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日蓮大聖人・池田大作

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第二回ブラジル最高会議 民衆の希望をすべてに優先

1993.3.4 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

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1  世界の「美の宝殿」サンパウロ美術館
 皆さまの真心で自然文化センターを見事な王宮に荘厳していただき、改めて感謝申し上げたい。
 役員の方々が、記念植樹(大植樹祭)の準備をすすめてくださっている様子も、私たちは夫婦で陰から見守らさせていただいた。
 友のために、また、いまだ相見ぬ各国の仏子のために、皆、喜々として汗を流しておられた。これほど尊い姿はない。これほど美しい心はない。
 この皆さま方が無量の福徳に包まれゆくことを、私は祈り、また確信する。
 昨日(三日)、私は、サンパウロ美術館を訪問した。ご存じのとおり、サンパウロ美術館と東京富士美術館は兄弟館として、交流を積み重ねており、二年後の一九九五年には「サンパウロ美術館名宝展」が、東京で開催される運びとなった。
 私たちの交流は、一回きりで終わってしまうものではない。水の流れるごとく、誠実に友情を大切にしていく。そこに点から線へ、線から面へ、信頼が深まり広がっていく。
2  サンパウロ美術館については、皆さまがよくご存じであるが、昨日の同美術館での温かな歓迎への感謝を込めて、また、世界にさらに紹介させていただく意味で、少々スピーチを残させていただきたい。
 内外を問わず、私たちは、誠実、礼儀正しさ、よき言葉づかい、迅速さを大事にしてまいりたい。
 サンパウロ美術館は「南米随一の美の殿堂」であり、世界屈指の美術館である。「世界五大美術館の一つ」に数えられる。昨年、創立四十五周年の歴史(一九四七年=昭和二十二年の創立)を刻んでいる。中世・ルネサンスから二十世紀にかけてのヨーロッパの名品を数多く所蔵しておられる。
 光栄にもこの大美術館で一九九〇年には「珠玉の日本美術名宝展」(東京富士美術館所蔵)、一九九二年には私の「『自然との対話』写真展」を開催していただいた。皆さまにもご尽力いただき、改めて感謝申し上げたい。
3  サンパウロ美術館に関して、このようなエピソードがある。
 アメリカのある芸術家(音楽家・詩人)が、サンパウロを訪問し、パウリスタ通りの同美術館を通りかかった折、彼は車を止めるように言った。
 車を降りて見晴らし台のすみずみまで歩き、両手を空に上げ、彼は叫んだという。
 「この美術館は、自由の傑作だ!」と。
 美術館のピロティーでは、民衆が自由に集い、さまざまな文化の催しが開かれる。まさしく、サンパウロ美術館は、民衆の「自由の広場」であり、民衆から愛される「美と文化の城」である。
4  創立者シャトーブリアンの情熱
 サンパウロ美術館の創立者は、ブラジルの「新聞王」、アシス・シャトーブリアン氏である。政治・経済・文化・教育などで幅広く活躍された。氏は、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁とともに、日本人のブラジル移住のために尽力してくださった大恩人でもある。
 (SGI会長は、同館最高の栄誉章であるシャトーブリアン生誕百周年記念メダルの「第一号」を贈られているが、この九三年の訪問の折、同メダルの特製の「金メダル」も贈呈された)
 創立者シャトーブリアン氏は、常に″ブラジルにないものを求めよう″また″ブラジルにあるものを、さらに良くしよう″と情熱を燃やしていたという。
 彼は、ひとたび決断すると迅速に手を打った。そして青年を登用し、責任ある主役として活躍させた。目的を必ず成就させるために、断固として突き進んだ。
 サンパウロ美術館の創立は一九四七年(昭和二十二年)。世界は、第二次大戦の直後で混乱していた時代である。そうした時代に、シャトーブリアン氏は、「見向きもされない事業に、私は着手しよう」と、美術館の創立に取り組んだのである。
 「平和の時代」は「文化の時代」である。氏は、この「文化の時代」の偉大なる先駆者であった。そして、永遠の美の宝殿を人類に残した。
5  昨日お会いしたモンテイロ会長(シャトーブリアン財団)は、この創立者に若き日から仕えてきた方である。会長は、振り返っておられる。
 「私が、初めてシャトーブリアン氏と出会ったのは、一九三〇年(昭和五年)、新聞社(ディアリオス・アソシアドス新聞社)で、就職先を探し求めていた時でした。
 私は十三歳の時に、オフィス・ボーイ(掃除などの雑用係)としてシャトーブリアン氏のもとで仕事をするようになりました。そして私が六十五歳の折に社長として、氏を見送ることになりました(氏が逝去)。まさに、私の人生は、シャトーブリアン氏のもとで生きてきた一生であります」と。
 会長は、若き日からこの創立者にすべてを託され、苦楽をともにしてこられたのである。創立者と会長の尊い人生のドラマについては、三年前、美術館のマガリャンエス館長とお会いした折にも話題になった。
 私は、戸田先生にお仕えした思い出と二重写しに、お二人の姿を胸に浮かべる。
6  モンテイロ会長は、創立者のことを、このようにしのんでおられる。
 「シャトーブリアンは、財政的なことには、無頓着であった。彼は情熱的で、チャンスを決して逃さなかった。彼の行動は、時に強引であったかもしれない。しかし、そうでなければ、今日のサンパウロ美術館はなかったであろう」と。
 大いなる理想を掲げ、前へ前へと驀進する創立者の心を、だれよりも知っていたのは会長であろう。会長は、陰ですべてを支え、守り、実らせてこられた。サンパウロ美術館は、この「不二の戦い」の結晶である。
 さらに、お二人と力を合わせて美術館を支えてこられたのが、初代館長のバルジ氏であられた。そして、創立者と会長らの精神は、今、若きマガリャンエス館長に脈々と受け継がれている。
 どのような事業にあっても、リーダーを中心に、皆が、心と心を合わせていく時、加速度的に前進の力が生まれる。
 「一つ心なれば必ず事を成ず」──一つの心であれば、必ず事を成就していくことができる──との御聖訓どおりのスクラムを、さらに強めてまいりたい。
7  陰の労苦の人を大切に
 とともに、創立者を支えた会長のように、どの世界にあっても陰の人がいる。自然文化センターを、すみずみまで手入れしてくださったのも、そうした方々である。陰の立場の人が本当に大事である。幹部は、その人たちを心から大切にしていかねばならない。陰の支えがあって、幹部として戦わせていただいていることを、決して忘れてはならない。
 シャトーブリアン氏の言葉に「いかなる民主主義においても、民衆の希望こそ、すべてに優先されるべきだ」と。
 その意味で、会長、館長の尽力によって、サンパウロ美術館が″世界の民衆から親しまれ、愛される美の殿堂″となったことを、創立者(シャトーブリアン氏)は、さぞかし喜ばれていることであろう。
 私たちも、どこまでも「会員の希望」をすべてに優先して進んでまいりたい。
 また同じく創立者の言葉に「私の使命は、自分が人々をリードしていくことではない。人々をリードしていく指導者を育てることである」と。
 自分より立派な後継の人材を、どれだけ育てたか。ここにリーダーとしての真価がある。ブラジルSGI(創価学会インターナショナル)も、一段と人材育成に全魂を注いでまいりたい。
8  最後に、戸田先生は去の前、「人ではない、自分だ。会員ではない、幹部だ」と強く強く言われていた。まず、自分自身が、さらに一歩成長していくことである。幹部が、さらに細やかに心を砕き、陰の立場の人を大切にしていくことである。
 役員の皆さまのご苦労に重ねて御礼申し上げ、スピーチとさせていただく。

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