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日蓮大聖人・池田大作

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第80回本部幹部会、第29回婦人部幹部… 「賢明の母」ありて「広宣流布」あり

1994.9.29 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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1  尊いのは「信心の人」「行動の人」
 婦人部の「多宝大学校」のスタートを、まず、心から祝福申し上げたい。(拍手)
 偉大なる「創価の母」である皆さま方が、お元気であれば、学会は威光勢力を増し、グングンと楽しく発展していく。これは現実が物語っている。歴史が物語っている。
 長年にわたり、一生懸命に戦い、創価学会をここまで築き創り上げてくださった、この第一線の尊い方々を大切にせずして、いったいだれを大切にするのか。
 何といっても婦人部の力である。なかんずく年配の婦人部の皆さまの力である。
 どんな大難があろうが、苦難があろうが、おばさんパワーで「何でもこい!」(爆笑)。これが学会の強さである。
 庶民の、民衆の強さである。(拍手)
2  若い人は、力も経験もないのだから、謙虚に年配の方々に学ばなければならない。
 自分のほうが役職が上であっても、先輩は先輩である。
 年配の方々も、若い人たちに遠慮する必要はない。
 役職ではない。いわんや学歴など、まったく関係ない。
 広宣流布へ「戦ってきた人」が偉いのである。「信心ある人」が偉いのである。「行動ある人」が偉いのである。このことを私は、永久の「宣言」としたいと思うが、どうだろうか(賛同の挙手)。ありがとう!(拍手)
3  きょうは、その意味から、いにしえの中国の、聡明にして気丈な母の物語を紹介したい。後世のためにも──。(以下、荒城孝臣『列女伝』中国古典新書、明徳出版社を参照)
 中国といえば、私の初めての訪中から二十年(一九七四年五月に初訪問)。先日は関西・中部・九州の大訪中団の皆さまが、大変に元気に、交流してくださった。この席をお借りして、「ご苦労さまでした」と申し上げたい。
4  中国の賢母の信念 ″民を見くだす指導者は許さぬ″
 舞台は中国の戦国時代。紀元前四世紀である。「楚」という国の一人の将軍が、敵国を攻め、戦っていた。
 激戦が続き、食糧が乏しくなった。将軍は、自分の国の王様に使者を送り、更なる支援を要請した。
 このとき、将軍は、その使者に、将軍の母のところにも立ち寄ってくるよう命じた。彼なりに母を思ってのことであったろう。
 使者が、将軍の母のもとを訪れると、彼女は真っ先に、こう質問した。
 「兵士の皆さんは、お元気ですか? ご無事でいらっしゃいますか?」
 自分の息子のことではない。何よりも先に、息子のもとで戦っている兵士のことを気遣ってみせたのである。
 これひとつで、彼女の聡明さがわかる。
 (息子は公務の使者を私用に使った。そこで、こういう問答をして息子へ伝えさせ、公の任にある者の責任を息子に自覚させようとした)
 この問いに、使者は正直に答えた。
 「(食べるものが少ないので)兵士たちは、豆など(粗末な食事)を分かち合って食べております」
 母は重ねて尋ねる。
 「では、将軍(自分の息子)は、どうしていますか?」
 使者は、やはり正直に答えた。
 「将軍は朝夕とも、肉やキビなどをとっています」
 自分だけ、滋養(じよう)のあるものを食べている──。
 この言葉を聞いて母は、我が子の心の驕り、傲慢さを見抜いた。
 ″とんでもない息子になってしまった。自分が偉くなったと思って″──
 やがて、戦いは将軍が率いる楚の国の勝利に終わった。意気揚々と将軍は母のもとに凱旋してきた。
 ところが母は、家の門を固く閉ざして、息子である将軍を一歩も中に入れなかった。顔を見せることさえ、許さなかった。
 まことに母は強い。母は賢い。
 母は、外で立ち尽くしていた将軍に、人を通して厳しい伝言を聞かせた。
 「昔、越の国の王様(勾践こうせん)が呉の国を討った時の話を、お前は知らないのですか?
