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日蓮大聖人・池田大作

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第六十九回本幹、長野県総会 今、「宗教革命」の太陽が昇る

1993.8.8 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)

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1  「大悪をこれば大善きたる」
 楽しくやりましょう。第四回長野県総会、おめでとう!
 全国では、第六十九回本部幹部会が八百四十六会場で開催されている。
 この会場には、関西会、中部会、東京会、ドクター部、白樺会、白樺グループ、通訳の代表も参加されておられる。また、地元・長野をはじめ新潟、山梨の方々にも、ご苦労さま、と申し上げたい。
 本日から、徳島・鴨島かもじま会館、鹿児島・伊集院いじゅういん平和会館で衛星中継が開始された。おめでとう!
 さらに、北海道・奥尻島の伊藤実さん宅で音声の同時中継が始まった。多宝支部(奥尻島の支部)の皆さま方が聞いておられる。お世話になる伊藤さんに、感謝申し上げたい。
 先ほども、同志の皆さまから北海道南西沖地震へのお見舞いの言葉があった。奥尻島の皆さま、復旧作業、頑張ってください!
 また、鹿児島の皆さまには、このたびの水害に対し、心からお見舞い申し上げたい。
 私は、災害で亡くなられた方々のご冥福を、毎日、祈っている。″一日も早く安穏で、ご多幸の生活であれ″と真剣に祈念している。
2  仏法の精神は、「変毒為薬」(毒を変じて薬と為す)である。
 日蓮大聖人は厳然と仰せである。
 「大悪をこれば大善きたる」と。
 「信心」があれば、大悪をも大善に変えられる。嘆くべき不幸も、必ず、前以上の大きな幸福に変えられるのである。これが「妙法」である。これが日蓮大聖人の仏法である。ゆえに、恐れる必要もない。嘆きに沈む必要もない。負けてはならない。今こそ本当の「宿命転換」のチャンスと、とらえていただきたい。
 大変動の時こそ、大きく変われる時なのである。牧口先生は述べておられる。
 「『塵も積もれば山となる』という言葉はあるが、実際には塵が積もって山となったことはない」チリを重ねても山はできない。山は大きな地殻の変動によってこそ、できるのである。
 それと同じように「小善をどんなに繰り返しても大善にはならない」と。
 チリはどこまでもチリである。小さな善行を積み重ねるだけでは、大善は実現しない。自他ともの絶対的幸福という大きい「山」はできない。
 大悪との戦いこそが大善をもたらすのである。また大きな苦難と戦ってこそ、崩れざる福運が固まるのである。
 大聖人は仰せである。
 「災来るとも変じて幸と為らん」──災難が来ても、必ず変じて幸いとなる──。
 御書には絶対にウソはない。大聖人の御言葉だけは、絶対に間違いない。この大確信で、新たな「希望」に向かって進んでいただきたい。私をはじめ全国の同志が見守っています。
3  人格の光は遠くまで届く
 本年も、長野の皆さまにお世話になり、心から御礼申し上げたい。長野に来ると私は安心する。
 この一年間、長野の前進、長野の成長、長野の勝利は、まことにすばらしい。
 すべてにわたって婦人部の皆さまを中心に、見事な模範を示しておられる。
 日顕宗との戦いにも、会友運動にも、我が信州の友は、敢然と戦っておられる。
 広宣流布につながる行動、御本尊を根本にした行動は、すべて自分自身の福徳になる。学会の方針に心を合わせて戦った人は、最後は必ず勝つ。喜びがある。功徳がある。
 長野は、伝統の「信濃大学校」も七期にわたり、これまで三万人の卒業生を輩出、小説「人間革命」の学習に取り組んでこられた。
