Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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広布四〇周年記念中部祝賀大総会 晴れ晴れと「宝の境涯」へ共に

1993.11.21 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)

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2  「立正安国」の行動は学会が継承
 日蓮大聖人は、弘安五年(一二八二年)十月十三日に御入滅された。
 太陽暦でいえば同年の十一月二十一日に、滅不滅、三世常住の御姿を示されたのである。きょうは、それから七百十一年目に当たる。
 この意義深い日を、発展に発展、前進に前進を重ねておられる中部の天地で、皆さまとともに迎えることができ、私は感慨深く、また、うれしく思っている。
 大聖人は、御入滅を前に、多摩川の近く、池上兄弟の兄(宗仲)の館で「立正安国論」を講義されている。その御生涯が″「立正安国論」に始まり、「立正安国論」に終わる″といわれるゆえんである。
 大聖人は、最後まで「立正安国を」と教えられた。「世界広宣流布を」と教えられた。その御遺命通りに行動しているのは、ただ創価学会だけである。
3  そしてここ中部は、第三祖日目上人が、大石寺に安住されず、天奏てんそう(京都の天皇への諌暁)へ向かわれる途上、御遷化ごせんげされた天地である。時に日目上人は七十四歳。ちょうど六百六十年前(一三三三年)のことであった。(この年の五月に鎌倉幕府が滅亡。六月に天皇中心の政治である「建武の新政」が始まっていた)
 その日目上人もまた、大聖人の「立正安国論」を、日興上人の「申状」とともに携えておられた。先師の御遺命を奉じ、寺に安住することなく、命の尽きるまで弘教また弘教に奔走されたのである。
 大聖人、日興上人、日目上人の「立正安国」への御行動を今、だれが受け継いでいるのか。だれが継承者なのか。それは歴史的、客観的に見て、近年の牧口先生、戸田先生であり、我が創価学会以外にない。
4  そして本年、中部の我が友は、偉大なる大勝利の実証を天下に示された。この数年、だれ人も想像できなかった発展の歴史をつくりあげた。歴史転換のドラマをつづられた。
 大聖人も、また日興上人、日目上人も、若々しい、希望に満ちた、きょうの中部の皆さまに、最大の称賛を贈っておられることを私は確信する。
5  われら生死とともに「大聖人と一体」
 大聖人は、南条時光にこう約束しておられる。
 「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり、相かまへて相かまへて自他の生死はらねども御臨終のきざみ生死の中間に日蓮かならず・むかいにまいり候べし
 ──日蓮は、生まれた時から今にいたるまで、一日かたときも心の休まることはない。ただこの法華経の題目を弘めようと思うばかりである。自分についても他人についても、その生死はわからないけれども、心して、あなたの御臨終の際、生死の中間(生から死へ移る間)には、日蓮が必ず迎えにまいるであろう──と。
 「立正安国」の精神で行動した弟子、「大聖人直結」の弟子ならば、必ず大聖人が迎えてくださるのである。
 生も死も大聖人とともに──何と素晴らしき生死であろうか。これが、学会員として生き抜いた人の誉れの生死なのである。大聖人の御約束には絶対にウソがない。
6  この「大聖人が迎えに来てくださる」という意義について、日達上人が講義された(昭和四十八年十月二十四日)。
 この御文は、阿弥陀仏が迎えに来るといった次元とは、まったく違うとされ、「師(大聖人)とともに常にいる」ことを意味している、と述べられている。
 「我々お題目を唱えているものは、師(大聖人)と共にいるんだ。だから自分が亡くなる時も師と共なんだから、仏の所へ必ず行く。それが即身成仏なんです。(中略)大聖人が仏ならば、我々も信心している間は仏である。もしそれが邪念が入ってだめになったらおしまいだけれども、(信心があれば)共に大聖人と一体である。だからいつ死んでも即身成仏間違いないのであります」
