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日蓮大聖人・池田大作

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第六回未来部総会 「誠実」と「正義感」を受け継げ

1993.8.21 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)

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1  世界の共とスクラムを
 未来部の皆さん、遠いところ、ご苦労さま。おめでとう!
 この八月、百万人の未来部の友が集まって、世界の約五十カ国で総会等が開かれている。
 日本だけではない。北米のアメリカ、カナダでも、ブラジルやアルゼンチンなど中南米でも、またインド、香港ホンコン、フィリピン、シンガポールなどアジアの国々でも、イギリス、フランスなどヨーロッパでも行っている。私たちの舞台は全世界なのである。
 あすの「二十一世紀」を担う未来部である。私は皆さんを信ずる。多くの大人たちを信じられなくても、諸君は、信じたい。皆さんが伸び伸びと、元気に活躍している様子をうかがうと、私はいつも、喜びでいっぱいになる。
 どうか、世界の未来部のお友だちと手を取り合い、二十一世紀へ、仲良く朗らかに、楽しく前進していただきたい。
 きょうの未来部総会には、全国八百四十六会場で、約六十万人が参加されている。
 北海道、岩手、また、ここ長野など、一部の地域では、もう夏休みが終わり、二学期が始まっているところもある。きょうは、午前中の授業を終えて、駆けつけてこられた。
 地震、津波の被害で大変な奥尻島でも、土砂崩れや嵐で、たくさんの被害を受けた南九州でも、未来部の諸君が雄々しくがんばっている。
 お父さん、お母さんを励ましながら、立派に、新しい出発をしていただきたい。
 また、衛星同時中継が開始されてから五年になる(一九八八年八月二十四日開局)。携わってくださっている方々に心から感謝申し上げたい。
2  きょう、東京の創価女子会館では、女子高等部の「北斗ほくと会」(定時制高校生の集<つど>い)の総会と、学生部「飛翔ひしょう会」(二部大学生の集い)の第一回の合同総会が、盛大に開かれている。
 私も夜学生であった。終戦後まもない一九四六年、東洋商業学校夜間部に編入学し、印刷会社等に勤務しながら学んだものである。それだけに、苦学する友に、大きな期待と激励のエールを送りたい。
3  二十一世紀はすべて君たちのもの
 二〇〇一年まで、あと八年。二十一世紀は、全部、皆さんのものである。すべて諸君の舞台である。
 諸君は若い。今はお金もないし、お父さん、お母さんや、学校の先生に叱られたりもする。だれもがそうである。
 しかし、未来は諸君のものである。大人たちは、年とともに衰えて、若い諸君にすべてを頼まなければならなくなる。これは、どうしようもない、人間の世界の法則である。ゆえに、一時の出来事に負けてはいけない。叱られた時にも、いやなことがあっても、明るく前向きに気持ちを切りかえることが大事である。
 「叱ってくれる人がいて幸せだ」とか、「お母さんのストレス解消になるし、これも親孝行なんだ」と。
 創価学会の創立者・牧口先生は、子供たちを、こよなく愛する偉大な教育者であられた。しかし、その牧口先生は、諸君も知っているように、牢獄で亡くなった。偉大であるからといって、必ず正しく評価されるとは限らない。これが社会の現実である。
 偉大な人の後に続き、その正しさを「証明する人」がいて、初めて真実が多くの人々にわかるのである。
4  いつも″より高い目標″へ努力を
 さて、牧口先生が、当時の少年少女に呼びかけた文章がある。
 これは、牧口先生が東京の白金しろがね小学校の校長をされていた時に、学校の「校報」に寄せられた巻頭言かんとうげんである。元の文は古い言い回しであるが、わかりやすいように、今の言葉に直し、整理して紹介したい。
 「えらい人を見ては、私もああいう人になりたいものだと、常に自分よりすぐれた人、よくできる友達を尊敬し、それを手本として勉強している人は、一歩一歩、向上発展しつつある人であります。
 反対に、(先生や親などから)『今度の成績は悪かった。これは少しなまけたからだ。今度はしっかりおやりよ』などと注意された時、『誰さんも、誰さんも、私よりはできません。それに比べると、私のほうがまだ良いのです』などと一時のがれを言って、さらに発奮はっぷんして勉強しようとはしない人もいます。
