Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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イタリア最高会議 ルネサンスとは「希望」「生命の春」

1994.5.29 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

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2  本当に、イタリアは立派に発展された。この妙法の「永遠城」に、やがてさらに多くの人々が集い、にぎやかな″人間共和の都″を広げていくにちがいない。
 (一九八一年五月、イタリア訪問の折、SGI〈創価学会インターナショナル〉会長は語った。
 「ここイタリアの地を流れるポー川も遠くアルプスの山中に端を発し、ベニスへ至っている。その大河の流れも、アルプスの一滴から始まっている。同じように、この生命のルネサンスの運動も、やがて三十年後、五十年後には大河の流れとなるであろうことを宣言しておきたい」
 そのころ、イタリアのメンバーは青年、学生が中心であった。彼らが、社会の柱として活躍していくにしたがって、SGI会長の言葉通り、飛躍的に広布は発展した)
3  「希望」こそ最高の財産
 イタリアといえば「ルネサンス」。ルネサンスとは「再生」の意味であり、「春」がその象徴である。春は草木が萌え出て、万物は新しく生まれる。
 東洋(中国)に、こんな言葉がある。
 「一年の希望は春で決まる。一日の希望は暁で決まる。家族の希望は和合で決まる。人生の希望は勤勉で決まる」
 希望そのものが「生命の春」である。「一念」が光に向かって花開く。
 心に「希望の春」をもつ人は幸福である。
 「宝島」で有名なイギリスの作家スチーブンソンは言った。
 「希望は永遠の喜びだ。それは土地のような確実な所有物であり、私達が使い果たすことのできない、且つ私達に年々快い活動をもたらす財産である」
 希望という「心の財」は、無限に価値を生む。最高の財産である。
 創価学会には、これまで数限りない迫害があった。そのたびに、「もうおしまいだ」と言われた。
 十五年前、吹き荒れる嵐のなか、私が日本の創価学会の会長を勇退した時も、だれ一人、今の学会の発展を予想した人はいない。
 しかし、私には常に、「希望」があった。また学会と学会員に無量の「希望の道」が開けるよう、祈り続けた。その勝利への一念に、「因果倶時の春」がはらまれていた。
4  大聖人は、華厳経の″心はたくみなる画師えしの如し″(心は名画家のごとく、つくり出せないものはない)の経文を引いて、こう仰せである。
 「心の不思議を以て経論の詮要と為すなり、此の心を悟り知るを名けて如来と云う」──心の不思議を説き明かすことを以て、すべての経、論の肝要とする。この(不思議なる)心を悟り知る人を名づけて如来という──。
 「一念三千」の法門も、一念すなわち心の不思議を教えている。心には限りない力がある。その力を引き出すのが「信心」である。
 ゆえに信心は永遠の希望である。信心は無限の希望である。希望は薬でもある。
 シェークスピアいわく「せっぱつまった者には望以外に苦しみを癒す道はないのです」(「尺には尺を」平井正穂訳、『シェイクスピア全集』3所収、筑摩書房)──と。
 苦しみを癒す道は、希望以外にない。希望は光である。熱である。力である。希望は生命の太陽である。そして「胸中に太陽を昇らせる」のが、日蓮大聖人の仏法の極意である。
5  トインビー博士「イタリア人は楽しんで生きている」
 ある人は言った。「イタリア人は人生を楽しむ天才である」。
 陽気な楽天主義のたくましさがある。イタリアは素晴らしい。
 イギリスの有名なサミュエル・ジョンソン博士は、「イタリアに行ったことのない人は、人間として当然見るべきものを見ていないという劣等感に常に悩まされる」(ボズウェル『サミュエル・ジョンソン伝2』中野好之訳、みすず書房)とまで言っている。
 ここには日本の代表も見えられているので、イタリア人の素晴らしさを確認する意味でも(笑い)、トインビー博士と周恩来総理の日本人観を紹介しておきたい。
6  トインビー博士は三回、来日された。日本への関心は高く、刺身をはじめ日本料理もお好きであった。日本の印象を私が問うと、博士は、こう答えられた。
 「戦前戦後を通じて、私は日本に『強いエネルギー』と『心理的な緊張』を感じました。また、『強い社会的義務感』と『大変な自己訓練』があると思います。その息抜きとして、時折、狂ったように暴力を爆発させています」
 日本人の″暴力の爆発″──戦前、最大にその被害を受けたのは中国であり、アジアであった。
 中国の周恩来総理は、トインビー博士と同様のことを、こう語られている。
 「日本人は偉大な民族だ。その聡明さ、その活力、それは大したものだ。力が蓄積すれば外へと拡散する。それはやむをえないことだが、それをコントロールする魂がなければならない。今のところ日本人はまだその精神的な道理を発見していないようだ。むずかしいことだが、それはぜひとも必要なことでしょう」(藤堂里子「周恩来総理の日本を見る目」、『日本人の中の周恩来』所収、里文出版)
 お二人とも、日本人のエネルギーを認めつつ、その″使い方″を問題にしておられる。
 自分の力、エネルギーを何に使うか──そのための哲学と人格、「精神的な道理」と「魂」をもっていないのではないか、と。
7  トインビー博士はまた、こうも言われた。
 「私が初めて日本を訪れたのは、日本、中国をはじめ、全太平洋沿岸諸国の代表による国際会議に出席するためです。一九二九年(昭和四年)でした」
 ──余談だが、私が「その年に、私は一歳でした」と言って大笑いになった。博士とは三十九歳の差があった。