 ″邪念が入ってだめになり″″おしまい″になってしまったのが日顕宗である。日達上人のお言葉のごとく、彼らはもはや、大聖人と一体ではない。外見だけを大聖人の弟子に見せかけ、仏法を商売道具にしているにすぎない。
 「信心」を基準にすれば、明々白々とわかることである。「信心」の眼、すなわち「仏法の奥義」の眼から見れば、一目瞭然のことである。
 法主も大聖人の信者の一人である。ある僧侶が言っていた。法主は、むしろ大聖人への「信心」の模範たるべき立場である。それを大聖人根本でなく、法主根本にしようとは、どこまで狂っているのか、と。
 我が学会には、絶対の「信心」がある。ゆえに三世永遠に大聖人とともにある。「大聖人と一体」なのである。
 私たちは、いつも大聖人と御一緒の学会で、大福運に包まれ、妙法を根本とした常楽我浄の大境涯を、ともどもに満喫してまいりたい。
7  きょうは、北陸の皆さま、また信越、静岡の皆さまも、見えられている。遠いところ、ご苦労さまです。
 重ねて申し上げるが広布四十周年の本年、中部は本当によく戦われた。素晴らしい大勝利の年であった。この「中部の躍進」の波は、世界へ、また世界へと大きなうねりを起こしている。本年三月には、中部から約四百人の大交流団が太平洋を越え、アメリカの友と交流された。サンフランシスコでは、日米友好の「第十回中部総会」を盛大に開催されている。
 すごい時代である。昔から、名古屋といえば外に行かないのが伝統で、何でも名古屋が一番。それが堂々と「世界に開かれた大中部」を築かれた。改めて、おめでとうと申し上げたい。
8  ケネディ大統領「人間は必ず課題を解決」
 さて、アメリカといえば、今年でケネディ大統領(第三十五代)が亡くなられて、ちょうど三十年。あす十一月二十二日が命日である。私もけさ、追善の題目を送った。
 私が第三代会長に就任した少しあと、大統領が「お会いしたい」とのことであると、大統領の関係者から連絡があった。準備を進めていたのだが、さまざまな状況があり、お会いできないでいるうちに、大統領は凶弾に倒れた。
9  ハーバード大学での講演の前日(一九九三年九月二十三日)、私は、ボストン郊外にあるケネディ大統領の生家を訪問し、彼をしのんだ。
 また、新聞にも紹介されたが(九月二十八日付)、この折、すぐそばにある地区の拠点を訪れた。
 私は皆さんに提案した。「『大統領(プレジデント)地区』という別名にしませんか」
 皆、「オーケー!」ということで、心から喜んでくださった。今、その名にふさわしい勢いで頑張っておられるとうかがっている。
10  ケネディ大統領は、今から三十二年前、四十三歳という史上最年少の合衆国大統領として、さっそうと登場した。世界に希望の息吹を送る若き指導者であった。
 皆さまも「若き指導者」である。日興上人は八十八歳、日目上人は七十四歳の御遷化ごせんげまで、ひとすじに広宣流布へ進まれた。それに比べれば、ほとんどの人は、まだまだ若い。これからである。
11  ケネディ大統領は、東西冷戦の象徴的事件であった「キューバ危機」を乗り越え、翌年(一九六三年六月)、「平和の戦略」と題する歴史的なスピーチを行った。その中で、こう語っている。
 「あまりにも多くの人々が、平和は不可能である、非現実的であると考えている。しかし、これは危険な、敗北主義的な考えである」
 「こうした考えを受け入れる必要はない。われわれの課題は人間が生んだものである。それゆえ、人間はそれを解決できる。人間は自分が望んだ分だけ大きくなれるのである」
 「人間への信頼」が脈打つスピーチであった。大統領の演説には、普遍的な哲学があり、高い格調があった。
 大統領は、この講演の約二カ月後、部分的核実験停止条約の締結を実現した。以後、日本をはじめ百を超える国々が、この条約に署名している。核軍縮への大きな一歩となったのである。
12  ケネディ大統領については、当然、さまざまな評価がある。敵もあった。しかし、崇高な理想を掲げ、その旗のもとに人々を結集した。その姿は、多くの人に共感を与えた。
 大きな目標に向かって生きる人は光っている。真剣な人は光っている。いわんや、私たちは「全人類の万年の幸福」を建設している。また「宇宙」「永遠」という次元を追求している。だれよりも深く、大きく、光った人生なのである。
