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日蓮大聖人・池田大作

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大七十二回本部幹部会、教育・国際部総会… 「不屈の法戦」で「不滅の学会」が確立

1993.11.18 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)

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1  「最高峰」の創立の日を祝う
 六十三年目の11・18「創立の日」──皆さまの努力、皆さまの勇気ある戦いで、最高峰の創立記念日を迎えることができた。最大に感謝申し上げたい。
 これほどの法難、三障四魔、ありとあらゆる迫害の連続。その嵐の中を、世界一の学会をつくった。不滅の学会を築いた。この隆々たる勝利の姿を、数年前、だれが想像できただろうか。
 すべて、皆さまの、お力である。人のため、社会のために最高に善いことをしながら、かえって、いじめられ、たたかれ、苦しめられ、それでも懸命に題目をあげて戦い抜いてこられた、無名の学会員の皆さまの力である。
 その強き「信心」ゆえに、日蓮大聖人が御照覧くださり、守ってくださった。諸仏、諸天が、全部、味方になったのである。
 皆さまの信心、学会の信心が、どれほど偉大か。そして、牧口先生、戸田先生の指導が、どれほど偉大であられたか。そのあかしなのである。
2  第七十二回の本部幹部会、おめでとう。
 素晴らしい歌声を聞かせてくださった、創価合唱団の皆さま、本当に、ありがとう。
 また、きょうから小説『新・人間革命』の連載が始まった。ご愛読を、よろしくお願いしたい。
 本日の会合には、約五十人の海外の代表(十六カ国・地域から)が出席されている。
 アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ブラジル、フランス、イギリス、ドイツ、ベルギー、オーストリア、カメルーン、ブルネイ、タイ、香港、台湾、マレーシア──遠いところ、本当に、ご苦労さまです。
3  「人道と努力と慈悲を称賛」
 つい先ほど、アメリカ・シアトルに近い、アナコーツ市の市長(ドイル・E・ギア市長)から、今後、「11・18」を「SGI(創価学会インタナショナル)青年の日」とするとの宣言書が届けられた。
 私たちの行動は、むしろ「世界」が知っている。「世界」が見ている。
 (「宣言書」には、アメリカSGI青年部による「アフリカへの図書贈呈運動<ブックス・フォー・アフリカ>」への評価とともに、次のように記されている。
 「我々は、戦争と革命と激しい社会変革の世紀の終わりを、目の当たりにしています。そうしたなか、SGIの青年部には、明るく、清らかな、希望の光が輝いています。
 このアメリカ青年たちは、民族や国家といった差異への執着が、我々の果てしない争いをもたらしていることを知りました。それゆえに、池田大作会長の偉大なリーダーシップのもと、平和・教育・文化という、アメリカSGIの目的を実現してきました」
 「アメリカSGIの方々の人道的努力と、深い慈悲をたたえます。よって、ここに、アナコーツ市の市長、ドイル・E・ギアは、皆さまと共に平和の世紀の夜明けを望みつつ、本日より十一月十八日を、『SGI青年の日』とすることを定めます」)
4  また、この会場には、次の代表メンバーが、参加されている。
 まず、芸術部の「ヤング・パワー」の方々──広宣流布の″花″ともいうべき皆さまである。永遠に「ヤング・パワー」で進んでいただきたい。
 また、新しい部長が誕生(九月)した教育部の皆さま。教育部は本当に大切である。よろしくお願い申し上げたい。(以下、各部とも、この十月に新体制)
