Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第七十回本部幹部会、全国青年部幹部会 世界を変えゆく悠然たる君に

1993.9.7 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)

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2  この会場には「第六回SGI世界青年研修会」のため、世界三十四カ国・地域から三百二人の偉大な青年リーダーが集っておられる。
 遠いところ、また円高などで経済的にも大変ななか、「本当にご苦労さま」と、私は最大にたたえたい。
 戸田先生はよく、「牧口先生は青年が大好きであった。私も青年が大好きだ」と語っておられた。
 私も、まったく同じ気持ちである。
 先生が、このみずみずしい、晴れやかな「世界広宣流布の青年の集い」をご覧になったら、どれほど喜ばれることか。私は重ねて、皆さまの尊い求道心を賛嘆したい。
 また、日本の青年部も、新たな出発を開始した。海外の青年部に負けない「信心」と「活躍」を、私は待っている。
3  ちょうど四十年前の一九五三年(昭和二十八年)四月、戸田先生は、第一回男子青年部総会で語られた。
 「青年の意気というものは、いつでも大事なものです。人間の生命には、進歩と保守の二つの戦いがある。私のような年(当時五十三歳)、諸君の両親のような年齢になると、なんとなく保守的になるが、若いうちは、なにかしら新しいものを求めていく、進取的なものがある。この進取的なものが、人の幸、不幸を決めていくのである。この進取的なものは、若い生命にしかない」と。
 その通りである。「未来」は青年にしかない。青年によって全部、決まる。
 また「キリスト教があれほど広まったのは、青年の力によったのです。かれ(キリスト)が、心の問題にたちかえって教えを説き、それに共鳴した青年たちによって、あれほど盛んになったのである。釈迦が永遠の生命を感得し、バラモンの教義を破って、仏法を建立したとき、その闘争に参加したのも、みな青年である。青年の意気と力とは、じつに世界の歴史を変えていくのです」と。
 歴史を開き、変えていくのは常に青年である。青年でなければできない。
 私も戦った。戸田先生の心を心として、一人立ち、一人戦い、学会を変え、社会を変え、仏法の歴史を変えてきた。全世界に正法の和合僧を築いた。
 そして諸君の先輩も戦った。戸田先生の訓練、そして私たち青年の激闘は、率直に言って、今の青年部の多くとは比較にならない。私には、それだけの自負がある。
4  若くして、偉大なる生命哲学をたもった皆さまは、人類の「希望」であり「宝」である。
 戸田先生も、学会の青年部は皆、一人残らず「世界のリーダー」であると言われていた。その「自覚」を植えつけてくださった。
 私も、学会の未来は、すべて青年部に託す以外にない。ゆえに青年部を大事にするし、その活躍を見守りたい。とくに海外の青年部は、けなげであり、尊き方々である。
 「誇り」をもつことである。「確信」をもつことである。そして、まっすぐに「世界の道」「平和の道」を、「勝利の道」「栄光の道」を、悠々と進んでいただきたい。
5  「人格」は雄弁″あの姿こそ正義の証明″と
 舎利弗と目連といえば、釈尊の十大弟子の中でも、ひときわ輝く最高峰の弟子として並び称される。
 舎利弗は「智慧第一」。優秀の中の優秀。目連は「神通第一」。自在に活躍する行動派だったのかもしれない。二人とも、釈尊が最も信頼した弟子の中の弟子であった。
 提婆達多が反逆し、教団を分裂させようとした。正法の教団にも、必ずそういう悪人が出る。
 そのとき、提婆の側につこうとした弟子五百人に正義を訴え、皆を連れ戻し、教団を厳然と守ったのも、この二人の弟子であった。
 二人でもいい。本物の弟子がいればよいのである。
