉大な境涯の言葉である。
 そして夫婦の信頼。ネルー夫妻は同志愛で結ばれていた。
 一緒に戦って、一緒に死のう! 祖国のために、民族のために、イギリスの支配と戦おう!──と。
 並大抵の決意で革命ができるわけがない。
 牧口初代会長も獄死された。戸田先生も投獄された。私も牢に入った。
 私は、表面的な功徳など願ったことは一度もない。大難こそ、真の功徳である。仏法者の最大の誉れなのである。
11  ネルーは同じ手紙の中で、こう語っている。
 「わたしたちはめったに、過去をふりかえるだけのひまをもたない。われわれのこころをみたしているものは未来であり、われわれがこれから創ろうとしているのも未来だ。そしてわたしたちは現在のために、わたしたちのあらゆる時間と、精力をつかい果している」(同前)
 心を常に「未来」で、いっぱいにせよ──と。過去にとらわれて後悔したり、嘆いてばかりいることは無価値である。
 「今日」から「明日」へ、「現在」から「未来」へ──。これが仏法の「現当二世」の精神である。
 信心とは「永遠の希望」である。永遠に、未来へ未来へと前進する。限りなく、どんどん人生を開いていける。絶対に行き詰まりがない。
 生命は永遠であり、私どもの希望も福徳も永遠である。また学会も常に未来に生きている。
 その意味で、とくに、これから青年の育成に全力を挙げたい。青年にすべて託するしか、未来はないからだ。
12  仏法運動は人の「心」をとらえ、変える
 現在、「アショカ、ガンジー、ネルー展」が、大きな反響を広げている。
 (東京富士美術館、インド文化関係評議会(ICCR)などの主催による同展は、東京展を終えて、仙台で開催中〈=この後、福岡展に続き、九五年三月、名古屋市博物館で開催〉)
 ネルーは、アショーカ(アショカ)大王について、こう論じている。
 「アショーカは熱烈な仏教徒となり、ダルマ(=法)の弘布にちからをつくした。しかしそのためになんらの強制や権力をももちいなかった。かれがもとめるところの改宗は、人間の心の獲得によるものでなければならなかった」(同前)
 権力による押しつけではない。どこまでも人の「心」を重んじ、人の「心」をつかむ。これが、アショカの″法による統治″の本質であった。私どもも、この道を行っている。対話と慈愛の力で、人の「心」をとらえる正道を行っている。
13  ネルーはまた述べている。
 「権力にそれ自身の限界があり、暴力は自己の上にはね返ってくる」
 「権力も暴力も、精神を頑なにし、粗野にはしても、いずれも精神を左右することはできない」(『インドの発見』辻直四郎・飯浩二・蝋山芳郎訳、岩波書店)
 「権力」には限界がある。「暴力」にも限界がある。権力や暴力を使って、人々を従わせようとしても不可能である。
 権力や暴力は、かえって人々の心を頑なにさせる。固く、閉じさせてしまう。また、自他ともに、すさんだ心をつくる。
 結局、社会を改善することはできない。目的を達成することはできない。「力」には限界があるのである。
 しかし、「法」には限界がない。「法」に基づく行動は、人の「心」を向上させ、人々の「幸福」を増大させ、社会を根本から変えていく。
 これこそ、アショカ大王、ガンジー、ネルーの目指した道であり、私どもの行動である。(拍手)
 正義のなかの正義であるゆえに、「正義を知らぬ社会」である日本から迫害されるのである。
14  生命を癒す「慈愛」の尊さ
 アショカも、ガンジーも、そしてネルーも、「慈愛」と「非暴力」と「対話」の力で、人々の心を変えていった。
 「慈愛の力」──。学会活動も最高の慈愛の行動である。
 学会活動には、さまざまな苦労がある。本当に大変である。家庭訪問や、個人指導、そして弘教の際にも、いやなこと、つらいこと、悲しい気持ちになることも多々あろう。
 しかし、「それでも自分は行こう! 行って、何かしてあげよう」と思う慈愛が尊いのである。
 そこに仏道修行があり、その慈愛が、仏界に通じている。
 いばる幹部や、不誠実で好きになれない幹部もいると思う。時には、「もう学会活動はいやだ!」となることも(爆笑)。
 しかし、大切なのは「自分」である。「自分」が仏になればよいのである。自分が「慈愛の力」で、すべてを包容していけばよいのである。その人こそが、仏になる。
 反対に、慈愛もなく、″自分中心″であれば、仏になれるわけがない。
 退転し反逆した幹部は、すべて″自分中心″で、″学会利用″の人間であった。それを皆に見破られて、学会にいられなくなったのである。
15  「アショカ、ガンジー、ネルー展」のテーマは「癒しの手」である。
 今、世界に必要なのは、病み、傷ついた人々の生命を優しく抱きとる慈愛であり、「癒しの手」である。″生命の医師″である。
 三人の思想の源流をたずねれば、そこには釈尊の教えがある。仏法の慈悲の精神が脈々と流れている。
 そして、この精神を「現代に継承し」「世界に広げ」「日常で行動」しているのが我が創価学会なのである。この道を、明年もともに、堂々と進んでまいりたい。(拍手)
16  どうか最高のお正月を迎えていただきたい。
 全中部の同志、全国・全世界の同志が、ますます健康に、ますます幸福になられることを私は祈っている。
 季節も、これから、いよいよ厳しい冬に向かう。風邪をひかないよう、体を大切にしていただきたい。
 寒風の冬も楽しい、秋も楽しい、夏も、そして春も楽しい。春夏秋冬、「いつも楽しい」「何があっても楽しい」──こういう人生であっていただきたい。
 どんなことがあっても、すべてを楽しんでいける、大境涯の自分自身をつくりゆかれんことを念願し、本日のお祝いのスピーチとさせていただく。きょうは、寒いところ、ご苦労さま!
 中部の皆さま、全国の皆さま、一年間、本当にありがとう!
 (中部文化会館)

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