Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「創価学会の日」記念勤行会 「宗教の社会的役割」を学会が復権

1993.5.3 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

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2  「五月三日」は、創価学会の「原点の日」である。毎年、この日に集い合えることは、それ自体、「永遠の同志」の証明である。陣列から去った人は、集まる資格を自分で放棄してしまった人である。
 昭和十八年(一九四三年)七月六日、牧口先生、戸田先生が入獄された。以来、ちょうど五十年。また、昭和十九年(一九四四年)十一月十八日に、牧口先生が獄中で殉教なされ、今年は五十回忌を迎える。
 その意義深き本年、この八王子の地に、壮大な広宣流布のシンボルとなる「東京牧口記念会館」が完成する。
 本日は、ご遺族の方々も出席されているが、牧口先生、戸田先生の遺品、お二人の記念の品、学会の重宝などが展示される計画である。私は第三代として、初代会長、第二代会長に最高のご恩返しをすることを常に決意してきた。
3  本日、この創価大学の講堂には、北は北海道・礼文島から、南は沖縄・石垣島まで、全国六十一の島の離島青年部の代表が集われている。
 また波濤会、白雲会、医伸いしん会、芸術部ヤング・パワー、青年部の人材育成グループ、SGI(創価学会インタナショナル)公認通訳の方々、海外二十一カ国・地域の代表も参加されている。
 皆さまに「本当にご苦労さま」「いつも、ありがとう」と申し上げたい。
 本日は「創価学会母の日」でもある。全国の婦人部の皆さま、おめでとうございます。
 きょうは、壮年部の皆さまは、奥さまに必ず何かを買って差し上げる、また、青年部は、家事を手伝い、肩をおもみし、お母さんが何にもしなくてよいようにしてあげる──そういう日であっていただきたい。
4  創価学会の理念と行動を「識者」は評価
 きょうは、寄せられた識者の声を紹介しておきたい。私たちの行動に対する「客観的な評価」を知っていただきたいからである。
 その一人、日本を代表する宗教社会学者の方は、過日、山崎尚見副会長らとの懇談の折、次のように語られていたという。同副会長からの報告を、そのまま紹介させていただく。
 「池田名誉会長の北・南米の旅(本年一〜三月)のご成功を、心より、お祝い申し上げます。本当におめでとうございました。『聖教新聞』の名誉会長の記事を、毎日毎日、感動をもって拝見させていただいておりました」
 「今回、名誉会長が訪問された南米諸国のほとんどが、カトリックの国です。その国々で、大統領や大学などから、数多くの顕彰を受けられたことは、それ自体、名誉会長が、異文化への理解と寛容性をもたれた偉大な指導者である証明です。本当に素晴らしいことです」
 カトリックの国で日本の仏教者が、これほど評価されることは並大抵のことではないと言われている。普通なら全部、相手にされないか、批判だけである。それでは広宣流布はできない。その国のために、その国を理解し、その国に尽くしていく──私は常にその決心できた。
5  私がこの方と、初めてお会いしたのは、もう二十数年前のことになる。その時の思い出も回想されたという。
 「名誉会長と初めてお会いした時のことは、いまだに忘れることはできません。その時、名誉会長は言われました。『カトリックの人々は、苦難の歴史、苦闘の道を歩まれた。そうした行動の次元においてカトリックは、私たちの″兄″といっても過言ではありません』と。私はまず、その謙虚な言葉に驚きました」
 キリスト教は、弾圧に次ぐ弾圧、殉教に次ぐ殉教を経て、世界へと広がった。近年の日蓮正宗の僧侶のだれが、そうした努力をしたのか。だれもいない。大聖人の仏法を初めて世界へ流布したのは学会である。
 教えの浅深は別として、世界への″行動″という観点から、私は″兄″と申し上げたのである。
