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日蓮大聖人・池田大作

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関西代表協議会 つねに勇気のエンジンを燃やせ

1994.1.25 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

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1  キング博士「進もう! 風向きがどうであろうと」
 「関西婦人部の日」「大阪勝利の日」おめでとう。(拍手)(ともに一月二十五日。昭和三十七年のこの日、大阪事件の無罪判決がくだされ、その意義をとどめてもうけられた)
  壮大な
    大関西の
      記念日を
    我も祝さむ
      諸天も讃えむ
 お祝いの歌をお贈りするとともに、記念のスピーチを残しておきたい。
2  まず、この席をお借りして、地震のあったロサンゼルスの皆さまに改めて、お見舞い申し上げたい。立派に「変毒為薬」されることを私は祈り、信じる。
 先日(一月十七日)、アメリカのハーディング博士夫妻とお会いした。博士夫妻は、有名なマーチン・ルーサー・キング博士とともに、黒人差別撤廃に戦った盟友であられる。
 会見の折、ハーディング博士は、キング博士の思い出を振り返りながら、キング氏の全身から発する「勇気」に人々が感動したことを強調しておられた。
 人の心を動かすのは、口先だけの言葉ではない。心を動かすのは心である。
 勇気を与えるのは勇気である。指導者はだれよりも「勇気ある人」でなければならない。
3  キング博士は、かつて(一九五六年)プロペラの飛行機で大西洋を横断し、ニューヨークとロンドンを往復した。
 この時、行きのニューヨークからロンドンまでは九時間半、帰りは十二時間半。どうして同じ距離にもかかわらず、帰りは三時間も余計にかかるのか──。
 「風についてお考えになってください」(キング『黒人の進む道』猿谷要訳、サイマル出版会、以下、引用は同じ)
 パイロットは言った。
 「私たちがニューヨークを離れるときは、強い追い風は好都合なのですが、戻るときは、強い逆風が吹きつけてくるのですよ」
 「どうかご心配なく。この四つのエンジンは、風と闘うことができますから」
 キング氏は、この思い出をつづりながら、書いておられる。
 ──社会変革の戦いにおいても、いつも追い風とは限らない。強い「向かい風」が冷酷に吹きつけることもある。しかし逆風に転覆させられてはならない。
 「どんなに風が強くても、勇気というエンジンでわれわれは耐えなければならないのだ」──。
 ″断じて立ち止まってはならない″″何ごとにも耐えうる勇気をもて″″どんな困難があろうと、戦い続けていこう″──と。
 キング氏は、この信条通りの人生を生きた。偉大な「変革者」であった。
 私どもも、赤々と燃やしたい。「勇気」というエンジンを。そして逆風のときも、順風のときも、堂々と、悠々と、目的地に向かって飛び続けたい。
 「何ものにも負けない」勇気──それ自体が「人間としての勝利」の炎なのである。
4  戸田先生「私と牧口先生は三世に離れない師弟」
 ご存じの通り、昨年(一九九三年)は牧口先生の五十回忌。そして今年は牧口先生、戸田先生が入信されて六十六年となる。創価学会の大発展を、両先生は、さぞかし喜んでおられることと思う。
 昭和二十年(一九四五年)九月、出獄まもない戸田先生は、あるお手紙の中で書かれている。
 「私のこのたびの法華経の難(=二年間の投獄)は、法華経の中の次の言葉で説明します。
 在在諸仏土常与師倶生と申しまして、師匠と弟子とは、代々必ず、法華経の功力によりまして、同じ時に同じに生まれ、ともに法華経の研究をするという、何十億万年前からの規定を実行しただけでございます。
 私と牧口常三郎先生とは、この代きりの師匠弟子ではなくて、私の師匠の時には牧口先生が弟子になり、先生が師匠の時には私が弟子になりして、過去も将来も離れない仲なのです」と。
 仏法の師弟は、生々世々、永遠に壊されない、との大確信の言葉である。これほど崇高なる人間の関係はない。この「師弟の道」がある限り、学会はどんな大難があっても負けない。
