Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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フィリピンSGI最高会議 普遍の「人間の道」が「仏道」

1993.5.9 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

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2  ただ「人間としてどうか」を見る
 仏法は人間主義である。私は人間主義である。
 人間。ただ人間。ひたすら人間を見つめる。国籍とか、社会的立場とかイデオロギーなどではない。「人間」こそが基準である。私は常に「人間」に向かう。
 先日(四月十七日)、イタリアのマッツァ氏(元上院議員)と会談した。席上、氏は言われていた。
 「どの国にも、いい人もいれば悪い人もいます。イタリアもそうです。イタリアのいい人とつき合ってほしい」と。平凡なようで含蓄のある言葉であった。
 全部、人間しだい、本人しだいである。人間としてどうか──それがすべてである。
 中国近代の三代にわたる女性の一生を描いた、ある小説のなかで、激動の「文化大革命」を経験した若き主人公は考える。
 ──私は人間には二種類しかないことを知った。人間性のある人と、ない人だ、と。
 イデオロギーによって子供が親を裁き、友が友を裏切り、生徒が教師に暴力を振るい、文化・芸術を破壊する──そういう狂気の時代であった。
 悪人がのさばり、善人が叩きのめされる。主人公は、もはや、どんな「思想」も、どんな「正義」も信じられない。それらが、人を傷つけ苦しめるものであれば、″ないほうがいい″と思う。
 ただ、その人が、どういう人間性をもっているか。それだけを私は見る、私は信じたい、と結論するのである。
 「偏狭なる正義」による惨禍──個人も社会も、経験を積み、成熟するにしたがって、この主人公と同じ結論になるのではないだろうか。
 世界全体も、「イデオロギーの時代」は終わった。多くの不幸な体験を経て、「人間第一」という人間主義の方向へ向かっている、と私は見たい。
3  仏法は、仏が示した「人間の道」
 仏法も本来、この「人間としてどう生きるか」を説いたものである。
 日本でも、明治以前は、「仏教」という言葉は、一般には使わなかった。「仏道」といった。「仏による道」、仏が示した「人間の道」である。
 西洋思想が入ってきてから、他と区別する意味で、広く「仏教」と呼ばれ始めたとされている。
 釈尊は、だれもが歩むべき「人間の道」を説いた。
 仏法というと、何か普通の人間とかけ離れた世界の話のように思う方も一般にはいるかもしれない。また聖職者が自分を神秘にし権威づけするために、あえて、そのような説き方をしてきたことも事実である。
 しかし、本来の仏法は決してそうではない。釈尊が初めて考え出したものでもない。永遠に存在し、だれにでも当てはまる普遍的な「人間の道」「生命の道」を発見し、示したのが仏法なのである。
4  釈尊は、菩提樹の下で菩提(悟り)を得たときの模様を、こう語っている。
 「たとえば一人の人があって、人里はなれた森をさまよい、昔の人々が通った古道を見つけたようなものである。
 その道をたどって、ずっと行ってみると、昔の人々が住んだ古城があった。園林おんりんをめぐらし、美しいはちすの池のある素晴らしい古都であった。
 その人は帰ってくると、ただちに王に報告して、『願わくは、あの地に再び都を築きたまえ』と申し上げた。
 やがて多くの人々が、その『道』を通り、『都』に集まってきた。『都』は栄えに栄えた。
 それと同じように、私(釈尊)もまた、過去の仏が歩んだ『正しき道』を(菩提樹の下で)見つけたのである。
 そして人々に教えた。かくして、この『道』は多くの人に知られ、栄え、広まって、今日に至ったのである」
5  形骸化した仏教を第聖人が「人間化」
 このように釈尊が、人間としての「道」を説いたにもかかわらず、仏教は次第に「人間自身」を離れて、形骸化し、呪術(神だのみ的信仰)化していった。そのことは、だれよりも人間として立派な人生を送るべき聖職者(僧侶)が、かえって、いちばん「人間の道」をはずれた存在となっていったことに端的に表れている。
 釈尊自身は、当時の儀式化した既成宗教を破折し、「人間の生き方」を説いた。しかし、その釈尊の教えも同じ転落の道を歩んだわけである。
 それが極まったのが末法である。日蓮大聖人は、このとき出現されたのである。
 大聖人の有名な御金言に「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」──教主釈尊の出世の本懐は、人として振る舞う道を説くことにあった──とある。
 これは、儀式化し、形式化した当時の仏教からすれば、仏教の「原点」に引き戻す″コペルニクス的転回″(コペルニクスが天動説から地動説へと変えたような一八〇度の転回)ともいうべき革新的な仰せであったと拝される。
 「人の振る舞い」を示すことこそが仏法の真髄である。教主釈尊が出現された真の目的である。そこから外れた教えは、すべて枝葉であるとの御言葉と拝される。大聖人が常に「釈尊に返れ」と叫ばれた理由も、一つには、真言宗の「大日如来」とか、浄土宗の「阿弥陀如来」とか、現実の人間とかけ離れた存在を中心にすることへの破折であられたと考えられる。
