Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

東北栄光総会、第一回宮城県総会 広布へ戦い続ける人間が「仏」

1994.3.24 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

前後
1  「まことの時」に戦う信心が肝要
 本日の栄光総会には、宮城、秋田、山形、福島、岩手、青森の代表・千七百五十人が、遠いところ元気に集ってくださった。きょうは素晴らしい晴天。東北の皆さま、本当におめでとう。ご苦労さま。(拍手)
 この席をお借りし、改めて、昨年の冷害に心からお見舞い申し上げます。
 きょうはまず、私が心に刻む「開目抄」の一節を拝したい。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし
 ──我ならびに我が弟子は、諸難があっても疑う心がなければ、必ず、自然に仏界にいたる。諸天の加護がないからといって、疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。我が弟子に朝に夕に、この事を教えてきたけれども、疑いを起こして皆(信心を)捨ててしまったのであろう。信心のつたない者の習いは、約束した事をまことの時(諸難が起こった時)に忘れるのである──。
 「まことの時」──その時にこそ立ち上がり、敢然と戦っていく。その人は「自然に仏界にいたるべし」と大聖人は仰せである。
 諸難を越え、戦い続ける人こそが「仏」になる。ここに重大なポイントがある。
2  「仏」とは何か。また釈尊は、なぜ仏になれたのか。
 最高峰の仏教学者とされる中村元博士。東洋哲学研究所でも、大変お世話になっている方である。その博士が、こう論じておられる。
 「ブッダ(=覚者)となったあとでも、かれ(=釈尊)は依然として人間であった」(『ゴータマ・ブッダ──釈尊の生涯』、『中村元選集』11所収、春秋社)
 仏となっても、悩みもあれば苦しみもある。病気もする。魔の誘惑あることにも変わりはなかった。
 「だからブッダたることは、誘惑を斥けるという行為それ自体のうちに求められねばならぬ。不断の精進がそのまま仏行なのである。さとりを開いて『仏』という別のものになるのではない」(同前)と。
 誘惑とはすなわち「魔」「悪知識」。仏道修行を妨げる力、不幸へと導く力、和合僧を破壊する力、退転へと誘う力である。
 この魔と不断に戦い続ける。人々を救うために行動また行動を続ける。その「人間」が「仏」なのである。
3  仏とは「人間」、最高に強き「人間」
 仏といっても特別な存在ではない。戦い続ける心が「仏」、行動し続ける姿が「仏」である。魔と戦い切る人が「仏」なのである。
 釈尊の菩提樹の下での悟り、末法では日蓮大聖人の竜の口での発迹顕本──別しては、そういう姿があられるが、それも「人間」としての究極の姿である。決して「人間」以外の何か特別の存在になったわけではない。凡夫のままで仏界(極果)に達していく凡夫即極が、仏法の真髄なのである。
 そして総じては、仏道修行に励み、広宣流布へ真正面から戦っていく──その人の信心にこそ「仏」は現れてくる。
 「まことの時」に戦わない人間は偽善者であり、臆病である。そこには仏界はない。地獄しかない。修行もなく、広布のための不惜の行動もなく、「特別に自分だけが悟った」ということはありえない。
 日顕宗では、″法主″になれば即″大御本尊と不二の尊体″″現代の大聖人様″などと言う(爆笑)。袈裟を着けたとたん、如来の使いになるかのごとく言う。(爆笑)
 全部、まやかしにすぎない。広布に戦わない者、いわんや広布を破壊する者が仏になれるはずがない。すべて反仏法の言である。(賛同の拍手)
4  今、皆さまは、多くの人の悩みを我が悩みとして、戦っておられる。まことに尊い仏の振る舞いであられる。