5  「信心」の要諦は何か。未来を見つめて、まっすぐに進むことである。
 日蓮大聖人は、佐渡で門下になった最蓮房に教えられている。
 「法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く・一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり
 ──法華経の行者は、信心において退転することなく、身に詐り親しむことなく、一切、法華経にその身を任せて、仏の金言のとおりに修行するならば、たしかに、来世はいうまでもなく、今世においても無事で寿命を延ばし、最高に勝れた大果報を得て、広宣流布の大願をも成就できるであろう──と。
 「信心に退転無く」とは、一念に、迷いや、ためらいがあったり、臆病であってはならない、ということである。
 戸田先生は、「信仰が惰性に陥った時、それはまさしく退転である。信心は、急速に、そして良く変わっていくための実践活動です」と教えられた。
 過去にとらわれて、後悔や反省ばかりしているのも、無価値である。後ろを振り返ってばかりいては、前に進めないからだ。
 信心は、現当二世のためである。「現在」と「未来」のために、「今の信心」の一念こそが大切なのである。
 また悪を見て黙っていると、「詐親(詐り親しむ)」になる。正法に背く悪は、責めなければ「与同罪」になる。
 さらに、祈り、努力し、「御本尊におまかせする」大確信が大切である。心から妙法に南無した時、無量の智慧と力が出る。不可能も可能になっていく。
 あくまでも、祈りが根本である。祈ることを忘れて、方法論に走った場合には、空転し、行き詰まる。
 戸田先生は、「学会には信心がある! 御本尊様がある! 学会の発展も、この御本尊様の功徳から、皆出たものではないか」と言われた。
 御本尊があっても、信心がなければ、功徳はない。宗門には、御本尊はあっても、まったく信心がなかった。日顕にいたっては、御本尊を信ぜず、信心を破壊している。
6  また、「金言の如く修行」をと。
 法主といえども、大聖人の御金言に背いた場合には、その謗法を、呵責し、責め抜かねばならない──というのが、日興上人の御遺誡である。大聖人の御精神である。
 現宗門が、日興上人の御遺誡、二十六箇条のことごとくに違背していることは、前に話した通りである。(一九九二年十月二十四日、関西最高会議。本全集第81巻収録)
 御聖訓のままの信心を貫いた時、三世にわたる福徳の境涯が開け、広宣流布の大願も叶うであろう、と大聖人は御約束くださっている。
 学会が、ここまで大発展し、大聖人の仏法が全世界へ流布している事実こそ、学会の正義の証明である。
7  識者も学会の「宗教改革」に注目
 学会の平和運動や、宗教改革の運動は、識者からも高く評価されている。
 たとえば、樋口謹一・京都大学名誉教授は、「創価学会はインターナショナルな平和のための運動をしていますね。学会は、『国益』より『人類益』、あるいは『地球益』というもののほうに重点を置いておられる。これは創価学会のひじょうに重要な点でしょう」と指摘されている。(「潮」の本年二月号、秋谷会長との対談。以下、引用は同じ)
 その通りである。そこに世界の良識が、学会を評価する理由もある。また日本の「閉ざされた心」が、学会をなかなか理解できない一つの原因でもある。
8  また、樋口名誉教授は、日本の仏教に付いても、こう語られている。
 「葬式仏教になって死んでいたわけですね。それが創価学会の運動によって現代に蘇生し、仏教のもつ人間の尊厳観とか平等といったものが生活のなかに甦ってきた。そのことが、国家の主権を超えてという、ひとつの人間のつながりをつくり出していくベースになるんじゃないかと思いますけれども」
 「仏教」を蘇生させたのは創価学会である。それは、そのまま現代における「人間の蘇生」であった。
 「葬式なんかでは、江戸時代の檀家制度などによって、仏教のひじょうに悪い面が出てきたともいえるわけでしょう。その点で、私はいまの『友人葬』について、実はひじょうに期待をもっているんです」
 私たちは、七百年前の大聖人以来の、そして三千年来の「仏法の本義」に基づいている。同時に二十一世紀を先取りしている。
