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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表との協議会 リーダーは一切から学べ

1994.3.12 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

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1  日中友好で世界に春を
 先日、中国の徐敦信じょとんしん大使とお会いし、今後の日中の交流を展望した。
 それに関連して、少々語っておきたい。
 深圳しんせん大学での講演の折(平成六年一月)、見事な梅の花の絵をいただいた。同大学の蘇東天そとうてん教授が描かれた「梅花迎春図」である。
 また大使を迎えた聖教新聞社の庭にも、梅の花が香り高く咲いていた。
 日本人がとりわけ桜を愛するのに対し、中国の人々は梅の花をこよなく愛する。
 梅を賞でた漢詩は数多い。南宋──といえば約八百年前になるが、その時代の詩人・陸游りくゆうは、こう詠んだ。
  妨げず 桃李の自ら時に逢うを
  向来 氷雪の凝ること厳しき地に
  つとめて春のかえるをすすむるはついに是れ誰)ぞ
    (『陸游高啓』海知義・入谷仙介注、『新修中国詩人選集』7所収、岩波書店)
2  だいたいの意味は桃や李の花は自分でよい時を選び、暖かくなってから花開く。それはそれで、かまわない。しかし、かねてから、氷と雪で厳しく凍りついた大地に、力いっぱい、春を蘇らせようとしているのは、いったいだれであろうか。それこそ梅の花ではないか──こういうことになろうか。
 梅は厳しき寒風の中、まっ先に咲く。けなげな″春のさきがけ″として、氷雪にも凛然と耐えて香る。やがて時が来て、百花が咲き始めると、彼女(梅)はそれを笑顔で見守りながら、静かに散っていく。そして散ったあともなお香しき余香を残す。
 私は、こうした梅の花が好きである。そしてまた、けなげな梅の美を愛する中国の人々の心が、好きである。
 私どもも、二十一世紀の「平和と友誼の春」へ、いよいよ薫り高く「先駆の花」を咲かせてまいりたい。
3  「人の長所を知る勇気」「自分の短所を知る勇気」
 四月九日から「現代中国巨匠書画展」が開催される。八王子の東京富士美術館で開催される。
 ″書画展″は中国の対外友好協会(韓叙かんじょ会長)の創立四十周年を記念するものであり、同協会の貴重な所蔵作品から代表五十点が海外で初めて公開される。中国大使館が後援してくださっている。
 また本年九月、二百数十人の大訪中団を派遣する。関西、中部、九州青年部のメンバーが北京と上海を訪問する予定である。
 今年は、日清戦争の勃発(一八九四年)から、ちょうど百年にも当たっている。この時以来、日本は本格的に帝国主義の道を歩み、文化の大恩ある中国に非道の侵略を重ねてしまった。
 私どもは、″百年″という節にあたり、民衆の力で、民衆の連帯で、崩れざる「平和の百年」「友好の千年」を開いてまいりたい。
4  さて、徐大使は、大変、日本語が上手であられた。大使が日本語を学ばれたのは、周恩来総理が「アジアの言葉を話せる人材を育成しよう」と呼びかけられたのが、きっかけであるとうかがった。
 周総理とは、私も二十年前(一九七四年)にお会いした。総理は、世界に開かれた見識の方であられた。また、非常に謙虚な方であられた。常に″人から学ぼう″とされていた。
 かつて、海外を訪問した代表団に対し、「人の長所にふれる勇気もなければ、自分の短所にふれる勇気もない」「人にはやたらレッテルをはりつける」(『周恩来選集〈一九四九年〜一九七五年〉』北京・外文出版社。以下、引用は同じ)傾向を注意された。
 「外国へいって、見学、視察するのは、ほかでもなく人の長所を学びとるためである」と。
 まことに謙虚な言葉である。そして真実の言葉である。私もまた、同じような気持ちで世界を旅している。
 日本にも、すぐにレッテルを張り、決めつけようとする傾向がある。私どもは、そうした″閉ざされた心″と戦っている。
5  また、先日(二月二十八日)、愛新覚羅溥傑あいしんかくらふけつ氏(清朝最後の皇帝・溥儀ふぎ氏の実弟)が亡くなられた。氏は北京での「西洋絵画名作展」(九二年)に対しても、開幕を祝して、中央に「東京富士美術館珍蔵」としたためた一幅の書を贈ってくださった。
 三十年以上も前、周総理は、溥傑氏、溥儀氏らとの会見の折に、こう語りかけている。
 「土地は南北をとわず、人は肌の色にかかわりなく、世界中みな兄弟姉妹なのです。その時になれば、帝国主義は存在せず、世界は大同の世の中となります。ただ、二十一世紀にならないと、目にすることができないでしょうね。わたしは見られない(中略)。しかし、若い人たちには目にする希望があります」
 周総理の目は、まっすぐに二十一世紀を見すえておられた。青年の未来を見つめておられた。
 私との会見の折も、周総理は遺言のごとく語っておられた。
 「二十世紀の最後の二十五年は、世界にとって最も大事な時期です」
 私どもも、まっすぐに新世紀を目指している。崩れざる平和の世紀を目指している。そのために私は、いよいよ″総仕上げの戦い″に挑戦する決心である。
6  「慈悲からの行動」「戦いゆく気魄」
 創価学会は広宣流布の団体である。正法流布のために生まれた崇高な団体である。そのリーダーはどうあるべきか。
