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日蓮大聖人・池田大作

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第78回本部幹部会、第三回SGI世界青… 「生きる」とは自己実現の戦い

1994.7.12 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

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2  ご存じのように、先日(七月二、三、四日)、私は、チリのエイルウィン前大統領と語り合った。
 豊かな人格と教養を備えた哲人政治家として、世界的に有名であられる。また、「詩人の国」チリにふさわしい、詩心の豊かな指導者でもある。
 語らいの席でも話題となったが、チリを代表する詩人に、パブロ・ネルーダ(一九○四〜七三年)がいる。今月の十二日で、ちょうど生誕九十周年を迎えるようである。
 ネルーダは、信念の行動ゆえに、迫害され、亡命も余儀なくされた。
 ──偉大な人物には、必ず迫害がある。迫害のない人は、本物ではない。人民のため、世界のため、国のために、本当には行動していないのである。
 これは、仏法の世界でも同様である。迫害こそ、真実の仏法者の証である。御書に、きちっと、明確に仰せの通りである。
 ネルーダは、迫害のなか、不屈の闘争を貫いた勇者であった。その存在は、今も光り輝き、尊敬を集めている。その詩も多くの人々に愛され続けている。
3  詩人ネルーダ──わが誉れ、それは「人間への希望」
 彼は一九七一年、ノーベル文学賞受賞の折、こう語っている。
 「私は常に人間を信じて来ました。決して希望は捨てませんでした。だからこそ、たぶん私は私の詩と私の旗を掲げて、ここ迄たどり着くことが出来たのだと思います」(「ネルーダ」篠沢眞理訳、『ノーベル賞文学全集』25所収、主婦の友社)
 ″人間を信じ、自分を信じ、断じて希望を捨てない″──ここに、彼の力の源泉があった。いかなる苦しみにあっても、「希望」が輝いている限り、その人は「勝利」の人である。苦難に勝っているのである。
 彼はその生涯において、ノーベル賞のほかにも、数々の栄誉に輝いた。
 しかし、のちに彼は、こう振り返っている。
 ″私は、それらの賞よりも、もっと大きな賞を獲得した″と。その「もっと大きな賞」とは何か。それは、「人民の詩人」という栄光であった。
 すなわち、社会でいちばん苦労している庶民が、自分を応援してくれる。そして、その庶民と苦しみをともにしながら、彼らに勇気を贈っていく──それが、彼にとって、何よりも重大なことだというのである。
 彼は、この「人民の詩人」という栄誉について、力強く述べている。
 「多くの者が軽蔑しはするが実際には多くの者の手の届かない賞なのだ(中略)私は私の国の人民の詩人となることができた。これが私の賞だ」「これが私の月桂樹だ」(『ネルーダ回想録──わが生涯の告白』本川誠二訳、三笠書房)
4  「民衆とともに歩み」、「民衆の側に立つ」ことを、無上の誇りとする。この心に立つ人は強い。永遠に負けない。
 権力者だから偉いのか。政治家だから、有名人だから偉いのか。断じて、そうではない。名声など、幻のようなものである。
 これまでにも、学会のおかげで偉くなりながら、会員を下に見たり、庶民をバカにして威張る人間がいた。今もいるかもしれない。それらに断じて、だまされてはならない。許してもならない。
 「庶民とともに」「会員とともに」──これが、我々の、根本中の根本精神であることを、私は明確に申し上げておきたい。(拍手)
5  庶民ほど、強いものはない。創価学会は、偉大なる「庶民の団体」である。学会の強さは、そこにある。
 また、民衆ほど賢いものはない。虚像の有名人が賢いか──断じて、そうではない。
 創価学会は、民衆を根本とする。苦しんでいる庶民を守り、心から大切にしてきた。だからこそ、学会はここまで大発展した。民衆のために、民衆自身が、民衆の力でつくったのが、この尊き創価学会なのである。
 これからも、学会は、永遠に庶民とともに進む。どこまでも民衆とともに生きる。民衆という大地に、根を張っていく。これが私どものすべてである。「広宣流布」の根本の大精神である。ここにこそ、また、ここにしか、万年の勝利の栄光はない。
