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日蓮大聖人・池田大作

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第二回北海道青年部総会・第六回栄光総会… 戦う気迫の青春は美しい

1994.8.20 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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1  ガガーリン「宇宙から見た北海道は美しい緑」
 宇宙から地球を眺めた時、北海道は何色に見えるか。
 興味深いテーマである。
 「地球は青かった。そして北海道は美しい緑であった」
 人類初の宇宙飛行士、ロシアのガガーリン氏(一九三四〜六八年)は、こう語っている。札幌を訪問した時(昭和三十七年〈一九六二年〉五月)のことである。
 青い地球から、壮大な宇宙へ、ひときわ鮮やかな緑の光彩を放つ──それが北海道の美しき大地なのである。(拍手)
 北海道出身の宇宙飛行士、毛利衛さんも、宇宙から日本に目を向け、真っ先に見た故郷の北海道に感動したと語られている。(「聖教新聞」の「新春てい談」、一九九三年一月一日)
 皆さまは、それほど素晴らしいところに住んでおられる。
 遠いところに、あこがれる必要はない。むしろ世界が北海道を、あこがれているのである。
 海外の方に、「日本でどこに行きたいか」と聞くと、多くの人が「北海道に行きたい」と答える。日本の人に聞いても、同じ答えが返ってくる。(拍手)
 創価学園の生徒からも、「学園時代、北海道に行ったことが、強く印象に残っている」との声が多いと聞いている。(創価学園が修学旅行で訪れるのは、東京、関西の両高校ともに北海道。また、創価学園では毎夏、別海フィールドの大自然を舞台に環境教育を行っている)
 これから、全国からも大勢の友が研修にやって来るであろう。よろしくお願い申し上げたい。また、この「緑の北海道」の大自然を守っていただきたい。そして「本有常住」「常寂光土」の一念で、最高に素晴らしき人生を、この地で勝ち取っていただきたい。
2  ガガーリン氏は、宇宙へ旅立つ直前、こう語った。
 「人間にとって、最大の幸福とは何か。それは、新しい発展に参加することだ」と。
 いい言葉である。海外の人には「哲学」がある。「よりよき人生」を考えている。
 広宣流布──人間革命運動こそ、人類の精神史にとって、最も必要な、最も根本的な、最も幸福な「新しい発展」である。
 その意味で、広布の前進に参加している私どもは、最高に幸福な人生なのである。
3  「内なる宇宙」=「生命」こそ二十一世紀のフロンティア
 ガガーリン氏は「宇宙」を探究した。
 今、私どもは「内なる宇宙」すなわち「生命」の内奥を探究している。
 「生と死」「人間の無限の可能性の開拓」──人生を生きる上から見れば、「外なる宇宙」の探究以上の価値がある。避けては通れぬ、根本の課題なのである。
 人工衛星の打ち上げ成功を聞かれて、戸田先生は言われていた。
 「仏法で説く大宇宙から見れば、小さな小さな豆粒みたいなものだ」と。
 国と国の争いにせよ、人間は、小さなことで一喜一憂するものだ──と。
 今は、ますます人間の心が小さくなっているようである。その心を広げるのが仏法であり、広宣流布の運動である。
 アメリカの宇宙飛行士であったカー博士とお会いしたが(八三年十一月)、博士も「仏法」と「宇宙」の深い連関に関心を表明しておられた。謙虚な一流の方は、おのずと、共通する高い次元に迫られているものだ。
 旭川医科大学の学生部の代表が「『生と死』への考察」という研鑚の成果を届けてくれた。その探究心に感心した。
 「生死」こそ、二十一世紀の最重要の課題である。しかし、多くの指導者は、この難問を避けている。根本の解決を避けていて、何を論じ、何を為そうと、砂上の楼閣である。人類の幸福はない。
 この大課題に真正面からぶつかり、取り組んでいるのが、我が創価学会である。(拍手)
4  エルム合唱団の皆さん、ありがとう! 素晴らしいコーラスでした。(拍手)
 いただいたテープも何度も聴きました。
 北海道とハワイ、ロシア、ヨーロッパ、アジアの交流の決定おめでとう。(拍手)
 (=北海道では一九九五年、ハワイに交流団を派遣。またロシアとの「交流準備委員会」が設置された。さらに、札幌と同様に創価幼稚園のある香港、シンガポール、マレーシアとも交流を推進)