 客から、一つの瓶に入ったお酒を贈られた時、王様はそのお酒を川の上流に注がせて、下流で兵士が皆で飲めるようにしたではありませんか。
 お酒は水で薄まってしまい、おいしいという味わいは、まったくありませんでした。しかし、兵士たちは、(王の心に感動して)おのずと五倍もの力を出して戦ったのです。
 またある日、王様が乾飯(乾燥させたご飯)一袋を贈られた時には、王様はそれをそのまま兵士に与え、分けて食べさせたではありませんか。
 量が少しずつなので、おいしさも、のどを通らないうちに消えてしまうほどでした。けれども、兵士は、おのずと十倍もの力を出して戦ったのです」
 指導者の「心」に感激したからこそ、みな戦ったのではないか。お前は忘れたのか。兵士を思う心を──と。
5  学会も、リーダーが人格を磨き、会員を大切にしていけば、今の五倍、十倍の力を発揮していける場合がある。
 会員を苦しめたり、ヤキモチを焼いて抑えつけたりする資格は、だれびとにもない。自分の感情にまかせて、そういうことをするリーダーは、信心利用である。信心利用、組織利用は、仏罰を受けるであろう。
6  母は続けた。
 「それにくらべて、お前はなんですか。兵士が、わずかばかりの粗末な食事を分け合って食べているというのに、将であるお前一人だけが、朝な夕な、ごちそうを食べていたとは、いったいどういうことですか!」
 これが本当の母の慈愛であろう。
 ただ甘いだけでは、いわゆる「マザコン」(マザーコンプレックス=過度の母親依存)をつくってしまう。子供をだめにしてしまう。
 それにしても、″贅沢三昧″″ごちそう三昧″の日顕一派に、ぜひ大声で聞かせたい言葉である(爆笑、拍手)。
 さらに母は──。
 「お前は将として人々を死地に向かわせながら、自分はその上に、ぬくぬくと″あぐら″をかいていたのです。
 結果は″勝った″といっても、正しい指揮ではありません。お前のような子は、私の子供ではありません。我が家に入ることは許しません!」
 このように伝えてください、と。まさに「千金」に値する母の一喝であった。
 厳しく、また、やかましく叱ってくれる人がいるということは、本当は最高に幸せなことなのである。
7  すべての勝利は庶民の力、母の力による
 ″お母さん、申し訳ありません″──。さすがの将軍も、詫びるしかなかった。
 だが彼には、母の叱責を素直に聞き入れる度量があった。謙虚さが残っていた。
 だが高慢から、人の忠告を聞けなくなってしまえば、もはや成長はない。幸福もない。自身の破壊に通ずる。
 また一般的にも、人の意見、なかんずく女性の意見に「耳を傾ける」ことは、指導者の鉄則である。「聞かない」のは、指導者失格である。
 以後、将軍は、母の心を我が心として、ただ強いというだけでなく、「人間学の真髄」をつかんだ名将に成長していった。
 のちに将軍は、次のような名言を残した。ご存じの方も多いと思う。
 「戦って敵に勝つのは、庶民の力によるのである。その庶民の功労に乗っかって、自分一人だけが栄達や富を得ることは、正しい人間の道ではない」
 (「兵の陣に戦いて敵に勝つは、これ庶民の力なり。それ、民の功労に乗じて、その爵禄を取るは、仁義の道に非ざるなり」〈『淮南子えなんじ』から〉)
 歴史につづられた「庶民本位」の言葉である。「人間主義」の教えである。母の戒めを原点とした指導者の至言といってよい。
8  いわんや広宣流布の戦いは、すべて庶民の力で勝ち取ってきた。
 だれが戦ったのか。金持ちでもない。有名人でもない。全部、庶民のお母さん方である。
 お母さんたちが、どんなに悪口されても、どんなに忙しくても、歯をくいしばってつくり上げたのが、この尊い学会である。
 学歴、地位、肩書──そんなものは、信心とは何の関係もない。
 戦ったのは庶民である。無名の庶民が血を吐くような思いでつくり上げたのが、世界第一の広宣流布の団体・創価学会なのである。(拍手)
 学会員でありながら、庶民を小バカにするような人間は、いないほうがよい。そうでなければ、学会は腐ってしまう。皆が、あまりにもかわいそうである。
 また学会は、なかんずく我が婦人部は、権力者の「民衆蔑視」「民衆利用」は、絶対に、かつ永久に許してはならないと申し上げておきたい。(拍手)
 そのためにも、すべて権力者に対しては、鋭い「監視」が不可欠となる。徹底した闘争が必要なのである。
 この世界一の母の集団、正義の集団、人間主義のスクラムで、これからも痛快に前進してまいりたい。
 多宝会の方々も、先頭に立って、よろしくお願いします!(拍手)
9  戸田先生 ″賢哲を迫害する国は必ず亡ぶ″
 昭和二十一年(一九四六年)十一月、牧口先生の三回忌を前に、戸田先生は「牧口先生」と題する一文を書かれた。