 「庶民のリーダー」とは、平凡なようであって、実はいちばん強靭で、いちばん尊いリーダーなのである。その「誉れの人生」を歩んでいる人こそ、皆さま方である。
 きょうは、各国の若き″偉大なる指導者″が集われた。私は、うれしい。画期的な「歴史の一日」である。世間の、どんな耳目を引くニュースよりも、何千倍も尊く、偉大な歴史が、ここに、つづられたのである。(拍手)
6  ロマ・クラブ会長「明日では遅すぎる。今日、何かしなければ」
 本日は、「人類の英知」ローマ・クラブのホフライトネル会長が、まことに多忙ななかを来てくださった。
 ローマ・クラブ会長として、環境問題、開発問題、人権問題など、現代世界が直面するさまざまな″地球的問題群″に真っ向から取り組んでおられる。時代と世界の最先端で活躍されている方である。
 先ほども、そうした問題を種々の角度から語り合った。会長は話の展開が早い。一分たりとも無駄にされない。私も真剣に応じた。対話のスピードに通訳の方も驚かれていた。
 会長は、母国スペインでは、マドリード自治大学をはじめ四つの大学の創立に尽力されるなど、教育にも力を注いでおられる。
 かつて私との対談(一九九二年五月)のなかで会長が語っておられた真剣な一言が、今も私の脳裏に刻まれている。
 「『明日では遅すぎる。今日、何かしなければ』という危機感に突き動かされて私は働いています」
 仏法の「臨終只今にあり」の一念に通じる。
 会長は、この言葉の通り、休む間もなく、真剣に世界を駆け回っておられる。
 「自分のしている貢献は、あまりにも小さい。人類のために、もっと何かしなければならない。いつもそう思って私は働いています」とも言われていた。
 学会の草創期も、こういう決心であった。これを忘れてはならない。
7  人生の充実は、どこにあるのか。
 会長の祖国スペインの思想家オルテガは、こう述べている。
 「真の生の充実とは、満足や達成や到達にあるのではない」
 「生とはすべて、自己実現のための戦いであり、努力である。私が自分の生を実現させるに当たって直面する困難こそ、まさしく私の能力を目覚めさせ、行動をひき起こすものなのだ」(『大衆の反逆』桑名一博訳、『オルテガ著作集』2所収、白水社)と。
 「これくらいで、もういいだろう」という妥協。「今のままで十分だ」という自己満足。それでは、どこまでいっても中途半端な人間しかできない。
 仏道修行も、中途半端では仏になれない。
 人生の真の「充実」をどう自分でつくるか。どう自分が動き、実感するか。それが大事である。
 人に言われてではなく、自ら目的をつくり、あえて困難に挑戦していく。努力を続けていく。そのなかでこそ、自分自身の「能力」も「人格」も大きく開花していく。
 仏法の世界にあっては、立ち止まってはならない。「人々のために」「広布のために」と、自分にどれだけの使命を与えていけるか。これが勝負である。
 広布への前進には、どこまでも「不自惜身命(自ら身命を惜しまず)」であらねばならない。
 これを忘れたら指導者失格である。聖職者失格である。
 戸田先生は、よく言われていた。
 「臆病な幹部はいらない。本当に、一緒に広宣流布をしよう、大聖人の仏法を広めよう、不幸の人を救おうという心を失った幹部は学会から出ていってもらいたい。
 こういう人間には、いてもらっては困る。邪魔になる。不潔になる。学会が濁ってしまう」と。
 SGI(創価学会インタナショナル)の青年部の皆さまは「もっと成長しよう」「もっと訓練を受けよう」と喜び勇んで来日された。「もっと」「もっと」と間断なく前進しておられる。
 まことに偉大な姿であると、私は心から賛嘆申し上げたい。(拍手)
 日蓮大聖人も、「善哉」「善哉」と、ほめてくださっていると信ずる。
8  男子部では、この三カ月で約八万人の新しいメンバーが誕生したと、うかがった。(拍手)
 宗門は、血眼で駆けずり回って″六万総登山″──随分違う(爆笑)。
 学生部では、先頭に立って奮闘された。大きな歴史となるにちがいない。
 女子部は、六月の青年部教学試験一級で、健闘されたという。
 交通も大変、社会環境も、あらゆる点で困難な条件を乗り越えて、法のため、民衆のために、懸命に戦っておられる。最大に尊い姿であられる。
 全国の同志の広宣流布への健闘を心からたたえたい。(拍手)
9  今、人間復興=人間革命しかない