 さて、皆さんは、どちらでしょうか。どちらが良いでしょうか」
 この牧口先生の指摘が、身に覚えのある人も多いかもしれない。
 牧口先生は、このように、いつも相手に問いかけをされた。小学生に対しても、平等に尊重し、対話される先生であった。
5  牧口先生は続けて、こう述べておられる。
 「悪いことをしても、少しも恥(は)ずかしいと思わず、『自分よりも、まだ悪い人がたくさんいる。それに比べると、自分はまだ良いほうだ』などと自分の下のほうばかりを見て、それに安心している人は、必ずまた、自分より優れた人、ひいでた人を見ると、かえってそれをねたんだり、そねんだり、うらんだりする人であります。
 こんないやしい人は、決して偉い人にはなれません。
 皆さん! (中略)常に自分より良い人、偉い人を目標として、その人に及ばないことを恥じて、『人のできることを、自分にもできないことはない』という意気をもって勉強せねばなりません」
6  ここで牧口先生は、人間の生き方を大きく二つに分けておられる。
 常に高い目標を目指し、徹して努力し、向上していくか。それとも低いところで妥協して、向上の歩みを止めてしまうか、である。
 「努力の人」「向上の人」は、いつもみずみずしい。謙虚である。
 勉強の成績も、調子が悪くなる時がある。叱られたり、悩んだりするかもしれない。しかし、そういう時があっても、目標をもった人は「お父さん、またがんばるよ」「お母さん、心配しないでね」と言える、謙虚さがある。
 反対に、向上しなくなった人は、だんだん心がよどんで、いじけてしまう。すぐ他人のせいにしたり、傲慢に、人をバカにするようになってしまう。
 私もこれまで、数え切れないほど多くの人を見てきた。その経験からも、牧口先生が教えられたことは正しいと確信する。
 学会の幹部でありながら、退転し、反逆していったのは、結局、信心の謙虚さを失い、向上の心を忘れた人間であった。師匠や立派な先輩にはヤキモチをやき、自分より弱い立場の人を見くだす、卑しい人間であった。これは三流、四流の生き方である。
 どうか、牧口先生の直系である学会の未来部は、全員が誇り高く「向上の人生」を目指し、「一流の人生」を、つくり上げていただきたい。
7  そのためにも、一流の人から、一流の心を学んでいくことが大切である。
 学会の出発が「創価教育学会」であったように、学会の原点、源流は「教育」にある。よき師匠、よき先輩、よき友人をもった人は、そこから多くのことを学び、「勝利」の方向へ、「栄光」の方向へ、「幸福」の方向へと進んでいける。
 また、諸君もご存じのように、学会は世界の最高峰の「一流の知性」とおつき合いしている。諸君は、この「世界の創価学会」のなかで、世界のだれよりも偉大な青春の歴史、努力の歴史を刻んでいっていただきたい。
8  アタイデ総裁──青年は「正しい哲学」と「偉大な師匠」を
 今世紀とともに歩んできたアタイデ氏──南米最高峰の知性の府「ブラジル文学アカデミー」の総裁であられる。(同アカデミーはフランス学士院にならって、つくられた伝統がある)
 私が世界で最も尊敬する方の一人である。ことし九十五歳。今なお学び続け、書き続け、人類のために戦い続けておられる。現在、私との対談集の発刊も準備されている。
 (一九九三年二月、ブラジルを訪問した名誉会長は、東洋人初の「ブラジル文学アカデミー在外会員」に就任。就任式に先立つアタイデ総裁との会談の席上、対談集『二十一世紀の人権を語る』を発刊することが合意された。
 そのアタイデ総裁が、青年へのメッセージとして、次のような言葉を寄せてくださった。
 「青年は『目標』を立てなさい。『大いなる理想』をもちなさい。『正しい哲学』を人生の土台にしなさい。そして『偉大な師匠』をもちなさい」と。
 諸君は、その「正しい哲学」をもっている。この土台の上に、自分自身が何をつくるかである。
 さらに、「今の困難に動揺させられてはならない。自分の理想を邪魔しようとするものに対しては、一歩も退いてはならない、屈してはならない」と。
 まったく、その通りと思う。私も、この信念で戦ってきた。アタイデ総裁も、そうであられた。
 「大いなる理想」に生きる──そこに青年の証がある。そして偉大なる人生とは「青年の心」とともに一生を生き抜くところにある。