 牧口先生の本当の弟子は、戸田先生お一人であられた。そして戸田先生は、私を心に置いて言われていた。「本当の弟子が一人いれば、妙法は世界に広がる」と。
 今、青年部の中から、私と同じ決心で立つ人が出てくることを私は期待する。
6  さて、二人が釈尊の門下に加わったことは、教団にとっても大きな出来事であった。
 釈尊の弟子になる前から、二人は、すでに第一級の人物として有名であった。輝かしい将来が楽しみにされていた。
 「あの二人が弟子になるくらいだから、釈尊は、よほど立派な方なのだろう」──と、評判になるほどだったという。
 では、二人が釈尊の弟子になったきっかけは、何であったか。
 幼いころから、二人は親友であった。ともに、人生の師、真実の教えを真剣に求めていた。
 動物に師弟はない。師弟があるのは人間だけである。ここに人間としての証があり、向上の道がある。その究極が、仏法の師弟である。
 二人は″信頼できる師に出会ったならば、ともに同じ道を進もう″と、固く約束していた。
 ある時、舎利弗は、街で一人の修行者に出会う。
 その人は、一軒一軒、家々を訪ね歩いているところであった。托鉢という当時の仏道修行である。その姿は、礼儀正しく、堂々としていて、晴れやかで、すがすがしかった。
 諸法(現実のもろもろの姿)は即、実相(真実)である。姿を見れば、心がわかる。にじみ出てくるものがある。話し方、目つき、礼儀や行動に内面が表れている。
 すがすがしい人間性、揺るぎない確信、毅然たる意志、堂々たる決意──人格の人には、色あせない「輝き」がある。
 一方、いばってばかりで、さわやかでない人がいる。よく見せようと表面を飾る人がいる。どちらも実力がない証拠である。
 舎利弗は、修行者の姿に″何か″を直感した。話しかけようとしたが、修行の邪魔をしてはいけないと思い、ずっと様子を見守っていた。
 彼の態度を見れば見るほど、舎利弗は、その人格の光に心ひかれた。″この人は尊敬できる人だ″″この人の師匠は一体だれなのか″──。
 ある意味で、弟子を見れば師匠がわかる。子供を見れば、親がわかる。
 舎利弗は、その人が修行を終えるのを見届けると、駆け寄って尋ねた。
 「友よ、どうか教えてください。あなたの師匠は誰ですか。あなたは誰の教えを受けているのですか」
 その人は答えた。穏やかで、実に気持ちのいい態度であった。
 「私の師匠は釈尊という人です」
 舎利弗は、この仏弟子から釈尊の教えを聞いて歓喜する。
 「やっと求めていた師がみつかった!」
 舎利弗は急いで目連に知らせた。
 二人は、二百五十人もの同志を引き連れて、釈尊のもとへ馳せ参じたのである。さあ、皆で行こう! 師のもとへ──麗しい光景である。
7  一人の弟子の振る舞いが、師匠の真実を宣揚し、同志の連帯を大きく広げていく──これが人生の姿であり、また、広宣流布への法理であるかもしれない。
 仏法といっても、特別なものではない。「人間の道」そのものである。真に「人間らしい人間」をつくるのが信心なのである。
 権力欲をはじめ醜い魔性の欲望に支配されれば、「人間」というよりも妖怪のようなものである。
 餓鬼界や畜生界の人もいる。頭でっかちで人間性ゼロの人もいる。心の乾ききった、機械のような人もいる。皆、「人間らしい人間」とはいえない。
 人々のために、社会のために──菩薩の心で行動するのが本当の人間である。指導者がそうなれば、戦争など起こすわけがない。
 信仰の強さ、深さは「人格」に表れる。皆さまもまた、自身の振る舞いを通して、「あの人がいるのだから、SGIは素晴らしい団体にちがいない」と言われる、お一人お一人に成長していただきたい。
8  若き日興上人の大法戦
 さて日興上人が、長年住まわれていた寺院を「追放」される事件があった。有名な「四十九院法難」である。弘安元年(一二七八年)。この年、日興上人は三十二歳であられた。
 四十九院は、日興上人が少年時代に修学された天台宗の有名な寺院である。