 また、語学などの専門分野で活躍しておられる国際部、「地域貢献」の地域部の皆さま、ご苦労さまです。
 さらに、専門部──社会の第一線で、人一倍、重責を担っておられる皆さまである。だからこそ、学会の世界にあっては、人一倍、「愉快に」「楽しく」進んでいただきたい。
 このほか、本部創友会の代表が参加されている。
5  本日から、北海道・天売てうり島、愛媛・三坂本部、徳島・上那賀かみなか支部、沖縄・西表いりおもて島、伊良部いらぶ島、伊江島の全国六会場で、音声による中継が開始される。皆さん、お世話になります。よろしくお願いいたします。
6  学会の会合は常に、どこよりも和やかな、楽しい集いでありたい。
 日ごろ、多忙な毎日を過ごし、家庭では夫は妻に叱られ、子は母に叱られ、そして子供は親に″反抗″する。そういう現実があるかもしれない。
 だからこそ、学会の世界にくれば、どこよりも、ほっとする。生きる原動力がわいてくる。疲れがほぐされ、元気になる──学会だけは、こういう人間蘇生の世界でありたい。
7  牧口先生は「大衆を愛すること仏のごとく」
 戸田先生は、昭和二十一年(一九四六年)十一月、牧口先生の三回忌を前に、こう述べられた。
 「牧口先生は人格高潔、物事にたいしていやしくも軽々しく事を行わず、一文半銭も貪ることなく、清貧に甘んじて、いっさいの衆生のために仁慈じんじをたれられたお方である。こと不義と名のつくものには仮借かしゃくなくこれを責めて、正道に生きることを主張せられた」
 ──一身の利益など眼中にない。しかし、正義に敵対する行為に対しては、責めに責め抜く。牧口先生のお振る舞いに、「学会精神」はある。
 続いて「日本始まっていらい、小学校長として現職のままで実践教育学を完成された、ただ一人の人であります。
 日夜書を読んで道を求め、後輩を指導しては懇切ていねい、国家を憂うる尽忠の念は天より高く、大衆を愛すること仏のごとくである」と、たたえておられる。
 師を守り、師の正義を証明し、師の偉業をたたえるのが弟子である。
8  さらに「信心は強固にして金剛のごとく、仏の教えにたがわざらんことを願っては、夜なく反省し、ご明珠のごとき生活であらせられた。
 また、その学問上の功績にいたっては、全世界の一大理論たるべき価値論をあらわし、その人を教化するや、門下三千人、かかる高徳の人が、どうして牢屋で獄死せられたのでしょうか。
 もし先生が法華経の行者でなかったら、この運命はありえないのです」と。
 ここに重大な問題がある。信心していなければ、大学者、大教育者として安穏な人生を送ることもできた。しかし、牧口先生は、そうなさらなかった。
 「されば、先生は、法華経のために身命をなげうったお方である」──。
 いちばん尊い、永遠の勝利者であられる。
 この世において、少しばかりの財産や地位を得て偉いと思ったり、周囲に騒がれたりしても、永遠から見ればあぶくのようなものである。
 「愚人ぐにんにほめらるるは智者の恥ずるところと大聖人のおことばを、つねに引用せられた先生は、ついに最上の大智者にこそほめられたのである」
 戸田先生は、牧口先生のことは大聖人がほめておられる、と。
 ここに信心の極意がある。「世間から、どう見られるか」ではない。「御本仏から、どう思われるか」である。
 大聖人も、一生涯、世間にあだまれ、二度の流罪、そして頸の座。世間からは一度も、ほめられたりなさらなかった。
 戸田先生は、牧口先生の偉大な人格と、透徹した信心に貫かれた、尊きご生涯を、このように、簡潔ななかにも明快に述べられている。
9  創価学会こそ「正しき法」への「正しき信仰」が脈動
 また、戸田先生は、権力を恐れ、難を逃れるために大聖人に背き、牧口先生を切り捨てた宗門への怒りを、次のように述べられている。
 「先生の法難におどろいて先生を悪口した坊主どもよ、法を捨て、先生を捨てたるいくじなしどもよ。懺悔滅罪せんと欲すれば、われらが会にきたって先生の遺風をあおぎ、仏のみ教えに随順すべきであるぞ」と。