 健康で、無事故で、実りある交流となるよう、念願している。(拍手)
5  恩師に捧ぐ、全ての栄誉を
 北海道に来るたびに、戸田先生のことが一層懐かしく思われる。
 昭和二十九年(一九五四年)、私は戸田先生とともに、初めて北海道を訪問した。先生は、私を故郷の厚田村に案内してくださった。
 厚田の海を見つめながら、戸田先生は私に言われた。
 「この海の向こうには、大陸が広がっている」
 「東洋に、そして、世界に、妙法の灯をともしていくんだ。この私に代わって」──。
 以来、今年で四十年──。
 この夏、私は、戸田先生が指し示してくださったアジアの大陸・中国の、新疆しんきょうウイグル自治区の各種団体から数々の栄誉をいただいた。(拍手)
 新疆大学からは「名誉教授」の称号。同大学は西域最大の総合大学である。
 また、新疆シルクロード撮影協会からは、一億三千七百万年前の「樹化石」をいただいた。
 (化石を納めた玉の箱には、「百世之師」〈現在、過去、未来にわたる永遠の師〉と刻まれていた。また、同協会からは「名誉主席」の称号も贈られている)
 新疆対外文化交流協会からは、″ホータンの玉″。ホータン産の玉は、かつて″十六の国と交換されるほど貴重″といわれた。いただいた玉には、「仏教西還」の四文字が刻まれていた。(拍手)
 (このほか、新疆ウイグル自治区博物館の「名誉教授」、鳩摩羅什の生地・亀茲きじの石窟研究所からは「高級名誉研究員」の称号と「若き羅什像」、新疆文物考古研究所の「名誉研究員」など幾多の栄誉が贈られている)
 私は、これらの知らせを、戸田先生から東洋広布そして世界広布を託された、この北海道で聞いた。
 仏法の縁は不思議である。これらすべての栄誉を、私は北海道の皆さまとご一緒に、謹んで恩師・戸田先生に捧げたい。(拍手)
6  師匠の故郷は私自身の故郷
 大聖人は、「故郷」を、こよなく愛しておられた。″大理性″の方であられるとともに、″大感情″の方でもあられたことを示す一端である。
 御書には仰せである。
 「当時・日蓮心ざす事は生処なり日本国よりも大切にをもひ候、例せば漢王の沛郡を・をもくをぼしめししがごとし・かれ生処なるゆへなり
 ──今、日蓮が心を向けているのは、生まれた土地(故郷)のことである。日本の国よりも大切に思っている。たとえば、漢の王(劉邦)が、沛郡を重く思われたようなものである。これは沛郡が(劉邦の)生まれ故郷だったからである──。
 第三祖・日目上人は、この大聖人の御心を、よく知っておられた。そして晩年、御自身も、「できることならば、大聖人の故郷に住みたい」との心情を記されている。
 (「抑安房国は聖人の御生国、その上二親〈大聖人の御両親〉の御墓候の間、我身〈日目上人〉も有り度候へども」〈『富士日興上人詳伝』〉と、門下の日郷へのお手紙にある)
 私には、第三祖のこのお気持ちが、痛切に迫ってくる。
 「師弟不二」なるがゆえに、師匠の故郷は、かけがえのない場所である。
 私にとって、恩師が愛された故郷・北海道は、何ものにも代えがたい大切な天地なのである。(拍手)
7  先ほどの御書には、漢の王・劉邦が故郷を大切にした史実が示されていた。
 彼が熾烈なる闘争に打ち勝ち、故郷に凱旋した折、自ら歌を詠んだことも有名である。
 彼は、その歌を故郷の少年たちに歌わせながら、舞を舞った。
 私は、今、その劉邦の気持ちと二重写しで、語っている。先ほどの「厚田村」の合唱を、この思いでお聴きしたのである。
 劉邦が作ったのは、次のような歌である。
 「大風起こりて雲飛揚す。威、海内に加わりて故郷に帰る。安くにか猛士を得て四方を守らしめん」(『項羽・劉邦』、『現代視点・中国の群像』所収、旺文社編)
 ──大風が起こって雲が高く飛んでいる。そのように、私は身を起こし、天下を平定した。その威光は全土に及び、今、王者となって故郷に帰ってきた。このうえは、何とか勇猛の士(勇敢なる人材)を得て、この国土の四方を守らせたいものだ──。
 このように劉邦は詠み、自ら舞った。
 天下を飲む、男らしい気概に満ちている。また故郷への愛情がこもっている。
 「猛士」──「勇気ある後継の人材」が出るかどうか。また、知恵のある人材がいるかどうか。いかなる世界であれ、それによって、未来の命運は決まる。
 「今」が、どんなに勢力を誇ろうとも、また、どのような逆境に陥ろうとも、「未来」は全部、次の人材で決まるのである。
 ゆえに私は、日本中、世界中で、人材を育てるために、あらゆる手を打っている。
8  「創価の故郷城」を守りゆけ