 日蓮大聖人が身延に入られた後、日興上人は、この四十九院を重要な拠点に弘教された。御自身も寺に住まわれ、田畑も耕されたという。この一点を見ても、″遊蕩僧侶″など、日興上人の弟子であるはずがない。
 天台宗は言うまでもなく、当時としては正統中の正統である。しかし、その実態は、宗祖の精神も忘れ、行状も、多くの寺院が堕落していたという記録がある。
 そうしたなか、日興上人は厳然と法華経の正義を説かれ、多くの天台僧たちが、次々と大聖人門下となった。その高潔なお振る舞い、人格に打たれてか、四十九院に帰依していた近隣の旧信徒も、新たに門下となっていった。
9  「動」には「反動」がある。「正義」には「難」がある。日興上人の御法戦は、安逸を貪る堕落僧や、妄信の旧い信徒の、嫉妬や反発を引き起こした。
 そして四十九院の住職(寺務)・厳誉ごんよが、日興上人らの長年の住まいと田畑を奪い取り、「追放」してしまったのである。これでは善の仏法者ではない。悪の権力者である。(日持・承賢<日位>・賢秀<日源>らも、ともに追放された)
 宗門も同じである。正本堂はじめ学会の広布赤誠の無量の御供養を取るだけ取って、追放した。
 さらに、日興上人の「法華経第一」の主張をも、この悪僧は「外道大邪教」であると非難したのである。
 天台宗が法華経を根本とするのは当然である。しかし、その当然の主張を「外道だ」と決めつけるほど、濁っていた。「根本が何か」が、わからなくなっていた。
 学会も「日蓮大聖人直結」という当然の正道を貫いた。そのために、宗門から「外道」と言われ、破門された。
 悪侶の本質、手口は、いつの世も変わらない。日興上人は、御自身の精神、御闘争に、まっすぐに連なっている学会を、どれほど御称賛くださっていることであろうか。
 一方で、日興上人の末弟でありながら、日興上人を迫害した側と同じ振る舞いをしている日顕宗。大聖人、日興上人が厳しく裁かれることは間違いない。
10  天台宗の転落は「最大の悪事」
 当時の天台宗寺院が、ここまで乱れに乱れていた理由は何か。
 その重要なひとつは、「経文に照らす」厳格な精神を失っていたことである。
 高僧が自分勝手な思いつきで法を説き、その権威づけのために、「相伝」を利用する──そういう風潮が広がっていた。そうした多くの歴史が残っている。
 彼らは麻薬に酔うように、釈尊の経文でなく自分が中心、自分が一番偉いという幻覚に侵されていた。日顕宗と同じである。
 その意味から言えば、日興上人と四十九院との対立は、「経文根本」主義と、「権威の相伝」主義との対決であった。
 今でいえば「御書根本」すなわち「大聖人根本」と、「法主根本」との正邪である。
 日興上人らの幕府への訴え状である「四十九院申状」にも、その一端が示されている。
 真言をはじめ諸宗の風潮について、こう仰せである。天台宗も慈覚以来、真言に深く毒されていた。
 「愚癡の輩・短才の族・経経顕然の正説を伺わずいたずらに師資相伝の口決を信じ秘密の法力を行ずと雖も真実の験証けんしょう無し
 ──愚かな人々、才が足らぬ人々は、諸経に明らかな正しい教えを知ろうともせず、いたずらに、師から受けたと称する相伝の口伝を信じ、秘密の法力と称する邪な祈祷をしている。しかし、真実の現証は何もでない──。
 「天地之が為に妖蘗ようげつを示し国土之が為に災難多し、是れしかしながら仏法の邪正を糺さず僧侶の賢愚を撰ばざる故なり
 ──(それどころか)天地は、このために妖しい災いの芽(凶兆)を示し、国土にはこのために災難が多い。これは、ひとえに仏法の邪と正をたださず、賢僧(大聖人)と愚僧を区別しないからである──と。
 今の国土の様相にも似ている。
11  この「四十九院法難」は、「熱原の法難」と、密接に連動している。
 「四十九院」も、熱原法難の悪の中心「滝泉寺」も、ともに天台宗の寺院であった。最も格式の高い、正統とされる寺であった。場所も、すぐ近くである。
