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日蓮大聖人・池田大作

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各地の代表による最高協議会 歴史に輝く「創価革命の一年」

1993.12.27 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

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1  「五十回忌の年」に「五十カ国訪問」が
 本年(一九九三年)は「創価革命」の一年であった。歴史に輝く一年となった。
 民衆の力で、「民衆が主役」の時代を開く──それが日蓮大聖人の御精神を拝しての牧口先生、戸田先生の願いであった。その時代へと、本年は大きくを開いた。すべて同志の皆さま方のおかげである。心から感謝申し上げたい。
 いうまでもなく、本年は、牧口初代会長、戸田第二代会長の法難から五十年。牧口先生の五十回忌にもあたっている。(一九四三年七月六日、治安維持法違反、および不敬罪容疑で逮捕され創価教育学会が壊滅状態に。翌四四年十一月、牧口会長は獄中で逝去。四五年七月、戸田会長は出獄、学会を再建した)
 幾重にも意義を刻む本年、東京牧口記念会館が絢爛とオープンした。戸田記念国際会館も誕生した。
 また、私の海外訪問国の数がチリ共和国で五十カ国となった。(=一九九九年七月現在、五四カ国・地域を訪問)
 かつてない輝かしい大興隆──。それもすべて、原点は牧口先生、戸田先生が命を賭して、大悪と戦った功徳による。
 さらに本年、学会による、日寛上人御書写の御本尊授与が開始された。すでに、世界五十二カ国で授与が行われている。この一年は、万年にわたる広宣流布の歴史、学会の歴史に、永遠に刻印されゆくと私は確信する。
2  さて、今年は三回にわたって海外を訪問した。一月から三月に北・南米、五月にフィリピン・香港、九・十月に北米──九カ国十四都市を訪れた。
 ある人が調べてくださったのだが、その総飛行距離は約七万六千キロ。地球約二周分にあたる。総日数は八十九日間。国内各地の指導は十三都府県にわたり、総日数は百二十六日間。海外と国内をあわせた日数は二百十五日。一年の約六割を広布の旅先で送ったことになる。
 また秋谷会長は、台湾、スペイン、フランス、イギリスを訪問した。
3  民衆による世界大交流も活発に行われた。
 (日本からは交流団三千二百六十人が世界二十二カ国へ。また五十一カ国、延べ千百三人のメンバーが研修に参加のため来日した。
 第十六回SGI〈創価学会インターナショナル〉総会はブラジル、第十一回世界青年平和文化祭はアルゼンチンで開催された。さらにロサンゼルスでは第一回関西ワールド総会、サンフランシスコで中部、四国、埼玉、千葉の合同総会が行われた)
 民衆の友情の交流、喜びの往来こそが、平和の道を広げていく。
4  ″福運の殿堂″″歓喜の宝城″である会館の建設も、世界中で進んだ。
 主なものでは、北海道研修道場(別海町)の本館、群馬多宝研修道場(草津町)等が完成。東京牧口記念会館(八王子市)に隣接したナポレオン広場も完成し、さっそうたるナポレオン像が除幕された。
 海外では、シンガポール新文化会館(オープニングには、ゴー首相が出席)、タイ新本部、インドの創価菩提樹園、スペイン新文化会館、ローマ文化会館、SGIアメリカ本部(ロサンゼルス)などが誕生。韓国でも、新たに九会館がオープンした。
 また、ボストン二十一世紀センターの開設も決定。さらに、アメリカ自然文化センター、香港青年文化センター、フィリピン青年文化センターの建設・準備も進められている。
5  世界に広がった友情の金波、文化の光波
 宗教が偏狭な殻に閉じこもり、独善に陥れば、それは「宗教の死」である。
 社会にどう貢献したか、何を還元したか、平和のため、人類のために、いかに尽くしたか──そこにこそ「宗教の生命」がある。
 学会員の皆さまが、各地域・職場で、社会のため、人々のためにどれほど貢献されていることか。皆さまこそ宗教者の模範である。皆さまの生き方に、「現代における信仰」の真の躍動がある。
6  本年、カンボジアの和平実現には世界中が注目し、拍手を送った。この成功の陰に、学会青年部が実施したボイス・エイド運動を通して贈られたラジオ二十八万四千台があった。選挙の意義を伝えるなど大切な広報活動に力を発揮した。
