Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第2回アメリカ最高会議 「社会貢献」即「広宣流布」

1993.3.17 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

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1  永遠の希望輝く「現当二世の信心」を
 本日も心通い合う創価ファミリーの集いとなり、大変にうれしい。
 「仲良きことは美しきかな」──日本のある作家、武者小路実篤氏の言葉である。
 花もただ一輪だけでは寂しい面がある。色とりどりにたくさんの花が咲き香ったとき、それぞれの個性も、ひときわ鮮やかに映える。
 わが愛するアメリカSGI(創価学会インターナショナル)の皆さまは、世界一仲の良い、世界一美しい、人華にんげの花園を広げていただきたい。
2  昨日は、サンフランシスコ近郊に住んでおられる「現代化学の父」ポーリング博士と忘れ得ぬ出会いを刻んだ。今回で四度の語らいとなるが、いつお会いしても、世界の平和と人間の健康のために、炎のごとき情熱を燃やしておられる。
 先日、九十二歳になられたが、ますますお元気であられた。昨日も、私に会う前に、三人の心臓病の患者にアドバイスをしてこられたと語っておられた。
 これまでの偉大なる業績に安住して楽をしようと思えば、いくらでも楽をできる立場である。しかし博士は、人類の未来を見つめて、いささかもたゆまず行動を続けておられる。
 仏法では「現当二世げんとうにせ」と説く。過去ではない。現在、そして未来が大事である。未来への情熱がなくなれば「生きながらの死」である。
 どうか、二十一世紀のアメリカSGIの希望あふれる未来を目指して、いよいよフレッシュな心で進んでいただきたい。
3  時にめぐりあい、時にかなう喜び
 ポーリング博士とアインシュタイン博士との深い交友は有名である。
 アインシュタインといえば、戸田先生も、よく来日の思い出を語っておられた。
 戸田先生は話された。
 「時にあい、時にめぐりあって、その時にかなうということは、生まれてきたかいのあるものであります。
 私自身のことからいえば、このあいだ亡くなられた世界的な大物理学者アインシュタイン先生に、いまから三十四年前、慶応大学講堂において牧口先生とともに、相対性原理のなにものたるやの講演を聞いたことがあります。
 私も物理、化学というようなものによって身をたてていた時代でありましたから、相対性原理のなにものたるや、その奥までわかりませんまでも、その教えを受けたということは、長いあいだの誇りでありました」
 「また、次の私の喜びは、年二十一にして、初代会長にめぐりあい、四十四まで、その薫陶を受け、ともに牢獄までもお供のできたということは、私にとっての誇りであります。
 第三に、末法の大聖人様立宗七百年の時にめぐりあい、広宣流布の仏勅を受けているということは、まえの二項にもました私の喜びであります」と。
 私も、恩師戸田先生にめぐりあい、先生にお仕えして薫陶を受け、広布の使命を受け継いだことが、永遠の誇りである。
 皆さまも、世界広布の時にめぐりあった喜びを感じて私とともに、広布の道、使命の道、幸福への「金の道」、世界平和への「金剛の道」を、楽しく、朗らかに、希望に満ちて前進していただきたい。
4  真昼の太陽の如き妙法の大功力
 さらに戸田先生は、こう指導された。
 「うちに御本尊様を拝みまいらせるこの信力・行力、御本尊様を信ずる力、日蓮大聖人様の御心を心として行ずる力、信力・行力が一丸となって、法力・仏力となってあらわれ、そうして、あなた方の生活が幸福になる。その行為さえしておれば、しぜんに広宣流布への大道を行くことになるのです。
 皆さまも、折伏に信心に、純真な態度をとられ、さすがに信心していればこそ、ああなられたのだという手本をとられ、布教しなくても、その姿が真に折伏になっている。われもわれもと信心するようになれば、しぜんと広宣流布ということができ上がる。しかも、広宣流布の時はきているのですから、御本尊様の御力はひじょうに大きい。
 しからば、おまえは、むかしの御本尊様には力はないが、いまの御本尊様には力があるというのはおかしいではないかというかもしれませんが、御本尊様には変わりはないが、受けるわれわれに変わりがあるのです。
 東の空から出る太陽も、昼の真上にくる太陽も、太陽には変わりありません」
 「いま、真昼の太陽のような御本尊様の直射を、われわれはうけている。その功徳をわが身にうけるも、うけないも、あなた方の自由、しっかり信心して、たくさん功徳をいただきなさい。これが私の教えることです。
 功徳を受けなければ損です。それには、しっかりと信心する以外にない。『先生! お金がないが、どうかなりませんか』『からだが弱いけれども、どうですか』。どうですかと聞かれたって、私は、ただ『信心しなさいよ』という以外にない。あとはなにもありません」と。
5  戸田先生は、会員を思う慈愛の実に深い方であった。
 当時の悩み深き会員に対して、先生は、「言ったとおりに信仰しても、功徳がなく、今の悩みが解決しなかったら、わしの首をやる」と断言され、多くの同志を立ち上がらせたのである。
 常に、命をけた大確信の指導の連続であった。
 先生の指導のように、今や、真昼の太陽のごとき妙法の功徳が、全世界をあまねく照らす時代がきているのである。
 私の願いは、SGIのメンバー全員が、妙法の功徳を全身に浴びながら、社会の中で堂々と勝利の実証を示していただきたいことである。私は、ただ皆さまの幸福を、常に御本尊に祈念している。
6  「自分の建設」が「広布の前進」
 日本の小説「宮本武蔵」(吉川英治著)の中に、有名な一節がある。
 武蔵が、はるかに富士を仰ぎながら、若い弟子に対して、「あれになろう、これに成ろうと焦心るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ。世間へ媚びずに、世間から仰がれるようになれば、自然と自分の値うちは世の人がきめてくれる」と諭す場面である。