 戸田先生は、″坊主どもよ″と怒りを込めて言われた。″先生を死に至らしめた彼らは絶対に許さない″との悲憤の言であった。
 そして、一分の良心があるならば、「創価学会にきて大聖人の教えを聞きなさい!」「創価学会の言う通りに信心に励みなさい!」と断じておられる。
 今こそ、その言葉の正しさが、はっきりした。最近になってはじめて宗門の本質が変わったわけではない。学会のみに大聖人の仏法が生きているという事実は、当初から何も変わりがない。今、形の上でも、そのことが、だれの目にもはっきりしただけなのである。
10  戸田先生は、牧口先生を誹謗し、苦しめ、切り捨てた宗門の大悪を絶対に許されなかった。
 私も、戸田先生を苦しめた″悪人ども″を許さない。我が同志をいじめ、苦しめた極悪の日顕一派を、絶対に許すことはできない。永久に戦っていく決心である。これが、戸田先生、牧口先生に対する、両先生の指導通りの「報恩の道」だからである。
 この、仏法の真髄の心、人間の真髄の道は、中途半端な気持ちでは絶対にわからない。そんな甘いものではない。形式でもなければ、世間体でもない。口先だけの、いいかげんな心でもない。そんなものは微塵もあってはならない。
11  戸田先生は、昭和二十年七月三日に出獄されたが、当時の心境を、こう述べられている。
 「帰ったときの憤りは、御仏にあらずんば知るあたわざるものがあった」
 仏でなければわからない、と。
 「創価学会のすがたはあとかたなく、目にうつる人々は御本尊を疑い、牧口先生を恨み、私を憎んでいるのである」「そのほかの幹部は、一人となく退転し、強く広宣流布を誓った自分ながら、空爆のあとの焼け野原に立って孤独を感ずるのみであった」(「創価学会の歴史と確信」)
 戸田先生は、この状態から、十数年で、日本の広宣流布の基盤をつくられたのである。
 戸田先生も牧口先生も、仏であられた。
 仏というと釈尊とか大聖人だけのように思う人が多い。もちろん大聖人が御本仏であられる。その大聖人が教えられたのは、大聖人の正法を修行して、皆、仏になりなさい、ということであった。
 私たちは、成仏するために信心しているのである。
 学校も、卒業して立派な社会人になるために通っている。自動車教習所だって、運転免許を取るために通うのである。
 それなのに、仏法の世界だけが、いつまでも仏になれない。そんなバカげた話はない。法主だけが仏と同じで、あとは全部、下であり、だれも仏になれない──それでは仏道修行は、いらなくなってしまう。
 いつまでも永久に仏になれないのでは、ずっと落第して、大学に五十年ぐらい通っているようなものである。練習しても死ぬまで運転免許を取れない教習所のようなものであろう。
 牧口先生は、「簡明なる道理のわからないものはきょう」とおっしゃられた。
12  大悪に反対する勇気なき人は与同罪
 戸田先生の怒りは、広宣流布を阻み、民衆を苦悩におとす「天魔」「悪魔」との戦いに向けられた。民衆の苦悩への同苦の嘆きであり、怒りであった。自分自身の私憤などではない。
 大聖人は、「瞋恚しんには善悪に通ずる者なり」と明快に仰せである。
 たんに、怒ってはいけない、批判してはいけない、というのではない。「瞋恚」すなわち「怒り」は、善悪の両方に通じると教えられている。
 感情にまかせた私憤は、自身も他人も傷つけることが多い。しかし、正法を破り、民衆を苦しめ、信徒を蔑む「大悪」への怒りは、「正義の怒り」であり、「大善の怒り」である。それを今、私たちは実践している。牧口先生、戸田先生の指導通りである。大聖人の御聖訓の通りである。
 自分たちの悪に従わなければ、それだけで破門、除名──信徒の立場を「切る」ということは、「勝手に地獄に堕ちろ」ということであり、「勝手に苦しめ」ということであり、「勝手に不幸になれ」ということなのか。