 (日興上人が若き日に戦われた、御自身修学の寺「実相寺」も天台宗。この三カ寺が結託して、富士方面の正法弘通を弾圧した。日興上人の実相寺との御闘争については一九九二年十月十日のスピーチにくわしい。本全集81巻収録)
 熱原法難を頂点とする、日蓮大聖人の晩年の大闘争の焦点は、いわば「天台宗の大悪」との戦いでもあられた。
 四百余年の伝統と権威をもち、一大権力機構でもあった日本天台宗──。もちろん大聖人も、その御出身であられる。(幼少期に出家された清澄寺は天台系の寺であり、その後、日本天台宗の総本山・延暦寺などで修学された)
 最も「正統」の立場にありながら、正法を濁らせてしまった天台宗。その転落、すなわち天台座主ざす・慈覚の真言化に関して、大聖人は、他宗の堕落よりも「百千万億倍・信じがたき最大の悪事」と仰せである。
 これは「撰時抄」の一節であるが、同抄の御執筆は、四十九院法難の三年前(建治元年<一二七五年>)のことである。(同じく身延でおしたための「報恩抄」でも、天台座主が真言に食い破られ密教化したことを強く呵責されている)
 いちばん正法を伝えるべき立場でありながら、正法を破壊する──その罪は、他の悪よりも「百千万億倍」の「最大の悪事」なのである。
 「四十九院法難」、そして「熱原の法難」は、この「大悪」との戦いでもあられた。ゆえに「大善」も輝いていった。
 大聖人は、「天台宗の権威」と戦われた。私たちは今、″他宗よりも百千万億倍の極悪″である「日顕宗の権威」と戦っている。学会の前進は、大聖人、日興上人の御闘争と、同じ方程式にのっとっているのである。
12  牧口初代会長「当時の天台宗は今の日蓮正宗」
 ここで重要なのは、牧口先生が、すでにこのことを述べておられることである。
 すなわち昭和十七年(一九四二年)──今から五十一年前、創価教育学会の第五回総会で、牧口先生は、こう明言しておられる。
 「日蓮大聖人御在世当時の天台宗は、現今の日蓮宗の中でも『日蓮正宗』に相当すると思はれる」と。
 すでに五十一年前、日蓮正宗こそが、大聖人が最も悪いと言われた、当時の天台宗に通じることを喝破されている。
 まことに偉大な先生であられた。かつて日淳上人は、牧口先生を「生来せいらい仏の使つかいであられた先生」と称賛された。これが、私たちの誉れ高き初代会長であられる。
13  牧口先生は、大聖人の御金言「魔競はずは正法と知るべからず」、「天台宗の人人の中にも法華経を信ずるやうにて人を爾前へやるは悪道に人をつかはす獄卒なり」──天台宗の人々の中でも、法華経を信ずる格好をして、その実、人を爾前経へ追いやるのは、三悪道に人を追い込む獄卒である──等を拝され、こう述べておられる。
 「さらば従来の日蓮正宗の信者の中に『誰か三障四魔競へる人あるや』と問はねばなるまい」と。
 「宗門のどこに、三障四魔が競っている人がいるのか!」──牧口先生は、こう鋭く詰問されている。
 三障四魔の起きないような宗教は、大聖人の正法ではない。似非えせ宗教である。
 (この講演当時、宗門は三障四魔と戦うどころか、軍部の弾圧を恐れ、大聖人への師敵対の道を歩んでいた。牧口初代会長が講演を行った前年の昭和十六年には、それまでの御書全集を発行禁止にする院達を出している。また「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」など、国家神道に抵触すると判断された御書の字句を、十四カ所にわたって削除する通達を出した)
14  今の日顕宗にも、現実社会で広布の戦線に立ち、三障四魔と戦う者など、一人もいない。それどころか、法主みずから遊興にふけっている。
 障魔と戦い、乗り越えながら、大聖人の仏法を全世界に広宣流布しているのは、我が創価学会のみである。
 「忍難弘通の人」。その人こそが、正法の「行者」なのである。
 さらに牧口先生は、「魔が起らないで、人を指導しているのは『悪道に人をつかはす獄卒』でないか」と叫ばれた。