 日淳上人は、牧口先生を、こう称賛された。
 「折伏といえば先生、先生と言えば折伏のことと、ことほどさように、先生と、折伏とは、重要なものでありますが、これはいう迄もなく深く大きな慈悲心を持たれた先生が、思いやりの止むに止まれぬ心からの救済の現れで、しかも真実に、しかも忠実であり、なおかつ、あの厳格が折伏の形をとられたのであります」
 「価値に於て行動の世界を直視せられつつあった先生は、一にも二にも実行で、理念的(観念的)なものは、聞いても居られないという風に、いらだたしさを感ぜられたようでありましたが、この本質のうちから、あの折伏の行が発露せられたのだと私は考えて居ます」(昭和二十二年十月十九日、創価学会第二回総会。『日淳上人全集』。新かなづかいは編集部、以下同じ)
 牧口先生は、徹底して「行動の人」であった。
 信心で大切なのは、「行動」である。広布のため、法のため、人々のために、やむにやまれず、自らの決意で行動した分だけ、自身の福徳となる。行動の人は、常に若々しく、前進がある。行動のない、観念の信心は、空転するだけで成長はない。
7  続けて、こう話されている。
 「かように考える私は先生が、法華によって初めて一変された先生でなく、生来仏の使であられた先生が、法華によって開顕し、その面目を発揚なされたのだと、深く考えさせられるのであります。そうして、先生の姿に、いいしれぬ尊厳さを感ずるものであります。
 先生には味方もありましたが、敵も多かったのであります。あの荊の道を厳然と戦いぬかれた気魄、真正なるものへの忠実、私は自ら合掌せざるを得なくなります」
 「英雄、英雄を知る」というが、広布の大英雄たる牧口先生・戸田先生の本質を、日淳上人は、仏法の眼で洞察されていた。創価学会を常に正しく理解し、見守ってくださったのである。
 私どもに嫉妬し、広宣流布を断絶させようとした悪僧とは正反対の、清らかな正師であられた。
 この希有の大学匠・日淳上人が、牧口先生を深く尊敬され、心から合掌されているのである。
 牧口先生が、大聖人に直結した、信心の血脈の流れる地涌の菩薩であられたことを、深く知られていたからであろう。
 その牧口先生によって創立されたのが、仏意仏勅の我が創価学会なのである。日淳上人のお言葉から、創価学会の存在の深い意味をくみとっていただきたい。
 戸田先生は、我が生命を尊いと思うなら、我が生命の中にある仏の生命をわかせなさいと教えられた。そして御本尊を信ずるときに、我が生命の中の「日蓮大聖人の生命」がわくのである、と教えられたのである。
 日達上人は、「私共は一心にこの御本尊様を信じ南無妙法蓮華経と唱え奉れば、この身即ち御本尊となる。又宗祖大聖人様の尊体となるのでございます」(昭和三十五年十一月五日・『日達上人全集』)と述べられている。
 これほど素晴らしいことはない。だれよりも堂々と胸を張り、だれよりも希望に燃えて生きるべきである。
 大聖人の仏法は、御本尊を信ずる「人」を、何の差別もなく、尊極の「尊体」とする。全人類に平等な世界宗教である。
 今、宗門は、日寛上人御書写の御本尊を誹謗しているが、御本尊を誹謗するということは、大重罪である。
 自分自身の仏界を誹謗し、破壊することにも通じる。ゆえに、絶対に幸せにはなれない。
 また、正法を弘める仏子である学会員を誹謗し迫害する者も、正法を誹謗するのと同じく重罪となる。
8  「絶対的幸福」を今世で
 戸田先生は、「受持即観心」について、「信じ、受持することによって、御本尊の因行果徳を譲り与えられて、歓喜の境涯に住することができるのである。ここに、末法御本仏としての、日蓮大聖人ご出世の深意があるのである」(『戸田城聖全集』第一巻)と述べられている。
 御本仏・日蓮大聖人の御当体である御本尊を信ずることによって、大聖人が過去になさった「成仏の因となる修行」と、その結果得られた「仏としての徳用」を、そのまま譲り与えてくださるのである。何とありがたいことであろうか。
 ただし、御本尊を「信じ、受持する」とは、ただ御本尊を受けて、持っているという意味ではない。信力・行力を発揮することである。勤行・唱題の自行とともに、広宣流布のため「化他の行動」があってこそ、「絶対的幸福」をつかめる。
9  信心は、まっすぐに貫くことである。幸福の軌道を、まっしぐらに進むことである。そうすれば、どういう自分になれるか。
 戸田先生は、言われた。
 「絶対的幸福というのは、どこにいても生きがいを感ずる境涯、どこにいても、生きている自体が楽しい、そういう境涯があるのです。
 したがって、その人のいるところは、いつも明るい。けんかなどありません。腹のたつことがあっても、愉快に腹がたつ、そういう境涯ができたら、うれしくありませんか」(昭和三十一年五月三日、第十四回春季総会。同全集第四巻)と。
 日々、「生きる喜び」を満喫しながら、どんな課題も悠々と乗り越えて、「私は愉快だ」「私は満足だ」「私は勝った」といえる人生を開く。そのための信仰である。
 私はいつも祈っている。全学会員の皆さまが一人残らず、勇気ある信心で、「絶対的幸福」をつかんでほしいと。
 それだけが私の願いである。ただ会員の皆さまの幸福のために、私は生きている。そのために私は生き抜いていく。
 幹部の皆さまも、私のこの心を知っていただきたい。そして友のために尽くす高貴なる人生を、誇りをもって、ともに歩んでいただきたい。
 (静岡県内)

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