Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第六十五回本部幹部会、配達員大会、東京… 「誠実」「真剣」「知恵」の人生は幸福

1993.4.20 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

前後
2  新聞こそ、言論戦の″武器″である。私の尊敬する、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁も、新聞を精神闘争の″武器″として戦ってこられた。
 総裁は青年時代から、新聞記者として活躍された。しかし独裁政権から、何度も弾圧される。投獄もされた。国外追放にもあった。
 けれども総裁は、絶対にペンを折らなかった。書いて書いて、書きまくった。民衆に真実を訴え抜いた。そして、九十歳を超える今なお、毎日、新聞にコラムを執筆されている。
 何があろうと″道を貫く″″退転しない″。これが人間としての「勝利者」の証である。正義の闘争に、悪意の中傷があるのは、当たり前である。
 何か言われると、すぐふらつく。何か書かれると、すぐ動揺する。それでは人間として、あまりに情けない。
 どこまでも、正義を叫び切っていく。真実を語りに語り抜いていく。ここに私たちの「折伏精神」もある。広宣流布は、永遠不退の闘争であり、信念の言論戦なのである。
3  アタイデ総裁「新聞は歴史の行進を先取り」
 アタイデ総裁は、新聞の使命について、こう述べられた。
 「新聞は毎日、また常に、民衆の光輝ある力のために、現在と未来の間に立って、歴史の行進を先取りする。そして世界の地平線へ、鋭きまなざしを広げていく」
 商業主義でもない。自己満足のためでもない。新聞は「民衆の勝利」のためにある。このアタイデ総裁の言に照らせば、民衆を蔑視し、民衆の敵となる新聞など、新聞とは言えない。
 学会は「民衆」の団体である。聖教新聞こそ、民衆の最高に「光輝ある力」を引き出す新聞である。「歴史の行進を先取り」した新聞である。
 わが聖教新聞は、これからも、世界の第一級の良識と広く深く連帯しながら、さらに力強く、さわやかに、民衆の心、人類の心を動かしてまいりたい。
 一波が二波、三波、そして万波となっていくように、新世紀へ、万年の未来へ、限りない希望の生命の波を送っていく。これが聖教新聞の使命である。
4  アタイデ総裁とは、今回のブラジル訪問の折に初めてお会いした(二月、リオデジャネイロ)。お顔には、長き闘争の風雪が刻まれていた。まさに″獅子の顔″であった。戦士の心は、会ったとたん、瞬時に響き合った。
 「戦いましょう」「二人で力を合わせ、人類の歴史を変えましょう」──これが、出迎えてくださった空港での総裁の言葉であった。
 総裁は現在、九十四歳。学会首脳の最年長である和泉最高指導会議議長(八十一歳)さえ、十歳以上も若い。
 また、インド・ガンジー記念館のパンディ副議長は八十六歳。先日(四月十七日)再会したイタリアの元内閣官房長官・マッツァ氏は八十三歳。
 八十代、九十代になっても、理想に生き、信念をもって戦っておられる。そのことを思えば、私たちは、まだまだ若い。これからである。これからが本番である。
5  マッツァ氏のエピソードを、いくつか紹介したい。
 第二次世界大戦下の一九四三年、氏(当時・三十三歳)はフィレンツェ県庁の上級官吏であった。国内では、ユダヤ人がナチス・ドイツ軍に追われ、身の危険にさらされていた。氏は、カトリック教会と協力し、約四千人のユダヤ人に出国許可証を発行し、亡命の手助けをした。″逃げなさい″″元気でいなさい″と。
 「命を守る」──ここに人間の真髄がある。宗教の目的もある。
 桜を切ったり、人間を抑え付けるために宗教があるのではない。(日顕は、大石寺の約二百八十本の桜を伐採。社会的問題にもなっている)
6  ドイツ軍の敗色が濃くなってきた一九四四年。彼らは、南イタリアからの連合軍の北上を阻止するために、フィレンツェの主要な橋や建築物を爆破することを計画していた。
 フィレンツェには、現在、SGI(創価学会インタナショナル)のイタリア文化会館がある。フィレンツェは中世ヨーロッパの中心地の一つであり、ルネサンスの都として栄えた都市。街には歴史を今に伝える建造物が並んでいる。