 残念ながら、大統領は四十六歳という若さで暗殺された。こころざしなかばでの死であった。
 それからちょうど三十年。ケネディ大統領の「平和への夢」と「人間の可能性への希望」──これを深く実現して進んでいるのが、「人間革命」を根本としたSGIの平和運動であると私は申し上げたい。
13  今回のハーバード大学訪問の折、大統領の名を冠した同大学「ケネディ政治大学院」から、学術貢献に対する特別表彰をしていただいた(九月二十七日)。
 その際、カーネセール学院長も、SGIの運動を高く評価しておられた。
 ケネディ大統領は、当然、政治家としての行動であった。私は、どこまでも民間人として、民衆の力で、民衆とともに、民衆の中から平和の大道を開いていく。この一点に、後世の歴史家は、必ず注目することを私は信じている。
14  ケネディ大統領は就任式のスピーチで、こう決意を語っている。
 「自由の存続と成功のために、われわれはいかなる犠牲をも払うい、いかなる重荷をも背負い、いかなる苦難にも対決し、いかなる友をも支援し、そしていかなる敵にも立ち向かう」
 ″どんな苦労があろうとも、自由のために断固戦う″──これが大統領の叫びであった。
 私たちもまた、「自由」のために決然と戦っている。
 この言葉は大統領の生家の記念コインに刻まれている。ここで、代表の方に差し上げたい。
15  中部の皆さまも、民衆の「自由」のため、「平和」のため、「幸福」のために、偉大なる戦いをしてこられた。これからも、大中部の誇りをもって、「朗らかに」「明るく」「勇気をもって」前進していただきたい。
 きょうの聖教新聞でも大きく紹介されていたが、私は一昨日(十一月十九日)、モンゴルの若き文化大臣・エンフバイヤル氏と語り合った。いつの日か、ぜひ、私もモンゴルを訪れたいと願っている。(同大臣からは、すでに一九九三年八月、招聘状が寄せられ、会談の席でも重ねて招聘があった)
 そのモンゴルに、こんなことわざがある。
 「山が高いからといって、もどってはならない。行けば越えられる。仕事が多いからといって、ひるんではいけない。行えば必ず終わるのだ」
 ひるむ前に「行動」である。「行動」すれば、どんな困難の山も越えられる。まず足を踏み出すことである。前に進むことである。一歩一歩、あせらず、たゆまず、登ることである。
16  天魔の山への参詣は与同罪
 ところで戒壇の大御本尊を直接、拝さないと信心がないとか、成仏できないかのように言う人間がいる。もちろん、いうまでもない邪論であり、暴論である。
 各家庭の御本尊は、大御本尊と一体の、分身散体ふんじんさんたいの御本尊であられる。功徳もまったく同じである。これは、日顕自身もたびたび言っていたことである。
 (たとえば「宗祖大聖人を寿量品の久遠の本仏と仰ぎ、信心無二にその御魂たる本門戒壇の大御本尊、乃至その分身散影さんようたる各々家々に奉安の御本尊に対し奉り、日夜怠らず唱題修行に励むときは即身成仏、決定けつじょうとして疑いなきものであります」<昭和五十四年十一月二十日>と述べている)
 立宗七百年祭(昭和二十七年)の折、宗門の僧侶らが、何の罪もない戸田先生に、登山止め(登山停止)などの処分を決議した。
 (いわゆる「狸祭たぬきまつり事件」の際の処分の決議。この事件は、″神本仏迹しんぽんぶっしゃく論″の邪義を唱えて戦中の学会弾圧の因を作った悪侶・小笠原慈聞を、学会青年部が詰問し詫び状を書かせた、護法の行動であった。
 宗会は、小笠原が″この年に僧籍復帰″しており、それを糾弾することは在家の分を越えると決めつけた。しかし事実は、″戦後すぐに僧籍復帰″しており、しかも宗門は、それを学会には隠していたのである。
 彼らが小笠原への追及に拒否反応を示したのは、″同じ穴のムジナ″として、戦中の謗法加担への追及が、宗門全般にまで及ぶことを恐れたからである。
 宗会は、戸田会長を懲罰しようと「大講頭の罷免」「登山停止」などを要求した)
 宗門は、何かというと、すぐに権威ぶって、「登山禁止」「本山に来るな」という癖がある。戦時中も、神札をまつることを拒否した創価学会に対し、宗門は、牧口会長以下を登山停止にしている。
