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日蓮大聖人・池田大作

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沖縄最高会議での語らい ″幸福心理学″の大家が十界論に注目

1994.2.19 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

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1  ″より強く、より幸福に「自己」は進化する″と
 アジアの要・沖縄の発展へ、きょうも、ともに協議したい。皆の知恵で、皆の力で盤石なる沖縄を立派に仕上げたい。
 先日、″幸福心理学″の大家である、シカゴ大学のミハリー・チクセントミハリー教授から、アメリカの聖教新聞特派員を通して、近著『The Evolving Self(進化する自己)』をいただいた。(同書には「池田大作氏へ。人間の精神の深化を説く教師・指導者への心からの尊敬をこめて」との献辞が記されている)
 このなかで、教授は、私の『生命と仏法を語る』(本全集第11巻収録)を引用され、とくに仏法の「十界論」が、人間の深化の心理学を最も適切に説明するものとして紹介されている。
 「十界論の視点は、私たちが心理学を通して、多様に説明し、分析している人間の『生命』と『心理』のエッセンスを説いたものです。東洋の古来の教えが、現代の心理学の目指すものとまったく一致していることは深い驚きです」
2  同教授は、人間の価値観、幸福観を深い観点から説き、しかも一般にわかりやすく紹介する学者として知られ、その著作の多くがベストセラーになっている。
 これまで、アメリカの学識者が、仏教の教えを著作等で紹介することはあったが、その多くが、小乗仏教や禅の教説であった。
 今、大乗仏教の真髄である日蓮大聖人の仏法が、SGI(創価学会インタナショナル)の前進とともに世界に広がっている。アメリカの心理学の最先端を行く学識者の著作にも、その一端が、最大の評価と理解をもって紹介される時代に入ったのである。
3  この本のテーマは「『強き人格』こそが、人間の幸福を決定する。『強き人格』こそが社会、未来を″よりよきもの″へと変革する源となる」ということである。私どもの「人間革命」運動と一致する。
 教授は、インタビューに答えて、語っておられる。
 「この『強き人格』とは『強き指導性』と『強き責任感』の異名です。
 『強き人格』の人は、人生のすべてにわたって積極的に取り組み、参加しようとする人です。
 また、自分の目的を達成しようとする意志の強さ、他人にもその目的を達成させてあげようとする責任感の強さです」
 「強き人格というと、一般に利己主義の、我執の強い人間として錯覚されがちですが、そうではありません。強い人ほど、他人を助けてあげようとする、優しく寛大な心をもっているのです」
 強き人は心が優しく、弱き人ほど、すぐに怒るものである。
4  ″人を高める宗教″と″人を利用する宗教″
 教授は、「こうした強き人格の鍛錬は、本来、宗教の使命であったはずですが、その宗教者たちが、今、その使命をまったく果たしていません」と指摘されている。
 「宗教は本来、人格を高め、人生の意味を教える最大の力となってきました。
 しかし不幸にして、歴史の流れの中で、宗教者は、宗教を″人間性を深め、真実を追究する″という正しい使い方をせず、″自分個人の関心、利益を追求する″方向へと貶めてしまったのです」
 「具体的には、僧侶が土地を所有したり、金力、権力を求めるなかで、″宗教の本義を求める姿勢″をまったく失い、宗教の精神が破壊されてしまったのです。
 実際、自らが力をもち、人を支配するためには、宗教ほど手っ取り早い手段はなかった。宗教指導者は、″民衆が宗教を求め、宗教指導者を尊敬する″という純真な感情を、逆手に取って利用したのです。
 ゆえに、宗教が個性の深化、強化に不可欠といっても、その″本来の使命を果たしてきた宗教″と、″それを堕落させてしまった宗教″とは、明確に峻別しなければなりません」
 教授の言われる通りである。
 「民衆のため」という宗教本来の使命を″果たしてきた″のが学会であり、″堕落させてしまった″のが日顕宗である。
5  「宗教が閉鎖的になると、″発展へのエネルギー″が失われてしまいます。そうすると、時代の流れの中で出てくる新しい知識、新しい概念を否定するようになる。
 しかし、宗教にとって大切なのは、″何が真実で良き価値であるか″を、常に新しい思想・概念と照らし合わせ、再確認し、その意義を深めていくことです。
 精神の価値は、時代とともに輝き、深められるものであり、それを″過去に凍結させる″ようなことがあってはなりません」
