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日蓮大聖人・池田大作

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東北同志の追善勤行会 「東北」から昇れ、太陽の仏法

1994.9.4 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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1  「忘れずの山」に永遠の同志の園
 「青葉の誓い」四十周年、おめでとう。お元気な皆さまとお会いでき、うれしい。お祝いに和歌を贈りたい。
  東北の
    広宣流布の
      勢いは
    天に轟き
      大地に響かむ
  壮大な
    東北広布の
      華 咲かむ
    三世の諸仏も
      讃え みつめむ
 東北の広布五十周年は二〇〇一年。七年後のその日を目指して、仮称「東北広布五十周年慶祝会議」を発足させてはどうだろうか。(拍手)
 今世紀における東北の広宣流布の総仕上げへ、一切を点検し、整備し、着々と理想的なものへと発展させていく。その行動のための会議としていただきたい。(拍手)
2  「不忘ふぼう山」──「忘れずの山」に抱かれたこの墓地公園は、素晴らしい「生死不二の園」である。
 ただ今、皆さまとともに勤行し、墓園に眠る東北の同志と先祖代々の追善を、厳粛に、心をこめてさせていただいた。(拍手)
 墓園関係者の方々、また地元・白石本部の白石支部、越河こすごう支部、福岡支部、蔵王支部の皆さま。日ごろから、この美しい墓園を荘厳していただき、厚く御礼申し上げたい。(拍手)
3  一昨日(九月二日)は、四年ぶりに、蔵王支部の皆さんの「花綵はなづなの森」を訪問した。
 牧口地区、戸田地区、池田地区──三代会長の名前を冠した栄光の三地区の皆さま。懐かしいあの友、この友が、尊い真心で待っていてくださった。
 橋も手作り、釣り堀も手作り、折り鶴など飾りつけも手作り。力を合わせて、台風からも厳然と守り、大切にしてこられた森である。
 崇高な広布の開拓の歴史を刻んでこられた、お一人お一人の顔は、なんとも清々しかった。美しかった。本当に仲の良い、久遠からの家族の集いを感じた。
 福運に包まれた皆さまの和楽の姿が、私はなにより、うれしかった。「学会員の喜び」が私の喜びであり、「学会員の幸福」が私の幸福である。
 この日の朝のもぎたてのトウモロコシや枝豆、サツマイモ、栗、シイタケ、清流から釣ったばかりのニジマス、さらに梨や桃──たくさんのごちそうを皆でおいしくいただきながら、せせらぎのなかで、創価家族の語らいが楽しくはずんだ。一生涯、いな永遠に忘れ得ぬひとときとなった。
 支部婦人部長さんが言われていた。
 「設営も全部、壮年部がやってくれました。うちの壮年部は皆、親切で優しいんです」
 まことに微笑ましく、麗しかった。
 全国的に、壮年部の評判が芳しくないなかで(笑い)、ここは例外である。私は「この蔵王を見よ! 白石に続け!」と宣揚したい。
 また、未来部の皆さんともお会いできた。この白石は、多くの立派な人材を輩出してきた天地である。これからも、ますます陸続と二十一世紀のリーダーが育ちゆくことを、私は確信している。
 世界のどこにいても、皆さま方は、″我が心の故郷″のかけがえない同志として、家族として、私の胸中深く、いつも輝いていると申し上げたい。
4  ここ蔵王の麓は、ロマン薫る「こけしの里」としても有名である。
 「弥治郎こけし」「遠刈田とおがったこけし」などがあり、伝統こけしの発祥地の一つとされる。
 こけしはなぜ作られるようになったのだろうか。
 これには諸説がある。幼い子供を亡くした木地きじ職人(木製の日用品などを製作)が、我が子をしのんで作ったのが始まりとか、子供のすこやかな成長を願う思いを託して作ったのが始まり──など、さまざまである。
 江戸時代の後半には子供の玩具として、さかんに作られるようになった。
 いずれにせよ、こけしには東北らしい温かな心が映し出されている。その表情には気どらない純朴さがある。それでいて凛とした気品がある。
 この「こけしの里」にある墓園は、今後、日本そして世界の″憧れの里″として、さらに親しまれていくにちがいない。
5  インドの東北・日本から「仏教西還」の御予言は学会が実証
 悠久の歴史の天地・シルクロードの都市、クチャ。このたび、ここの亀茲石窟研究所から「高級名誉研究員」の称号とともに「若き鳩摩羅什の像」が私に贈られた。
 鳩摩羅什は「法華経」をインドのサンスクリット語から中国語に翻訳した名訳者として、あまりにも名高い。
 クチャは、羅什の生まれ故郷であり、本年は生誕千六百五十周年に当たる。今回、いただいた像は、その記念として特別に二体だけ制作されたうちの一体である。