 ドイツ軍の計画を知った氏は、身の危険も顧みず、フィレンツェの大司教らとともに、ナチ親衛隊の大佐を訪問。フィレンツェの歴史的な重要性、人類の文化遺産を破壊することの非を訴えた。氏は相手にされずに帰されたが、結果的に、街は破壊されずにすんでいる。
 時に応じて、言うべきことを言っておくことが大切なのである。戦後、氏の勇気ある行動に対し、国家から「愛国戦士」の称号が贈られている。
 一流の人は「命がけ」である。それぞれの次元で「不惜身命」である。
 「学会では、婦人部が不惜身命。男性は臆病と要領」と、だれかが言っていた。それではいけない。
 大事な時に戦った人には、必ず十方の仏菩薩、諸天善神の賛嘆がある。
 マッツァ氏は「愛国戦士」と。私たちは、広布の戦士、「創価戦士」の称号を誇りにしてまいりたい。
7  一九六一年から六六年、氏はトリエステ地方の総督を務めた。トリエステ地方は、当時、イタリア領、ユーゴスラビア領のいずれでもなく、「総督の行政区」として存在していた。
 ユーゴスラビアが共産国となり、約四万人の難民がトリエステ地方に流れ込んできた。この時、氏は、まず難民を保護し、住む場所と仕事を与えることに全力を尽くした。皆、同じ人間だと。
 仕事のために郊外から市内に通う人々には、三年間、バスの料金を無料にした。さらに、イタリア全土から、トリエステ地方に企業を誘致し、多くの難民の人々が就職することを成功させている。
 また氏は、一九六六年から八年間、すすんでミラノ市の県令(知事)を務めている。内閣官房長官まで務めた人が、県令になるのは異例であった。
 当時、イタリアには暴力とテロの嵐が吹き荒れていた。大変に危険な時代であった。氏は、今までに三十四回も暗殺の危機にあっているという。
 それでも氏は一切の警護を拒否した。若いボディーガードの命を、自分のために犠牲にしたくない、との理由からであった。
 「正義の人」は即「受難の人」である。
 大聖人は佐渡御書で「賢聖は罵詈して試みるなるべし」──賢人・聖人は、ののしって試してみるべきである──と仰せである。
 賢人・聖人は、ののしられ、迫害されてこそ、その真価が表れる。迫害を恐れる人間は卑怯である。逃げる人生には、輝きはない。
 大事なのは、「自分を守る」ことではない。「正義を守る」ことである。そのためならば、何ものも恐れてはならない。
8  組織の官僚主義を打ち破って
 一九七〇年十二月、マッツァ氏は公共秩序の現状分析と予測についてのリポートを、内務大臣に送る。
 リポートでは、氾濫していたテロ活動が、当時、元凶とされていた右翼のみならず、極左の運動にもあることを、詳細な調査をもとに指摘していた。将来のテロ集団の台頭を予測し、警告するものであった。しかし、このリポートは、内務大臣から何カ月も無視され続けた。
 一般的にも、リーダーが傲慢になると、正しい報告に耳を傾けなくなる。建設的な意見を取り上げなくなる。また、実行に移さなくなる。
 そうなれば「官僚主義」である。学会もこれだけ大きくなって、官僚主義がはびこることを私は恐れる。私は一人、その恐るべき組織の堕落と戦っている。
 会員の意見をバカにするような幹部は、幹部ではない。それならば一会員のほうが、よほど立派である。
 マッツァ氏のリポートは、やがて、ある一人の政治家(現イタリア大統領のスカルファロ氏)によって見いだされ、やがて大きな論議を呼び起こすことになった。これが、歴史に残る″マッツァ・リポート″である。
 マッツァ氏の予測は的中し、その後、左翼テロ集団による首相暗殺という痛ましい事件が起きている。
 また、マッツァ氏は、上院議員時代にも、政治の腐敗と戦っている。
 主なものとして、「政治資金規正法」の提案のほか、「議員免責特権(普通なら負うべき責任を問われない特権)の廃止および懲罰の加重」の提案がある。
 こうした提案は、議会では取り上げられなかった。(その後、汚職事件が続発するなか、イタリア下院は、一九九三年五月十三日、議員免責特権の廃しを、圧倒的多数で可決している)
 またこの間、氏はマフィア取締委員会の委員も務めている。
9  きょう(四月二十日)、マッツァ氏は大阪の関西創価学園を訪問された。その折、学園生に「尊敬する人物について」質問を受け、こう語られたという。