 「仏の使い」の格好をして、彼らは実は「地獄の使い」であり「獄卒」だと仰せである。獄卒に盲従する信者ほど愚かなものはない。ついて行っても、その先は地獄なのである。断じて獄卒を倒さねばならない。
 (牧口会長は、また″善に似た悪″の罪の深さを「にせ札は、本物に似ているほど罪が大きい」と、たとえを引いて教えられている)
 大聖人、日興上人が最後に天台宗の「大悪」と戦われたごとく、私たちも今、日顕宗の「大悪」と戦っている。これこそ広宣流布の正しき軌道なのであり、「大善の道」であることを、強く確信していただきたい。
15  日寛上人「″信心に本尊が具わる″が正しき相伝」
 御本尊といっても、大切なのは「信心」である。日寛上人は、「観心本尊抄文段」で、仰せである。
 「若し刹那せつなも信心あらば即ち一念三千の本尊を具す。故に『介爾けにも心有れば即ち三千を具す』というなり。たとえば水ある池には月便すなわち移るが如し。宗祖の所謂いわゆる『此の御本尊も只信心の二字にをさまれり』とはこれなり」(文段集四六六㌻)
 ──もし、わずかな一瞬でも信心があれば、すなわち、(その信心の一念に)一念三千の本尊を具える。故に、「ほんのわずかでも心があれば、すなわち三千諸法を具える」(摩訶止観)というのである。たとえば、水のある池には、月がただちに映るようなものである。宗祖大聖人が「この御本尊も、ただ信心の二字におさまっている」と言われたのも、これである──と。
 また「若し一念の信心あらば即ち一念三千の本尊を具す。大師の深意正しく此に在り」(同㌻)
 ──もし「一念の信心」があれば、即そこに「一念三千の本尊」が具わるのである。これが天台大師(が『摩訶止観』で説いた一念三千の文)の深き真意である──と。
 大聖人は「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」と仰せである。「信心の二字」の中にこそ御本尊は、ましますと。
 戸田先生は、御本尊を「幸福製造機」に譬えられたが、強盛な「信心」によってのみ、御本尊の広大無辺の大功力も現れるのである。この一点に、大聖人の仏法の真髄がある。
16  そして日寛上人は、「こういう法門は、前代未聞であり、だれが信じられようか」と問いを設けられたあと、大聖人の血脈抄である「本因妙抄」の次の一節を引かれ、答えとされている。
 すなわち「観行理観の一念三千を開して名字事行の一念三千を顕す、大師の深意・釈尊の慈悲・上行所伝の秘曲・是なり」と。(「観行理観の一念三千」とは、天台大師の「理の一念三千」のこと。「名字事行の一念三千」とは、大聖人の「事の一念三千」のこと)
 つまり、大変な修行と能力を必要とする天台大師の仏法を開いて、大聖人は、「信心」の二字におさまる「事の一念三千」の御本尊を顕された。このことこそ、天台大師が知っていて、しかも説かなかった「深意」であり、末法の衆生への釈尊の「慈悲」である。そして、上行菩薩(日蓮大聖人はその再誕)が伝える大切な「秘伝」である──こう、教えられているのである。
 「観心の本尊」の深義もここにある。
17  さらに、日寛上人は、このこと、すなわち「信心」にこそ「本尊」は具することを知っているかどうかに、「御相伝の家」(正しき相伝を知っている教団)か、「不相伝の輩」(正しき相伝を知らない者)かを分ける基準を置いておられる。
 すなわち、この秘伝を「不相伝の輩は聞き得て驚くべし。御相伝の家には仰いでこの旨を信ずるのみ」(文段集四六六㌻)と。
 この、「観心の本尊」の本義から言えば、「信心」強き人ほど、尊き人はない。その人の胸中には「御本尊」がましますからである。この最も「尊き人」こそ広布の戦士であり、皆さまである。皆さまをいじめ、苦しめたなら、仏罰は絶対に間違いない。
 そして、日顕宗は、「最も信心強き人」──すなわち創価学会を破門したという一点だけでも、実は「不相伝の輩」なのである。「観心の本尊」すなわち「信心の本尊」の深義を否定したことになるからである。