 この北海道は、私が牧口先生、戸田先生の心を我が心として、皆さまとともに築いてきた「民衆の幸福城」である。「創価の故郷城」である。
 我が愛する関西と同じく、大切な、大切なこの「幸福城」「故郷城」「三代城」を、断じて魔軍に破壊させてはならない。
 魔には、つけ入るスキを与えてはならない。(拍手)
 「すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」──少しでも、信心を怠る心があれば、魔がそこにつけ入るであろう──と御書に仰せの通りである。
 油断なく、常に前進しながら、堂々と魔を打ち破っていく。そういう「戦う人」には魔がつけ入るスキがない。
9  日寛上人は「猛将・勇士は弱敵を破るを以てその功と為さず」(文段集四一九㌻)と述べられている。
 ″勇猛な将、勇気ある丈夫というものは、弱い敵を破ることをもって、功績とはしない。強敵と戦って、それを打ち破ることこそ、望むところである″との意味である。
 相手が強ければ強いほど、勇んで戦い、打ち破っていく。それが大聖人直系の門下の誉れである。
 北海道の友は、善良である。人間が、すれていないというか、純情である。
 だからこそ、邪僧をはじめ悪い指導者にとっては、これほど楽なところはない。皆、いいように振り回され、だまされてしまう。そういう危険がある。
 それではいけない。鋭く、賢明に悪を見極め、厳然と「魔」を打ち破っていかねばならない。「魔」は徹底して倒さなければ、こちらが″魔力″に侵食されてしまう。
10  「未曾暫廃」(開結五〇〇㌻)という言葉がある。私どもが読誦している寿量品(法華経)の一句である。
 「未だ曾て暫くも廃せず」と読む。仏は皆を救うために、いまだかつて少しの間も活動をやめたことがない、という意味である。重大な御言葉である。
 戸田先生は、この一句を、さまざまな角度から説かれたが、結論として、「常に、勇気凛々と戦うことだ」と教えられた。仏さまと同じになるわけにはいかないが、常に「勇気」の二字で戦うことが、この経文に通じていく、と。
 どうすれば皆が幸せになるのか、喜ぶのか、元気になるのか。どうすれば皆が希望に燃えて進めるのか──この一点に常に心を配る。少しも気を緩めない。その一念が「未曾暫廃」に通じる。
11  「皆のために」ではなく、「自分を」偉く見せようとして、見栄で動いているリーダーもいる。
 話ひとつにしても、皆が我慢していることもわからず、独りよがりに、だらだらと長話を続ける幹部もいる。「伝達」だけに終始するリーダーもいる。
 そうではなく、指導者は、自分自身が「戦う気迫」を満々とたたえ、その気迫で皆を勇気づけ、奮い立たさなければならない。
 ″よし、やろう″″私も立とう″という「戦う息吹」を触発しなければならない。
 また、だれも気がつかない細かなところ、陰の人の苦労にまで心を配り、激励の手を差しのべる真剣さも、「未曾暫廃」の心に通じるであろう。
 私も、そのために日々、朝から晩まで、辛労を尽くしている。その真剣さはだれにもわからないであろう。
12  苦に徹すれば珠を成す──二十代、三十代で土台を
 「戦う気迫」を見事に表現した彫刻に、ミケランジェロの「ダビデ」像がある。高さ五メートル以上。堂々たる威容である。
 私はこの五月、イタリア・ルネサンスの発祥の地・フィレンツェを訪問した。
 その折、訪れたミケランジェロ広場に、「ダビデ」像(複製)は建っている。
 広場からは、フィレンツェの街並みが一望できる。目の前にはアルノ川が、ゆったりと流れていた。戸田先生の故郷の厚田川のように。
 「ダビデ」像は、ミケランジェロが二十六歳のときに着手した作品である。
 彼は、それまでだれも手をつけず、何十年もの間、放置されていた巨大な大理石の塊に挑んだ。
 「よし、おれが彫ろう! ここにダビデを」と。
 その三年後、像は完成。今から四百九十年前(一五〇四年)のことである。
13  戸田先生は、よく語っておられた。
 「大事業は、二十代、三十代でやる決意が大事だ。四十代に入ってから″さあ、やろう″といっても、決してできるものではない」と。
 二十代、三十代で決まる。基礎は固まってしまう。地味なようでいて、実はいちばん大事な土台をつくる時なのである。
 基礎を深く深く掘り、盤石な土台を築かなければ、高い建物は建てられない。
 人生の土台は、自然のうちにできるものではない。若き心に、どう決めるかである。
 「自分は、こう生きよう」「こうなろう」「自分は一生、広宣流布に走るのだ」「自分は一生、この信心で、この舞台で戦うのだ」──そう″決めた″人が歴史を残せる。