 アメリカ青年部も、アフリカへの図書贈呈運動を展開。(フィラデルフィア市から、顕彰状が贈られている)
 フランス青年部は旧ユーゴ難民救済のための募金活動を行った。旧ユーゴには、イタリアのヤング・ミセスも、真心の救援物資を集め、送り届けている。
 また今年は、世界人権宣言が制定されてから四十五周年。「人権」が世界中でクローズアップされている。そうしたなかSGI主催で「現代世界の人権」展を国内外の四会場で開催し、タイムリーな展示に、大きな反響が寄せられた。
 国連世界人権会議にNGO(非政府機関)としてSGI代表が参加。国連軍縮京都会議にも、SGIは正式招待者として参加し、代表がスピーチを行った。
7  さらに文化の活動も、重層的に展開された。
 文化交流こそが、世界に相互理解と友情を広げる。学会は、今後も、文化尊重主義で進みたい。それが人間尊重に通じるからである。
 今年は、「自然との対話」写真展を、香港、カナダ・バンクーバーで開催。国内でも八十三会場で開かれた。
 フランス・ユゴー文学記念館では、「九十三年」展。また、その他の主要な展示だけでも、桂冠詩人展、小説「人間革命」展をはじめ十三種類の展示が全国約百七十会場で実施された。
 一方、東京富士美術館では、世界一の「大ナポレオン展」、「巨匠ゴヤの名作」展などが開催された。民音は本年が創立三十周年。オランダのネザーランド・ダンス・シアター、中国の東方歌舞団など、各国から″文化の使節″を招聘した。
8  恩師にささぐ「民衆勝利の大叙事詩」
 今年は、小説『人間革命』全十二巻が完結し、この「民衆勝利の大叙事詩」を戸田先生に捧げた。先生は、どれほどお喜びか──。弟子として重大な報恩を果たすことができた。(『人間革命』第十二巻は発行部数二百五十五万部で、年間ベストセラー第一位)
 そして、本年は、『新・人間革命』の執筆を開始した。十カ国語での同時連載が進んでいる。
 言論・出版活動も多彩に推進された。「創価婦人新聞」、「創価女性新聞」が創刊。年譜『牧口常三郎・戸田城聖』も完成した。
 私も著作七点を発刊。五つの紙誌で連載もした。
 (『潮』でログノフ博士と「科学と宗教」の対談、聖教新聞で『新・人間革命』、『第三文明』で「続・若き日の読書」「続・私の人物観」、『パンプキン』で「忘れ得ぬ語らい」、小学生文化新聞で童話「二人の王子さま」)
9  今年一年、私は語りに語り、書きに書いた。一日たりとも気を抜くことはなかった。先頭を走る人が止まってしまえば、後に続く人が、かわいそうである。
 海外での記念講演は三回(二回目となったハーバード大学。アメリカ西岸の名門校クレアモント・マッケナ大学。南米最高の知性の殿堂ブラジル文学アカデミー)。「SGIの日」に提言「新世紀へヒューマニティーの旗」も発表した。
 各種会合でのスピーチは七十九回。(衛星中継の参加者は、延べ約二千七百万人)
 「青年との語らい」シリーズが二十五回。長編詩十編。贈った歌・句・短文は約八百。揮毫の合計は約二千となる。
 海外の要人、識者らとの会見は約八十回。二十六カ国約二百人の各界の方々とお会いした。
 (ゴルバチョフ元ソ連大統領夫妻は創価大学で記念の講演を。タイ・プーミポン国王御作曲作品の特別演奏会〈創大記念講堂〉はガラヤニ王女殿下ご臨席のもと盛大に開催された。エルサルバドル共和国のクリスティアーニ大統領夫妻も創大を訪問した)
 表彰・受賞は、この一年で六十余(国家からの勲章四、名誉学位・名誉教授九など)。ブラジル文学アカデミーの「在外会員証」、パン・アフリカン作家協会の「最高芸術貢献者賞」等をいただいた。すべて、SGIの皆さまの代表としてお受けしたものである。
 (このほかアルゼンチンのローマス・デ・サモーラ大学に「池田大作図書館」がオープン。フィリピン大学にはイケダ・ホール〈平和の家〉が完成した)
 世界は、SGIに期待している。皆さまは世界の注目の方々である。「共感の波」「称賛の風」は一年ごとに広がっている。
10  ともあれ一日一日が大事である。一日で一週間、十日分の価値を創ろう、一年を十年分に生き抜こう──これが私の信条である。
 皆さまも、ともに明年を「正義の凱歌」で飾っていただきたい。「大成長の歴史」で飾っていただきたい。
11  若き南条時光に「四徳」を教えられた大聖人
 信心は振る舞いに表れる。
 大聖人は、十七歳の若き南条時光に、仏法の四恩(父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩・三宝の恩)を教えられた。その際、当時、仏法以外の賢人とされた人たちの掲げる理想として、「四徳」を教えられた。