 「その折、私は『究極に求められるものは何でしょうか』と質問しました。恐らく″板曼荼羅の御本尊″と答えられると思っておりましたが、しかし、名誉会長は『久遠元初の法です』と答えられたのです」
 「このことから、名誉会長が、永遠の根源を求めておられ、板曼荼羅に、偏狭にこだわっておられないことに、非常に感動し、創価学会の普遍性と、発展の因を見た思いでした。以来、学会への協力を決意し、今日にいたっております」
 もとより御本尊が、私たちの「根本尊敬」の対象であられることは言うまでもない。そのうえで、曼荼羅それ自体は、物体という側面からいえば永遠不滅ではありえない。
 当然、そこに計り知れない御仏意があられると拝されるが、曼荼羅としてあらわされた「法」は永遠である。
 いずれにしても、大聖人の仏法の真髄である「久遠元初の法」を根本としてこそ、永遠の妙法流布の道が開ける。この方は、そこに普遍的なものを感じとられたのであろう。
6  「名誉会長は、宗教研究の世界的な学者である、オックスフォード大学(イギリス)のブライアン・ウィルソン教授、ルーベン大学(ベルギー)のカール・ドブラーレ教授等と対談されました。彼らの多くは、宗教の将来に悲観的でしたが、創価学会を通して、宗教が今後も社会的役割を果たしうることを認識したのです。創価学会は、彼らの悲観的な考えを大きく変え、世界の宗教社会学の展開に貢献したと私は見ています」
 トインビー博士も、私との対談後、ご謙虚にも、少々、所説を変えておられるが、こうした学問上の意義の大きさを、だれもわからない。
 (トインビー博士は従来、「新しい世界帝国の建設のあと、新しい世界宗教が出現する」としていたが、対談後、核時代の現代にあっては、世界帝国への覇権競争は人類全体の滅亡に通ずるとし、むしろ世界宗教という共通の精神的基盤の上に、新しい世界帝国(世界連邦)が建設されるべきであると自説を変えている)
 「また、創価学会は、ウィルソン教授が初代会長を務めていた国際宗教社会学会(CISR)に協力し、今日の同会の発展の力になってこられた。
 名誉会長は、このように、SGI本体の運動とは異なった角度からも、今日の創価学会の世界的な発展の底流を、着々と作られてきたのです」
 世界の知性は「対談集」をはじめ出版物を通して、仏法を認識している。その意味で、翻訳・通訳に携わるメンバーに改めて感謝を申し上げたい。功徳も大きいことを確信していただきたい。
7  私自身のことで大変恐縮だが、おっしゃられたままに紹介させていただく。
 「今回の北・南米のご壮図を拝見しても池田名誉会長は、不世出の大天才です」「そのカリスマ性、文化性、文章力等、本当に、すごい」
 実は、これらも、全部、戸田先生に教わったのである。私は、すべて、その通りにやってきただけである。
 「『文章力』の一点を見ても、聖教新聞を見るたびに、私には池田名誉会長が『この記事で会員が本当に納得し、喜ぶか、満足するか』等とスタッフを厳しく叱咤しておられる声が聞こえてくるようです」
 これは聖教新聞をほめてくださった声のようだが、ご指摘の通り、私は聖教新聞に対して、文章は、もっとこう書くものだ、こう論ずるべきではないかと、歯がゆい思いもしながら、叱咤激励し、全力で応援してきた。何十年にもわたり、毎日、毎晩、陰で支えてきたのである。
8  学会は「日蓮大聖人の正統を継ぐ団体」
 さらに、「宗教に無知な社会や人々は、『宗教はいろいろあるが、万教同根である』と見て、すべての宗教を同一視するむきがある。私は、『宗教は哲学的な裏付けがあってはじめて、宗教といえる』というのが、持論であります。したがって、宗教も知らずして、簡単に万教同根などということは、絶対に言うべきではないと叫びたい」と。
 「私は、人間の存在そのものが哲学であり、哲学がなければ人間とはいえないと思っています。すなわち、宗教は本来、人間のためのものです。ゆえに哲学的な裏付けが必要であり、哲学がなければなりません」
 この点、まったく同感である。だからこそ、私たちは教学を学んでいる。私がスピーチをしている理由の一つも、そこにある。