 ″決めた″一念が、大成長への「因」となる。「種を植える」ことになる。種である間は、外からは見えない。けれども、やがて芽を出し、根を張り、枝葉を茂らせる。大木となる。
 本当に透徹した決意の「種」は、何百年の後にまでも仰がれる壮大な「大樹」となっていく。
14  「いつか」ではない。「今」である。「今」が、戦う時である。
 「如々として来る」を如来という。「如来」とは、哲学的には、「過来」「未来」に対して、今、この瞬間、瞬間に、躍動し、迸り、創造し、拡大し続ける、偉大な生命力を意味する。
 ともあれ、「今だ!」「今からだ!」と、どこまでも「現当二世」に生き切る。「現在」から「未来」へと挑戦し続ける。それが「本因妙」の仏法である。
15  作家の吉川英治氏は、ある裕福な青年に語った。
 「どの青年もおしなべて情熱との戦いを繰りかえしながら成長して行くのに、君は不幸だ。早くから美しいものを見過ぎ、美味おいしいものを食べ過ぎていると云う事はこんな不幸はない。喜びを喜びとして感じる感受性が薄れて行くという事は青年として気の毒な事だ」(復刻版吉川英治全集月報『吉川英治とわたし』〈講談社〉のなかで岡副昭吾氏が紹介している)
 青年期には、青年期の生き方がある。「さあ戦おう!」と、どんな苦難も恐れず進む。むしろ困難を求めて進む──これが青年である。
 「苦徹くてつたます」(「草思堂随筆」、『吉川英治全集』47所収、講談社)──。ここに、苦闘の青春時代を送った吉川氏の人生哲学の結論があった。
16  「勇気」で人生を切り開け
 ミケランジェロの「ダビデ」像には、際立った特色があるといわれる。それは何か。
 言うまでもなく「ダビデ」とは、古代のイスラエルで宿敵の巨人(ゴリアテ)を倒し、祖国を救った、羊飼いの「無名の青年」である。
 それまで「ダビデ」といえば、敵の首を討ち取って踏みつける″勝利の場面″として描かれていた。(一四四〇年ごろ、ドナテルロの「ダビデ」像など)
 しかしミケランジェロは違った。彼は、戦い終えて勝ち誇るダビデではなく、まさにこれから戦おうとする、挑戦の姿、出発の姿を、堂々と彫ったのである。
 ──敵を一点に見つめて動かない、鋭い眼差し。戦いを目前にして、「よし、戦おう」「おれは戦ってみせる」という緊張感と気迫。そして祖国を救うのだとの決意が全身に表れている。勇気凛々たる姿、誇り高き青年像である。
17  ミケランジェロは、「ダビデ」の像によって、人間とは「罪深い、あわれな生き物」ではなく、「自らの知性と意志と勇気で人生を切り開いていく主体的な存在」であることを訴えようとしたのではないかとされる。
 当時、フィレンツェの自由と独立は、内外ともに危機にさらされていた。ミケランジェロの「ダビデ」像は、議会の広場の中央に置かれ、困難に立ち向かう市民の団結を大いに鼓舞したのである。
 勝利を誇る姿──それも美しい。しかし、それ以上に美しく、気高いのは″さあ、戦うぞ!″″いよいよ、これからだ″という、挑戦の姿であろう。
 勝ち誇る人間は、傲慢になったり、調子に乗ったりする。人々を見下すようになる場合もある。ミケランジェロは、そういう人間を彫ろうとはしなかった。
 尊いのは、「戦う」一念である。ある意味で、勝っても負けても、「戦う」こと自体が偉いのである。何があろうと「戦い続ける」人は、すでに人間として「勝っている」といえる。
 青春とは「闘争」の異名である。すべてが闘争である。
 なかんずく、人類のために最も根本的な大闘争は「広宣流布」である。
 広布のために、尊い情熱の炎を燃やしておられる皆さまの日々に、「永遠の栄光」が刻まれていることを、確信していただきたい。(拍手)
18  きょうは白石文化会館にも、人材グループ、音楽隊、合唱団、文化局、社会局、役員の方々などが、集っておられる。大変に、ご苦労さまです。
 また、この会場には、奥尻島からも代表が来られている(拍手)。利尻島、礼文島の方々も、ようこそ!
 男子部、女子部、学生部、未来部の皆さん。青年部・婦人部・文化局の人材グループ、十六の大学会──。すべての参加者の皆さま、すべての同志の皆さま、きょうは本当にご苦労さま。ありがとう!
 間違いなく、「二十一世紀は、北海道の時代」である。青年部の諸君に「北海道の未来を、万事よろしく」と申し上げ、記念のスピーチを終わりたい。
 (北海道講堂)

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