 この会議で博士はすでに、″日本が戦争の道を行けば、必ず敗れる″と予言されていた。先を見る目のある博士であった。
 博士は私に言われた。
 「日本の代表の間に『この人は自分の先輩だ。自分はこの人の前に発言してよいだろうか』といった、上下の意識が働いているのに、私は気づきました。彼らには、強い自意識があり、しかも皆、内気でした。
 これに対して、中国の代表団は、内気でもなければ、自意識もあまりなく、日本人と興味深い対照を示していました。
 また、私の友人に、年下の日本人がおります。その友人が、かつて私に語っていたことですが、日本の教育では″義務″″責任″などを表す言葉をずい分、教えられたが、アメリカに留学したとき、そこで初めて″楽しい″という言葉を学んだというのです。
 この話にはおそらく誇張もありましょうが、日本人の気質を、いくぶんかは説明づけるものでしょう。
 私はどうも日本人には″楽しさ″というものがないように思うのです。イタリアやオーストリアの人たちのほうが、人生を楽しんでいます」
8  人生は「楽しむ」ためにある
 日本人は楽しさを知らない──やさしい表現で、問題点を、ずばりと指摘されている。
 私は博士に、仏法では「衆生所遊楽」と説き、人間は本来、人生を楽しむために生まれたと教えていることを紹介した。また日本人の「ゆとりのなさ」「閉鎖性」などを語った。
 日本人はいつも上下の関係を気にして、「上」には卑屈にへつらい、つねに自分を抑圧している。その分、息抜きとしてか、「下」の人、弱い立場の人には、いばったり、暴力的に自分を押しつける。そういう傾向がある。
 いつも他人の目を気にして、緊張し、おどおどしている。そういう自信のなさ、人格のひ弱さが、楽しんで生きていない弱さとなっているのかもしれない。
 もっと「自分自身に生きる」勇気をもつべきである。右を見たり左を見たりせず、「自分自身の信念」に魂を燃やすべきである。
9  組織においても、義務感や押しつけを感じさせないで、皆がみずから「よし、やろう」と決意できるようにするのが名リーダーである。
 勇んで動けば、「楽しさ」が生まれる。法華経に「随喜功徳品」があるが、楽しく、歓喜して信心するからこそ、大いなる「功徳」が出る。
 また、上下というならば、「上」を毅然として使いこなし、「下」を厳然として守る──それが人間指導者である。
 多くの日本のリーダーは、その反対をやって、いばっている。皆さんは、日本のリーダーの反対をやればよいのである(笑い)。
10  モロワ″一人の人間革命は地球をもくつがえす″
 現在、私は小説『新・人間革命』を執筆している。小説『人間革命』も、全国、全世界を転戦しながら私は書いた。
 日本では先日、九州、東京、関西で「小説『人間革命』展」が開かれた。関西展では、私の口述を筆記するために使った小さな机も特別展示された。
 「人間革命」は二十一世紀の要請である。それは世界の最高峰の知性の一致した認識となっている。
 かつてフランスの作家アンドレ・モロワは書いた。
 「最も深い革命は精神的なものである。精神的革命は人間を変革し、こんどはその人間が世界を変革する」(『初めに行動があった』大幸男訳、岩波新書。以下、引用は同じ)
 近代の歴史にはフランス革命もあった。ロシア革命もあった。それらよりも、もっと根本的な革命が、人間革命の運動なのである。
 「真の革命はただ一人の人間の革命であるといわれている。より正確にいえば、ただ一人の人間も、──それが英雄であれ聖者であれ、──大衆に一つの手本を提供することができるし、その手本の模倣は地球をもくつがえすであろう」
 「一人の人間革命」を手本に民衆が続いていくとき、世界は変わる、と。小説『人間革命』のテーマにも通じる。「人間革命」という大道を行く師弟が歴史を変えるのである。
 「偉大な行動人は踏みならされた道をたどるものではない。
 彼は他の人びとが見ないことを見るから、他の人びとがしないことをする。
 彼の意志は高潮となって、習慣や抵抗を一掃する」
 人々は、はじめは先駆者の行動が理解できない。あとになって、少しずつわかってくる。しかし、「偉大な行動人」は、だれが理解しようとしまいと、一人、なすべきことを断固としてなす。
11  創価学会は「人間革命の団体」である。宗門は「人間破壊の邪教団」である。
 御書にも仰せのごとく、彼らは人を″たぶらかす″「魔」なのである。魔とは徹底的に戦う以外にない。戦いが中途半端であれば、こちらが魔にやられる。
 学会は「人間革命の団体」であるゆえに、その幹部は、だれよりも真剣に「自分自身の人間革命」に取り組まなければならない。
 人ではない、自分である。リーダーが人間革命した分だけ、地域の広宣流布は進む。それが小説『人間革命』、『新・人間革命』の心を実践したことになる。
 ここにおられる方々にしても、生まれはイタリア以外の方もおられる。しかし、こうして不思議にも、ともに集い、イタリアの永遠の幸福のために、広宣流布へと働いておられる。深き縁の方々である。ゆえに、どこまでも仲良く、あくまでも仲良く生き抜いていただきたい。
12  フィレンツェが生んだ天才ダンテは歌った。
 「天は諸君を招き永遠の道をしめしながら、
 きみの周囲を廻っているのに、
 諸君の目は地面のほうばかりを眺めている」
   (『神曲』浄罪篇第十四歌、野上素一訳、『世界古典文学全集』35所収、筑摩書房)
 何があっても、目を大きく大空へ向け、太陽に向け、二十一世紀へと向けて、心広々と、さわやかな青春の息吹で、一生を生き抜いていただきたい。
 きょうは本当におめでとう。
 (イタリア・フィレンツェ市内)

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