 この時(七百年祭)、戸田先生は悠然と笑いながら、言われていた。
 「登山停止というなら、ちょうどいい。別に、本山に行かないと成仏できないわけでもない。御書にも、その原理は、ちゃんと書かれているよ」と。
17  たとえば、大聖人は、一度も直接会ったことのない松野殿という信徒に、こう仰せである。
 「いまだ見参に入り候はぬに何と思し食して御信用あるやらん、是れひとえに過去の宿植なるべし、来生に必ず仏に成らせ給うべき期の来りてもよをすこころなるべし
 ──いまだお会いしていないのに、何と思われて、日蓮を御信用なされたのであろう。これは、ひとえに、過去に植えられた善根のおかげでしょう。次に生まれたら必ず仏になられる時が来たので、信心を起こされたのでしょう──。
 「大聖人にお会いしていない」とは、大聖人御入滅後の今でいえば、御本尊を直接拝したことがないということに当たろう。もちろん大御本尊も拝したことがない人のことである。
 しかし、大聖人は「直接お会いしていないのにもかかわらず、信心されるとは、何と素晴らしいことか。必ず成仏されますよ」と仰せなのである。
18  大切なのは心である。「ただ心こそ大切」なのである。
 形のうえで、大聖人に会った、会わない、御本尊を直接に拝した、拝さない──それで成仏が決まるのではない。
 いわんや、大石寺に来なければ信心がないなどと主張するのは、大聖人の御言葉と正反対であり、御本仏即大御本尊への敵対である。大御本尊に敵対しながら、大御本尊を拝しても功徳があるわけがない。
 御書に仰せのように、「信心」があれば、全部、御本仏に通じていく。大御本尊に通じていく。大聖人が、素晴らしいことだと称賛してくださることは間違いない。
19  松野殿に「過去の宿植しゅくじき」と仰せのように、仏法は今世だけで見てはわからない。三世で見なければならない。二十年や三十年など、永遠から見れば、瞬時である。
 日顕のように、目先の欲に狂い、小手先の策を使って、学会員を脅せば全部、自分の思い通りになると錯覚しているのは、まったく仏法を知らぬ証拠なのである。そんな策で、久遠以来の大聖人と地涌の菩薩・学会員の絆が断ち切れるはずがない。
20  御書にはまた、「法華経修行の者の所住の処を浄土と思う可し何ぞ煩しく他処を求めんや」と。
 ──法華経を修行する人のいるところを浄土と思いなさい。どうして、わずらわしく、別の場所を求める必要があろうか。必要はないのである──。
 浄土といっても、どこか特定の場所ではない。妙法の行者、広宣流布の行者が活躍しているところ──そこが真の浄土なのである。どうして、わずらわしく、他の場所を求めるのか。そんな必要はない、と仰せである。
 ゆえに、「大石寺に行かなければ成仏できない」と言うのは、御書に背く邪義である。
 反対に、今や本山は、残念なことに「天魔の山」と化してしまった。したがって謗法も責めずに大石寺に行くことは、謗法容認の「与同罪よどうざい」になってしまう。
 これまでも何度か紹介したが、世界的な宗教社会学者のウィルソン博士(オックスフォード大学)は、以前からこのように言われていた。
 ″特定の場所に行かなければならないという宗教は、世界宗教にはなりえない。すべての国の人々が、自分の生活の場で実践できる宗教でなくては、世界宗教とはいえない″と。
 本来の大聖人の仏法は、まさにこうした「世界宗教」なのである。
21  日淳上人″「大聖人に直結し奉る」のが正宗の法華講″
 本来、正宗の正宗たる価値は、どこにあるか。それは「御本仏日蓮大聖人に直結し奉る」ところにある。
 日淳上人は、法華講の名が他宗とまぎらわしいという意見があることに関して「日蓮正宗法華講について」という一文で、こう明言しておられる。
 「し他宗に法華講の由来を説いて、本宗の法華講でなければ意義をなさず、又大聖人に直結し奉ることが出来ない意味を説いて教化すべきであります」(昭和二十八年二月、「大日蓮」)
 正宗の法華講の存在意義は「大聖人に直結し奉ること」であり、それは他宗にはできない。そのことを説き、邪宗を教化すべきだと教えられている。「大聖人直結」が正宗、「直結できない」のが邪宗日蓮宗だ、と。
 ところが今や、日顕宗では、創価学会の「大聖人直結」を邪義と誹謗している。「法主直結」に変えようとしているのである。