 大聖人は「始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり」──始めも、途中も、最後も、一貫して妙法を捨てず、大難にも信仰を貫く人は、如来の使いである──と。
 広宣流布をする以上、大難は必ず起こる。大難があってこそ、自身の信心を固め、仏界を固められるのである。
5  きょう、東京牧口記念会館を初めて訪れた方が多いと思う。「この会館よりも、もっと大きな家を建てよう」と決意した人もいるかもしれない(爆笑)。
 それはそれとして(笑い)、広布に走る「躍動の生命」「行動の生命」をもった人は、その何千倍もの″心の宮殿″に住んでいるのである。その心意気で、ますますのご活躍をお願いしたい。
6  法華経は随自意に説かれた経
 とくに青年部の諸君に、語っておきたい。
 仏法には「随自意」と「随他意」がある。随自意は、人々の機根にかかわらず、仏法の真実の法理をそのまま説くこと。随他意は、人々の好みや機根に合わせて説くことである。
 法門のうえで見ると、法華経は、随自意の″真実の″教えである。法華経以前の爾前経は、随他意の″仮の″教えである。
 随自意こそ、成仏の法門である。随他意に、人を成仏させる力はない。大聖人の仏法は、随自意のなかの随自意の法門である。
7  「随自意御書」という御手紙がある。「衆生身心御書」の別名である。法華経は随自意の経であることを、強く述べられている。
 初めに随他意のことを、こうたとえられている。
 「譬へばさけこのまぬをやきわめてさけこのいとをしき最愛子あり、かつはいとをしみ・かつは心をとらんがために・かれにさけをすすめんがために・父母も酒をこのむよしをするなり、しかるを・はかなき子は父母も酒をこのみ給うとをもへり
 ──たとえば、酒など好きでない親に、とても酒が好きな最愛の子供がある。子供を愛するがゆえに、また子供の心を得るために、子供に酒を飲ませようと、父母も酒が好きなふりをする。それなのに、愚かな子供は、父母も酒が好きなのだと思う──と。
 「親」とは仏、「子」とは衆生、「酒」とは、真実でない仮の教えのことである。
 衆生の好みに、ただ随うだけで、真実の法を説かなければ、衆生は愚かなままである。真実でないものを真実だと思い込んでいる。
 衆生に合わせるゆえに、どこまでいっても「衆生の心をいでず」──凡夫の境涯を出ることはない──と。
 随他意では、永遠に仏界の境涯には導けない。本当に人を救うことはできない。人を幸福にできない。それでは何のための仏法か。
 随他意は、ただ法華経に導くためだけに意味がある。随自意の根本精神を捨てて、随他意を用いることは法華経の死である。転倒であり、正法の信心の破壊となる。恐ろしいことである。
8  次に、随自意について仰せである。
 「法華経と申すは随自意と申して仏の御心をとかせ給う、仏の御心はよき心なるゆへに・たとい仮令らざる人も此の経をよみたてまつれば利益はかりなし、麻の中のよもぎつつの中のくちなはよき人にむつぶもの・なにとなけれども心も・ふるまひ振舞も・言も・なをしくなるなり
 ──法華経というのは、随自意といって、仏の御心を説かれたのである。仏の御心は素晴らしい心なので、たとえ、よく知らない人であっても、法華経を読みたてまつれば、利益は計り知れない。
 たとえば、麻の中に育つよもぎ、まっすぐな筒に入れた蛇が自然にまっすぐになり、よき人々と仲良くする人は、自然に心も、振る舞いも、言葉も、正しく、まっすぐになるようなものである──。
 仏の素晴らしい心に、そのまま触れさせれば、自然のうちに、よく感化されていく。そして、たとえ理解は及ばなくとも、妙法を唱えれば無量の功徳を受けていけると教えられている。
9  「随自意」で堂々と広宣流布を
 創価学会は、尊貴なる仏勅の教団である。その素晴らしさを、ありのままに随自意で示していけばよい。そうすれば自他ともに功徳を受ける。
 ある地方の副会長から手紙がきた。
 「最近は、どうも、格好にとらわれ、上手に、うわべをつくろっていこうという傾向が見られる。それは折伏精神でも学会精神でもない」「今こそ、まっ正面から、堂々と、世界最高の創価学会の偉大さを叫びきっていくべきではないか」と。(賛同の拍手)