 「私は、自分の仕事柄、何万、何十万という人たちと知り合う機会を得ました。そのなかで、とくにどんな人物が自分を魅了してきたかというと、まず、その人が知性の人であるかどうか。文化的な素養があるかどうか。誠実な人かどうか。善意の人かどうか。そして、道徳心のある人かどうか──そうした点を重要に思ってきました。そうした人物に出会った時、私は大変魅力を感じたものです。
 そうした人物は、今まで会った多くの人の中で二十人くらい記憶に残っています。それらの人は本当に誠実で、自分が為さねばならないことに真剣に没頭していました。また他人に対して常に尊敬の念をもって接しており、そのうえに大いなる勇気をもっている人たちです。
 そして、それらの人たちは道徳心──本来、だれもが共通にもっているべきなのに実際はもてないでいる道徳心をもっていました」と。
 (続けて、マッツァ氏は「そのなかでも、ここ数年知り合うことのできた池田先生は本当に素晴らしい方です。先生を知ることができて、こんなに幸せなことはありません」と述べている)
 氏は「人間」を鋭く見つめておられる。戸田先生はよく言われていた。「一流の人に対しては、こちらも真実をもって、ぶつからなければいけない。少しでも、うそがあれば、全部見破られてしまう」と。
10  牧口初代会長「聖職者は宗祖の原典を裏切る」
 先日、教育部の有志の方々が、牧口先生の残された「宝の言葉」の数々を整理して届けてくださった。その一つを紹介したいが、まず前置きとして、有名な(ヨーロッパ・中近東の)ことわざにこうある。「魚は頭から腐る」と。
 「頭」から腐る──社会も団体も、会社も国も、腐る時はすべて「頭」から、すなわち上から腐る。だから私も幹部に厳しい。リーダーは厳格に自己を律さねばならない。何があっても腐ってはならない。
 牧口先生はこう述べておられる。わかりやすく趣旨を紹介したい。
 ″教祖または宗祖は、時代の必要に応じて出現し、それぞれ教えを説いて、みずからの生活などは少しも顧みることがない。
 しかし、その教えが広まってくると、先覚者の精神は失われ、宗教によって生活の糧を得、金をもうける「職業宗教家」(いわゆる宗教屋)が占領してしまう。
 彼らは民衆が宗教を正しく評価する力に乏しいことに、つけこむのである。そして時代が変化して、その宗教が必要でなくなり、さらに高級な宗教でなければならぬ時代となっても、彼らは決してこの変化を認めようとしない。
 それどころか、彼らは人を救おうとした宗祖とは反対に、人に救われようという自分本位(エゴ)の見地から、あらゆる奸策かんさく(ずる賢い策略)を用いて、自分たちより高級な宗教に反対するのである″と。(「創価教育法の科学的超宗教的実験証明」、『牧口常三郎全集』第八巻所収)
 聖職者は腐敗する。それが歴史の常である。
 牧口先生はまた、宗門の「自分本位」の保身の体質を深く嘆いておられた。その犠牲となられたといってよい。
 アメリカのハーバード大学からは、再度の講演の要請をいただいているが、先日、私はハーバード大学「世界宗教研究センター」の若き所長サリバン博士と語り合った(三月二十七日、「二十一世紀と宗教」をテーマに)。
 その折の話も、牧口先生のこの洞察と一致する。
11  停滞・堕落・信徒抑圧の宗教史に終止符を
 「民衆のために」また「時代とともに」という創始者の原点が、貪欲で時代錯誤の後世の聖職者によって踏みにじられてしまう──それがこれまでの宗教史であった。
 牧口先生は、この宗教史の流転の悲劇を見極めておられたのである。
 この宗教史の宿命を打ち破って、わが創価学会は、どこまでも純粋に、どこまでも真剣に、日蓮大聖人の御精神にのっとって戦ってきた。宗門の興隆へ真心を尽くしに尽くし抜いてきた。
 それに対して、宗門は、「″切る″準備が整うまで、尽くさせるだけ尽くさせておこう。取るだけ取ったら、何か理由をつけて切って、あとは自分たちで、好き勝手にやろう」と考えていたのである。放蕩しようが、謗法を重ねようが、うるさいことを言わない奴隷のような信徒だけいればいいという考えであった。
 何という大聖人への裏切りであろうか。一千万信徒への裏切りであろうか。人間への侮蔑であろうか。
 彼らは、それでうまくいくと思っていたが、全部、もくろみは失敗した。日顕は、学会を甘くみていたのである。いな、日蓮大聖人の仏法を甘くみていたのである。これほどの悪党はいない。「現代の提婆達多」、それ以上である。
 この極悪の日顕宗を倒すことが、大聖人の御心にかなった戦いである。最後まで戦い抜きましょう! 学会の強さを教えてやりましょう!