 これほどの大悪に、怒らず、呵責しない人間は、日蓮大聖人の門下ではない。牧口先生、戸田先生の門下でもない。
 正義を貫く人でもない。あまりにも臆病で、卑怯な、ずるい人間であろう。
13  牧口先生は、生涯、権威・権力にへつらわれなかった。
 権力には「魔性」がある。それにとりつかれると威張り出す。ずるくなる。傲慢になる。他人を利用して自分だけ得をしようとする。こうした悪い権力、悪い権威とは戦わねばならない。大聖人のごとく。牧口先生のごとく。戸田先生のごとく。
 創価学会にのみ、牧口先生が遺され、戸田先生が継承された、「御本尊根本」の不惜身命の「信心」がある。広宣流布を目指す「行動」と、幸福へ導く正しい「指導」がある。
 ゆえに日淳上人が仰せのように、創価学会の信心には功徳が尽きないのである。
 (日淳上人は学会には「良き信仰、正しい御本尊に正しい信仰、正しい指導、この三つが揃うておりまする。いよいよ大功徳を成づることは疑いないことと信じまする」<創価学会第十五回総会講演>と述べられている)
14  牧口先生は、「大善をねたみ、衆愚しゅうぐにほめられることを喜び、大悪に反対する勇気もなく、大善に親しむ雅量がりょうもないところに小善たる特質がある。
 あるいは悪を好まぬだけの心はあるが、善をなすだけの気力のないのは、個人主義(利己主義)を脱しきれないからである」と指導されている。
 すすんで悪いことはしない。かといって、積極的に善いことをするわけでもない。ただ可もなく不可もなく、世間体を気にしながら、大きな悪には黙って従い、大きな善には嫉妬する──こんな人生は、結局は悪である。大悪に反対しなければ大悪をなすのと同じである。与同罪よどうざいとなる、というのが牧口先生のお考えであられた。また仏法の基本でもある。
 私たちの戦いは、決して自分たちのための私闘などではない。普遍の「法」の上から、道理の上から、人類と正義のための大所高所からの、避けては通れない正道なのである。
15  「無限の前進」を師子王のごとく
 「佐渡御書」には、こう仰せである。
 「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し
 ──悪い権力者が正法を破るのに、邪法の僧等が、それに味方して、智者を亡きものにしようとする時には、師子王のような心をもつ者が必ず仏になれる。例えば日蓮のようにである──と。
 悪い権力者と聖職者が手を組んで、正義の人を倒そうとする。広宣流布を妨害しようとする。その時こそ、師子王のごとく、一身をなげうって悪を呵責する──それこそが成仏の直道なのである。そのことを教えてくださっている。
 皆さまは、師子王の心で戦われた。ゆえに今日、最高峰の、そして永遠不滅の創価学会ができあがった。そして、世界への広宣流布の流れは、ますます広がっている。
 これまで、百十五カ国・地域にメンバーがいることを紹介してきたが、先日、ある人が調べたところ、地球上のすべての国に我が同志は足跡をとどめているという。なかには名前を聞いたこともない国もある。本当にすごいことである。
 私たちは、きょう、牧口先生の五十回忌にあたり、先生のご生涯を手本として、いよいよ先生に喜んでいただけるような前進を続けることを誓い合いたい。
 私も、これから全国各地を回る決意である。無限に全世界を駆けめぐるつもりである。無限に指導を重ね、無限に小説『新・人間革命』を書きつづっていく決心である。皆さまも、一緒に進んでいただきたい。
16  ″法主に背けば謗法″の邪義は宗門を自縛
 宗門は、あいかわらず愚かな醜態を演じている。「ハガキ」(学会員へ送ってくる)もそうである。″不幸の手紙″として、すっかり有名になった。その他、いろいろ言葉を飾って、脅かしたり、非難したりしているが、要するに何を言っているのか。