 そこには、偉大なる師匠を獄死せしめた日本に対する、痛切な悲憤がしたためられている。
 戸田先生は、明治の生まれであられたゆえに、若干、難しい表現もあるが、そのまま紹介させていただきたい。(『戸田城聖全集』第一巻。以下、引用は同書から)
 「顧みれば、元日大講師田辺寿利氏、牧口先生の価値論を発表したその昔に、『フランスの一小学校長ファーブルは昆虫記をあらわして、フランスの文部大臣は駕をまげて文化国フランスを代表して、感謝の意をあらわした。いま、日本に、一小学校長牧口常三郎が、また、世界的な一大理論たる価値論を発表す。国家は何をもってむくいんとするか』と。
 しかるに、牧口先生に日本国家がむくいたものは牢獄の死である。野に聖人・賢哲なく、朝にあってこそ(=聖人・賢人・哲人が不遇でなく、広く、おおやけに認められてこそ)国は栄えゆくのである。
 聖人・賢哲、国を捨てて、どこに国の隆盛あろうや」
 戸田先生の、烈々たる叫びである。怒りである。
 『昆虫記』を著した一小学校長ファーブルを、″最高の礼″で顕彰したフランス。それに対して、日本はどうだったか。なんと日本は、牧口先生の偉大な業績に、「牢獄の死」をもって報いたのである。
 ″牧口先生のような、立派な人物をいじめて、どうして日本の国の隆盛があるのか! あるはずがない。偉人を迫害する国は、必ず滅ぶのだ!″──こう戸田先生は叫ばれた。先生の厳然たる、鋭き「警告」でもある。
 この原理は、今も、未来も同じである。
 続けて、先生は書かれている。
 「ヒットラーがアインシュタインを放逐して、アメリカに原子爆弾を与えた近い例もある」
 物理学者のアインシュタインは、ヒトラーによる迫害を避け、ドイツからアメリカに亡命した。″ナチスが原爆をつくる前に″という気持ちから、アメリカの原爆開発を助けた。
 「国家を救わんとする法華経の行者を獄死させた日本の今日のすがたこそ、偉大な国家の受けた大法罰ではないか。
 先生は利益し、国家は損失す(=牧口先生は、死後に大功徳を受け、日本は大罰を受けた)
 ああ愚癡・邪智の徒輩よ、なんのかんばせあってか先生にまみゆるや」──合わせる顔がないではないかと。
 敗戦の日本は、「法華経の行者」である牧口先生を獄死させた「大法罰」を受けているではないかと、厳しく断じられたのである。
 はっきり「法華経の行者」と呼ばれている。
 この後も、戸田先生の容赦ない言葉は続く。師匠を死に追いやった人間たちを、先生は絶対に許されなかった。
 戸田先生は、次のように結ばれている。
 「先生の法難におどろいて先生を悪口した坊主どもよ、法を捨て、先生を捨てたるいくじなしどもよ。懺悔滅罪せんと欲すれば、われらが会にきたって先生の遺風をあおぎ、仏のみ教えに随順すべきであるぞ」と。
 日蓮正宗に来なさいとは言われていない。「われらが会」創価学会に来なさい、と。(拍手)
 恩師を捨てた宗門と退転者に対する戸田先生の無念の叫びであった。すさまじい怒りであった。正義の怒りであった。
 大聖人は、「瞋恚しんには善悪に通ずる者なり」と仰せである。
 戸田先生は、それはそれは師匠を大切にされた。ただひとすじに牧口先生を思われた。この「師弟不二」の一念が仏法の真髄である。創価学会の魂なのである。(拍手)
10  人を救うのが「僧」の本義
 また、昭和二十八年(一九五三年)十一月の創価学会第九回総会では、「僧」の本義について語られている。(『戸田城聖全集』第四巻。以下、引用は同書から)
 「僧とは、社会を指導し、人を救う資格をもつのが僧である。心中ではたがいに憎しみ、猫がねずみをうかがうようなのは、形は法衣をまとっても僧ではなく、いまの学会の組長、班長が、一生懸命でいっさいの人々のために働いている姿こそ、真の僧といえるのである」と。
 すでに、そのころから、こう宣言されている。
 さらに、昭和二十九年(一九五四年)二月の本部幹部会では、こう話された。
 「仏法に五逆罪ということがある」「(=その一つは)和合僧を破る。心の和合を破壊し、仏の道を破壊することである。僧というとへんだと思うかもしらぬが、坊さんだけのことではないのです。わが学会は、和合して、広布へ、日蓮大聖人様の教えを、日蓮大聖人様の指導通りにやろうというのであるから、これを破ろうとするものは、かならず仏法の大きな罰をうける」と。
 このように、戸田先生は喝破された。
 今こそ、その深い意味が、皆にわかるようになった。(拍手)
11  きょうは第八十回の本部幹部会、そして久しぶりの婦人部幹部会(第二十九回)の開催、おめでとう(拍手)。この会場には、首都圏の婦人部の代表、千代田七百六十人会の皆さま、青春会、国際部の代表が参加されている。
 また韓国・マレーシア・シンガポールの研修メンバーをはじめ十九カ国から集われたSGI(創価学会インターナショナル)の皆さまに、心からご苦労さまと申し上げたい。(拍手)
