Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第2回アジア文化教育会議 「アジアの民」の黄金時代へ

1994.1.29 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

前後
2  大聖人は社会を大切にすることを教えられた。
 「法華経に云く「皆実相と相違背いはいせず」等云云、天台之を承けて云く「一切世間の治生産業は皆実相と相違背いはいせず」等云云、智者とは世間の法より外に仏法をおこなわず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり
 ──法華経(法師功徳品第十九)には「(諸の説くところの法は)みな実相と違背しない」等とあり、天台大師はこれを受けて「すべて世間の人間生活の諸事万般(政治・経済等)はみな、実相と違背しない」等と言っている。智者とは、世間の法以外において仏法を行じない。世間の治世の法を十分に心得ているのを智者というのである──。
 仏法を根本にした社会貢献──SGI(創価学会インタナショナル)の行動こそが仏法の正道のなかの正道なのである。
 とくに、香港創価幼稚園、シンガポール創価幼稚園は、ともに社会に絶大なる信頼を広げている。この席をお借りして、関係者の皆さまのご尽力に厚く感謝申し上げたい。
 明年春にはマレーシア創価幼稚園も開園の運びとなり、大きな期待が寄せられている(一九九五年四月オープン)。創価教育の理想は今、アジアの天地に燦然と花開いている。
 台湾での地域文化祭など各種の公式行事や、福祉への取り組みも高く評価されている。シンガポール、マレーシアでも独立記念日の行事に継続的に参加しておられる。また、韓国をはじめ、幅広い出版活動の推進は、仏法哲学への理解を着実に深めている。
 さらに、ここ香港、マカオはもちろん、仏教発祥の地・インドにあっても、また昨年、私も訪問し、お世話になったフィリピンにおいても、仏法の人間主義への共感が拡大している。
3  「人格の価値」で社会を結ぶ
 牧口先生は『創価教育学体系』の中で、「人格価値」ということについて論じておられる。
 すなわち、人間は、それぞれの所属する社会に対して、積極的にしろ、消極的にしろ、何らかの関係性をもっている。その関係性のことを「人格価値」(人格そのものの価値)と呼ばれたのである。
 牧口先生は、この「人格価値」を三種類に分類された。
 第一に、いることを皆から希望される人。「いてもらいたい人」である。
 泰平無事の場合には、それほど注目されなくても、一朝有事の場合──すなわち、ひとたび何か起こった時には──「もし彼がいてくれれば」と皆から慕われる人である、と。
 「つねに社会の結合的勢力として存在する者」のことである。
 第二に、いても悪くはないが、いなくてもたいした影響はないという人。「いてもいなくても、どちらでもよい人」である。
 第三に、″彼あるがために困る″という人。「いては困る人」である。
 とくにひどいのは、公然と社会から嫌らわれている悪人で、つねに社会に迷惑をかける者。すなわち社会の結合を分断する者。
4  牧口先生は、この第一の人(いてもらいたい人)と第三の人(いては困る人)を対比しておられる。
 つまり「いてもらいたい人」とは、自己一身のことを顧みず、一歩進んで、社会の全体に注目して貢献する人である。
 そして、その人格の社会的価値が大多数に認められ、功績として称賛され、尊敬を受ける結果となる。この「人格価値」を高めていくのが創価教育である。
 反対に、「いては困る人」とは、その人がいるために社会の平和が害され、社会になんの貢献もせずに、社会の厄介になっている。そのうえ、損害までかける危険な人間である。
5  戸田先生「東洋の民族に光明を」
 ご存じのように、牧口先生ご自身が、「なくてはならない存在」として、崇高な歴史を残された。第二次大戦中には、アジアと人類の平和を祈りつつ、日本の軍国主義と戦い、獄死された。
 それに対し、宗門は卑劣にも、アジア侵略の軍部に迎合し、保身を図って、大聖人の仏法の正義を捨てた。
 そして日顕宗は、今また社会に脅威を与える存在、社会の結合を分断する存在、社会の平和を害する存在として、アジアを蹂躙しようとしている。絶対に「いては困る存在」である。断じて許すわけにはいかない。
