Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第18回SGI総会 心に「虹」をもつ人は幸福

1994.6.14 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

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1  「妙法の城」を守る人は生命に「黄金の城」が
 天も輝き、人も輝く、素晴らしきSGI(創価学会インタナショナル)総会おめでとう!(拍手)
 三十八カ国からお集まりくださった皆さま、本当にご苦労さまです。ようこそ、いらっしゃいました。日本の交流団の皆さまも、ご苦労さま。創価同窓の方々、おめでとう。
 また、イギリスの皆さまには大変にお世話になり、心から感謝申し上げたい。サンキュー・ベリー・マッチ!(拍手)
 このタプロー・コートも立派に荘厳してくださり、感謝にたえない。広布の城を荘厳する人は、自分自身の生命を荘厳する人である。自分自身の生命に「黄金の城」ができていく。崩れない「福徳の城」ができていく。
 広布の世界で体を使えば健康になる。力を使えば威光勢力が増す。信心に一切、無駄はない。
2  ワーズワース″感動がなければ、生きる意味がない″
 イギリスの友の美しい真心を映し出すかのように、六月八日のチャールズ皇太子の私邸に招かれた日、大きな虹が、このタプロー・コートに二度もかかった。
 この虹を見て、リーダーのお一人である高校の先生は、すぐに、イギリスの著名な自然詩人ワーズワースの虹の詩を口ずさまれたという。さすがに「詩の国」イギリスのメンバーである。広宣流布のためには、幅広く何でも知っておくことが力となる。
 私も大好きな詩であり、天文学者ウィックラマシンゲ博士との対談でも、この詩をめぐって語り合った。
 私の心は躍る、大空に
 虹がかかるのを見たときに。
 幼い頃もそうだった、
 大人になった今もそうなのだ、
 年老いたときでもそうありたい、
 でなければ、生きている意味はない!
 子供は大人の父親なのだ。
 願わくば、私のこれからの一日一日が、
 自然への畏敬の念によって貫かれんことを!
   (平井正穂編『イギリス名詩選』岩波文庫)
 「感動」がなくなれば、生きている意味はない、と。
 子供のころのように、生き生きと、虹に心を躍らせる。ものごとに新鮮に反応する。その、みずみずしい心に幸福はある。
 いつも下を向いてグチってばかり(笑い)、文句ばかり(笑い)──それでは富があろうと、地位があろうと不幸である。「心」こそ大切なのである。
3  虹といえば、私は、先月、歴史的な出発をされた南アフリカ共和国のマンデラ大統領の就任スピーチを思い起こす。マンデラ大統領は信頼する私の友人であり、招待状もいただいている。
 本日は、南アフリカ共和国からも、はるばる我が同志が参加されており、私は最大に歓迎申し上げたい。
 マンデラ大統領は、あらゆる人々が平等に、平和に、そして尊厳をもって生きる「虹の国」を建設しよう! と呼びかけられている。新生・南アフリカの限りなき栄光を私は祈りたい。
 一次元からいえば、政治は力で結ばれる。経済は利害で結ばれる。これに対し、文化は心で結ばれる。ゆえに、私どもは、美しき心の虹で、さらに世界を結びたい。
4  修利槃特の逸話──すべての人にかけがえのない使命が
 きょうは難しい講演ではなく、釈尊と美しい師弟の歴史を刻んだ、一人の庶民に光を当てたい。それは、「どんな人にも使命がある」という話である。
 皆さまもご存じの修利槃特──彼は、もの覚えが悪いことで有名であった。自分の名前さえ忘れてしまうほどで、御書にも「閻浮第一の好く忘るる者」──世界一の忘れん坊──と仰せである。
 したがって、彼は兄とともに釈尊の弟子となったものの、一生懸命、努力しても、修行は遅々として進まず、皆から馬鹿にされていた。
 ある日、とうとう兄からも見放され、「お前には見込みがない。だめだ。もう家へ帰れ!」と教団を追い出されてしまった。
 この日のことを、のちに彼自身が、しみじみ振り返っている。
 ──追い出され、私はがっかりして、道ばたに立ちつくしていた。″こんな自分でも、救ってくれる教えが、まだあるのでは″と、ひそかに期待しながら……。