 腐った宗門にひきかえ、牧口先生は、戸田先生と、ただ二人だけで、大聖人直結の殉難の道を歩まれたのである。
 学会が正義なのである。大聖人直結の学会を、大聖人がお守りくださることは絶対に間違いない。
 学会の進む道にこそ「世界宗教」「民衆仏法」としての大聖人の仏法の大道がある。「この道」を、皆で朗らかに、すがすがしく前進していきましょう!
12  戸田先生は、書かれている。
 「南無妙法蓮華経の信仰は、向上を意味する。無限の向上である。朝に今日一日の伸びんことを思い、勇躍して今日一日を楽しむ。しかして無限に向上していく。究極を見ない。(中略)まだまだ、その上へその上へと向上していく法である」(昭和二十年九月二十二日)と。
 大聖人の仏法は、無限の向上の法である。常に「きょうが出発」であり、「きょうが久遠元初」である。
 信心に年齢はない。きょうよりも明日、明日よりもあさってと、どこまでも若々しく、「向上」していく──これが信仰者である。
 そのために、自分自身の鍛錬があり、訓練がある。自分と戦ってこそ、向上があり、幸福がある。
13  「信心」不退なら「福徳」は永遠
 聖教新聞の創刊四十二周年をお祝いし、さらに一言、申し上げておきたい。
 日蓮大聖人は、門下の大田乗明への御手紙で、「金珠女こんじゅにょ」の説話を引いておられる。
 「昔金珠女は金銭一文を木像の薄と為し九十一劫金色の身と為りき」──昔、金珠女は、仏の木像を飾る金箔を金銭一文で供養し、九十一劫の間、金色の身となった──。
 (昔、毘婆尸仏びばしぶつという仏が入滅したあと、人々は七宝しっぽうの塔を供養したが、そのなかの木像の顔の金色が一カ所、欠け落ちていた。このとき、貧しい一女性が、乞食こつじきをして得た金珠(金の宝珠)で、補修した。その功徳で九十一劫もの長い間(一劫は一説には約千六百万年との計算もある)、金色の身と生まれて、人界・天界の喜楽を受け続けたと、付法蔵因縁伝ふほうぞういんねんでんに説かれている)
 「金色の身」とは、光り輝く最高の大福徳の身ということであろう。お金も「いらない」「いらない」と言っても入ってくる。
 「ほしい」「ほしい」と言っても「出ていくばかり」の人が多いが、過去に、金箔を供養するどころか、はがして盗んだのかもしれない。
 それはともあれ、くめどもつきぬ福運、体からあふれ、にじみ出てくる歓喜の光。こうした「金色の身」が生々世々に続いたというのである。
 わずか「金銭一文」でも、時にかなった、真心からの供養であれば、計り知れない功徳を得る。「心」の不思議な作用である。
 さらに大聖人は、「仏」を供養した金珠女の功徳以上に、「仏の師」である「経(法華経)」に供養する大田乗明夫妻の功徳は大きい。必ず一生のうちに成仏されますよ、と断言しておられる。
 大聖人の御言葉には、絶対に、うそはない。必ず、その通りになっていく。私は大確信をもっている。
 今、私たちは、最高の供養である「妙法流布」をなしている。「広宣流布」の聖業をなしている。その人は、「金珠女」すなわち「黄金の宝珠の女性」以上の大福徳を得る。必ず「金色の身」となる。これが、御本仏の御約束であられる。
14  なかんずく配達員の方々の功徳は大きい。
 というのは、大聖人は「仏は文字に依つて衆生を度し給うなり」──仏は(経文の)文字によって、人間を済度さいど(救済)される──と仰せになっている。
 「文字」には、人を救う力がある。人を救う「文字」がある。
 経文そのものとは次元は異なるが、聖教新聞の根本は「文字によって人々を救う」新聞である。広宣流布をなしている唯一の新聞である。
 それを届けてくださる方々は、実は「仏の使者」であられる。一日一日が、偉大なる価値を生まないわけがない。一歩一歩が永遠の福徳を積まないはずがない。