 「四徳とは・一には父母に孝あるべし・二には主に忠あるべし・三には友に合うて礼あるべし・四には劣れるに逢うて慈悲あれとなり
 ──(儒教で説く)四徳とは、一には父母に孝行であれ、二つには主君に忠義であれ、三には友に会う時には礼儀を尽くせ、四には自分より劣る(弱い)者に会ったら慈悲深くあれ、ということである──と。
 これは儒教の理想であるが、妙楽大師は、「礼楽前きに馳せて真道後に啓らく」──(儒教の)礼楽が先に流布して、真の道たる仏法が後に弘通されたのである──と述べている。
 礼楽とは、社会秩序を守る道徳を示した「礼儀」と、心を楽しませ情操を高める「音楽」のことで、孔子が「礼楽」を説いたのは、中国では古くから、生活の一つの規範として尊重されていたからである。
 こうした礼楽等が先に流布することによって、後の仏法の理解が容易になったのである。現代でいえば、人間主義を基調とする平和・文化の広がりがあってはじめて、仏法が理解される道が開けることといえよう。
 南条時光には、信心を根本として、当時の「四徳」をも身につけた人格者であることを望まれたと拝される。
12  「父母を大切に」「いつも笑顔を」
 「一に父母に孝あれとは・たとひ親はものに覚えずとも・悪さまなる事を云うとも・いささかも腹も立てず誤る顔を見せず・親の云う事に一分も違へず・親によき物を与へんと思いてせめてする事なくば一日に二三度みて向へとなり
 ──第一に、父母に孝行であれということは、たとえ親がものの道理をわきまえていなくても、ひどいことを言うことがあっても、少しも腹を立てたり、気分を悪くした顔を見せず、親の言うことに、一分も逆らうことなく、親に良いものを与えようと思い、何もできない時には、せめて日に二、三度は笑顔を見せて、親に向かうようにしなさい、ということである──。
 ここで示されている親孝行のあり方は、封建的な道徳というよりも、時代を超えた、子として、父母に接すべき心の姿勢といえよう。
 親に与える良いものがない時には、せめて一日に二、三度は笑顔を与えよ──まさに人間の心のひだまで知り尽くされた教訓といえよう。子供や孫から、笑顔で話しかけられるだけで、親はうれしいものである。笑顔を交わせる家庭は温かい。
 また、一人暮らしのお年寄りは、だれかが声をかけ、話し相手になってくれるだけでうれしい、という。心で心に語る対話が大切なのである。
13  戸田先生は、「青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人を愛せようか。その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境地を会得する、人間革命の戦いである」(「青年訓」、『戸田城聖全集』第一巻)と教えられた。この精神は、現在も少しも変わっていない。
 肉親はもちろん、他人をも、思いやりの心で包み込める、広く温かい境涯を開くのが、本当の信心であり、人間革命である。
14  「陰徳を積め」「今いる場所で勝て」
 「二に主に合うて忠あるべしとは・いささかも主にうしろめた後痛なき心あるべからず、たとひ我が身は失しなはるとも主にはかまへてかれと思うべし、かくれての信あれば・あらはれての徳あるなりと云云
 ──二に、主君に対して忠義であれ、というのは、主君に対して少しでも後ろめたい心があってはならない。たとえ、わが身を失う(命を断たれる)ことになっても、主君のためになればよい、と心すべきである。そうした隠れての信義があれば、いつかは外に徳となって表れる、と言われている通りである──。
 仕えている主に対し、「後ろめたい」不誠実があってはならない。認められようと、認められまいと、誠実に「陰徳」を積めば、やがて「陽報」が輝くことを教えられている。
 たとえば、勤めている会社のために苦労しても、あまり評価されず、報われないこともあろう。しかし、信心を根本に、研究し、努力して仕事の業績をあげていけば、力がつき、信用が増す。「身の財」が残っていく。信心で悩み戦えば、福運となり、「心の財」となる。
 今いる場所で勝つ。「生活」のうえで向上する。それが正しき「信心即生活」である。
15  戸田先生は、大聖人の『法華を識る者は世法を得可きか』との教えを通し、次のように指導されている。
 「御本尊を受持したものは、自分の生活を、どう改善し、自分の商売を、どう発展させたら良いかが、わかるべきだとのおおせである。