6  そして、私がハーバード大学の講演(一九九三年九月)で語った、「宗教が″人間を強くする″ためには、自力と他力のバランスを目指さねばならない」との考えについて、「それはじつに啓発に満ちた観点です。バランス、調和の智慧こそ、人間の向上の不可欠な要件です」と賛同してくださっている。
 さらに、この″バランスと自己コントロールの心理学″を明快に説明したのが、仏教の十界論であると注目されているのである。(十界とは、仏法で人間の生命状態を十種に分類したもの。地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界からなる)
 十界論への評価の中で教授は語られた。
 「六道(地獄界から天界まで)に支配された人とは、遺伝と環境にコントロールされた存在です。そのような『環境に支配された』人間は、自分自身の真の価値を発揮できません。『動物的な人生』の領域を出ることはできないのです」
 「真の価値ある人生を歩むためには、(1)過去から遺伝的にうけついだ自己(2)過去の文化の遺産を盲目的に継承する自己(3)(本来は大我である)自我を、(小さな)我と取りちがえてしまう狭い自我観──そうしたものを見おろし、『自己をコントロールしていく』強き生命の確立が不可欠です。
 その生命を仏界と名づけたのではないでしょうか。その偉大な智に深く共感します」
 十界論は、「限りなき向上」の人生を教え、教授が主張するような、″進化する自己″を実現する道を教えているのである。
7  学会の「信心」に御本尊の大利益
 続けて教授は指摘する。
 「こうした生き方は、模範の生き方を示すモデルがなければ、理解し達成することはできないでしょう。
 仏教で説く菩薩のように、人々と同苦し、さらに信念のために生命を落とすようなことがあっても、それでも『真の歓喜に貫かれた自己』を実現できるような強き人格。その生き方を身をもって示す、模範の人が必要です」とも。
 ここに「師弟」の大切さがある。
 学会は、一人の人間の力を最大限に開発しながら、その結集によって、「戦争の世紀」を「平和の世紀」へと転換しようとしている。これが「人間革命」の運動である。教授は、その広がりに大きな期待を寄せてくださっている。
 世界は目を開いている。目を開いて「真実」を見みきわめようとしている。ゆえに「仏法」に着目し、仏法の真髄を身をもって広めている創価学会に熱い注目を寄せている。
 その一端を紹介させていただいた。世界に開かれた沖縄である。アジアの″平和のキーステーション″の沖縄である。平和の世紀の″最先端″との誇りをもって、堂々と進んでいただきたい。
8  大切なのは「心」である。「信心」である。御本尊の御力がどれほど偉大であっても、信心がなければ、功徳はない。
 日淳上人は、創価学会に大功徳があるのは、「正しい御本尊に正しい信仰、正しい指導の三つが揃うておりまする」(昭和三十一年十一月一日、第十五回創価学会秋期総会。『日淳上人全集』)と名言されている。(昭和三十一年十一月一日)
 御書を根本に、大聖人に直結する、正しい信行を教えてくださったのが、牧口先生であり、戸田先生であった。
 現宗門には、御本尊はあっても、まったく信心がない。それどころか人々の信心をも破壊し、広宣流布を破壊しようとしている。大聖人からどれほどお叱りをこうむることであろうか。
9  一方、彼らと戦う私どもの「信心」の功徳は無量である。
 戸田先生は、「日蓮大聖人の三大秘法の御本尊を拝したてまつり、純一無二の心をもって信心するなら、どんな功徳があるか」(「大利益論」、『戸田城聖全集』第三巻。以下、引用は同じ)と、「信心の大利益」を述べられた。
 先生は法華経の譬喩品、薬草喩品、寿量品、随喜功徳品などの文を引かれて、そこで説かれている法華経を信受する功徳は、末法の今日では、すべて御本尊を受持する者の功徳であることを教えられている。
 そして、「末法今日、御本尊を受持する者の功徳は、願いとして達せざるなく、祈りとしてかなわざるなく、福運としてきたらざるなく、いかなる所願もかならず満足するとのお約束である。
 この広大なる福運は、三大秘法の大御本尊に具有せらるるのであって、吾人の信力・行力が、深大であればあるほど、大御本尊の法力・仏力も深大にあらわれるのである。ゆえに、些少といえども疑う心なく、信心無二に行ずるなれば、かならずわれわれの所願は満足せらるるのである」と。
10  「偉大なる生命力」がわく
 戸田先生は、御本尊を拝せば、「偉大な生命力」がわいてくると言われた。その通りである。
 「生死一大事血脈抄」に、「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり
 ──久遠実成の釈尊と、皆成仏道(皆仏道を成ず)の法華経と、われら衆生の三つは、全く差別がないと信解して、妙法蓮華経と唱えたてまつるところを、生死一大事の血脈というのである──と。
 戸田先生は、この釈尊とは御本仏日蓮大聖人、法華経とは御本尊、衆生とは私どものことだとされ、大聖人の御慈悲をこうむって、大聖人と御本尊と自分とが一体であると知るべきであるとされた。
11  「そのありがたさを心にしみて感謝申しあげ、熱心に題目を唱えるとき、宇宙のリズムとわがリズムと調和して、宇宙の大生命が即わが生命とつらなり、偉大な生命力が涌現してくるのである」
 この深い心で題目をあげることである。そうすれば、大いなる生命力がわいてくる。生命力が強いかどうかで、人生の幸不幸は決まってしまう。
 戸田先生は言われた。
 「人生も種々なる苦難の峠である。たがいに過去世の宿業を背負い、現世の約束にしばられて、この峠を往復しなければならない。
 生命力の弱き者は、たえず泣きながら、苦しみながら、人生をわたるのである。生命力のたくましき者は、楽しみながら、わたるのである。されば、生命力に偉大なる功徳をえることこそ、真の利益ではないか」
12  大聖人は、「法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼう鉄棒たるべし」──法華経(御本尊)の利剣は、信心の強い人こそが用いられる。(その人にとっては)鬼に鉄棒である──と仰せである。
 御本尊は、一切の不幸を断ち切る「剣」であり、名刀であられる。
 剣が無敵であっても、使う人に勇気がなければ、敵は倒せない。不幸を断ち切るためには、信心の「勇気」こそが必要なのである。
13  戸田先生は、真の「大利益」は、「成仏」することであると教えられた。
 「成仏とはいかなることか……永遠の幸福を獲得するということである」
 「成仏の境涯をいえば、いつもいつも生まれてきて力強い生命力にあふれ、生まれてきた使命のうえに思うがままに活動して、その所期の目的を達し、だれにもこわすことのできない福運をもってくる。このような生活が何十度、何百回、何千回、何億万べんと、楽しく繰り返されるとしたら、さらに幸福なことではないか。この幸福生活を願わないで、小さな幸福にガツガツしているのは、かわいそうというよりほかにない」
 「かくして、信力・行力の強い者は、かならず成仏する。その成仏の証拠として、現世においてあらゆる幸福をえるのであって、その幸福を知って、未来の成仏を確信しなければならないのである」
 「成仏とは、仏になる、仏になろうとすることではない。大聖人様の凡夫即極、諸法実相とのおことばを、すなおに信じたてまつって、この身このままが、永遠の昔より永劫の未来にむかって仏であると覚悟することである。
 もったいなや、かかる不浄の身が、御本尊様を受持したてまつることによって、仏なりと悟るとは、なんというありがたいことではないか。この果報こそ、なにものにもかえがたい果報であって、ひとえに大御本尊様の大功徳である」
 そして先生は、「願わくは、諸氏は、私にまさる大利益をえられんことを」と「大利益論」を結ばれている。
14  生まれるたびに「所願が満足」
 戸田先生の願いは、全会員が大功徳を受け、だれよりも幸せになることであった。
 そのために、時には厳しく、時には懇切に、命を削って私どもに「信心」の心を教えてくださった。慈悲にあふれた、偉大な先生であられた。
 私の願いも、先生とまったく同じである。全世界のSGIのメンバーが、一人残らず、大功徳を受け、成長し、幸福になることを、御本尊に常に祈りに祈っている。
15  昨年、御本尊を求める全世界の友の信心に応え、大聖人の世界広宣流布の御遺命を達成するために、日寛上人御書写の御本尊を、御形木御本尊として授与することになった。すべて、御仏意であり、また御仏智というほかない。
 戦後の創価学会の草創期に、日寛上人の御形木御本尊が下付されて、日本の広宣流布の基盤が盤石に築かれた。
 今、ふたたび日寛上人の御本尊が、仏法を求める全世界の人々に授与されることによって、世界広宣流布の基盤が築かれることを確信していただきたい。
16  沖縄は美しい。沖縄の人の心は美しい。だからこそリーダーは、皆の、けなげさに甘えてはならない。幹部になればなるほど、謙虚でなければならない。決して人を感情で叱ってはならない。友の苦労を当たり前に思ってはならない。
 「友のために今、自分は何ができるか、何をすべきか」──その一点を自分自身に問いかけながら、まっすぐに行動しゆく人生であっていただきたい。
 そして、自他ともに妙法の「大利益」を満喫しながら、楽土・沖縄をさらに壮麗に建設していただきたい。
 (沖縄研修道場)

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