 (日顕宗の教学部長・大村寿顕は、創価学会の「大聖人直結」「御書根本」の信心について「およそ日蓮正宗の信徒が、今まで口にしたことのない邪説を、あたかも正論のように喧伝しています」と誹謗している。<九二年十一月十七日、全国教師指導会。同年十二月号「大日蓮」>)
 日淳上人の文証に照らせば、これは宗門が邪宗になった証拠である。同じく法華講も、もはや邪信の集団と化してしまった。こういう人々を、正しい信仰へと「教化」せよと日淳上人は仰せなのである。
 (日蓮正宗全国法華講連合会は、昭和三十七年に結成された折、「日蓮正宗法華講要旨」六項目を定めた。その中にも「一、法華講衆として大聖人に直結した信仰を致しましょう」とうたっている。大聖人直結が邪義ならば、法華講は初めから邪義の団体であったことになる)
22  日淳上人の、あまりにも明確なお言葉を知らないのか、知っていながら否定しているのか、いずれにしても師敵対である。
 その他、日顕は、日達上人に対しても、日淳上人に対しても、数かぎりない師敵対を犯している。先師を冒涜し続けている。
 師匠よりも弟子の自分が偉い、自分が大事、自分が正しい、自分を敬え、自分の言うことを聞け、というわけである。何という増上慢であろうか。
 宗門は、口を開けば「血脈」「血脈」と騒ぐが、血脈の本義は「師弟」にある。「師弟不二」であってこそ、正しく「血脈」が通い、伝えられるのである。
 言動が、ことごとく先師に違背しながら、血脈を口にし、振りかざすとは、自語相違もはなはだしい。もはや、何が「正」で何が「邪」であるかの基準さえわからず、迷妄の極みとなってしまった。
 嫉妬は人を狂わせる。日顕の本質は「男のヤキモチ」である。
23  「直結」については、大聖人御自身が、御命じになっておられる。
 たとえば、日興上人への口伝書である御義口伝には、こう仰せである。
 「日蓮に共する時は宝処に至る可し不共ならば阿鼻大城に堕つ可し
 ──(法華経の化城喩品に「皆共に宝処に至らん」とある。宝処とは霊山すなわち成仏の境涯である)そして「共に」とは、「日蓮と共に」行く時は、必ず宝処に至る(成仏する)。「日蓮と共に」でない時は、必ず阿鼻地獄に堕ちる──。
 このように、大聖人御自身が、「日蓮と共に」「日蓮に直結せよ」と強く教えておられる。「日顕と共に」とは言われていない。
 それどころか、直結せず「日蓮と共に」でない時は(「不共ならば」)、必ず堕地獄であると断じておられる。
 そもそも、大聖人は、人法一箇の御本尊を遺され、「これを拝みなさい」と教えられた。このこと自体、「大聖人に直結せよ」ということにほかならない。極めて簡単な道理である。
 法主をはじめ指導者の使命は、この「大聖人直結」への正しき「信心」を行じ、人にも教えることのはずである。「信心」をなくせば、ただ有害なだけである。
 「大聖人直結」を否定する宗門と法華講は、たとえ形だけ御本尊を拝んでも、心は大聖人に違背しているゆえに、功徳どころか罰しか出ない。
 これが、御書を拝した、大聖人の御金言のうえからの結論である。
24  「仲良き」人生は豊かで幸福
 中部の皆さまが、ますます「希望に燃えて」「明るく」「福運を積んで」、世界一の中部となられんことを祈りたい。そのためにも、「仲良く」進んでいただきたい。どうせ生きるならば、仲良く生きたほうが得である。
 信頼できる人、頼れる人、何でも相談できる人──そういう人をもち、自分もそういう人になる。その人は幸福である。
 一人でいれば、自由で、気ままなようであるが、結局は、寂しい。孤独地獄というか、わびしい、寒々とした生活になってしまう。
 人間は「人」と「人」の間と書く。人と人との信頼の絆を、励ましあいの心を育んでこそ、人生は豊かになる。自分も楽しい。仲良き組織は、福運もついてくる。
 それでは、明年の5・3記念「中部二十一世紀大文化祭」を楽しみに、これで祝賀のスピーチを終わらせていただきたい。文化祭には、海外・日本の代表も参加される予定である。よろしくお願い申し上げたい。
 きょうは本当におめでとう!!

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