 ″人間の存在そのものが哲学である″と。哲学がない人間は、動物のような存在となってしまう。
 「その点から見るならば、同じ日蓮大聖人の仏法とはいえ、日顕と日顕宗には、激しい嫉妬心と感情論はあっても、哲学性はまったくなく、もはや宗教とは言えません。社会も、宗教の本質を知るべきであり、この点から日顕宗を厳しく断じていかねばならないはずです」
 「今回の問題で信徒団体はどうすべきか、私なりに悩んできました。本来、日顕のような悪法主が出た場合、宗内の僧のなかで革命が起こり、悪法主をたたき出す、それなりの人物が出るはずであります。しかし今、宗内はドロドロした状態で、そのような革命が起こる状況ではありません。本来、革命は、悪い権力者の取り巻きから起こるものですが、その自浄作用が起こらない。本当に、日顕宗はどうしようもない団体です」
 そして「私も、どんな角度から見ても、もはや日顕宗には日蓮大聖人の精神と信仰はなく、創価学会のみが日蓮大聖人の正統を継いだ教団であると思っております。そして、創価学会が、そのことを深く確信して前進していくことが、信徒として正しい道であると結論しています」と。
 「大確信」をもって進みましょう。
9  さらに、「これまで、学会は、日蓮正宗の非寛容性と排他性を我慢してきた。学会は、多元化した世界や社会に対し、現代的に展開する努力を行ってきました。しかし、宗門の非寛容と排他性によって、『謗法だ』と言われることもあり、宗門を守る意味もあって、遠慮し我慢することが、あまりにも多かったように見えます」。
 鋭く見ておられる。宗門は常に独善的であった。広宣流布のことなど何も考えていない。それでも学会は耐えに耐えて、守ってきたのである。
 「もはやここまで多元化した時代にあって、″日蓮正宗以外は人に非ず″というような排他性や、他の文化を認めないという非寛容では、まったく世界には通用しません。いまだに、これを持ち続ける日顕宗は、本当にどうにもならない存在であります」
 「逆にいえば、今、創価学会が、日顕宗との黒い鉄鎖を断ち切って、多元化する世界の流れをリードする自由と寛容を見事に勝ち取ったことは、今後の大発展に向け、本当に大勝利したと思っております」
10  「聖職者も信徒も『平等の信仰者』」
 また、「僧と俗」の関係について、ご自身の立場から、こう述べておられる。
 「カトリックにおいてさえ、最近では、『聖』と『俗』は役割分担の違いのみであって、聖職者と俗信徒の差別など一切ないという考え方が強く打ち出されています。それは、聖職者も俗信徒も、すべて『ピープル・オブ・ゴッド』──″神の国の民″であるからです。
 日蓮大聖人をもととする日蓮正宗で言えば、日顕を含めた宗内の僧も、創価学会員も″日蓮ピープル″であり、すべてが平等の信仰者であるはずです」
 以前、工藤住職(東京・長栄寺。宗門の改革に立ち上がっている)も、″僧侶も学会員も、同じく大聖人の信徒である。皆、大聖人のもとに平等です″と言われていた。
 この方は続けて「カトリックでは、ローマ法王を『セルブス セルボームス』と言います。『しもべの僕』という意味です。
 たとえば、俗信徒が『神の僕』であるならば、ローマ法王は『俗信徒の僕』となる。ローマ法王が出す、すべての公式文書には、まず、この『セルブスセルボームス』としたため、その下に自分のサインを行います」と。
 教えの次元は異なるが、カトリックがあれほど世界的に広まった理由の一つを見る思いがしてならない。
 そして「日顕が聖職者を自任するならば『信徒の僕 日顕』であるべきです。それをわきまえず、自分が一番偉いなどとは、信仰者としての自覚もまったくない、本当に思い上がった人物です」。
11  権威の「血脈」論は堕落の証拠
 さらに、こう語っておられる。ご意見として、ありのまま、ご紹介させていただく。
 「宗教的に言えば、日顕宗の言う『血脈』などは本当にナンセンスな話です。本来、宗教には、『仏と自分』との関係の信仰が重要であって、権威主義の『血脈』などは、信仰的には何の意味もない。
 私から言わせれば、本当の宗教者として信仰を極められない者が、自分の権威を示すために『血脈』でごまかしているにすぎません。