 大聖人は、羅什を繰り返し賛嘆しておられる。私が代表して受けたが、この栄誉を大聖人はどれほどお喜びくださることであろうか。(拍手)
6  大聖人は、こう仰せである。
 「肇公ちょうこうの翻経の記に云く「大師須梨耶蘇摩左の手に法華経を持し右の手に鳩摩羅什の頂を摩で授与して云く仏日西に入つて遺耀将に東に及ばんとす此の経典東北に縁有り汝慎んで伝弘せよ」云云、予此の記の文を拝見して両眼滝の如く一身悦びをあまねくす、「此の経典東北に縁有り」云云西天の月支国は未申の方・東方の日本国は丑寅の方なり、天竺に於て東北に縁有りとはあに日本国に非ずや、遵式じゅんしきの筆に云く「始め西より伝う猶月の生ずるが如し今復東より返る猶日の昇るが如し」云云、正像二千年には西より東に流る暮月の西空より始まるが如し末法五百年には東より西に入る朝日の東天より出ずるに似たり
 ──羅什の弟子・僧肇そうじょうは、法華翻経ほんぎょうの後記に、こう記している。「須梨耶蘇摩しゅりやそまという羅什の師匠は、左手に法華経を持ち、右手で羅什の頭をなで、羅什に法華経を授与してこう語った。『太陽が西に沈むように、仏(釈尊)が西(インド)に入滅されて、その残光が、まさに東北に及ぼうとしている。この経典(法華経)は東北に縁がある。あなたは心してこの法華経を伝え弘めよ』」と。
 日蓮は、この未来記を拝見して、両眼から涙が滝のごとくに流れ、喜びが体にあふれるのである。
 「此の経典東北に縁有り」とあるのは、西天のインドは西南の方角であり、東方の日本国は東北の方角である。インドにおいて「東北に縁有り」とは、日本国のことではないだろうか。(中略)
 正像二千年には、仏法は西から東へ流伝した。ちょうど暮れの月が西の空から始まるようなものである。(夕方、月が出る方向は、新月が西で、月齢が増すにしたがって東へ移り、満月は東に出る)
 末法のはじめの五百年には、仏法は東から西に返るのである。ちょうど朝日が東の空から出るようなものである──と。
7  御言葉の通り、釈尊の「月の仏教」は、インドに始まり、中国・韓国等を経て、「東北」の日本に至った。それを実現したのが羅什などの先人の不惜身命の戦いであった。
 そして今度は、「東北」の日本から、大聖人の「太陽の仏法」が朝日の昇るがごとく、東洋を、そして世界を照らしていくのである。
 この大聖人の未来記(御予言)を、寸分違わず証明しているのが創価学会であり、SGI(創価学会インタナショナル)である。
 学会の行動がなければ大聖人の仰せは虚妄となってしまう。学会こそが、事実の上で、経文の上で、道理の上で、仏法の正統中の正統の道を、正しく進んでいるのである。(拍手)
 今回、羅什の生誕の地から像が贈られたことも、その意義深い象徴のひとつであろう。
 (この夏、中国の新疆しんきょう対外文化交流協会からは、貴重なホータン産の「ぎょく」が贈られた。そこには「仏教西還」の四文字が堂々と刻まれていた)
 ともあれ御書に仰せのごとく、「東北」という言葉には、壮大なる「世界広宣流布」のロマンの響きがある。
 「世界の東北」が「旭日」のごとき勢いで、太陽の仏法を地域へ、世界へ広げていかれることを期待したい。
8  諸天は強く守る、「一念」強き人を
 日妙尼といえば、女手ひとつで娘を育てるという身の上でありながら、大聖人を鎌倉から佐渡へはるばる訪ねた在家の婦人である。そのけなげな信心を、大聖人は「日妙聖人」とまで呼んで、たたえられた。
 あるときは、こう励まされている。
 「法華経は女人の御ためには暗きに・ともしび・海に船・おそろしき所には・まほりと・なるべきよし・ちかはせ給へり、羅什三蔵は法華経を渡し給いしかば毘沙門天王は無量の兵士をして葱嶺を送りしなり、道昭法師・野中にして法華経をよみしかば無量の虎来りて守護しき、此れも又彼には・かはるべからず
 ──法華経は、女性のためには、暗い夜にはともしびとなり、海を渡る時には船となり、恐ろしい所では守護役となると(薬王品に)誓われています。(薬王品)
 羅什三蔵は、中国へ法華経を渡されたところ、毘沙門天王が無数の兵士を遣わして、(羅什を守り)葱嶺そうれい(世界の屋根といわれるパミール高原の難所)を送ったのです。(中略)あなたもまた、羅什らの場合と違うはずがありません(必ず諸天が守護しますよ)──。
 信心「強き」女性を諸天・諸仏は「強く」守る。「真剣」の人を諸天・諸仏も「真剣」に守られる。全部、一念三千である。一念で決まる。祈りで決まる。広宣流布のための、まっすぐの行動で決まる。
 この大確信で、幸福に生き抜いていただきたい。
 また、同志は互いに守り合い、互いに諸天善神の働きをなして、仲よく生きていきたい。とくに男性は毅然たるナイト(騎士)として女性を守っていただきたい。(拍手)
9  先日、アメリカSGI文化本部の若き俊英と懇談した。
 その一人、ハワイ大学助教授であるヘフロン博士は、南太平洋に浮かぶサモア島(アメリカ領サモア)の興味深い話をしてくださった。