 アタイデ総裁は九十歳を超えてなお、青年の気概で戦っておられる。いわんや未来を生きる若き諸君は、どこまでも「大いなる理想」に生きてほしい。
 「偉大なる人生」を築くための「今」である。小さなことで悩んだり悔やんだりせず、自分らしく、堂々と、尊い青春の一日一日を勝ち取っていただきたい。
9  「全世界の我が友へ」──さらにアタイデ総裁は呼びかけておられる。偉大な人格の人にとっては、「全世界が友」である。
 「若人にバトンタッチをしなければならない時が到来したと訴えたい」と。
 また、私自身のことになって恐縮だが、メッセージであるから、ありのままに紹介しておきたい。
 「真の後継者たちが、真の『誠実』と『正義感』を二十一世紀に受け継いでいただきたい。
 そうすることによって、新世紀を迎える人類が、現代最高峰の哲人、文化の偉大な巨匠である池田大作先生が示してくださった『大いなる理想』を、理解するようになるからです。
 それこそが、池田先生に最高に喜んでいただけることであると思います」
 「池田先生こそが、二十一世紀の人類が直面する大きな課題と、その克服に向かって、民衆に新たな道を開いておられる──全世界が、そう評価しています」と。
 ″後継の君たちよ、『誠実』と『正義感』を受け継げ! 二十一世紀へ、師が示した『大いなる理想』を実現せよ! 民衆のために、世界のために″と。
 これが、世界最高峰の「文化の人」の訴えなのである。
10  新時代の「広宣流布のバトン」を受け継ぐのは諸君である。
 私も、戸田先生の魂を厳然と受け継ぎ、走った。それが「弟子」であるからだ。それが「師弟」であるからだ。
 そして今、私は、ただ諸君の成長を祈り、待っている。
 諸君は若い。焦る必要はない。皆でスクラムを組みながら、二十一世紀の「広宣流布の山」を、一歩また一歩、着実に登はんしてほしい。
 そのためには、良い意味での「楽天主義」でいくことである。何があろうと、「僕は、最後は必ず勝つ」「私は、人々の役に立ち、両親にも喜んでもらえるような人に必ずなる」と、朗らかに、胸を張って進み続けることである。
 笑ったり、泣いたり、さまざまなことを経験しながら、くじけることなく、ともかく「前へ」また「前へ」と進みたい。たくましい「楽観主義」で、挑戦また挑戦の青春を歩み抜いていただきたい。
11  日蓮大聖人が(数え年)十六歳の南条時光に送られた御手紙がある。十六歳といえば、皆さんのなかで同じ年代の人も多いと思う。その御書のなかに、こういう有名な御言葉がある。
 「得勝・無勝の二童子は仏に沙の餅を供養したてまつりて・閻浮提えんぶだい三分が一の主となる所謂阿育大王あそかだいおうこれなり
 ──(むかし)「得勝」と「無勝」という名前の二人の子供が、砂で作ったもちを仏に供養しました。そして、(その功徳によって、のちに)全世界の三分の一を治める主となりました。アショーカ大王といわれる大王が、この人です──
 アショーカ大王は世界一の王である。私と対談した世界の識者の多くも″最も理想的な指導者″の一人としてアショーカ大王を挙げられた。
12  ご存じの人もいると思うが、アショーカ大王は、今から二千二百年前のインドの大政治家であり、大指導者である。世界の歴史に輝く「王者のなかの王者」である。
 「王者」また「王」とは、単に位が高いことをいうのではない。本来は、″民衆のため、社会のために、最大に貢献していく人″のことを、「王」という。それがのちに、体制が固まり、地位の高いことだけをいう場合が多くなったようだ。
 アショーカ大王といえば、来年、東京富士美術館で「アショーカ大王・ガンジー・ネルー展」が予定されている。
 私たちが、たくさんのインドの方々と友情を結んできた結晶であり、多くの品が国外に出るのは初めてという、大変、貴重な展覧会である。その日本側の関係者が、ちょうど今、インドを訪れており、本格的な準備を進めていることをお伝えしておきたい。
13  このアショーカ大王が、なぜ偉大な王者として誕生できたのか──。
 それは、過去世において、彼が幼いころ、砂遊びをしていたときに、ちょうど釈尊が通りかかった。そのとき、何も差し上げるものがないので、心を込めて砂の餅を釈尊に差し上げた。
 砂だから、食べるわけにはいかない。しかし、その「清らかな真心」が「福徳の種」となって、世界を豊かにし、平和にしていく大王となった、と説かれている。
