Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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アメリカ代表者会議 夢を実現するのは自分

1993.3.9 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

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2  「一心の妙用」──心が変われば一切が変わる
 仏法では「一心の妙用」を説く。「心の不思議な働き」という意味である。目に見えない「心」が、目に見える「姿」となって現れる。それが人生である。
 ある女学校の同窓会──三十年ぶりの再会であった。会が終わり、帰り道で、ある女性が友人に語った。「若いころ、とてもきれいだった人よりも、あまり目立たなかった人のほうが、きょうはずっときれいに見えたのよ。どうしてかしら」
 その女性が言いたかったのは、おそらく、こういうことだったのではないだろうか。──若いころから美人と呼ばれる人は、とくに努力しなくても、楽に生きていける面がある。しかし、それは若いうちだけで、やがて″心ばえ″の違いや、歩んできた人生が、年とともに顔に現れてしまう──と。たしかに、そういう側面があるかもしれない。
 日本の代表的芸能に「能」がある。「能」の真髄を書いたとされるのが世阿弥ぜあみの『花伝書かでんしょ』(『風姿花伝』)という本である。そこでは、「時分じぶんの花」(若さゆえの美しさ。時とともに散る)、「まことの花」(鍛え抜いた修業による美しさ。時とともに輝く)の違いを説いている。自分をたゆまず磨いた人だけが、年をとっても変わらない「まことの花」と咲くことができる。
3  近代の心理学の扉を大きく開いたアメリカのウィリアム・ジェームズ(一八四二〜一九一〇年)。彼の発見の要点は「人間は心のもち方を変えることによって、その人生を変えることができる」という一点にあったという。
 仏法で説く「一心の妙用」に通じると言えよう。
 御書には「心の不思議を以て経論の詮要と為すなり、此の心を悟り知るを名けて如来と云う」──「心」の不思議さこそ、仏教の「経典」と「論」の説く肝要なのである。この(不思議なる)「心」を悟り知った人を、名づけて「如来」という──と仰せである。
 如来すなわち仏とは、「一心の妙用」すなわち「心の不思議な働き」「心の無限の力」を悟った人であり、衆生の迷いの心を治す名医のことなのである。
 ガンジーも、ある時、言っている。「人間は(中略)自分自身の運命の創造者である」と。
 自分の「心」「一念」が、自分の未来そのもの、人生そのものとなる。
4  また、イギリスの随筆家・ハズリットは、人間心理の鋭い観察家であり、こう明言した。
 「勝てると思えば勝てるのだ。自信こそ勝利の要件である」
 「絶対に勝つ」という信念が、自分の全能力を引き出し、ふだんは眠っている力まで起こして、実際に「勝つ」ように働かせていくのである。
 人間の「脳」は「小宇宙」と呼ばれる。一説では、数百億の神経細胞が「脳」にはある。その組み合わせとなると、文字通り、天文学的数字となる。「脳」の可能性は、まだまだ未知の分野である。どれほどの力が秘められているか、わからない。ただ、確かなことがひとつある。それは″自分が信じ、考えた通りの方向に、現実も動いていく″という「信念の力」「思考の力」である。″本当に「できる」と思えば、必ずできる″という事実である。
 「勝利の結果」を、ありありと心に描き、イメージし、確信することによって、「脳」が全力を挙げて、その描いた像を現実にしようと働き始める。そして努力また努力が「勝利」という結果をもたらす。
5  カーネギー「明るい性格こそ財産」
 先日、アメリカのクレアモント・マッケナ大学で、私は講演した(一月二十九日、「新しき統合原理を求めて」)。それに先立ち同大学のスターク学長と東京で会談したときのことである(一月十三日)。同大学訪問でお会いしたマッケナ初代理事の縁者という、アメリカの鉄鋼王・カーネギー(一八三五〜一九一九年)が話題になった。