 また『血脈』や『血脈付法』が大事などと声高に言うのは、その宗教団体に優秀な人物が出ていないための言い訳でしかない。それを言うこと自体、その宗教団体が堕落している証拠でしかありません」
 また「日蓮大聖人が信徒にあてられた手紙を、池田名誉会長のスピーチや御書を通して見ると、そこには本当に人々を思う情愛があふれていて感動します。
 何か一つの物をいただいても、まず心からの御礼を伝えられる。そこには人間にとっても最も大事な『心』があります」。
 権威でも地位でも役職でもない。「心こそ大切」である。「心」には「心」で応える。「具体的な行動」で尽くす。幹部であればあるほど、実践すべき鉄則である。
 そして「その一点を見ても、日蓮大聖人は、最も普遍的で絶対的な価値である『人間』に、すべての焦点を当てられていることが、良く理解できます。
 日顕が、自分にこそ日蓮大聖人の正しい血脈があるというのであれば、まず日蓮大聖人の手紙に示されているような行動をとるべきです」。
 「本当に御書の通り、『情愛』と『心』をもって人に接しておられるのは、池田名誉会長であることを知るべきです」
12  「日顕が大石寺の桜を一挙に二百数十本、伐採したとの聖教新聞を見て、日顕は本当に狂っているとしか思えませんでした。いくら嫉妬心からと言っても、桜の木に八つ当たりするなど、常人に出来ることではない」「まったく狂気の沙汰です」
 言われる通りである。桜は切るものではない。見るものである。
 また「第二次世界大戦の時、オーストリアの厳しい冬の中でも、オーストリア人はウィーンの森の木を一本も切らなかった。それは、今でもオーストリア人の人間としての誇りですらある。
 日顕にとっての『世界』は、大石寺の境内でしかない。日本の状況も世界の動向も、まったく関係がない。本当に無知蒙昧です。それが一宗の法主などとは断じて許せません」。
13  そして「日本に一千万人の信徒を有する創価学会は、歴史的に見ても考えられないほどの大教団です。
 宗教は迫害を受ければ受けるほど強くなります。また迫害されれば、いい加減な人間は、そこから弾き飛ばされる。
 創価学会は今回の宗門問題で見事に、その試練を越えられた。そして池田名誉会長の指導のもとにビクともしなかった。本当に、すごいことだと思います」と結論しておられる。
 そして、外国に病院を建設した、ある団体の例を挙げられながら、学会の一層の社会貢献に、重ねて期待を寄せておられたという。
14  世界的発展の遠因は師弟の「100%の信頼」の連結
 また、ある大学の学長は、小説「人間革命」の完結にあたり、次のような声を寄せてくださった。
 「創価学会の草創期は、川の流れにたとえれば、まさに渓流です。当時はまだ社会的な存在感も弱く、影響力を持つには至っていません。だが、戸田会長の構想を心に刻み、どう実現させようかと呻吟する若き日の池田名誉会長。
 自分の全人生を一〇〇%賭けても悔いない人生の師に巡り会う確率は低い。また、自身の構想を後顧の憂いなく、一〇〇%託すに値する弟子に会うことも至難の業です。
 戸田第二代会長と、池田第三代会長の不思議な生命と生命の連結。それが今日、世界に友情と信頼のネットワークを広げ、世界宗教の基盤を築く創価学会の遠因となったことを『人間革命』を読み、知りました」
 「(今回の北・南米訪問では)訪問する先々で大歓迎される姿を見ても、いかに国際的な評価が高いかを認識せざるを得ません。時代が、人が、創価学会の人間主義、平和主義を求めていると感じてなりません」と。
 私たちへの、励ましのお言葉として、これもそのまま、ご紹介させていただいた。
15  きょうは「創価学会母の日」にちなんで、大聖人が一人の婦人に送られた御手紙の一節を拝したい。
 大聖人は、まずこう仰せである。
 「麦一箱・いゑのいも一籠・うり一籠・かたがたの物六月三日に給候しを今まで御返事申し候はざりし事恐れ入つて候」──「麦一箱」「里芋一かご」「ウリ一かご」など、さまざまな物を六月三日に贈っていただいたにもかかわらず、今(六月二十日)まで御返事を差し上げなかったことは、恐縮の至りです──。