 それを、わかろうともせず、研究もせず、苦心もしない。されば、その人の生活上の世法を識らないがために、自分の商売が悪くなっていくのを、御本尊に功徳がないように考えたり、世間に考えさせたりするのは、謗法と断ずる以外には無い」と。
 社会で、家庭で、人生で勝たねばならない。それが信心の勝利である。その努力なき信仰は、「謗法」であると、戸田先生は厳しく教えられたのである。
16  「友に誠実を」
 「三には友にあふて礼あれとは友達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささかをろかに思うべからず
 ──三には、友に会ったら礼儀正しくあれ、というのは、友達で一日に十度、二十度と訪ねてくる人であっても、千里、二千里の遠くから訪ねてくる人のように思って、少しでも礼儀をおろそかにしてはならない──。
 身近な人が大切である。その人を宝のごとく大事にすることである。そして、だれに対しても誠実に、礼節をわきまえて接することである。誠実ほど強いものはない。
 私も世界に友人をつくった。「誠実」ひとつでつくったのである。誠実で築いたものは、壊れない。策でつくったものは、やがて崩れる。
 日亨上人は、「何れの時代でも、社会の為になり、人類を利益する人は、誠意から出発した身口の表現の巧妙であり、次は誠意のみで、身口の表現に巧みならざる人でもある」(『追考聖訓一百題』)と述べておられる。
 まず″心″に誠意がなければならない。そのうえで″身″と″口″に、その誠意を十分に表現できるのが理想である。とくに海外の人に対しては、具体的に明快に表現しなければ、通じないのである。
 松下幸之助さんは、「誠意や真心から出たことばや行動は、それ自体が尊く、相手の心を打つものです」と語っておられた。
 「第一の法」を持った人は、人間としても「第一の人」でなければならない。信心によって、自分を磨き続けることである。境涯の広がり──その一つの表れが友情の広がりである。
17  なお日亨上人は、「邪心悪意の人は、反対に身や口やが非常に発達してをる。殊に曲辞詭弁(=曲がった言葉、道理を曲げる弁論)あらゆるの偽瞞に長じてをる。その特能が耀かがやくことは一時である、永久でない」(同前)と指摘されている。
 邪心と悪意の人間ほど、口がうまく、正を邪と言い、邪を正と言って人を誑かす。日顕がその典型である。しかし、一時的に、一部の人をだますことはできても、長期間、多くの人々をだまし通すことは不可能である。
18  「弱者には慈悲を」
 「四に劣れる者に慈悲あれとは我より劣りたらん人をば・我が子の如く思いて一切あはれみ慈悲あるべし
 ──四に、劣った者に慈悲をもてというのは、自分より弱い人には我が子のように思って、すべてをいとおしみ、慈悲を注ぐべきであるということである──。
 「劣った人」とは、人間に優劣をつける意味ではなく、社会的な立場や、肉体的・精神的な条件で、自分より力の弱い人ということであろう。
 幼い我が子に対しては、親は全力で守り、苦しみから救い、楽しみを与えようとする。それが「慈悲の一分」である。しかし、他人に対しても、我が子と同じように思いやることは、簡単ではない。
 弱者の人権を守り、幸福になる権利を実現するどころか、弱者をいじめ、切り捨てようとする社会であり、世界である。こうした「慈悲の欠如」こそ、現代人の根本的な欠陥といえる。ゆえに、仏法の慈悲の精神を世界に弘めるしかない。
19  戸田先生は「慈悲論」にこう書かれた。
 「仏教のはたらきは、慈悲をもってもととしている。慈悲ほど強いものは世にないのである」
 「友人にむかって忠告し、子どもにむかって訓育する。部下を指導し、先輩にたいして礼をもって仕えるとしても、その行動の奥に深い深い慈悲の心を蔵するならば、その行動は、説明もなく、証明する者がなくとも、相手にいっさいがかならず通ずるものである」
 「『慈』とは、他に楽しみを与えることであり、『悲』とは、他の苦しみを抜くことをいうのである」
 「慈悲こそ仏の本領であり、大聖人様は慈悲そのものであらせられる。日本国の諸人を愛すればこそ、仏教の真髄を説いて一歩も退かず、伊東へ、佐渡へ、首の座に、いくどの大難をものともせず、三類の強敵を真っ向から引きうけられた艱難辛苦そのもののご一生であらせられたのである」
 「草や木は本然に持っている慈悲によって、あるいは腐って肥料となったり、あるいは動物の食べ物となったり、あるいは人目をたのしませたりしている。しかるに、人間は、日蓮大聖人の仏法によって、さらに発展し、自覚した真の慈悲に生きなければならないのである」(『戸田城聖全集』第三巻)