 カーネギーは助産婦も呼べないほど貧しい家に生まれたが、最後には四億ドルの資産をつくったという。今の価値なら、いくらになるか計算することも難しい。
 「かせいだ金は社会に返す」というのが、カーネギーの哲学であり、公共図書館に六千万ドル、教育制度改善に七千八百万ドル、その他、寄付の総額は三億六千五百万ドル。つまり毎日百万ドルずつ一年間寄付し続けたのと同じになったとされる。
 私も広布のため、学会のために働きに働き、無量無辺に尽くしてきた。
 ところで、カーネギーの「勝利の哲学」はこうであった。
 「明るい性格は、財産よりももっと尊いものである。若い人たちは、性格というものは養成することもできるし、人間の心も体と同様に、日陰ひかげから日光の照る場所に移るべきであるということを覚えておいていただきたい。陽の当たる場所に出ようではないか。出来なら困ったことも笑いでふっ飛ばしてしまおう」
 いつも、心を「太陽」に向けて生きよう──その生き方が必ず勝利をもたらす、と。
 彼は子供のころから貧しい家計を助ける働き者の母親に繰り返して言った。「お母さん、ぼく、いつかはきっとお母さんに絹のドレスを買ってあげるよ。雇人を使ったり、自家用の馬車を飛ばしたり、きっとそんな身分にしてあげるよ」
 この「一念」「一心」が不屈の努力と無限の知恵の原動力になったのであろう。母もまた、息子の将来を信じ、少しも疑わなかった。「お前は、必ず立派な人間になるよ」と。彼は自分が失敗するなどとは夢にも思わなかった。だから、何ものも恐れず、突進した。この勢いと確信が人々に伝染した。そして彼を中心にして、周囲に「勝利」のドラマが次々と広がっていった。
6  人生劇の「脚本家」も「主役」も自分
 自分が「勝利劇」の「脚本家」である。そして「主人公」である。
 シェークスピアは、大劇作家らしく、何度も、次の意味のことを書いている。
 「この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ」(『お気に召すまま』小田島雄志訳、『シェイクスピア全集』4所収、白水社)──。
 仏法が教えるのは、人生劇の「脚本シナリオ」を書くのも、「演じる」のも、自分自身だということである。神とか偶然とかの他の何ものかが、脚本を書くのではない。
 自分が書いて、自分が名優として演ずる。これが「一念三千」の法理に込められた、きわめて積極的な人生哲学である。
 自分が作家で、自分が主人公である。大切なことは、素晴らしいドラマを演じるためには、まざまざと鮮やかに目に浮かぶまで、″脚本″を頭にたたきこまねばならないということである。心の中でリハーサル(練習)も必要かもしれない。「勝利劇」の目標(受験や、会社の成績など)を、紙に書いて、何度も何度も心にしみつくまで繰り返すことが効果的な場合もあろう。
7  ある男の子は、小さいころの事故で片足が短くなった。しかし、両親は、どんなことでも、「お前にはできない」とか「お前には無理だ」とか、絶対に言わなかった。何でも、他の子供と同じようにさせ、スポーツもさせた。「できると思えば必ずできる」「『できない』としたら、お前が、やる前に『できない』と思ったからだ」──と。
 それは精神主義や観念論ではなく、人間の潜在能力(眠っている力)への確信であった。その子は、学校時代はフットボールの名選手となり、社会でも成功した。
 ロシアの作家・ゴーリキーが「才能とは、自分を信じることだ、自分の力を信ずることである」と言った通りになったイギリスの大小説家、ウォルター・スコット(一七七一〜一八三二年)は言っている。
 「臆病な人間にとっては一切は不可能である。なぜなら、彼には一切が不可能に見えるからだ」
 「不可能だ」「ダメだ」という一念が、本当に何もかもを「不可能」にするのである。親から、いつも「ダメな子だ」と言われていると、自分もそう思い込んでしまい、本当に「ダメな子」になってしまうかもしれない。
 今秋、「大ナポレオン展」を東京富士美術館で開催するが、ナポレオン(一七六九〜一八二一年)の有名な「不可能という文字は、わが辞書には存在せず」との言葉も、多くの場合、誤解されているようだ。