10  芸能のことなら芸能評論家が知っている。スポーツのことならスポーツ界の人に聞くべきである。科学のことなら科学者がくわしい。それぞれに専門用語も使い、その解説もする。
 そして最も大切な、真実の仏法哲学を知っているのは私どもである。
 「仏法のことなら私たちに聞きなさい」「仏法用語も、私たちが教えてあげます」「創価学会にのみ、真実の仏法は脈動している」──この大確信があるからこそ、学会は王者であり、大将軍なのである。(拍手)
11  言うまでもなく、随自意を根本としたうえで、時に応じて随他意が必要な場合もある。
 大聖人も「四悉檀を以て時に適うのみ」と仰せである。
 ((1)世間の願いに従って法を説く「世界悉檀」(2)相手に応じて説く「為人悉檀」(3)相手の悪を断つ「対治悉檀」(4)真理をただちに説く「第一義悉檀」の四つの教法。(1)(2)が随他意、(3)(4)が随自意である)
 社会の変化、特質、伝統、人々の理解度に応じて、仏法が″心に入る″よう、知恵を使っていくことは当然である。その努力なくして広宣流布はない。
 また、仏法の人間主義に基づき、あらゆる角度で、平和・文化・教育の次元で、社会に大きく貢献していくことは当然である。その大運動の根本となるのが、随自意の実践であり、「人々を救おう」「絶対に幸福にしよう」という慈悲の行動なのである。
12  随自意でいけば、当然、反発もある。大聖人も、あらゆる迫害を一身に受けられた。
 随他意であれば大難はなかった。あえて随自意で進み、難と戦い、難を乗り越えて仏になっていくのが、大聖人の仏法なのである。
 最初は反発があっても、妙法を説き聞かせたことが因となって、反発した人も、将来は必ず成仏できる。これを「毒鼓の縁」という。仏法に無知な世間に迎合し、見栄を張って、言うべきことも言わないようでは、毒鼓の縁すら結べない。結局、無慈悲なのである。
 一切の根本は、随自意で広布に進みゆく「勇気」である。これが大聖人、日興上人の教えである。そして牧口先生、戸田先生の大精神である。
 勇気が慈悲に通じ、勇気は知恵に通じる。
 「臆病にては叶うべからず」──臆病であっては何事もかなわない──との大聖人の御言葉を、今こそ、眼を開いて拝さねばならない。
13  初めて世界一周した日本人
 ところで、初めて世界を一周した日本人はだれか。それは、東北の人であった。(拍手)
 この興味深い問題について、創価大学の加藤九祚きゅうぞう教授が書かれた本(『初めて世界一周した日本人』新潮選書)がある。教授は、シルクロード研究の大家として、大変に著名な方である。
 第二次大戦後、五年間、シベリアで抑留生活を送られた。二十代の青春時代であった。教授は、抑留生活にも負けず、むしろ、それをバネに、ロシア語を学ばれた。そして学問の道で第一人者となられた。ロシア科学アカデミーの名誉歴史学博士でもあられる。
 このように、苦難を跳躍台として立ち上がってこられた方は多い。それを思えば、今は恵まれている。その分、まっしぐらに広宣流布に活躍しなければもったいないと私は思う。
14  さて、初めて日本で世界一周をした東北人。時は江戸時代の中期、一七九三年。約二百年前のことである。
 石巻(現・宮城県石巻市)の船乗り十六人を乗せた船が、嵐にあって漂流。約半年後に、ロシアのある島に流れ着いた。ここから、彼らの″世界の旅″が始まった。
 東北の人は強い。東北の人はたくましい。
 彼らは、ロシア人の案内で、広大なロシア、ヨーロッパを横断した。今のように鉄道などない時代のことである。
 残念なことに、途中、病気などで亡くなった仲間もいた。ロシアの人が、ともに悲しみ、ともに泣いたという。情に厚い人たちであった。
 もう日本に帰れるかどうかもわからない。日本は、あまりにも遠かった。しかし、彼らはたくましく生き抜いた。これほどの大きな不幸のなかで、彼らは決心した。
 ″ロシア語を勉強しよう″″この新天地でロシア人と友情を結ぼう″″新しい人生をロシアでつくろうじゃないか″