 すると、そこに我が師・釈尊が来られた。
 師はやさしく、私の頭をなでてくれた。そして、自ら私の手を取って、再び教団へ連れ帰ってくれたのである──と。
 失意の弟子にとって、師匠のこの慈愛は、どれほどうれしかったことであろう。
 だれから見捨てられようとも、師匠だけは自分のことをわかってくれる。信じてくれる。守ってくれる。彼は発奮した。
5  仏法の世界は平等である。御本尊は、だれ人をも救ってくださる。
 また善知識(よき友)の世界であり、先輩は後輩を大切に守り、育てなければならない。叱ってばかりいるのが先輩ではない。温かい励ましが必要である。
 仏法の精神から見て、世界一千万の信徒の幸福を嫉妬し、破門するなどということが、どれほど大聖人の御心を踏みにじる行為であることか──。
 その後、釈尊は、この修利槃特が、喜びをもって仏子に尽くしながら、境涯を深めていけるよう指導している。
 彼は、この師匠につききり、ただ師匠の言う通りに、真心の行動を貫いた。そして彼は勝った。
 法華経では、兄とともに「普明如来」という成仏の記別を与えられている。一見、愚かなように見えて、実は最高に価値ある聡明な人生となったのである。
6  「仲良き」ところは必ず発展
 大聖人は、一二七五年(建治元年)六月の門下への御手紙でも、こう仰せである。
 「すり須梨はむどく槃特は三箇年に十四字を暗にせざりしかども仏に成りぬ提婆は六万蔵を暗にして無間に堕ちぬ・是れひとえに末代の今の世を表するなり、敢て人の上と思し食すべからず
 ──修利槃特は三年かかっても、十四文字を暗唱できなかったけれども、仏になった。提婆達多は、六万蔵という膨大な経典を暗記したけれども、無間地獄に堕ちた。このことは、ひとえに末法の今の世のことを表しているのである。決して他人のことと思ってはなりません──。
 信仰者としての偉さはどこにあるか。経歴や肩書、才覚などでは決して判断できない。皆の礎となって、仏子のために黙々と頑張っている──その「信心」と「人間性」を見逃してはならない。
 その人こそ、だれよりも尊き「成仏の人」である。仏になる方々である。
7  釈尊も、そして大聖人も、真面目な庶民を徹して大切にされ、庶民を守り抜かれた。
 学会も民衆とともに生き、民衆を何よりも大事にしている。このような気高き民衆の世界、真心の世界は二度とできないであろう。
 学会はどこまでも、学会らしく、民衆とともに進んでいく。
 ──イギリス在住の天才音楽家メニューイン氏がSGIのことを知ったのも、イギリスの婦人部の一メンバーとの出会いからであったという。
8  大聖人は、この修利槃特の兄弟を通して、うるわしい団結を教えておられる。修利槃特は二人の兄弟の名前であったとの説もある。
 一緒に戦っていた大田・曾谷・金原という三人の門下に与えられた御書に、こう仰せである。
 「修利槃特と申すは兄弟二人なり、一人もありしかば・すりはんどくと申すなり、各各三人は又かくのごとし一人も来らせ給へば三人と存じ候なり
 ──修利槃特というのは、兄弟二人です。どちらか一人でもいれば、修利槃特と呼ばれました。あなた方三人もまた、同じです。三人のうちの一人が来られても、三人一緒であるように思われます──と。
 三人が一つの名前で呼ばれるほど、一体になって前進していきなさいと指導されている。
 意見をかわし、たとえ、ときにはケンカしながらも、ともかく力を合わせていく──。大聖人は、この原理を示してくださっている。
 一人の独裁では提婆に通じてしまう。何があってもリーダーは、仲良く、協調していかねばならない。そうでなければ皆が、かわいそうである。
 それぞれの国、それぞれの地域にあって、永遠の同志、永遠の兄弟、永遠の家族として、「仲良く」行進していただきたい。「仲良き」ところは必ず発展する。
9  私の願いは、皆さまが大いなる功徳を受けられることである。
 功徳を受けていますか?(いっせいに挙手)
 もっと受けていただきたい。無量無辺に功徳を受けていただきたい。それだけが私の願いである。(拍手)
 きょうはともに楽しい、意義ある一日を過ごしましょう!
 (イギリス・タプロー・コート総合センター)

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