 このように運動を地道に、きちっと積み重ねていくのが長野の良さである。途中でやめてしまえば、伝統はできない。電話も途中で切ってしまっては話がつながらない。続けることが力である。
 信州の友は、一度やると決めたことを、地道に続け、ゆるぎない「人材の城」を築かれた。その姿に長野の偉大さがある、とたたえたい。
4  仏典に、こういう言葉がある。
 「善き人々は遠くにいても輝く──雪を頂く高山のように」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元、岩波文庫)
 人格の光は、遠くまで届く、と。
 「善からぬ人々は近くにいても見えない──夜陰に放たれた矢のように」(同前)
 悪人は、闇を好み、陰を好んで、なかなか正体を現さない。彼らは暗闇の矢のごとく危険である。
 長野の同志は、この言葉の「高い山」のごとく、また信州の美しい山並みのごとく、人格が屹立しておられる。
 ゆえに、どこにあっても、毅然と光っておられる。
 どうか長野の皆さま方は、陰険な卑しき人々など、はるかに見下ろしながら、さらに堂々と気高く、「人間山脈」「幸福山脈」「友情山脈」の模範を、この天地につくっていっていただきたい。
5  「友人葬」が仏教の正道
 話は変わる。先日、いくつかの地方紙に、最近の葬儀の在り方が報じられ、学会の「友人葬」にもふれられていた。月遅れのお盆が近いことでもあり、「追善」の本義を考えるうえからも、紹介させていただきたい。
 平成五年(一九九三年)二月二十三日付の「常陽新聞」(茨城県)は、創価学会が「『日蓮大聖人の教義に違背し腐敗・堕落した僧侶に葬儀を頼まない』と、同志による″友人葬″をスタートさせた」と報じている。そして友人葬に参加した人々の声として「背広姿の中心者に違和感はありませんでした。むしろ集った多くの学会員たちの真剣な祈りに感動しました」と。
 ──現在、音楽葬や、献花だけの葬儀など、僧侶を呼ばない葬儀が多くなってきた。人々に大きく共感を広げている学会の友人葬は、そうした流れの先駆といえよう。
 また、ここ長野の「長野日報」三月十六日付にも、「葬式にありがちなじっとした暗さがまったくなく、真心がこもって、とてもすがすがしく感じました」と参加者の声が紹介されている。
 そして宗門に対して、「日蓮正宗が権力主義に走り、腐敗・堕落した大きな要因は、長年日本の仏教界の王座にアグラをかいてきた自閉的体質、またそこからくる驕りがあったのではなかろうか」と厳しく論じている。
6  さらに「戒名にしても、お布施にしても、お寺のいいなりになっていた日本人が、僧侶を呼ばずに自分たちの手で葬儀を執り行った。これは画期的なことではないだろうか」(『常陽新聞』)。
 「はからずも今回の日蓮正宗と創価学会の抗争から生まれた友人葬は、これまで江戸時代から続いた檀家制度による僧侶主導のお葬式を問い直すことになりそうだ。また、民衆による葬送儀礼を確立したことにも大きな意義があるのではないだろうか」(『長野日報』)と。
 これらの記事を見ても、友人葬は着実に定着しつつある。学会による「宗教改革」の意義が、社会的にも高く評価されていることを示す一例として、紹介させていただいた。
7  釈尊の遺言「葬儀は在家で行え」
 また、東京大学名誉教授の中村はじめ博士の談話が「長野日報」掲載されている。先日(七月七日、第六十八回本部幹部会)もお話ししたように、世界的な、仏教学の最高峰の方である。
 中村博士は、こう語っておられる。
 「釈尊が執り行った葬儀は、父親と義母のわずかに二度だけでした。釈尊は、儀式は在家(一般の人々)によって執り行われるべきで、僧侶は仏道修行に専念すべきであると遺言しています」
 「釈尊は、仏道修行途上にある僧侶が葬儀にかかわることによって、僧侶が権威化され、腐敗・堕落し、仏法本来の教えが歪められることを一番恐れた」と。
 ゆえに僧侶は布教をはじめ、自分自身の厳しい修行に全力をそそげ、そして葬儀は在家で行え──これが釈尊の遺言であった。私どもは今、その仏教の原点に返ったともいえる「友人葬」こそ、仏教本来の葬儀の「正道」なのである。