 「ピンチこそチャンス」である。どこに行っても、その場が「寂光土」である。
 愚痴を言っても何も変わらない。嘆いていても、何も生まれない。その時、その場で″何かをつかもう″″勉強しよう″″健康になろう″″豊かな人生を生きよう″──そう決めれば勇気がわく。希望がわく。知恵がわく。
 いわんや、妙法を持った人は、必ず一切を変毒為薬できる。
15  交流を通し一流の国際人に
 彼らのうちの四人が、「日本へ帰りたい」と皇帝のアレクサンドル一世に願い出た。願いは聞き入れられた。
 彼らは、ロシアからヨーロッパを経てアフリカへ、南アメリカへ、太平洋の島々へ──世界を一周して日本に帰国した。漂流してからじつに十一年後のことであった。
 (ロシアのペテルブルグを船で出発し、デンマークのコペンハーゲン、イギリスのファルマス、スペインのカナリア諸島、大西洋を横断して南米最南端のホーン岬、さらに太平洋を横切ってハワイ、カムチャツカ、そして長崎にたどりついた)
 旅のなかで、彼らは当時の世界の一流の人々と交流しながら、見聞を広めていった。帰国後、その話が一つの記録にまとめられた(大槻玄澤・志村弘強『環海異聞』叢文社)。
 当時、日本は鎖国下にあった。記録を目にした人々は、驚いたにちがいない。″世界とは、こうなっているのか″と。
 与えた影響は、大きかったといわれる。やがて来る近代日本の夜明け──その一つの糸口をつくったのが東北人であった。(拍手)
16  本年五月、東北を代表する交流団がロシアに派遣される(東海道、中部、北陸、四国、九州、沖縄、岡山青年部の代表も参加)。東北とロシアとの縁は大変に深い。おめでとう!(拍手)
 また東北は、歴史上、たくさんの″国際人″を生んできた。伊達政宗に派遣され、ローマなどを旅した支倉常長。
 ″太平洋の懸け橋″新渡戸稲造博士。岩手の出身である。博士は牧口先生の友人であり、『創価教育学体系』に序文を寄せられている。
 昨秋、博士を記念したカナダ・バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学内の庭園も、学長の案内で見学させていただいた。
 さらに、黄熱病の研究で有名な野口英世博士。福島の出身である。福島の皆さん、福島研修道場の建設も、おめでとう。(拍手)
 先日(三月十六日)、私が大統領のドゥラン・バジェン氏とお会いした中米のエクアドルにも、野口博士は行かれている。エクアドルには博士の名を冠した学校や、道路もあるという。
 そうした先覚の歴史のうえから、皆で「新しき東北」「世界の東北」を──こういう合言葉で、伸び伸びと前進していただきたい。
 「希望」は無量である。「希望」は無限である。
17  戦っていること自体が幸福
 先ほど、ご紹介した加藤教授は、戦時中、東北の地におられたことがあった。
 とくに石巻には格別の思い出をもっておられるという。一昨年、この本の執筆中に再び訪問されたところ、石巻の見違えるような発展の姿に驚かれた。(拍手)
 どうか、素晴らしき東北で、何があっても、「戦っていること自体が幸福」「戦っていること自体が勝利」「戦っていること自体が栄光」──こう決めて、頑張っていただきたい。「冬は必ず春となる」に決まっているのだから。
 きょうは見事な実証を示された各県・各地域の代表も参加されている。皆、本当によく頑張られた。東北の活躍は今、最高です。(拍手)
18  最後に、和歌をお贈りしたい。
  偉大なる
    東北勝ちたり
      築きたり
    万年までも
      崩れぬ城をば
  厳寒の
    彼方に春の
      花咲かむ
    三世の生命は
      満開なるかな
  耐え抜きた
    人に勝れる
      ものはなく
    勝利と栄光
      我が家を飾らむ
 きょうは、ナポレオン広場など、ゆっくりと自由に散策してください。ありがとう! ご苦労さま! また東北にまいります。
 (東京牧口記念会館)

1
1