 尊き仏使であられる配達員の皆さまが、また、ご一家が、永遠に無事故で、色あせぬ金色の幸福に包まれておられることを私は願い、祈っている。
15  「民衆の勝利」の大叙事詩を後世に
 先ほど、マカオ教育・青年省のシルバ長官より、真心の「盾」(平和・教育貢献の盾)をいただいた。そこで一言、マカオにちなんだ話をさせていただきたい。
 大航海時代、はるかな海を越えて、マカオを訪れた一人の詩人がいた。彼の名はカモンイス(一五二四〜八〇年)。ポルトガル文学史上、最大の詩人とうたわれる人物である。
 彼の言葉に、「真の友情は、長い歳月によって試される」と。
 その場だけのつながりではない。名聞や利害による結び付きでもない。いかに歳月が流れようと崩れない。いよいよ輝いていく──それでこそ「友情」である。
 私たちは、自身の身近な地域はもとより、アジア、そして世界へと、「永遠の友情の道」をつくっている。この私たちの行動は、壮大なる「民衆の叙事詩」として、歴史に薫りゆくことと確信する。
 また詩人は語る。
 「権威や権力を利用して卑劣な中傷、根拠なき批判をする者は、絶対に勝つことはできない。それは勝利の因に欠けているからだ。真の勝利は、唯一無二にして完全なる正義をもっているかどうかで決まる」と。
 「正義」なく、「真実」なく、ただ己の権威・権力にまかせて民衆をいじめる。そうした悪人には、勝つべき「因」も「道理」もない。
 「正義」こそ力である。私たちは、大聖人の仏法という、「唯一無二にして完全なる正義」をもち、進んできた。ゆえに、一切を乗り越え、堂々と勝ってきた。いかなる中傷も、ものともせず前進してきた。そして今や、全世界にこれほどの信頼の輪を広げつつ、この上なく楽しい「世界一」の学会となった。
16  カモンイスは、また「勝利は権力ではなく、知恵で勝ちとるものだ」と。
 仏法の精神にも通ずる、英知の言葉である。
 いわんや大聖人の仏法は、「以信代慧いしんだいえ(信を以て慧に代う)」である。「幸福への知恵」「勝利への知恵」は、信心のなかにふくまれている。
 人の心を動かすものは、知恵である。周囲がどうか、環境がどうかではない。大切なのは、自分自身の知恵である。知恵で決まる。
 その知恵を開くために、自分自身が「信心」を奮い起こしていくことである。
 また、そうした強き信心の祈りは、すぐに目には見えなくとも、時とともに、必ず、「勝利のリズム」を生み出していく。「無限の知恵」が、「無限の勝利」の道を開いていく──それが信心である。
17  「5・3」を晴れやかに
 東京の足立、墨田、世田谷、大田、村山、東村山の六区の合同総会、おめでとう!
 さらに、本日は、海外二十カ国の求道の同志も集っておられる。心から感謝申し上げたい。遠いところ、本当に、ご苦労さまです。
 また、明日も全国の衛星中継会場に、多くの「無冠の友」の皆さまが参加されると、うかがった。重ねて「ありがとう!」「本当にありがとう!」と申し上げます。
 皆さまの戦いで、晴れやかな「五月三日」を迎える。最大に感謝申し上げたい。
 学会の「元日」ともいうべき「5・3」──どうか、ご家庭でも、楽しく迎えていただきたい。この日だけは、奥さまはご主人を叱らず、ご主人は、何かプレゼントを持って帰る。男のお子さんであれば、お父さん、お母さんの肩をもみ、女のお子さんであれば、お母さんの代わりに食事の用意をしてあげる──たとえば、そんな心温まる日にしていただきたい。
18  これからも私は、海外を訪れ、また、多くの識者と語り合っていく。世界への道、友情のネットワークを一段と開いていく。
 今や学会は、まったく新しい時代を迎え、壮大な広がりで進んでいることを、知っていただきたい。
 最後に、皆さまの健闘をたたえ、また「五月三日、万歳!」「無冠の友、万歳!」と申し上げ、本日のスピーチとしたい。本当に、ご苦労さま!ありがとう!

1
2