 私たちにとって、「富士のように動かない自分を作る」とは、信心を根本にして、自身の境涯を開き、「人間革命」していくことといえよう。
 いかなる環境や境遇にも負けず、すべてを幸福へ、勝利へと転換していける、確固たる自己を築き上げることである。その自分自身の生命に、真の「幸福」は輝いている。
 そして、強き生命力で人と社会に貢献していく時に、人々の称賛と信頼が集まり、それが、そのまま正法の証明となっていくのである。「自分の建設」が即「広布の前進」である。
7  大聖人は、四条金吾に対して、「強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ、あしき名さへ流すいわんやよき名をや何にいわんや法華経ゆへの名をや」──強盛な大信力を出して、法華宗の四条金吾・四条金吾と、鎌倉中の上下万人、さらには日本国の一切衆生の口にうたわれていきなさい。人は悪い名さえ流すものである。まして、良い名を流すのは当然である。まして、法華経のゆえの名であるなら、いうまでもありません──と。
 四条金吾に対して、単に武士としての名を上げよと言われるのではなく、「法華宗の四条金吾」として称賛されていきなさい、と教えられているのである。
 社会の中で信心根本に勝利の実証を示し、人々から賛嘆されていくことが、正法実践の正しき姿である──との御文と拝せよう。皆さまも、「SGIのだれだれ」と、多くの人から尊敬される「勝利の人」であっていただきたい。
8  また、大聖人は、四条金吾に「中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心かりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ」──中務三郎左衛門尉(四条金吾)は、主君のためにも、仏法のためにも、世間的な心根も、立派なことである、立派なことであると、鎌倉の人々に言われるようになりなさい──と。
 現在でいえば、信心は当然として人間性においても光り、社会、職場のためにも、広布のためにも、なくてはならない存在となって、人々から称賛されなさい、との御指導と拝される。
 さらに、「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし」──蔵にたくわえる財宝よりも、身の財のほうがすぐれている。身の財よりも、心の財が第一である。この手紙をご覧になってから後は、心の財を積んでいかれることである──と仰せである。「心の財」とは、自身の生命に積まれた財宝をいう。
 広々とした境涯、豊かな福運、たくましい生命力、尽きぬ知恵、温かい人間性など、正法の実践によって築いた生命の豊かさこそ、三世にわたって崩れない、最高の財宝なのである。そして「心の財」を積んだときには、「身の財」も「蔵の財」も、自然に備わっていく。
9  足下を掘れ、そこに幸福の泉
 大聖人は、信徒の高橋六郎兵衛に対して、「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従つて起る是の故に一乗を説くなるべし」──その国の仏法流布は、あなたにおまかせいたします。仏種は縁によって起こるものである。このゆえに、一仏乗の法(法華経)を説くのである──と仰せになっている。
 高橋殿は、駿河の国富士郡賀島かじま(現在の静岡県富士市)に住んでいた。その地域の仏法流布について、すべておまかせする、と言われているのである。
 自分の国、自分の地域を、自分たちの責任と努力で、自分たちの幸福のために、寂光土へと変えていく。それが広宣流布の正しき道程なのである。その労苦はすべて自分自身の永遠の福運となる。
10  「足下そっかを掘れ、そこに泉あり」という言葉が、私は好きである。
 足元あしもとが大切である。一つ一つ目標を明快にして、着実に丁寧に取り組んでいく。その積み重ねのなかにしか道は開けない。小さなことを決しておろそかにしてはならない。
 ご存じのとおり、三十三年前のサンフランシスコの第一歩も、まことにささやかな出発であった。しかし今、この原点の地より、くめども尽きぬ泉のごとく、人材が輩出している。
 どうか皆さま方も、自身の誉れある開拓の歴史をつづりながら、わが地域・社会を限りない福徳の泉で潤していただきたい。
 仏法では「本有常住ほんぬじょうじゅう常寂光土じょうじゃっこうど」と説く。どこか遠くに理想の国土があるのではない。妙法を唱え、広布に進みゆく時、いずこであれ、寂光土となる。
 わが一念を凛然と輝かせ、そして今いる「わが使命の国土」を最大に輝かせていただきたい。
11  「ありがとう」の心が幸福を生む
 本当にきょうは、ありがとう。サンキュー・ソー・マッチ。
 「サンキュー」と言える人は幸せである。人と会っても、車に乗っても、うちに帰っても、いつも「サンキュー」と言える人生は明るい。心から「ありがとう」「ありがとう」と言える生活は幸せである。また、常にそう言っていくところに、自他ともに喜びが広がっていく。
 組織においても、友にいつも「サンキュー」「サンキュー」と感謝の言葉をかけていくことである。皆の真心を当たり前に思ったり、威張ったりするリーダーは、自分の傲慢さゆえに行き詰まる。自他ともに暗く不幸である。
 その意味で、「サンキュー」の一言に、幸福のエッセンス(真髄)が込められている。この一言の心を知り、豊かに使っていける人は、どんな雄弁家よりも雄弁といえるかもしれない。
 サンフランシスコをはじめ、アメリカの皆さまの真心に包まれ、長旅の疲れも吹き飛ぶような思いである。役員の方々のご尽力に、重ねて衷心より感謝申し上げたい。
 皆さま方が一人ももれなく、無量無辺の福運に包まれゆくことをお祈りし、きょうのスピーチとさせていただく。サンキュー・ソー・マッチ。

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