 ナポレオンは、偉業を実現したことを誇って「我に不可能なし」と言ったのではない。その反対に、「人間に『不可能』なし」と固く信じていたゆえに、彼は大事業を成せたのではないだろうか。すなわち、この有名な言葉は、彼の勝利の「結果」ではなく「原因」であった。
8  御書には、華厳経を引いて仰せである。
 「心は工なる画師の種種の五陰を造るが如く一切世間の中に法として造らざること無し」──「心」はすぐれた画家が自在に種々の姿を描くように、世のあらゆる現象を造り出していく──。
 「心の外に別の法無し」──心の外に別の法はない(すべての現象は、心の産物である)──。
 大聖人の御手紙を拝するとき、常に相手に応じた″たとえ″を引かれ、″文証″を引かれて、何とか「心」を変えよう、「一念」を強めよう、「確信」と「自信」を与えようとされている。
 常に「希望」と「励まし」を太陽のように送っておられる。「心」が変われば「一切」が変わることを熟知されていたからであろう。
9  「小さな自我」から「大きな自我」へ境涯を開け
 「うまく勝利した人は、条件がよかったのだ」と考える人は多い。こういう人は、たいてい「もしも、自分にあれがあったならば」「もしも、自分がこんな問題をかかえていなかったならば」と考えている。
 しかし、それは結局、グチである。困難を抱えていない人はいないのである。
 ある実業家が友人に言った。
 「君は、いつも『問題が多くて』と嘆いているが、実は、私の知っている場所で『一万人もいるのに、だれひとり問題を抱えてもいないし、悩んでもいない』という場所がある。紹介しようか?」
 友人が「ぜひ頼む」と答えると、連れていかれたところは──「墓園」であった。
 人間は、生きている限り、必ず「悩み」があり、「課題」がある、と教えたのである。その「課題」を″どうやって″克服するか。その挑戦によって、より豊かな人生となる。
 仏法では「煩悩即菩提」と説く。「悩み」が大きいほど、唱題の力によって、より大きな「幸福」に変えていけるのである。
10  釈尊の時代、ある女性が、かわいい子供を病気で亡くした。悲しみのあまり、正気を失い、死んだ子供を抱いたまま町をうろついていた。会う人ごとに、「この子に薬をください」と言った。
 ある人が、哀れんで彼女を釈尊のもとに連れてきた。釈尊は言った。
 「よしよし、良い薬をあげよう。町へ行って白いケシをもらってきなさい。ただし、『死人を出したことのない家』の白ケシでなければいけないよ」
 彼女は、町じゅうを一軒一軒、歩いて探した。けれども「死人を出したことのない家」は一軒もなかった。ついに、彼女は自然に理解した。「人間は必ず死ぬ」のだと。自分の悲しみだけが特別なのではない──。そして「永遠の生命」を悟るために、釈尊の門下となり、聖者と仰がれるまでになった。
 釈尊は、自分だけの悲しみにとらわれていた彼女の心を、こういう方便を使って、ほぐし、解放し、三世の生命観に立った、より大いなる知恵に目覚めさせたのである。
11  ともあれ″境涯を開く″ことである。人間、いつも自分のことだけを考えていると、次第に「小さな心」「小さな自我」に固まってしまう。
 法のため、人のため、社会のためという、開かれた大きな目的に向かって働けば、「一心の妙用」によって、「大きな心」「大きな自我」が築かれていく。「大きな心」は即「大きな幸福」を味わえる心である。
 「小さな心」には重圧であった悩みも、軽く感じ、悠々と見おろしていけるようにもなる。皆さまは、この「一心の妙用」を見事に、晴れやかに証明する人生であっていただきたい。
12  最後に、マイアミ研修センターの真心の″世界地図″が迎えてくださったように、私の平和旅もチリで五十カ国の歴史を刻んだ。この五十カ国の第一歩は、いうまでもなく、このアメリカである。アメリカが原点である。この原点の地より、えにし深き皆さまとともに、新しい歴史の扉を開いてまいりたい。
 アメリカ合衆国の偉大なる再生を念願し、わが創価学会の壮大なる大発展と、大切な使命をおもちのわが全同志のご健闘を祈って、記念のスピーチとさせていただく。

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