 さらに中村博士は、「仏教は本来、儀式で人を縛ることはしません。仏教の葬儀は、故人が今生こんじょうを終え、苦楽のはざまから未来を開くために、残された者が一心に成仏を念じ、報恩感謝することが大切なんです。むしろ現代の″葬式仏教″は、江戸時代の檀家制度(寺請制度)の名残りが今日まで延々と続いているんです」と。
 儀式で人を縛る──日顕宗の「信心なき儀式」もまた、ことさら窮屈にし、権威ぶって、自分たちを偉く見せようとしているだけなのである。
 ともあれ、日本の「葬式仏教」の歴史とは、僧侶の転落の歴史そのものである。
8  釈尊も、大聖人も、葬儀について具体的には、何も説かれていない。
 その人が成仏できるかどうかは、あくまでも、その人自身の「信心」による。僧侶が行う「葬儀」によって決まるわけではない。
 そうでなければ、日々、信心の修行に励む必要などなくなってしまう。一生、遊び続け、死ぬ前日にでも僧侶を呼び、金を渡して葬儀を頼めばよい、ということになろう。成仏が、そんな簡単なものであるはずがない。
 ″葬儀には僧侶を呼ぶのが「伝統の化儀」である。さもなければ成仏できない″──こんな日顕宗の言い分が、どれほど大きな偽りか。大聖人の仏法に背く、まったくの「邪義」なのである。
 その邪義を振りかざして信徒をだまし、金銭をしぼり取る──日蓮大聖人へのこれほどの反逆はない。民衆への、これほどの侮辱はない。この極悪を、断じて、許してはならない。根絶させねばならない。
 なお、檀家制度に宗門の堕落の大きな淵源があることは、平成四年(十二月十七日)、中部の方面代表との協議会でも語った通りである。(本全集81巻収録)
9  以前、正信会の悪侶たちも、学会員にも葬式も法事もしてやらないと恫喝し、不安がらせて退転させようとした。
 そのころ、
10  以前、正信会の悪侶たちも、学会員には葬式も法事もしてやらないと恫(どうかつ)し、不安がらせて退転させようとした。
 そのころ、日顕も、私に言った。「葬儀だけは僧侶がいなければできないでしょう」。短刀を突き付けるような言い方であった。
 今回も宗門は、″僧侶を呼んで葬儀をしないと成仏できない″と脅して学会を破門すれば、学会員は多数脱会し、必ず宗門についてくるはずだと、策謀をめぐらした。
 しかし、その見込みは、まったく「的中しなかった」。
 学会は、どんな謀略も、ことごとく粉砕してきた。どんな障害も、すべて乗り切ってきた。学会員こそ、真の仏法者である。学会には何ものにも負けない力、「信心」がある。
 これまで宗門は、学会の勤行の中心者を「導師」と呼ぶなとか、僧侶だけが「導師」であるとか、在家は勤行の時に御座ござを敷くなとか、広布のための真心の財務を「御供養」というのはおかしい「供養」は寺に対するものだけを言うとか、仏法の本義とは何の関係もない、つまらない批判をしてきた。
 今、私どもは「自由」である。創価学会は、独立した、日蓮大聖人直結の教団である。大聖人の御遺命である広宣流布を、仏法の本義に基づいて自在に進めていく。幸福と喜びの世界を広げていく。
 真の供養も、学会の世界にしかない。邪宗・日顕宗への供養は″誤った供養″──「供養」であると、きょうの聖教新聞の「寸鉄」にあった。
11  共感を広げる儀典部の活躍
 友人葬の導師を務めてくださっている儀典部の方々、運営に努力されている皆さま方に、心からお礼を申し上げたい。
 ″儀典部の方に、大変にお世話になりました″というお手紙も、よくいただく。列席した親戚の方の″僧侶以上に立派じゃないか″という評判から、″お布施を払わないで本当に大丈夫なのかしら″という心配まで、何通も寄せられている。
 儀典部の皆さまは、勤行もうまいし、とくに年配の方々は髪の毛も、ほどよく薄く、何ともいえない安心感がある。皆から喜ばれ、尊敬されている。第一、タダである。
 本当にすばらしい。いつもご苦労さまです!
