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日蓮大聖人・池田大作

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タイ最高会議 ″輝けるタイ″が″輝く人材″を輩出

1994.2.6 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

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2  一個の人格として未来部を尊敬
 未来部を育成するうえで大切なのは、相手を一個の「人格」として尊重することである。決して、子供だからといって、″こんなことはわからないだろう″とか、″これくらい、いいだろう″とか、安易な対応をしてはならない。
 子供のなかには立派な「大人」がいる。その「大人」に向かって語りかけることである。そうすれば、「人格」が育っていく。また、育てる側も育てられていく。
3  たとえば、子供を叱らなければならない場合、「そんなことをすると、おまわりさんにつかまるよ」とか、「××さんに怒られるよ」と言うお母さんもいる。
 いつも、そう言われていると、子供は「つかまるから」「怒られるから」悪いことをしては、いけないのだと考えるようになろう。
 また、会館へ行って「静かにしないと、創価班のお兄さんに叱られるよ」「白蓮のお姉さんに叱られるよ」等と言うと、子供は、″自分の自由を奪うだけ″と思って、創価班も白蓮グループも嫌いになってしまうかもしれない。学会をも嫌いになる場合もあろう。
 そうではなく、「会館は皆のための場所だから、静かにすべき時に騒ぐと、皆の迷惑になるの。ほかの人たちのことを考えられる人が偉い人なのよ」──と、たとえば、そのように「理由」を教えたほうがよいのではないだろうか。
 それでも、その場では言うことをきかないことも多いだろうが(笑い)、子供の心には、ちゃんと入っているものである。小さなことのようだが、長い間には、大きな違いとなっていく。
4  またタイの皆さまは、日々、地道に家庭指導に取り組んでおられる。遠いところ、何時間もかけて友のもとに足を運び、一軒一軒、真心の対話を重ねておられる。「一人」を大切に、「一人」を全力で育まれる皆さまの献身の行動に、私は心から敬意を表したい。
 そこで本日は、家庭指導の在り方について一点、確認させていただきたい。
5  ある日本の作家は、「子供というものは、なんにも知らん顔をして、なんでも知っているものだ」(『化粧と口笛』、『川端康成全集』5所収、新潮社)と書いている。
 ゆえに、家庭指導をする場合も、子供さんにも配慮していただきたい。他の家族の方にも、最大の礼儀で接することは当然である。
 とくに小さな子供に対しては、こちらもあまり意識しない場合がある。しかし、どんな小さな子供でも、全部、こちらの振る舞いをじっと見ている。私たちのことを通して、その子供は学会のこと、信心のことを判断していく。
 しかも子供には、大人が想像もできない鋭い触角がある。たとえば、お父さん、お母さんが、幹部から指導されている姿を見て、「お父さん、お母さんを叱っている」「いじめている」と思う子供もいるかもしれない。
 それは指導の口調や言葉づかいにもよる。優しく、丁寧でなければならない。
 これは家庭指導だけでない。会合や、外で会った時も同じである。
6  フランスの作家ロマン・ロランが、ベートーヴェン的な英雄を描いた大河小説『ジャン・クリストフ』──。主人公は天才音楽家のクリストフである。
 彼の父は音楽家だが、酔っぱらいで、ぐうたらで、給料も全部飲んでしまう。子供であるクリストフも、父が悪いことは、いやになるほど知っている。息子である彼が、そのことで、だれよりもつらい思いをしているのである。
 しかし、父親のことを他の人から指摘されたり、同情されることは耐えがたかった。
 「許さない……僕を侮辱するのは許せない」(『ジャン・クリストフ』豊島与志雄訳、岩波文庫。以下、引用は同じ)
 他の男が「だれもお前を侮辱しようなどと思うものかね。私は皆が考えていることを言ったばかりだ。お前だってそう考えているだろう」と言うと、「いいや!」「そんなことはない」と、彼はしどろもどろになりながらも、父親を弁護しようとした。
 彼は父親を嫌っていた。たしかに、情けない父親だった。それでも、だれかにそのことを言われると、誇り高い彼は、自分が侮辱されたように感じて、父を弁護したのである。
7  いわんや、仲の良い家族にあっては、自分の前で、親が厳しく何か言われたり、問いつめられているようにみえると、子供は「お父さんを苦しめている」「お母さんをいじめている」と思うかもしれない。
 「こまやかな配慮」「相手への尊敬」があれば、そうはならない。大切なのは「心」である。
 日本の別の作家は述べている。
 ″子供というものは、ちっとも大人と違わない。ただ大人が理屈で知ることを、子供は直観で感ずるだけだ″(『肉塊』、『谷崎潤一郎全集』9所収、中央公論社)
 子供は一個の人格であり、大人なのである。
 そのほか、すべてに温かい配慮で、「タイの未来」「人類の未来」である子供たちを心豊かに育成していただきたい。
8  「婦人を大切に」できるのが文化人
 次に、「婦人を大切に」「女性を大切に」と申し上げておきたい。
 「国民の文化水準は、婦人の社会的地位によって、はかられる」と、アルゼンチンの著述家サーミェントは述べている。婦人を大切にする国が、文化国家である。
 団体も地域も同じである。婦人を大切にするところが文化の団体であり、文化的な地域である。
 個人も同じである。婦人を大切に守ってあげられる人が文化人である。反対の人は野蛮人であろう。
 「婦人の意見を聞く」
 「婦人がやりやすいように、陰で手を打ってあげる」
 「婦人部を少しでも早く休ませようと努力する」
 「『その分、自分が頑張ろう』と、黙って結果を出していく」
 それが「文化の指導者」であり、「仏法の指導者」である。
9  「けなげな者は、自分自身のことは一番後まわしにするものだ」(シラー『ウィリヘルム・テル』野島正城訳、『世界文学全集』2所収、河出書房)と。
 自分のことばかり考えている男性幹部は、臆病であり、保身であり、策であろう。けなげな勇気ある振る舞いとは正反対である。
 「信心」とは最高の「勇気」である。「勇気」とは「人を守る」強さである。そのために戦う人格である。
10  タイの著名な作家、シーブーラパ氏の言葉に、こうある。
 「息をしていることが生きている証拠なのではない。知恵を働かせて、社会に功績を残し、尽くす人こそ、生きている人である」
 「人生は華やかに踊る舞台ではない。人生は勝負の舞台である」
 皆さまが、タイの社会にあって、良き市民、良き国民として、ますます貢献されゆくことを、私は祈りたい。とともに、お一人お一人が、自分らしい勝利の人生を、厳然と勝ち取っていただきたい。
 終わりに、「幸福のために努力を 幸福のために健康を 幸福のために良き友を」と申し上げ、記念のスピーチとさせていただく。
 私はいつも皆さまの「幸福」と「健康」「長寿」を真剣に祈っております。祈り続けてまいります。
 (タイ・バンコクしない)

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