 まさに日顕宗は、「三大秘法」否定の邪教である。天台大師の深意に背き、釈尊の慈悲に背き、大聖人に背いた仏敵である。大聖人否定、日興上人否定、そして日寛上人否定なのである。
 この「大悪」を根絶してこそ、「大善」となる。
 私たちは、栄光の二十一世紀に向かって、いよいよ大確信に燃えて、堂々たる、そして毅然たる決意で、朗らかな楽しい「大歓喜のスクラム」の前進を始めたい。
18  賢き生命の操縦で人生を完走
 最後に、とくに年配の方に、「健康第一で」と申し上げたい。
 夏から秋、また秋から冬──といった気候の変わり目には、病気になる人が多く、亡くなる方も多いようだ。
 大切な人生である。長寿で、健康で生き抜いていただきたい。そのためには、まず、「よく休むこと」である。そして「栄養のバランスを考えること」「夜遅く食べないこと」「よく歩くこと」である。
 また「無理を重ねないこと」だ。疲労は、すべての病気の原因になるから、「十分に疲労をとること」を考えねばならない。
 睡眠は薬である。早く寝て、十分、休むことである。そうしないで、十分、食べるばかりの人もいる。
 朗らかに生きること、自分の体を自分で賢く、上手に操縦していくこと──そうできる「信心」をしていただきたい。
 「生老病死」だから、だれでも病気になる場合がある。調子がすぐれない場合もある。それを、上手に乗り越えていくことである。たとえ病気になっても、「変毒為薬」し、早めに治していく──信心による、賢明な″生命の操縦″をお願いしたい。
 体の具合が悪くなったら、すぐ医者に相談するなり、よく診断してもらうことである。近くにドクター部の方々がいれば、どんどん相談していただきたい。
 病気を治療する専門家が「医者」である。「信心」は福運をつけ、病気と闘う根本の生命力を引き出すのである。そして、医者も、薬も、友人の励ましも、すべてを「諸天善神」としていけるように、強く、賢く生きていただきたい。
 すべてを良いほうへ、良いほうへと、とらえ、動かしていけば、人生は朗らかである。
 いつも反感の顔、ヤキモチの顔、グチの顔、そして何をやるにも気持ちよくできない──そんな喜びなき人生はつまらない。
19  倒れる人は、不節制な人が多い。「寝ないでも私は大丈夫」等、自分の丈夫さや健康に自信過剰の人は、気をつけるべきであろう。
 また、具合が悪いのに、我慢している人がいる。そんな我慢が続くわけはない。もっと要領よく、幹部の顔なんか気にしないで、自分自身で、自分自身の健康を守らねばならない。
 夜の勤行も、帰宅が深夜になったり、疲れている場合、方便品・自我偈だけとか、唱題だけとか、柔軟に考えていいと思う。
 御書にも、「三座」でなければならないとは書かれていない。書かれているのは、一回の唱題にも大功徳があるということである。
 大切なのは一生涯にわたる持続であり、根本の「御本尊への信心」なのである。
 その他、交通事故や火災・ガスの事故など、身近なところで、最善の注意を払っていただきたい。
 「むずしい教義」を振りかざすのが仏法ではない。こうした「こまやかな知恵」「身近な道理」自体が仏法である。信心である。
20  ともあれ、これからも、「楽しい闘争」「楽しい前進」をお願いしたい。
 「修行」がなければ仏法はない。人間、何ごとも一流になるためには、修行が必要である。そこに勝利がある。どこまでも勇んで仏道修行に励む姿は、それ自体、「人生勝利」の証である。
 どうか、この下半期、風邪などひかないよう、健康で、はつらつと勝ち抜いていただきたい。
 全国の皆さま、長時間、ありがとう! 海外の皆さまも、グッナイ(おやすみなさい)! シー・ユー・アゲン(またお会いしましょう)!

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