 サモアは南太平洋中部の島。周辺にはトンガやフィジーがある熱帯地域である。きらめく太陽。降り注ぐスコール。織りなす緑。四方に広がる海。光り輝くサモアの自然は美しい。南国の別天地といわれる。
 ヘフロン博士は、約一カ月をサモアですごされた。善意に満ちた人々の生活と文化に感動されたという。
 サモアのことを聞かれたならば、牧口先生も、そして先生と親交があった民俗学者の柳田国男氏も深い興味をもたれたであろう。
10  博士によると、サモアの人々は「言葉の不思議な力」を確信しているという。
 「言葉は人々の心をいやし、幸せと喜びを与える力がある。また感謝の気持ちを表現し、共感と同情の心を伝えることができる。相手を納得させ、人と人の和を結ぶ力がある」と。
 「言葉の力」「声の力」は偉大である。
 黙っていてはわからない。伝わらない。「声仏事を為す」と説かれるように、声で人を救うことができる。声で魔を切ることもできる。
 言葉で、声で、いくらでも広布の道を開いていける。「語る」ことは戦いである。ゆえに声を惜しんではならない。言葉を惜しんではならない。
 また、さわやかな言葉づかい、賢明な表現ができるよう、自身を洗練していくことも大切な修行である。
11  博士は語られた。
 「サモアの人々は、良き人間関係を築くことを最大の楽しみとし、喜びとしています。どのように人間関係をつくり、そこに価値創造していくか、それが最大の関心事なのです」
 「彼らの行動の基本倫理は、『他人をいかに喜ばすことができるか』。そして、『心身ともに絶対に他人を傷つけてはならない』ということです」
 素晴らしき賢者の生き方ではないだろうか。
 人間とは「人と人の間」と書く。孤独は気ままなようで、わびしい。自分の人格も磨かれないし、可能性も開かれない。
 いかに豊かな人間関係を築くか──よき人間関係こそ人生を彩る財産であろう。そして学会にこそ、ともに思いやり、ともに励ましゆく理想の人間関係がある。
12  「サモアの人々の振る舞いは、尊厳な感じに満ちています。動きはゆっくりしていますが、あたかも氷河のように、ひとたび動き出したら、だれも止めることはできない。決然としたエネルギーを感じるのです」
 東北の方々を思わせる言葉である。
 決して華々しくないかもしれない。だが地道に粘り強く、がんばり抜いておられる。
 重厚な人格がある。素直な心をもたれている。ひとたび立ち上がったなら、前進の勢いは、とどまるところをしらない。
 サモアと同様、薄っぺらな都市文化に侵されない「人間らしい人間」が育つ土壌がある。
 その意味で、東北に、人格薫る「友情の理想郷」をつくっていただきたい。「福運の楽土」をつくっていただきたい。
13  「ただ幸福のため」、それが菩薩
 昭和二十八年(一九五三年)三月、仙台に来られた戸田先生は「三大秘法禀承事」の講義で教えられた。(「聖教新聞」四月十日付)
 「我々は、地涌の菩薩として、大聖人と共に、釈迦の時代に生まれて、釈迦の説法を助けたのである。もともと大聖人の眷属である。我々は、もともと仏であった。仏様が、この世に生まれて、貧乏人や苦労人となり、この御本尊様により、いかに幸福になれるかを実証するのである」
 何があろうと、私どもにとっては、信心の力を「実証」するための悩みであり、苦労なのである。そう自覚すれば、「解決できないはずがない」と確信がわく。勇気がわく。
 悩みが大きければ大きいほど、偉大な「実証」ができる。劇的な「使命のドラマ」を演じられる。
14  昭和三十一年(一九五六年)四月の仙台指導の折、戸田先生はラジオ局のインタビューに応じられた。
 (東北放送の第二回インタビュー。第一回(昭和三十年二月)の折には池田名誉会長〈当時・参謀室長〉が同席した。第三回は昭和三十一年十二月)
 最後にアナウンサーが聞いた。「今回、仙台においでになりまして、会員の方々と親しくお話しなさると思いますが、とくに仙台の方々に望むというようなことはございますか?」
 戸田先生は即座に答えられた。「特別なことはありません。ただ信心を強固にしてですね。一日も早く幸福になれと。これが私の主張です」
 ──″会員に望むことはありますか″″ただひとつ、ある。それは、一日も早く幸福になれということだけです″
 これが戸田先生の心である。歴代会長の心なのである。
 自分のためではない。ただ民衆の幸福のため──それだけを願って戦う。これが指導者である。これが菩薩である。ここに地涌の菩薩の生き方があり、誇りがある。
 今、私どもを世界が見つめている。世界が待っている。どうか、いよいよ堂々と胸を張って、にぎやかに、楽しく前進をお願いしたい。ともに、よき人生を、素晴らしい人生を送っていただきたい。
 きょうは、お休みのところ、遠いところ、ご苦労さま。お会いできなかった方々によろしくお伝えください。
 (東北記念墓地公園)

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