 もう一度、ローマ・クラブの話をさせていただく。
 亡くなった創設者のペッチェイ博士とは、何度も語らいを重ねた。私の大切な友人であった。
 博士は、亡くなられる十二時間前まで口述されていた最後の論文で、こう述べられている。遺言ともいうべき言葉である。
 「ローマクラブが果たすべき本質的役割は、人間の精神を復興することと、人類の運命を健全な社会のうちにとり戻すことに、できるかぎり貢献することだと考えます」(『ローマクラブ:今世紀の終わりへ向けての備忘録』よかトピアン・クラブ)
 「人間精神の復興」──博士はそれを「人間革命」と呼ばれていた。
 (SGI会長との対談集『二十一世紀への警鐘』〈読売新聞社刊〉の中で、博士は「現代という苦難の時代におけるこの人間精神のルネッサンス〈復興〉こそ、私が″人間革命″と呼んでいるものなのです」と語っている)
 ホフライトネル会長も、ペッチェイ博士のこの遺志を継いで、戦っておられる。人類の未来のため、人間精神の復興のために、世界を舞台に活動されている。
 会長は「SGIと私たちは同じ目的に向かって行動しています。さまざまな面で連携をとり、協力していきたい。学んでいきたい」と、謙虚に語られていた。
10  ″理想に殉じる″高貴なる人生
 この七月は、創価学会の歴代の会長が、権力の邪悪と戦い抜いた意義深き月である。
 三日は戸田先生の出獄の日であり、不思議にも、私の入獄の日となった。
 六日は牧口先生と戸田先生の逮捕の日に当たる。
 そして十七日は私の出獄の日である。
 大聖人も、権力と敢然と戦われた。日本の権力者を「わづかの小島のぬしら主等」と呼ばれて、悠々と見おろしておられた。ちっぽけな、嫉妬の人間など、仏法の大境涯から見れば、あまりにも小さい。
11  ペッチェイ博士も、第二次大戦中、レジスタンスの闘士として戦い、投獄されている。
 獄中の非道な扱いの模様は、私もくわしくうかがった。
 博士は、獄中で受けた暴力と憎悪の体験を回想して、こう語っておられる。
 「不当な扱いを受けた人よりもそれを行った人の方が人間として堕落する」(『人類の使命──ローマ・クラブはなぜ生まれたか』大来佐武郎監訳、ダイヤモンド社)
 いじめられた人のほうが、人間として勝っているのである。いじめたほうが堕落し、敗北者となるのである。この原理を忘れてはならない。
 「極度の苦難の中にあっても、自分の理想を確信し、どんなに犠牲になっても理想を捨てようとしないときに人間の精神的な強さがいかに高貴で不可侵なものであるかを私の仲間たちの中に見た」(同前)とも語っておられる。
 この一言を、かみしめていただきたい。
 こういう高貴なる信念の人が、今、どれだけいるか──。
 このペッチェイ博士の熱き理想の炎を受け継ぎ、ホフライトネル会長は奔走されているのである。
12  本日の会合に合わせて、各地で記念の集いが開催されている。ご苦労さまです。全国の皆さまは、本当にけなげに戦っておられる。(拍手)
 今回から衛星中継が開始されたのは、東京・八王子滝山会館、北海道・足寄会館、三重・四日市会館である。
 音声中継が始まったのは、個人宅の三会場で始まった。静岡で二会場、沖縄で一会場である。
 広布の拠点を提供してくださる──まことにありがたいことである。感謝の心をもって「ありがとうございました。またよろしくお願いします」と、丁重にお礼をして帰っていただきたい。
 会場を使用するにあたっては、こまやかな配慮が必要であろう。親しきなかにも礼儀が大切である。
13  この会場には各種グループの代表として、鳳雛会、団地部、未来部担当者、宝光グループの方々が参加されている。(拍手)
 (宝光グループは「人間革命の歌」が発表された一九七六年〈昭和五十一年〉七月十八日、初のテープ録音に携わった富士学生合唱団の代表。十八年後のこの日、SGI会長の提案で再び同曲を合唱し、満場の喝采を浴びた)
 最後に提案したい。偉大なる世界の我が友、若き大指導者を、重ねて拍手で賛嘆しましょう。(日本のメンバーは立ち上がって盛大な拍手。SGIのメンバーも拍手で応える)
 皆さま、また日本に来ていただきたい。私も、日本中の学会員も待っている。私は毎日、皆さまにお題目を送ります。きょうは、ありがとう。サンキュー!
 (創価国際友好会館)

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