 今回から衛星中継が始まったのは広島安芸文化会館。──広島で行われるアジア大会には我らの同志も参加される予定である。皆さま、本当におめでとう!(拍手)
12  疑わず、嘆かぬ「信心」が「仏界」を
 「開目抄」の一節を拝しておきたい。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし
 ──我ならびに我が弟子は、諸難があっても疑う心がなければ、必ず、自然に仏界にいたる。諸天の加護がないからといって疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。我が弟子に朝に夕に、このことを教えてきたけれども、疑いを起こして皆(信心を)捨ててしまったのであろう。愚かな者は、必ず約束したことを肝心の時に忘れるのである──。
 これさえ覚えておけばよいのである。これさえ忘れなければよいのである。
 諸難が起こっても「疑わず」、戦い続ける人は、必ず「仏」になると仰せである。
 かつては皆、この御文を暗記していた。今でも仏壇のそばに置いてある、おうちも多いようだ。根本中の根本の御指導である。
 「難」は避けられない。「賢人・聖人も此の事はのがれず」──賢人や聖人でも難を受けることは逃れられない──と日蓮大聖人は仰せである。
 避けられないのだから、乗り越えるしかない。乗り越えて仏になるしかない。
13  「佐渡御書」は、先日、秋谷会長が講義された(衛星通信による「本部一般講義」)と思う。
 その一節を拝しておきたい。
 「くろがねは炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし」──鉄は炎で熱して打てば剣となる。(同じように)賢人、聖人は罵詈して試みるものである──。
 炎に焼かれ鍛えない剣はない。ありえない。
 同様に世間から悪口され、迫害を受け、耐え抜いてこそ、本物の賢人、聖人なのである。権力による「難」がない賢聖など、にせものである。
 「聖人御難事」では、こう厳しく断言されている。
 「過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず
 ──過去および現在の、末法の法華経の行者を軽蔑したり、いやしめる国主や臣下、民衆は、たとえはじめは何事もないようであっても、最後に滅亡しないものはない──。
 大聖人の御言葉である。絶対に間違いない。ゆえに、強き強き信心で、大確信で、愉快に前進していただきたい。(拍手)
14  ハベル大統領「歴史は、ここにある。生活の中にある」
 「世界の指導者と語る」(「聖教新聞」日曜版に連載)で、チェコの哲人政治家・ハベル大統領について書いた。(九月二十五日付)
 大統領は、一九八九年の″ビロード革命″に成功する前から、″歴史を変えるのは、民衆一人一人だ″と主張されていた。
 「歴史は″よそ″にあるのではないのです! ここにあって、われわれみんなが歴史をつくっているのです」
 「われわれの日常の善行や悪行がその根本的な構成要素であり、生活は歴史の外になく、歴史は生活の外にないのです」(『ハヴェル自伝』佐々木和子訳、岩波書店)と。
 世界的な革命家の大統領らしい、素晴らしい言葉である。
 民衆一人一人が、日常生活の中で何をしているか。どっちの方向へ動いているか。その集まりが、歴史の″大河″をつくっている。決して、どこか遠いところに「歴史」はあるのではない。
 ゆえに、皆が悪を許したならば、歴史は悪の方向へと進んでしまう。その責任は、「悪を行う人間」とともに「悪を許した人間」にもある。ゆえに″皆で悪と戦うのだ″と。
 これが、「もう悪は許さない!」と民衆を立ち上がらせた、大統領の哲学である。
15  歴史即生活、生活即歴史──いわんや私どもは、広宣流布という″黄金の歴史″をつくっている。
 その歴史の創造に、皆さまは自ら積極的に参加しておられる。その意味で、皆さまの生活は、平凡なようで、実は″黄金の生活″なのである。
 日本人は権力者や、有名人に弱いが、歴史は、決して一部の有名人や権力者がつくるのではない。私たち民衆の「一日一日」の積み重ねが、そのまま偉大な歴史となるのである。
 この、広々と開かれた歴史観、民衆観、世界観に立ってこそ、国際的な友情も広げることができる。
 私は、これから、いよいよ全世界の最高の舞台で乱舞していく決心である。また、日本中を激励に回る決意である。(拍手)
 全国の皆さま、ご苦労さま。きょうは本当にありがとう!
 (創価国際友好会館)

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