12  信心をされていない親せきの中には、世間体せけんていから、友人葬に難色を示される方もあるだろう──当然、初めは、そう考えられていた。
 しかし、葬儀が終わった後には必ずといっていいほど、「感動した」「明るく、かつ荘厳であった」「これが本来の葬儀だと思った」等々と感謝されたエピソードが生まれている。
 最近は、学会員でない方々からも、ぜひ、友人葬でお願いしたいという希望が寄せられている。
 大事なのは「本義」であり「根幹」である。「枝葉」ではない。
 これからも、仏法の「本義」にのっとって、故人を心から弔い、最高の追善回向となる友人葬・同志葬を、心を込めて、さわやかに、すがすがしく行っていきたい。ここに、現代の「宗教改革」の一つの姿がある。
 そして、葬式仏教化した宗門を打倒し、日本の誤った風習を打破し、仏法の本義に対する理解を社会に広げてまいりたい。
13  聖職者制度は信仰の魂を奪う
 内村鑑三(一八六一年〜一九三〇年)といえば、無教会主義を唱えたキリスト教の信仰者である。
 彼は、既成の「教会」や「聖職者」には真の「信仰」はないと喝破した。彼の言葉には、聖職者の偽善への怒りが充満している。
 「富者ふしゃ(金持ち)よりは金を貰わんと欲し、権者けんじゃ(権力者)よりはけん(権力)を(借)らんと欲し、識者よりは知識を貰わんと欲し(かりものの知識で自分を飾ろうとし)、信仰家よりは信仰を貰わんと欲す(人の信仰を利用しようとする)。貰わんと欲す、貰わんと欲す。坊主根性は乞食根性なり」(『内村鑑三所感集』岩波文庫。以下、引用は同書から)と。
 一九一〇年の言葉である。宗教改革の息吹(いぶき)に満ちている。
 「むべく、くべく、しりぞくべきは誠にこの坊主根性なり」
 私たちも、まったくそう思う。自分は何もせず、何でも「もらおう」とする聖職者根性ほど、いみ嫌うべきものはない。避けるべきものはない。排斥し、打倒すべきものはない。
14  また、彼は一九〇五年、こう書いている。
 「依頼する者は互いに相妬む、これ必然の理なり。宗教家に嫉妬心強きはかれらの依頼心強きに因る」
 何でももらおう、何でも利用しようと、人に頼る聖職者は、本当の自信がない。だから人を陰で妬む、と。
 この通りである。私はよく知っている。聖職者の本質を突いた指摘であろう。
 「かれらにしてもしことごとく独立の人とならんか、かれらもまた同輩相援あいたすくるの人(=友人同士、助け合う人)となりて、寛容高気かんようこうき(=けだかい寛容の心)の模範を世に示すにいたらん。依頼は嫉妬をかもしてキリストの教会を破壊す」
 「独立の人」は妬まない。「坊主根性」の人間は、嫉妬から信仰の共同体を破壊してしまうというのである。
15  内村鑑三の無教会主義については、賛否両論、いろいろ論じられている。
 それはともかく、彼の主張の根底には、「聖職者制度は人間から独立心を奪う。それは魂を失うことであり、信仰を失うことである」──という認識があったと考えられる。
 自分では汗も流さずに、苦しいことは人にやらせる。それでは、本当の「人間」ができるはずがない。そこには崇高な「魂」もなく、「信仰」もない、と。日顕宗は、まさに、その極みである。「忌み」「避け」「斥け」、悪の根を断ってまいりたい。
16  ガンジー″精神の力は原爆より強い″
 一昨日(八月六日)、私は、インドのラダクリシュナン博士(ガンジー記念館館長)とお会いした。
 昨日も、広島を訪れ、素晴らしい講演(聖教文化講演会)をしてくださった。
 博士は、私に関する著書(評伝『池田大作──人物と使命』<インド・開発教育ナショナルセンター刊>)の中で、ガンジーが亡くなる三カ月前に残した詩の一節を紹介しておられる。
  「束縛があるからこそ私は飛べるのだ
   悲しみがあるからこそ私は高く舞い上がれるのだ