 この大悪と毅然と戦いながら、私どもSGIは、牧口先生のいわれる「社会の結合的勢力」として、アジアと世界の「協調」「安定」「繁栄」にさらに貢献してまいりたい。
 とともに、皆さま方お一人お一人も、家庭にあっても、社会にあっても、組織にあっても、「いてもらいたい人」として慕われながら、この尊い一生を飾っていただきたい。
 そのためにも心豊かに、後輩を慈しみ育てていくことである。それが全部、自分の福運となる。
6  ″太陽の仏法の光で東洋を、そして世界を万年にわたって照らしゆく″──。大聖人の「諫暁八幡抄」の大宣言であられる。
 この御心をだれよりも深く拝されたのが、戸田先生であった。
 戸田先生の会長就任(昭和二十六年五月三日)は、朝鮮戦争の渦中であった。会長就任を前に戸田先生は、戦禍に苦しむ民衆に深く心を痛められ、こう語られた。
 「あすの日を知らず迷う東洋民族に、いな世界人類に、光明をあたえる力はなにか。日蓮大聖人様のご慈悲をこうむらせる以外に、なにものもないではないか。すなわち、広宣流布以外に、手はないのである。
 しからば、この聖業は、だれびとの手によるか。仏意はかりがたきことなれども、創価学会を除いてほかになし。(東洋広布、世界広布は)恩師牧口先生以来の因縁であり、宿命である」
 この戸田先生の獅子吼のごとく、東洋広布の聖業を成し遂げてきたのは、創価学会である。皆さま方である。
 創価学会以外に絶対にない。宗門は何もしていない。ただ妨害し、邪魔をしているだけである。正法のため、民衆のために、断じて負けてはならない。堂々と、この大悪を打ち破ってまいりたい。
7  タゴール──詩「東方の燭台」で「アジアの光」と輝けと
 以前、韓国の青年部の方からお手紙をいただいた。
 その中に、インドの詩聖・タゴールの「東方の燭台」という詩が紹介されていた。この詩には、一つのエピソードがあるという。
 一九二九年(昭和四年)、タゴールは日本を訪問した。日本が横暴にも韓半島(朝鮮半島)を支配し、苦しめていた時代である。そのとき、東亜日報の記者が、タゴールに祖国(韓国・朝鮮)への訪問を願い出た。
 その要請に応えられなかったタゴールは、自分の思いを、この「東方の燭台」の詩に託し、東亜日報に寄稿したのである(一九二九年四月二日掲載)。
 タゴールは歌っている。
8  その昔、アジアの黄金時代に輝いた燭台のひとつ コリア(=韓国・朝鮮)よ
 その灯がひとたび灯されるや あなたは東方の明るい光となるであろう
 心に恐れなく 頭を高くもたげているところ
 知識は自由で 世界が狭い壁で小さく隔てられないところ
 真実の深みの中から 言葉が湧くところ
 絶え間ない努力が 完成に向かって腕を広げるところ
 知性の清い流れが 固い習慣の砂場に道を失わないところ
 限りなく広がる思考と行動で 我々の心が導かれるところ
 そのような自由の天地として
 わたしの心の祖国コリアよ 眠りより覚めたまえ
9  タゴールが求めてやまなかった「理想の天地」を、今、アジアのSGIの皆さまが力強く築いておられる。
 「何ものも恐れない毅然たる勇気」
 「世界に開かれた伸びやかな心」
 「人々を幸福にしゆく言論の戦い」
 「燃えたつような向上の一念」
 「道を迷わせようとする悪しき因習の宗門と断固戦う、清らかな知性」
 「世界へと、そして二十一世紀へと無限に広がりゆく行動の舞台」──。
 すべて皆さまの真剣なる信心の力である。妙法に生きゆく人は、真実にして永遠の自由を勝ち取ることができる。
 アジアの「光」であられる皆さまお一人お一人が、さらにさらに輝きゆかれんことを、私は祈ってやまない。そして、新たなる「アジアの黄金時代」を、ともどもに築いてまいりたい。
10  大聖人は「たねと申すもの一なれども植えぬれば多くとなり」──ものの種というものは、一つでも植えれば多数となり──という原理を示されている。
 今、皆さまは、それぞれの国にあって、広宣流布の尊い「黄金の種」を植えておられる。
 少しも焦る必要はない。時とともに、皆さま方の蒔いた種が、限りない「福徳」と「栄光」と「勝利」の実りをもたらしゆくことを確信して、悠々と進んでいただきたい。
 皆さま方、ならびに、ご家族、そして、我が愛するアジアの全同志の、ますますのご健康を心よりお祈りして、記念のスピーチとさせていただく。
 (香港市内)

1
2