 戸田先生はまた「慈悲は勇気が表となる」と教えてくださった。
 人のために行動するには勇気がいる。勇気を出して、ともかく広宣流布へと「行動」する。そのなかで自然のうちに慈悲の振る舞いになっていくのである。
20  「是くの如く振舞うを賢人とも聖人とも云うべし」──このように(四徳を身につけて)振る舞う人を、賢人とも聖人ともいうのである──。
 南条時光は、上野郷の地頭といっても、まだ十七歳の若さだった。今でいえば、高校生の年ごろにすぎない。大聖人は、この四徳を通して、人生の機微を教えられ、時光の人間的な成長を期待されたのである。一つの指導者論であったとも拝される。
 やがて時光は、大聖人から「上野賢人」と呼ばれるまでに成長した。
 日顕宗には、大聖人が教えられた四恩も四徳もない。主師親の三徳であられる大聖人への不孝・不忠、また人間への非礼と無慈悲──その他、御書と正反対が現宗門である。
 その意味で、学会は大聖人の正義を奉じて宗門を破折しているのである。宗門は学会を迫害しているつもりで、実は大聖人の教えを迫害しているのである。
21  「護法の大功徳」を大聖人は立正安国論に説かれている。
 歓喜増益如来の仏法の末に、今と同じく、多くの「破戒の悪比丘(悪僧)」が出た。正法を破滅させようと迫害した。
 そのとき、護法のため立ち上がった在家が有徳王である。悪僧たちと激しく戦って、全身に傷を受けて命を終えたが、「護法の功徳」によって阿閦仏あしゅくぶつの国に生まれた──と説かれている。涅槃経にあり、この時の有徳王は、釈尊の過去世の姿とされている。
22  極悪と戦う者は極善
 戸田先生は、こう述べておられる。
 「この経において結論していうのには、禿人(=毛髪がない人)といって、職業僧侶、すなわち生きんがため食わんがためのみの僧侶が世に充満して、少しも僧侶として世人を救う力のない時代に、国のため、世のため、法のために、不惜身命のものが現れたときには、その僧侶等は、徒党をつくって迫害するであろう」(『戸田城聖全集』第一巻)
 そのときに敢然と立つ者が「護法の大功徳」を得るのである。
 不惜身命で正法を護持する者を、徒党を組んで迫害する悪侶──今では、日顕宗のことにほかならない。
 日亨上人は、「空疎な軟弱な稀薄な信仰の持主は、大事に大事に深山幽谷に封じ込めて置くと、腐敗することもない。芋掘坊主としてをけばどうやら無難に過されるが、一度社会の都会の複雑な面倒な荒風に当つると早速正体もなく軟化する、堕落する、腐敗する」(『追考 聖訓一百題』)と指摘されている。
 今の宗門の姿そのものを予見されたかのごとき、お言葉である。
 涅槃経には、護法のためには武器を用いてもよいと説かれている。ただし、命を奪ってはならないと。
 現在では、邪僧を打ち破る「武器」は、彼等の邪義を、切れ味鋭く破折する、正義の言論である。また、社会正義のうえから、反社会的な悪行を徹底して追及し、糾弾することである。現宗門に誑かされている人々に、真実を教え、目を醒まさせていくことである。
 涅槃経には、「正法を護る者は無量の果報を得るであろう。この(過去世に有徳王として正法を護った)因縁によって、私(釈尊)は今日、自らを種々の相で荘厳して、不可壊(壊れない)の仏の身と成ったのである」と説かれている。
 極悪と戦う者は、極善となる。極善の功徳は、無量であり、金剛不壊の我が身となる。これが、釈尊そして大聖人の御約束である。
 大聖人は、「悪法を以て人を地獄にをとさん邪師をみながら責め顕はさずば返つて仏法の中の怨なるべし」──悪法をもって人を地獄に堕とすであろう邪師を見ながら、(その悪を)責めあらわさないならば、(その人は)かえって仏法の中の敵となる──と仰せである。
 人を地獄に堕とす邪師を責めなければ、我が身が仏敵となる、との厳しい戒めである。
 悪を責めなければ、自分が悪の味方となってしまう。ゆえに、中途半端ではなく、徹底して戦うしかない。
23  勝利とは何か。戦い続ける、その信心が、すでに勝利なのである。
 栄光とは何か。戦い続ける、その前進の姿にこそ栄光は輝いている。
 全国の同志の皆さまが、最高によきお正月をお迎えくださることを念願し、きょうの語らいとしたい。
 明年も、私は、さらに世界を、日本を駆けめぐりたい。
 (静岡県内)

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