   逆境があるからこそ私は走れるのだ
   涙があるからこそ私は前に進めるのだ」
 仏法にも通じる、ガンジーの不屈の精神をつづったメッセージである。
 私も若き日より、「波浪はろうは障害にあうごとに、その堅固けんごの度を増す」を座右ざゆうめいにしてきた。
17  「ガンジーは、インドの表情を変えた」といわれる。静かで寂しいものから、活動的で晴れやかなものへ、と。
 学会も同じである。民衆の表情を変えた。民衆の心を変えた。暗から明へ、苦悩から希望へと。
 ネルーは、その著『インドの発見』の中で語っている。
 「民衆の心の持ち方を一変させた」
 「下積みの大衆を引き上げようとする彼の熱情の前には、ほかのなにものも、宗教さえも、二次的な地位しかあたえられなかった」(辻直四郎他・良い飯塚浩二・蝋山芳郎訳、岩波書店)
 民衆の地位を高めたい。民衆の無限の力を生かしたい──ただ″民衆のために″。この思いが、ガンジーの心を占領していた。
18  それでは、ガンジーは、どうやって人々の心を開き、より大きな次元へと高めていったのか──。ガンジーは、原子爆弾の破壊力にも動じない偉大な精神の力について、こう語っている。
 「皮膚の色になんら関係なく、男にも、女にも、子供にも、あらゆる人々のなかに宿っている」
 「ただ多くの人々においては、それが休眠状態にあるというだけのことであって、思慮分別をもった訓練によって休眠から目ざめさせることが可能である」(一九四六年二月十日付『ハリジャン』紙に寄稿した「原子力戦争」。『世界の名著63ガンジー自叙伝/ネルー自叙伝』所収、中央公論社)
 すなわちガンジーは、一人一人のなかに何ものにも侵されない偉大な精神の力があることを、「対話」と「行動」によって示していったのである。
 万人の胸中には、仏界という偉大な力がある。私どもは、たゆまない信行学の「訓練」によって、その力を引き出している。
 その力をもって皆さまは、広宣流布を進めておられる。民衆の新しき時代を開いておられる。
 皆さまには、偉大なる精神がある。偉大なる一念がある。皆さまの勇敢なる対話と行動によって、いよいよ新しい世紀の扉が開かれようとしている。
 どうか、これからも、仏の力を全身にみなぎらせながら、これ以上ないという「最高の人生」を生き抜いていただきたい。
19  さきほど秋谷会長から、支部・地区拠点、座談会場を提供してくださっているご家庭など、お世話になっている方々に、感謝のあいさつがあった。私も、重ねてお礼を申し上げたい。
 また、会館の管理者の皆さま、守る会の皆さま、個人会館を提供してくださっている皆さま、いつもありがとうございます。ご苦労さまです。
 さらに、聖教新聞の配達員の皆さまをはじめ多くの方々の奮闘、無事故の支えがあってこそ、この大創価学会は、毎日毎日、壮大に悠々と前進することができる。まさに日本世界一の創価学会である。本当にありがとう!
20  「新・人間革命」連載をスタート
 最後に、少々、コマーシャルをお伝えしておきたい。
 以前から構想をお話ししていた「新・人間革命」の新聞連載を、今のところ、十一月十八日(創価学会創立記念日)から開始したいと考えている。
 これまでは一日おきの連載であった。今度は当分の間、平日は毎日の連載を考えている。完結すると全部で三十巻の予定。私は、挑戦を始めます!
 また、海外についても、今後、さらに多くの国々を回る予定でいる。皆さま方も、続いていただきたい。私の仕事は、いよいよこれからである。
 きょう、お会いできなかった方々に、よろしくお伝えください。冷夏ですが、お体に気を付けて、元気な毎日をお送りください。全国の皆さま、本当にご苦労さま!

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