 大聖人は、おそらくお忙しかったのであろう。六月三日に受けられた真心の御供養への御礼の返事が半月ほど遅れてしまった。そのことについて、「恐縮の至りです」と丁重に、わびておられる。
 厳しい現実のなかで、けなげに働き、けなげに生き抜いている、そしてけなげに信仰に励んでいる庶民の真心を、大聖人は露ばかりもおろそかにされない。最大の誠意、最大の真心で応えておられる。
 これが御本仏の御振る舞いであられた。
 その正反対が現宗門である。彼らがどれだけ信徒の真心を踏みにじり、「なんだ、これっぽっちか」等と足蹴にしてきたか。どれだけ信徒をバカにしてきたか──。御本仏とは、まったく天地雲泥であり、正反対である。
 我々は、日蓮大聖人の信徒である。学会は、この御本仏の御心を拝して、「庶民の真心」を大切にしてきた。だからこそ伸びたのである。発展したのである。これを絶対に忘れてはならない。とくに幹部は、自分の振る舞いを省(かえり)みていただきたい。
16  大聖人は、この婦人をこうたたえておられる。
 「女人の御身としてかかる濁世末代に法華経を供養しましませば、梵王も天眼を以て御覧じ帝釈はたなごころを合わせてをがませ給ひ地神は御足をいただきて喜び釈迦仏は霊山より御手みてをのべて御頂おんいただきをなでさせ給うらん」──女性の御身として、このような濁悪の末法にありながら、こうして法華経を供養なされれば、大梵天王も天眼をもってご覧になり、帝釈天は手のひらを合わせてあなたを礼拝し、大地の神はあなたの御足を大切に押しいただいて喜び、釈仏は霊山浄土から御手をさしのべられて、あなたの頭をなでられることでしょう──。
 これが大聖人の教えである。仏法である。
 皆さまが、弘教や指導へと動いている姿、広宣流布への行動──それは最高の「法華経への供養」である。その姿を御覧になって、どれほど日蓮大聖人が喜んでおられるか、守ってくださっているか。
 ここに仰せのように、「大地」さえも「ありがとうございます」と、皆さまの足を敬っているのである。
 広布のために戦う無名の母たちが、どれほど尊貴な存在か──。最高に尊い人なのである。女性を大事にしなければならないと、私は男性幹部に常に厳しく言っている。
 社会的地位ではない。名誉でもない。組織の立場でもない。まじめに学会活動をし、戦っている人が偉いのである。「心こそ大切」なのである。
 御書に照らし十方の諸仏も、諸天も、皆さま方を最大に仰ぎ、たたえゆくことは絶対に間違いない。皆さまこそが無上の満足の人生を飾り、三世永遠にわたって、無量無辺の福徳に包まれゆく方々である。これを大聖人は教えられている。
 この尊き「仏の集い」、「創価の王宮」を、お互いに守り、守り抜いてまいりたい。何ものにも壊されることなく──。そして何ものも盗まれることなく。
17  二〇〇一年五月三日へ、朗らかに前進
 戸田先生は言われた。
 「私は自分のからだ全体を学会のなかに投げ出し、世の苦悩の民衆のなかに葬ると決意したのである。この決意の日が、昭和二十六年五月三日であったのである」と。
 この決意の日──昭和二十六年五月三日は、言うまでもなく、戸田先生が第二代会長に就任された日である。この戸田先生の出発から、ちょうど五十周年を迎えるのが西暦二〇〇一年の五月三日である。
 私たちは全員、その日を目指してまいりたい。全員、元気で、その日を迎えたい。
 お互いに生身の人間である。どうか疲れた時は早く休むなど、聡明に健康に留意し、うんと丈夫で、長生きをしていただきたい。
 そして、栄光の二〇〇一年五月三日へ、全員が威風堂々とスクラムを組んで、朗らかに前進しましょう。きょうはありがとう!
 全国の皆さま、あとはゆっくりと楽しんでください。
 役員の方々も、朝から長時間、ご苦労さまでした。すべてを代表して、心から御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

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