 結局、「法主ほっすに背けば謗法ほうぼうだ」──中身は、この一点だけである。宗門の本音は、この「法主教」を隠れミノにして、信徒に何も言わさず、陰で自分たちが好き勝手に遊び暮らしたいだけなのである。
 その放蕩を批判する人間は、邪魔だし、うるさいから、謗法だと言って、切る。その正当化のためには「何があろうと、法主に背けば謗法」の一点張りで押し通す以外にない。要するに、これだけのことなのである。
 こんな「法主教」など、改めて破折するまでもない。また、すでに論破され尽くしている。
 (たとえば、日興上人は「遺誡置文」に「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」と、明確に「法主<貫首>絶対論」を否定されている)
17  ただ一つ、きょう、指摘したいのは、宗門が本気で「法主に背けば謗法」と言うのならば、それは自縄自縛じじょうじばく(自分が作った縄で自分をしばること)になるだけだということである。
 欲で狂った宗門には、その道理すら、わからない。
 牧口先生も戸田先生も、すでに五十年前、「神札は受けません」と、真っ向から、時の法主に背いておられる。
 現宗門の理屈からすれば、これも謗法ということになる。もちろん、御書に、こんな邪義はない。
 今、宗門は、両先生の入獄をも、「謗法の結果」と主張している道理となろう。
 法華経には、法華経の行者が正法のゆえに権力や邪僧等から迫害されるとある。迫害こそ、法華経の行者の証明なのである。大聖人がそのことを身をもって教えられたことは言うまでもない。
 牧口先生、戸田先生もまた、御書の通りに信心を貫いたがゆえに、獄につながれた。謗法どころか、法華経のために身命をされたのである。
 (たとえば日亨上人は、『富士宗学要集』に、学会への弾圧を「昭和度の法難」として、その歴史を収め、たたえられている)
 それを称賛するどころか、牧口先生の殉教をも謗法よばわりしようという宗門の言い分が、どれほど仏法に違背しているか。どれほど無残な、人間性も知性のかけらもない集団であることか──。
18  何より宗門の主張通りならば、両先生を師匠と仰ぐ学会は、この五十年、ずっと「謗法の団体」だったことになる。
 そうなると、じつは、困るのは日顕宗である。戦後の約四十五年間、「謗法の者」から無量の供養を受けてきたことになり、すべて返還しなければならなくなるからだ。
 日興上人は、「遺誡置文」で、「謗法の供養を請く可からざる事」と仰せである。
 すなわち、宗門が「法主に背けば謗法」と言えば、その瞬間から、学会から受けた供養を全部返さなければならない。もちろん、ほとんどの僧侶が、自分たちの住んでいるところをも出ていかねばならないであろう。
 それができないのなら、日興上人の御遺誡に背くことになり、自分たちこそが「法主(日興上人)に背く謗法」となる。
 どちらにしても、「法主絶対論」によって困るのは学会ではない。こんな邪義を振りかざせばかざすほど、追いつめられるのは宗門であり、日顕であり、法華講である。
 日顕宗は、こんな簡単な道理もわからない。また、わかっていても道理も仏法も、どうでもいいのである。ただふんぞり返って、貪欲と、やきもちだけが最高峰。妻帯ひとつとっても、大聖人、日興上人の教えに背いていることは言うまでもない。また東アジアなど海外では、それだけで何を言っても信用されないという。その通りであろう。
19  正義は、歴史が証明する。どんなに策謀をめぐらし学会を陥れようとしても、真実は歴史に刻まれる。公正で客観的な目をもった学者等によって、一切の賞罰・正邪は、厳然と万年に残される。こう大確信をもって、私は申し上げておきたい。
 どうか、これからも、明るく楽しい人生を、希望に燃えた人生を、共々(ともども)にスクラムを組みながら前進しましょう。
 きょうは、ありがとう! 本当におめでとう。

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