 「心こそ大切」なのである。「真っすぐな心」「清らかな心」があれば、皆、功徳に変わっていく。その反対に、自分を破壊する「弱い心」「卑劣な心」になる人もいる。
 全部「心」で決まる。だから、仏法には、どんな小さいことでも、ムダはない。
 広宣流布のため、人類のために、学会に集った皆さんである。三世の生命のうえから論じても、すべての行動が、将来、何十倍、何百倍、何千倍にもなって、絢爛と功徳の花を咲かせていくことは間違いない。これを確信するのが信心である。
14  今、若い諸君は、自分では、わからないかもしれないが、一日一日、実は計り知れない「福運の種」を心の中に植えているのである。
 木も、いっぺんには大木にならない。それと同じく、福運も、すぐには目に見えないかもしれない。しかし必ず、時とともに、はっきりとわかってくる。
 二十一世紀の世界に、諸君が、大理想に生きる「人間の大王」として活躍しゆくことを、私は祈りたい。また、必ず、そうなることを私は確信している。
15  ″広布の人″こそ″尊貴なる人″
 さらに大聖人は法華経の文を引かれ、南条時光にこう仰せである。
 「文の心は仏を一中劫が間供養したてまつるより、末代悪世の中に人のあながちにくむ法華経の行者を供養する功徳はすぐれたりととかせ給う、たれの人のかかるひが事をばおほせらるるぞと疑いおもひ候へば・教主釈尊の我とおほせられて候なり、疑はんとも信ぜんとも御心にまかせまいらする
 ──(法華経の法師品に「人あって仏道を求め、一劫という長い間、合掌して我が前にあって無数の偈を唱えて賛嘆すれば、この仏をたたえた行動によって無量の功徳を得るであろう。この経を受持する者を嘆美する者は、その福は、このように仏をたたえた者よりも大きいであろう」等とある)
 この経文が言わんとしているのは、仏を一中劫という長い間、供養するよりも、(仏がおられなくなってから長い年月がたった)末の世の悪い社会にあって、人々が大変に憎んでいる「法華経の行者」を供養する功徳のほうが、すぐれているということです。だれがこのような道理に合わないことを言っているのかと疑問に思ったら、教主釈尊がみずから仰せになっているのです(だから、間違いありません)。それを疑おうとも、信じようとも、あなた(南条時光)のお心におまかせします──。
16  仏に対して、長い長い期間、ずっと供養するよりも、後の世の「法華経の行者」に供養するほうが、功徳が大きいと。これは計算が合わない、と思っても、釈尊がそう言われているのだから、間違いない。
 ここに仰せの「法華経の行者」とは、言うまでもなく日蓮大聖人のことであられる。
 その大聖人を供養し、大聖人に直結して正法を弘めている人はだれか。現実社会の人間群に飛び込んで、大聖人の正義を伝えている人はだれか。
 それは創価学会員である。創価学会員以外にない。皆さん方のお父さん、お母さんである。皆さん方の周りにおられる、学会のおじさん、おばさんたちなのである。
 この方々は、生まれるたびに長者となり、王者となり、大指導者となりゆく莫大な功徳を積まれている。社会の中で、世界の中で、最高の人生となる方々である。これが大聖人の御約束なのである。
17  どんなに悪口を言われても負けないで、法のため、友のため、一家一族のために、広布の道を開いてきたのは、学会員である。大聖人直結の信心で、正法を弘め、和合の世界を広げ、今日の世界的な創価学会を築いてきたのは、無名の庶民──学会員である。
 この方々こそ、真実の「広宣流布の人」であり、最も尊厳にして尊貴なる人なのである。
 戸田先生は言われていた。「自分の命も大事だが、それよりも、広宣流布に戦っていく人、広宣流布の組織で戦っている人が一番大事なのだ」と。
 どうか皆さんは、この尊い学会員を心から尊敬し、将来は大きく守っていけるリーダーに成長していただきたい。
18  ひとつ提案をしたい。もうすぐ、インドの「創価菩提樹園」が開園する予定である。その際、きょうの第六回未来部総会を記念して、立派な菩提樹を植えてはどうだろうか。
   君たちが
     育ちて初めて
        人間と
   平和の世紀の
     花は咲くらむ
 最後に、この一首を諸君にお贈りして、私のスピーチを終わります。ありがとう!
 お父さん、お母さんに、よろしく。諸君の成長と幸福を、そして皆さんのご一家の安穏と幸福、長寿を、毎日、私は祈っています!

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