 いよいよ誇らかに、確信をもって″希望の宗教改革″を進めていただきたい。
9  「人は善根をなせば必ずさかう」
 「栄光の年」は、一人一人が「栄える年」「光る年」である。
 日蓮大聖人は、南条時光に、こう書いておられる。
 「花は開いて果となり・月は出でて必ずみち・燈は油をさせば光を増し・草木は雨ふればさかう・人は善根をなせば必ずさかう
 ──花は咲いて木の実となり、月は出て必ず満ち、灯火は油をさせば光を増し、草木は雨が降れば茂っていく。(それと同じように)人は善根を積めば、必ず栄える──と。
 「善根」こそ、「栄える」因である。そして、法のため、人のため、広布のために祈り、行動することこそ、無上の善根である。
 創価学会が、今、最高に栄え、会員の皆さまが大功徳を受けておられるのも、大善根を積みに積んできたからである。
10  だからこそ、障魔も競う。羨望と嫉妬から、中傷も激しくなる。
 大聖人は仰せである。
 「世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず、賢人・聖人も此の事はのがれず」──世間の難が来ても、とりあってはいけません。賢人や聖人でも、難を受けることは逃れられないのです──。
 偉大なる大聖人でさえ、身命に及ぶ大難を、連続して受けられた。それに比べれば、今は、命を奪われるわけでも、牢に入れられるわけでもない。小さな難である。
 「とりあへ給うべからず」と仰せのように、いささかも紛動されないことである。毅然たる信心で、進み、戦い、勝つことである。広布の道で、社会の道で、人生の道で。
11  戸田先生は、昭和三十二年の年頭に当たり、こう記されている。
 「願わくは、吾人と志を同じくする同志は、世界にも、国家にも、個人にも、『悲惨』という文字が使われないようにありたいものと考えて、望み多き年頭をむかえようではないか」(『戸田城聖全集』第三巻)と。
 この地上から、「悲惨」の二字をなくそう──これが戸田先生の信念であられた。ここに仏法の精神がある。ここに私の祈りもある。
 この最高に崇高なる戦いに続いていただきたい。
12  幸福は一凶と戦ってこそ
 大聖人は仰せである。
 「今末代悪世に世間の悪より出世の法門につきて大悪出生せり」──今、末代悪世には、世間の悪よりも、出世間の法門である仏法について、大悪が生じている──と。
 正法に敵対して成仏を妨げ、民衆と社会に最大の災いをもたらす「大悪」。それが末代悪世には、仏法の中から出現する、と断じておられる。
 経文(法華経薬王品)の予言の通りに、世界広布を阻む「悪魔・魔民」が、「破法の法主」日顕の一派として出現したのである。
 それが、あらゆる災難をもたらす、根源の「一凶」である。徹底して責め、打倒することこそが、世界の「立正安国」への実践である。自分自身の不幸の因をも断ち切る行動である。
13  ホイットマンは、うたった。
 「さあ、出発しよう! 力、自由、大地、自然力、
 健康、挑戦、陽気な気分、自尊、好奇心を道連れにして、
 さあ、出発しよう! あらゆる信仰形式から、
 おお、蝙蝠のような目をした実利主義の僧侶たち、君たちの信仰形式から離れて
   (『詩集 草の葉』富田砕花訳、第三文明社)
14  私どもも、勇躍して、世界へ、民衆勝利の世紀へ、出発したい。
 現宗門は、大聖人・日興上人に反逆して、権威と形式、差別と束縛、策謀と搾取、貪欲と嫉妬、遊蕩と贅沢、不信と忘恩、邪義と醜行に支配されてしまった。この「邪宗・日顕宗」と、学会は永久に決別した。
 いよいよ、自由に、自在に、大聖人の御聖訓の通り、正義の道、幸せと平和の道、福運と歓喜の道を、悠々と前進してまいりたい。
15  終わりに、次の和歌を全関西の友にお贈りしたい。
  偉大なる
    世界の関西
      祝賀せむ
    栄光の城
      勝利で飾れや
  不滅なる
    大闘争の
      関西は
    元初の同志の
      誓いを忘れじ
 きょう、お会いできなかった同志の方々に、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 (大阪・天王寺区内)

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