 「大日如来の父母と生ぜし所と死せし所をくわしく沙汰し問うべし」──(真言宗が″大日如来の説法″を説くのに対しては)大日如来の父母と生まれた場所と死んだ場所とを、くわしく議論し、問いなさい──。
 歴史的に、一人の「人間」として生きた大日如来は存在しないではないか、「有名無実」(名ばかりの架空の存在)ではないかとの破折である。
 「人間」ではない師匠では、「人間の道」を学べないではないか──。
 阿弥陀如来も同様に、現実の「人間」ではない。
 その他、くわしくは論じないが、大聖人は長い間に形骸化した仏教を、仏教の原点(人の振る舞い)へと戻そうとされたとも拝される。いわば「人間主義」「人間宗」への革命であったと言えるかもしれない。
6  広く見れば、どんな宗教も、時とともに「人間の生き方」を忘れる。
 フィリピン独立の勇士、救国の英雄ホセ・リサール。彼は、当時の「腐敗した聖職者」の「信徒利用」に深くいきどおった。
 そして宗教を研究し、一つの結論を得た。
 「ひとつの宗教が確立し、組織化されると、必ず、そこには、神がかった権力を握り、特権を乱用する少数から成る支配層が現れるのである。古代エジプト、ユダヤ、ギリシャ、ローマ、アラブ、インド、中国の宗教しかり。また、キリスト教しかり」
 仏教も同じである。彼は自作の小説などでも、宗教を破壊する聖職者の悪を厳しく弾劾している。
7  創価学会は、仏教の原点であり、大聖人の教えである「人間の生き方」なかんずく「菩薩行」を現代に蘇生させた。ゆえに「特権的支配層」の僧侶から常に弾圧されてきた。
 しかし、「この道」にのみ、大聖人の宗教革命の魂はあり、仏道の魂はあると私たちは信ずる。
 ゆえに、私たちは仏法の正統中の正統として「よき人」と「よき人」のスクラムをいよいよ広げてまいりたい。さらに、御本尊を受持しているいないにかかわらず、「よき人」の連帯を広げゆく、かなめの存在となってまいりたい。
8  「師弟の道」を歩み通してこそ「正道」
 仏法は、人間として歩むべき「永遠の道」を教えている。だからこそ、現実の人生をともに生きる「師弟」の存在が大切になる。この「師弟」の道を見失うときに、自分では正道を歩んでいるつもりで、仏道をはずれてしまうのである。
 「どうして、仏法者にも悪人が出るのか」。このことを釈尊に質問した人がいた。日顕宗の存在など、今も同じ疑問をもつ人がいるかもしれない。
 釈尊の答えは明快であった。
 「友よ、ここに一人の人があって、あなたに都への『道』を問うたとする。あなたは『道』をくわしく教えるであろう。そして、ある者は、無事に都へ着く。また、ある者は、道をまちがえ、あらぬ方向へさまよう。それは、なぜであろうか」
 「世尊(釈尊)よ、わたしは道を教えるだけで、それをどうすることができようか」
 「友よ、その通りである。無上の境地への『道』はある。まちがいなく、ある。私はその『道』を教える。しかし、弟子のなかには、その『道』を正しく歩む者もあれば、『道』からはずれる者もいる。それを、わたしがどうすることができよう。わたしは、ただ道を教える者なのである」
 「教える人」(師)に従わなければ「道」を迷ってしまう。それは、根本的には「教えられる人」(弟子)の責任なのである。日蓮大聖人も撰時抄で仰せである。
 「人路をつくる路に迷う者あり作る者の罪となるべしや」──ある人が道を作る。その道に迷う者がいる。それは道を作った人の罪となるであろうか(いな、それは迷う者の罪である)と──。大切なのは「幸福」という目的地に到達することである。園林に包まれた「幸福の都」に着くことである。そのためには、師が教えた通りに「道」を歩み通すことである。
 日顕宗は、大聖人が教えられた「道」を完全にはずれて自滅したのである。
9  「万巻の書」にまさる「大家に基づく知恵」
 最後に、「知恵」と「知識」の違いについて、一つのエピソードを紹介しておきたい。
 アメリカの賢者エマーソンはある時、息子とともに、仔牛こうし納屋なやに入れようとしていた。
 息子が牛の耳をひっぱり、エマーソンが牛の尻を押した。しかし牛は動かない。二人は顔をまっ赤にして、汗を流したが、だめだった。
 そこへ、家で働いている少女がやってきた。少女は、二人を見て笑い、自分の指を仔牛になめさせながら、簡単に納屋に入れてしまった。
 「万巻ばんかんの書」を読んだエマーソンも、牛を動かすについては、体験に基づく少女の「知恵」には、かなわなかったのである。
 ″力ずく″では牛は動かなかった。″自己流″では牛は動かなかった。いわんや、牛を動かす以上に、人生の重い現実を動かし、真の幸福者となることは難しい。深い「知恵」が必要となる。その「知恵」を教えたのが仏法である。また自分自身の「知恵」を限りなく開くカギを教えたのが仏法である。
 ゆえに皆さまは、だれよりも「賢明に」生きていただきたい。「聡明に」勝利していただきたい。そうした「人生の道」の達人となられて、いよいよ幸せに、いよいよ健康に、豊かになられますことを念願し、記念のスピーチとしたい。

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